紙の本
ネーデルラントの歴史。
2018/08/16 14:31
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投稿者:うりゃ。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
オランダというかネーデルラントの背景を見る上で商業都市ブルッヘやフランドル地方ははずせない。
そう感じて手に取ったが、地図が少ないのが残念。歴史は広域の古地図がないと難しい。
美術の方はかなり充実していてよい。
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ブリューゲルやルーベンスなどの巨匠の絵画、絢爛豪華な建築に囲まれたあちこちの広場グラン・プラス、壮麗な聖堂。ベルギーの15〜17世紀美術の粋を極めた美術を堪能する決定版。
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ポアロの故郷とあって見て見た。前に見た写真集では第一次世界大戦で塵灰となったイーベルの町が写っていた。歴史を概観し、フランドル地方の都市や、15世紀のネーデルランド美術からブリュッセルの19世紀末美術までを述べた。
ベルギー? チョコレート? ポアロの出身地のほか何かあったかなあ? と思いながらぱらぱらめくると、美術はブリューゲル、ヴァン・エイク、ルーベンス、続々出てきました。近代では象徴主義派としてフェルナン・クノップフ、アンソール、など展覧会も見に行った人がいました。忘れちゃいけないベルギーでした。
そういえば「フランダースの犬」のネロ少年が尊敬する画家がルーベンスでした。調べると場所はアントワープ近郊の村が舞台。しかし作家はイギリス人。旅行でアントワープを訪れたとあります。
この本には出ていませんでしたがマグリットもベルギー生まれでした。
表紙は「聖母マリア大聖堂」アントウェルペン(アントワープ)1352-1521にかけ建設。ここに掲げてあるルーベンスの絵をネロ少年は見たいと願っていたのでした。
その下は「シント・パウル聖堂の告解聴聞席」
歴史
・BC51~ ローマ支配。先住はベルガエ人。ローマ街道の建設(ブローニュ~ケルン間。後の言語境界線となる)ベルギカ、ゲルマニア両州として統治される。
・4世紀~ フランク王国の支配。ゲルマン人(特にフランク族)の進出により。南部ではローマ化し言葉もラテン語化、北部は低地ゲルマン語が定着。
・中世~ ネーデルランド南部としてフランドル伯の所領。フランドル=(オランダ語ではフランデレン、英語ではフランダース)
・中世~ 毛織物業が発展しガン(ヘント)やブリュージュ(ブルッヘ)が中心都市として栄える。
・14世紀~ イギリスとフランスの間で争点となり百年戦争の一因となる。
・1384年~ ブルゴーニュ公領に。
・1477年~ ハプスブルク家領(ブルゴーニュ公シャルル豪胆公が死んで娘のマリーがハプスブルク家のマクシミリアン1世と結婚したため)
・16世紀中ごろ スペイン=ハプスブルク家の支配
・アントワープ(アントウェルペン)が国際的商業港として繁栄(新航路の発見により経済の中心が大西洋岸に移った)
・1648-オランダ、スペイン支配から独立
○南ネーデルラント(南部10州)は依然スペイン領で現在のベルギーの母体となる。
・1714~ オーストリア=ハプスブルグ家の支配(スペイン継承戦争後のラシュタット条約:フランスと神聖ローマ帝国の講和条約で)
・フランス革命・ナポレオン時代ーフランスに支配
・1815ウィーン会議後ーオランダに併合
○1830-独立運動を経て独立。中立政策、産業革命でアフリカ進出。
・第一次、第二次世界大戦ードイツに侵略された。植民地は失う。
※ゴディヴァはベルギー王室御用達とあった。え?ベルギー王室、これは1830年にオランダから独立した時に建てた王室だった。調べると「ベルギー王国」が正式名。立憲君主制。
1831年6月4日、国民議会によってザクセン=コーブルク=ゴータ公エ��ンスト1世の弟レオポルトが王に指名された。ザクセン=コーブルク=ゴータ家はヴェッティン家(エルンスト系)の分家であり、一族からはブルガリア国王フェルディナンド1世、ポルトガル国王フェルナンド2世、イギリス王配アルバートなどを輩出している。
2015.1.30初版 図書館