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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2002.10
- 出版社: 新潮社
- サイズ:20cm/333p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-10-419003-9
読割 50
紙の本
黄色い目の魚
著者 佐藤 多佳子 (著)
イヤなことばかり。絵もサッカーも上手くいかない。でももう逃げない。自分だけのモチーフを見つけたから。舞台は鎌倉、揺れる2人の16歳を描く長編。【「TRC MARC」の商品...
黄色い目の魚
黄色い目の魚
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商品説明
イヤなことばかり。絵もサッカーも上手くいかない。でももう逃げない。自分だけのモチーフを見つけたから。舞台は鎌倉、揺れる2人の16歳を描く長編。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
佐藤 多佳子
- 略歴
- 〈佐藤多佳子〉1962年東京生まれ。児童文学の世界で活躍。97年発表の「しゃべれどもしゃべれども」が山本周五郎賞候補に。ほかの著書に「サマータイム」「イグアナくんのおじゃまな毎日」など。
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電子書籍
海の近くの情景、心情の揺らぎが目に浮かぶ
2020/09/15 23:00
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くらげ - この投稿者のレビュー一覧を見る
絵を見ることが好きなみのりと、父の影響で個性的な絵を描くようになった木島。絵、という1つの共通項を軸に徐々に距離を縮めていく、思春期の真っ直ぐな関係性が描かれている。七里ヶ浜が出てくるなど、海辺の街を舞台に描かれる、繊細な心情の揺らぎが印象的。
授業の合間に落書きをする感じ、周囲と自我のズレ、大切にしたい友達など、自分が学生時代に見てきた風景と重なる部分があり没入感がある。
家庭や学校において器用に振る舞えない主人公のみのりが漫画家の叔父や印象的な絵を描く木島など、絵にまつわる人たちには親しみを持っていく様子から、自分も孤独だった学生時代に、何か心の拠り所になるものを中心に自分の世界を据えることで自己を保っていたことを思い出した。
紙の本
メルヘンの世界
2008/12/06 16:24
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
黄色い目の魚 佐藤多佳子 新潮文庫
これは短編集で項目が8つあります。
「りんごの顔」繊細な面が好きになるけれど、うっとおしさもあります。童話のようです。メルヘンです。りんご3個は、父と母と小学校5年生悟(さとる)くんのことを指しています。そして、りんごに顔を書かなければならないのです。両親が離婚しなかったら、父親はもっと長生きできたことでしょう。
「黄色い目の魚」みのりちゃんのかんしゃくもちは、読み手をほっとさせてくれます。彼女は女性版太宰治のようです。みのりちゃんをとおして、作者の悲しみが伝わってきます。自分は今まで他人から怨(うら)まれることをしてこなかっただろうか。してきたということを思い起こさせてくれた作品です。
「からっぽのバスタブ」思考にふける以外の趣味とか楽しみを登場人物は有していないのだろうか。
「サブ・キーパー」タイトルは、サッカーのゴールキーパーの控え選手という意味です。文章が潤滑油をさした歯車の集合体のように円滑に回転していく。すばらしい。
「彼のモチーフ」この本全体をとおしてですが、詩を読んでいるようです。項目は8つに分かれていますが、それぞれ関連があり、この本は1冊の物語です。話のすべては、悟君の亡くなった父親テッセイさんが源(みなもと)となっています。登場人物女性の心理描写が繊細なうえに説得力があり、読み手は納得させられて、彼女たちがかわいそうになります。
「ファザー・コンプレックス」275ページを過ぎました。話が長くなってきたせいか飽きてきました。読み疲れました。世界が狭い。思春期・反抗期のこどもたちについて、彼らの心理描写が続きます。だから「黄色い目の魚」なのです。社会人になれば、もっと広い世界がいっきに広がっていくのに。自由な空間が狭い。登場人物自らが自分で自分の世界を狭くしている。
「オセロゲーム」お互いが「便利さ」だけでつながっているだけ。鎌倉の風景が目に浮かぶ。何をやってもいいとなれば、人間の心は壊れます。閉塞感あり。村田がかわいそうになってくるけれど、こちらの気分が悪くもなる。
「七里ヶ浜」作者は詐欺師ではなかろうかと思いました。文章を使って読者をだましの世界に導きこんで迷わせてくれます。
紙の本
忘れられない頃
2003/05/15 16:30
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ももぴー - この投稿者のレビュー一覧を見る
村田みのりと木島悟の恋が、なんだかとてもいい感じで描かれている。ものすごく真面目でもないけれど、変に大人ぶってもいなくて、随分前にこの時代を通り過ぎてしまった私には、みのりと木島がうらやましく思えた。
