紙の本
遠くのどこかにいる“隣人”ではない
2004/12/06 21:57
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投稿者:つば子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
是枝裕和監督「誰も知らない」この映画は、88年西巣鴨子供四人置去り事件をモチーフにした作品と聞いた時、西巣鴨…? 置去り…? どんな事件?
あったようなでも思い出すことが出来ない。
事件は日々起こり、数年前の事件でさえ記憶が薄らいでしまう。
事件の情報は主にテレビから得る。アナウンサー、レポーターから発せられる声。耳から入る音目から入る映像の前では、ただの傍観者だ。この作品は、作家重松清さんがとにこだわって事件を追っている。
池袋通り魔殺人事件、音羽幼女殺人事件、新潟少女監禁事件、和歌山ヒ素カレー事件、日産自動車村山工場の閉鎖、多摩ニュータウンの三十年…。
その中で一番引きつけられたは、音羽の幼女殺人事件だ。
同い年の長男長女を持つ仲良しのママがなぜ?
重松さんが音羽を歩く寄り道をして。二人が子供を連れて遊んだ児童館に提出した登録票がある。そこに長女について書かれているのだが、
「〜〜お友達と会えるのがたのしみになってきたようです」
几帳面な文字で書くママと、
「〜〜おともだち大好きな、元気な女の子です!」
丸っこい文字で書くママ。
二人のあまりに対照的な記述には、驚きとその反面どこかでそうではないかとの思いもあり、胸が締め付けられる思いがした。
明るい暗いネアカネクラひとりぼっち
そう、ひとりぼっちが怖いのだ。
をして見た隣人は、遠くのどこかにいる“隣人”ではなくなっている。
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この方のご本を拝読すると、なじかは知らねど心わびて。っちうのはローレライだけれども、
だつて!何にも残らないんだもの!よく重松清さんのご本は、優しいとか痛みがわかるっておっしゃるけれども、
だからなんなのよ!なんだもの!!!←逆ギレ。心わびて。
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20世紀末、実際に起こった事件などの、ルポルタージュ。たまに「ん?」と思うときもありますが、切り口が面白いです。人によっては、今までとはちょっと違った「事件」との関わり方が見つかるかもしれませんね。
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1990年代後半に起きた事件や出来事の周辺を散歩したルポルタージュ。筆者の考えに共感できれば、ゆるり。できなければ、一人よがりな作品どまり。
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読み物作家の重松清による、国内ルポルタージュ。
とても謙遜した書き出しで始まるこの作品は、雑誌に寄稿されたもので、当時ワイドショーなどで話題になった事件や、過去に話題になった事件などの現地(現場)を「寄り道」、「無駄足」と称した彼なりの(実際の移動、思考の中での)歩き方で事件についての外延を描き出している。
今までに重松作品に親しんできた方、つまり、フィクションの重松小説を読んできた人には最初違和感があると思いますが、読み進めていくにつれて、これは小説の中の出来事なのではないか?と思ってしまうほどの重松色あふれた切り口で事件が描かれていきます。
過去・現在・未来 ワイドショーをにぎわせたさまざまな主人公に脇役、そして、テレビの前でそれを楽しみにしている観客・・・誰も彼もが今まさに生きていて、現代の日本に存在するということ。。。つまり、誰しもが「隣人」になりうるということが、つまりは、ワイドショーに出てくる「隣人」が特別な存在ではなく、まさしく『隣人』なのだということがほのかに頭の中で帰結したような読後感でした。
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重松清には珍しくルポタージュ。酒鬼薔薇の事件などを事件の表側からでなく裏側から踏み込んでいく作品。批判的な文体ではないのはやはり作家としての気質なのだろうが、それが逆に考えさせられる。
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重松清どくとくの多摩地区重視。笑
殺人事件とか
人ごとに考えているけれど
私の周り、私自身にいつ起こってもおかしくなくて
起こる確率はいつも誰にでも一定なのかもしれない…と考えた本。
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こういう本には精神分析が詳細なルポタージュを求めてしまうので、宙ぶらりんな感じがした。
池袋通り魔事件が『疾走』の元になっているんですね。あれはいわゆる“少年犯罪もの”のジャンルとして書いたのかと思っていたが、そういう括りだけではないと知って納得。
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ルポライターとしての重松清の話は始めて読んだかな。
2000年辺りの事件を追う。
カレー事件や17歳のバスジャック事件、幼稚園児殺害事件とか。。。。
外側から書く、調べる、ルポする。自分もやってみたいって思った。
「まわり道まわり道」って言っていたけどなんかそれでよりリアルで時間もおいて冷静に見れるって言うかよかった。
日産の工場閉鎖「モノより思い出」多くの家族は苦しんだんだな。。。。。。。
モノを多角的に見られるようになりたいな
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新感覚。
『寂しからずや、「君」なき君』のなかで、
十七歳は危険な年齢、らしい。そして十七歳とは童貞の年齢である。マスターベーションの年齢である。
と重松清はこう措定している。なるほどなるほど。いろんな事件を引き合いに出し彼独自の考察がおもしろい。だが簡単には納得しない。
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〈ゴジラの目の位置から東京の街並を見下ろすと、やはりそれらすべてを踏みつぶしたい衝動にかられた。原子力怪獣・ゴジラが“核”のメタファーであるとすると、やはり、やがて僕達はゴジラに踏みつぶされる日がくるのだろうか?〉
引用部分の二つのセンテンスには、大きな転倒があることを見逃してはならない。
踏みつぶす/踏みつぶされるを同時に夢想すること。
核の時代に生まれた僕らは、常に地球の終わりを感じながら生きている。
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家族や教育などを中心に執筆している著者が、社会問題、とりわけ家族が絡む問題、にスポットを当て、ルポを書いている。
新聞やニュースでの取り上げられかた、とは異なっているのは間違いない。異なっている、といいうよりは一歩踏み込んでいる、といったほうがいいかもしれない。
一つの事件に対する視点が変わります。
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これはどう評価していいのだろうか?
感想としては切ないです。
現代のノンフィクションなのでしょうか・・・
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タイトル通り世紀末に起きた事件や問題について書かれたルポルタージュ作品。
風化し、忘れ去られたような、今となってはもう過去でしかない話。 だけど、その原点への寄り道、無駄足あるいは蛇足こそが隣人達を再び今に蘇らせている。
「夜明け前、孤独な犬が街を駆ける」
「支配されない場所へ」
「寂しからずや、「君」なき君」
など同世代が抱いた感情は少なからず共感してしまう部分もあった。読めば読むほど深みも出てくる。
重松小説にも深くリンクしているこの一冊。 一見の価値あり。
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こればっかりは賛否両論仕方ない。
中途半端な私は星三つという軟弱者。
でもどっちかっていうと反対意見。
しかし、読み物としてはとても興味深い。
足し算の原理はあたしもそうかもしれないなあ。
そうだよね、単純に「増える」とかそういうことじゃないよね。
でもなあ、これ「重松清」っていう優しいルポライターの憶測でしかないんだよなあ。
そうなのかもしれないけど、そうじゃないかもしれないよね。
別にこの人だって庇ってるわけでは決してないんだろうし、あくまでも客観的に、あんまり見ない角度から事件を見るっていうコンセプトなんだろうけど。
でも被害者家族はたまんないだろうな。
あたしも決して加害者をかばうわけではないけど、悪いことっていうのはわかってるけどどうしようもないときっていうのはあるんじゃないかと思っている。
だって人間って言うのは自己中なものだし、そうじゃなきゃだめだと思う。