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関東大震災後に、京王が横浜市電に旧型車を融通した時、自走で行けた話がすごい。新宿追分で東京市電に入り、京急を経て横浜市電へ。
戦中に変電所が爆撃されて甲州街道で省線を越えられなくなった話は有名だが、その勾配は 40 ‰ だったと言う。
現井の頭線と東京山手急行電鉄の話題が興味深い。
鉄道省文書という範囲から、多摩川以西の相模原線は言及されない。
西武は、国分寺から川越への川越鉄道を起源とするが、川越への競合路線として東上線と所沢から東京へ短絡する現池袋線が開業してしまう。対抗するために東村山から東京へ向う線を種々計画するが認可を得るのに苦労し、最終的にやっと実現したのが現新宿線という経緯が興味深い。
村山貯水池ができると観光需要を見込んで三社が支線を建設して競い、戦後も奥多摩湖への鉄道直通とケーブルカーが計画されたが、モータリゼーションが進んで頓挫したという。鉄道時代の観光需要が想像以上のものだったことに驚く。
東武は、利根川鉄橋が大きな課題だったことは想像できるが、開通時には荒川放水路がまだなく、開鑿時に線路変更と架橋が必要になったことを知らなかった。
東上鉄道の上州は渋川を目指していたことも、本書で知った。