みのりは、不器用でとんがっていて、でもそんな自分を曲げることもしたくなくて、かわいそうなくらい、ごつごつしたものを体中にいっぱいくっつけているような女の子。それが、木島に惹かれていくなかで、どんどんごつごつしたものが取れて、丸くなっていって、でもまっすぐな部分は決して無くしてなくて… 何だかそういうのって、いいなあって思った。誰かに媚びることなく、しっかりと自分というものを持ったまま、成長できるってすごい。
みのりは、とんがっていた頃、キライなものがたくさんあったけれど、木島に出会ったことで、好きなものが増えていって、私はそんなみのりに、よかったねえって抱きしめたくなるような、愛おしさを感じた。そんな頃が自分にもあったんだなあって、懐かしくなった。
なんかきらきらしていた頃がホントに懐かしい。
この小説をとおして、私は忘れられない頃があったことを、久しぶりに鮮やかに思いだすことができたような気がする。
紙の本
10代の頃ってしんどかった
2003/02/23 01:43
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:とみきち - この投稿者のレビュー一覧を見る
胸がきゅんとするお話。10代の頃ってすごく大変で、しんどかったことを、大人になっちゃって感受性の鈍ったかつての少年少女にくっきりと思い出させる本。
好き嫌いの感情ははっきりしていて、人に対してとんがった態度しかとれなくて、私って何っていつもぐるぐる考えていて、ちょっとしたことで傷ついて。表現力がないから自分をあらわせなくて、それでまた自己嫌悪で。見透かされたくないから突っ張ってもがいてる。そんな男の子と女の子の日々が描かれている。
何をしてる時が自分は幸せで、誰と一緒にいるとあったかくなれるのか。それが見つかりさえすれば強くなれる、幸せな気持ちになれるってことをこの本は教えてくれる。でも、そう簡単には見つからないっていうことも教えてくれる。
木島悟も村田みのりも、自分の好きなこと、自分の好きな人が見つかって良かった。
見つけた自分の幸せを忘れずに、手放さないように努力して、大人を続けていかなきゃいけないんだって、大人になっちゃった私は強く思った。
紙の本
相性が悪いって言うか、誰がどう褒めようと、賛同できない作家がいる。基本的には甘さで売る作家ってのは苦手なんだよね
2003/12/26 20:19
8人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「本の雑誌」との相性が悪くなったのは、何時の頃からだろう。多分、月刊誌になって執筆人の入れ替えがあったころだから10年近くまえのことだ。といっても、その存在はあまりに大きく、無視することはおろか、立ち読みしないで居ることは全く出来ない。読み落しを拾うのは、やはりこの雑誌からが一番多いのも事実。
なぜ、相性が悪くなったのか。実は、北上次郎の一押しの作家に共感できないことが増えてきたからだ。北上が冒険小説の新世紀をぶち上げている頃は、どれを読んでも肯くことばかりだった。こんな人を旦那にもったら、楽しい家庭ができるだろうなあ(実際は、会話もない、本だけの生活かもしれないけれど)と思ったりもした。
先日、私自身の不明を告白した宮本昌孝、隆慶一郎あたりは、北上次郎と評価はかわらない。しかし、真保裕一『奇跡の人』、乙川優三郎『喜知次』、藤田宜永『愛の領分』、町田康『夫婦茶碗』、大沢在昌『新宿鮫』あたりからどうしても納得が出来なくなった。そして佐藤多佳子『しゃべれどもしゃべれども』。
その「本の雑誌」が、再び佐藤多佳子を褒めた。それが今回取り上げる『黄色い目の魚』。宮本昌孝『ふたり道三』同様、頭を下げるのは、またまた私のほうなのだろうか。気にしながら、読み始めた。
小学校五年生の少年が、両親が離婚して7年会わなかった父に呼び出されて「りんごの顔」。小学校一年のとき描いた三角の黄色い目をした太った魚。それを漫画に使った叔父の所に出入りする中学生の姪「黄色い目の魚」。美術の時間に、自分のことを描くことになった同級生に惹かれていく私「からっぽのバスタブ」。元キャプテンのキーパーが頑張ってくれていたおかげで一度も試合に出たことがなかった少年の苦いデビュー「サブ・キーパー」。同級生の彼が連れて行ってくれたのは、叔父が表紙のモデルにしている女性が居るお店だった「彼のモチーフ」。十五歳の妹が家出をした。子連れの四十男と一緒になるといって「ファザー・コンプレックス」。自分のことを好きだと思っていた同級生が見せる奇妙な気後れの陰にあるもの「オセロ・ゲーム」。相手を傷付けることをわかっていて、告白した少年の苦悩「七里ヶ浜」。作品の生まれた背景を佐藤が語る「十年後〜あとがきにかえて〜」
うわー、やっぱりだめだ、と思った。もう、これは相性なんだろうなあ。最初の、テッセイと悟の再会のところで、違和感が喉元から溢れ出す。冗談じゃあない、私だったら、絶対に合わせない。しかも、何だろう、この如何にも子供の言葉ですよ、という流行語の取り入れ方は。おまけに、悟の言動が絶対に小学五年生のものではない。イライラして夫に聞いたら、これは男だったら絶対に描かない少年の姿だと言った。珍しく同感。
途中は飛ばすけれど、最後の甘さはなんだろう。結局、男はやり得? おいおい女を舐めるんじゃあないよ、と思ったが、よく考えなくても佐藤多佳子は女だから、きっと彼女にはこれが正しい愛の姿なのだろう。だから『神様がくれた指』だって、ああいう終わり方をする。でも、それが私には我慢できない。
早速、この本を娘に読ませ、「いやな奴だろ、テッセイ。それから悟」といったら、「うーん、でも、みのりは好きだよ」といいだした。なに、あんたはあんな男を許す女になりたいのか!とこみ上げる怒りを、ぐっと飲み込み、もしかして状況を読みきれないのは自分だけなのかと、急に気にし始めた。でも私は嫌いだね、簡単に男に身を開く似鳥も含めて、絶対に。ふむふむ。