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商品説明
村上春樹全作品の第2期。第2巻は中編小説、あるいは短めの長編小説である、「国境の南、太陽の西」と「スプートニクの恋人」を収録。著者による書下ろし解題付き。【「TRC MARC」の商品解説】
好評の第2期 第2弾!
「国境の南、太陽の西」「スプートニクの恋人」
著者による書下ろし「解題」入り
海外で人気の高い『国境の南、太陽の西』、1999年に刊行された『スプートニクの恋人』という2作の長篇。巻末に長い書下ろしエッセイで自作とその周辺を描く。
【商品解説】
著者紹介
村上 春樹
- 略歴
- 〈村上春樹〉1949年京都府生まれ。早稲田大学卒業。小説家。著書に「ねじまき鳥クロニクル」「アンダーグラウンド」「うずまき猫のみつけかた」「レキシントンの幽霊」など。
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紙の本
島本さんにしても、すみれにしても、男性はこういう女性には弱いんだろうな、って思います。特に、二人が姿を消す、それがいっそう彼女たちの存在を、というか不在を男性に意識させる。そうか、これが村上の小説のキーなんだな、なんて思ったりして・・・
2010/09/03 19:35
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本を含む東南アジアの地図が表紙として使われていて、それがこの全集の装幀のポイントなんですが、うまいなあと思います。和田誠の仕事は彼が描く丸っこい人物の絵なくしてはありえない、と思っていたのですが、そういうイラスト皆無でもこんなに凄い仕事が出来るんだ、と感心した次第。私が知っている和田の仕事としては最高の出来ではないでしょうか。
巻末の解説による村上自身の分類によれば、収められているのは「中編小説、あるいは短いめの長編小説」というカテゴリーに属する二編で、『スプートニクの恋人』は最初から独立した中編小説として計画されたのに対し、『国境の南、太陽の西』は、その小説の核になる部分はもともと『ねじまき鳥クロニクル』という長い長編小説の一部として組み込まれていたそうです。
そういわれて無理矢理あてはめれば、ハジメくんは岡田亨、有紀子はクミコ、会社を引き継ぐことになる義兄は綿谷ノボル、クミコを怒らせたハジメくんの過去の相手というのがイズミの従姉ということも可能です。バーを経営することを教える義父、というのが叔父ということも出来そうです。ただし、それはいわれてみれば、というだけの話で、むしろ村上らしい似通った筋立ての、でも全く異なるお話、として読むのが自然ではあるでしょう。
無論、その差の核にあるのが島本さんの存在であることはたしかで、彼女の存在がこの話に一種伝奇的なというか重苦しい不可思議な味をもたらしていて、それが過去の思い出と繋がるだけに、私のように文学は基本的に若者のものである、青春こそが永遠のテーマだ、と思うものにとって、この小説は独特の輝きを持つといえそうです。
『スプートニクの恋人』は原稿用紙にしてせいぜい一枚くらいの短い散文のスケッチが出発点だそうです。そしてこの小説を書くこと自体を村上は楽しんだといいます。それは小説の中身のせいかもしれないし、村上がその前の仕事として取り組んでいた『アンダー・グラウンド』にあったかもしれません。出版社のHPにはこの作品について解題からの引用として
*
もし僕の書いた小説群を「比較的楽しんで書いた小説」と「比較的苦しんで書いた小説」にわけるとすれば、この『スプートニクの恋人』は楽しんで書いた小説の最右翼に位置するのではないかと思う。言うまでもないことだが、ゼロから何かを立ち上げ、それを書き進めてひとつの本にしていくという作業は楽しいばかりのものではない。決して吹くわけではないけれど、身を削るようにきついことだってある。でもそれでもやはり僕としては、この『スプートニクの恋人』という作品を書くのはけっこう楽しいことだったと認めないわけにはいかない。(抜粋)
*
とありますが、その雰囲気は良く伝わってきます。私としては、この小説に登場するマルタ・アルゲリッチやジュゼッペ・シノーポリといった私が愛して止まない音楽家たちが実名で登場することも、話が面白くなる要因だと思っています。それと、この話には主な登場人物は三人ですが、僕はあくまで語り手であって、全ては、すみれとミュウの恋物語というのが、同性愛好きの私にはとても好ましいわけです。
ただ、普通は同性愛の年齢差はあっても五歳くらいまでではないかと思うのですが、このお話では十七と普通よりは大きめに設定されています。これはどちらかと言うと異性愛にこそ相応しいし、すみれがミュウに寄せる想いには村上の、というか男性の年上の女性に対する気持ちが、女性のそれという形で語られている、ということもあるのかもしれません。
とはいえ、失踪をめぐる話の中に井戸の中に落ちているのではないかと心配するあたりは、本来、この話が『ねじまき鳥クロニクル』とは関係なく作られたものどぁるはずなのに、あまりに似通った話で、しかも地理的にはギリシアが登場して、それならばクレタ島となって加納クレタの名前を連想すれば完全に『ねじまき鳥クロニクル』と共通点がある、ということになります。
ただし、それがどれほど重要かとなると、解題にはこのお話の執筆時期が明記されているわけではなく、『アンダー・グラウンド』以降、1999年までの間にハワイで主な部分が書かれたというだけなので、『ねじまき鳥』とそういった表面的なこと以上の関係があるかといえば、それはあくまで村上春樹という作家が著した、ということに収斂されてしまいそうです。
以下、二話について主な登場人物について、詳述しておきましょう。
国境の南、太陽の西(1992年10月刊 講談社):
僕:ハジメくん。1951年生まれ。始。一人っ子。父親は証券会社勤務。大学卒業後、教科書出版の会社に勤務するが、義父の勧めもあって自分で上品なバーを経営することになる。生まれつきの才能があったのか、経営は軌道に乗り十分な利益をあげ、生活には困らない。いつになっても島本さんのことが忘れられない。30歳の時、五歳年下の有紀子と結婚、今も、娘を幼稚園に送り届けた後は、プールで泳ぐ。愛車はBMW。
島本さん:僕が小学校六年間でただ一人出会った一人っ子で、親しい友人となる。五年生の終わりころ転校してきた美しい少女で、左脚を軽くひきずっている。彼女の家で、毎日のようにレコードを聴いて時間を?過ごしたが、別の中学に進み、何度かハジメが訪ねてきたこともあったが、そのまま行き来はなくなり、音信不通になる。
有紀子:中堅の建設会社の娘で、決して美人ではないが、性格がよく、僕と一目で惹かれあい、結婚する。二人の娘をもうけ、親の援助もあり、幸せそのものの家庭を築くが、過去に苦い思い出がある。会社を引き継ぐ兄がいる。
スプートニクの恋人(1999年4月刊 講談社)
すみれ:大学を中退し、小説を書くことだけに専念する女性で、決して美女ではないものの、僕の心をとらえて離さない。でも、すみれは、僕のことを好きではあってもそれ以上ではなく、話相手、相談相手としてみている。22歳の時、17歳年上の韓国人で既婚女性ミュウに出会い、恋に落ちる。彼女の恋情と失踪がこの物語の柱でもある。彼女はミュウのことを「スプートニクの恋人」と呼ぶ。父親は横浜で歯科医をやっていて、非常にハンサム。名付け親である母親はすみれが三歳にならないとき、31歳で死亡。その後、父は再婚するが継母がいい人で、幸福な人生を送っていた。
僕:小学校の教員になって三年、受け持ちの生徒の母親と性的関係を持っているが、いつも、すみれのことを思っている。すみれとが大学で学年が二つ上。
ミュウ:化粧をすれば20代でもとおるのに、あえて自然のままでいる38歳か39歳の美女で、すみれが恋した相手。国籍でいえば韓国人だが、日本で生まれ育ち、フランスの音楽院に留学したため、日本語とフランス語は話せるものの、ある時期までは韓国語を話せなかった。すみれを雇い、服を与え一緒にヨーロッパを旅する。ピアニストを目指していたが、留学中にある出来事がきっかけで、留学を打ち切り、日本に戻り、父親が亡くなったため、貿易会社の経営を受け継ぐ。
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書評に尽きる
2016/02/19 07:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:earthbound - この投稿者のレビュー一覧を見る
本全種には村上春樹の書評が書かれています。
作家本人が書評を書くこと自体珍しいですし、村上春樹が自身の小説について語ることは特に珍しいと思います。
単行本や文庫本で読まれたかたも今一度全集も読まれることをお薦めします。
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村上春樹の「中編小説」
2009/10/30 17:29
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K・I - この投稿者のレビュー一覧を見る
『村上春樹全作品1990-2000 2 国境の南、太陽の西 スプートニクの恋人』の中から、「国境の南、太陽の西」と「解題」を読んだ。これで、村上春樹の長編は全て読んだことになる。
「解題」で村上春樹は、自分にとって「中編小説」とはパーソナルなものだ、といっているが、「国境の南、太陽の西」は「僕」の1人称で語られる小説で、『1Q84』を読んだ身としては、いっそう、パーソナルな感じを受けた。
「国境の南、太陽の西」で重要なのは「島本さん」だが、「僕」と「島本」さんは小学生のときに仲が良かった。そして、約20年後に「再会」する。「僕」は今でも、「島本」さんが小学生のとき、一度だけ手を握ってくれたときの感触を憶えている。
……と読み進めて、「あれ?」と思った。このテーマは『1Q84』における天吾と青豆のそれとほとんど同じなのである。もちろん、ストーリーの進み方は違う。でも、村上春樹作品の中の一つの「型(タイプ)」として、このようなものがあるのかもしれない。
それは、必ずしも、村上春樹本人が小学生のときに仲のいい女の子がいて、その子のことをことあるごとに思い出して……、ということではない、と思う。
個人的な経験でいえば、小説を書く人間のモチーフは必ずしも作家本人が体験したことではない。ただ、物語を書く上で、「くせ」のように出てくるものはあるかもしれない、と思う。
「国境の南、太陽の西」は、『ねじまき鳥クロニクル』のもともと一部だったということは知っていたのだが、「解題」を読んで、そのことをはっきりと理解した。
「国境の南、太陽の西」の「僕」と『ねじまき鳥クロニクル』の岡田トオルは、もともとは同一人物だったということ。それが、『ねじまき鳥クロニクル』についての作業を一時的にやめて、「国境の南、太陽の西」の執筆を始めて、別の人物として分かれていった、ということ。
『1Q84 BOOK3』は3人称で書かれているのだろうが、ひさしぶりに1人称の村上春樹作品を読んで、そして、「国境の南、太陽の西」はとくにパーソナルな作品だったから、どこか懐かしいような気持ちになった。