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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2004.9
- 出版社: 新潮社
- サイズ:20cm/222p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-10-470201-3
紙の本
脳と仮想
著者 茂木 健一郎 (著)
【小林秀雄賞(第4回)】数量化できない微妙な物質の質感=クオリアをキーワードに、意識の問題に切り込み続ける気鋭の脳科学者が提示した新しい概念「仮想」。幾多の先人の痕跡を辿...
脳と仮想
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商品説明
【小林秀雄賞(第4回)】数量化できない微妙な物質の質感=クオリアをキーワードに、意識の問題に切り込み続ける気鋭の脳科学者が提示した新しい概念「仮想」。幾多の先人の痕跡を辿りながら、近代科学が置き捨ててきた「心」の解明へと迫る。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
茂木 健一郎
- 略歴
- 〈茂木健一郎〉1962年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。現在、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、東京工業大学大学院客員助教授等を務める。
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紙の本
哲学を新たに語り直すこと・新たな概念を立ち上げること
2004/10/10 19:28
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
茂木健一郎が「仮想の系譜」のタイトルで『考える人』に連載していたエッセイが『脳と仮想』と書名を改めて刊行された。永井均が『本』に2年間連載していた「ひねもすたれながす哲学」とともに出版されたら速攻で買って読もうと思っていたエッセイだ。表紙に“The Brain and Imagination”と印刷されている。「仮想」の英訳が“virtuality”ではないところ、そして“imagination”の和訳が「想像」ではないところがミソだと思う。
この本を読んでいてしきりに保坂和志の『〈私〉という演算』が頭をよぎった。ジャンルやテーマからいえばエッセイ集『言葉の外へ』の方が好対照をなすのではないかとも思うが、読書中の生理的感触からいえばやはり『演算』だろう。それは何もこの二つの書物がそれぞれ九つの章もしくは九つの文章で構成されているからというわけではない。両著に共通して小津安二郎の作品への言及があるからでもないし、保坂の『世界を肯定する哲学』が『仮想』で引用されているからでもない。
先に感触という言葉を使ったけれど、それを別の個人的表現におきかえると「哲覚」になる。それが何であれ一つの哲学的問題が立ち上がってくる、その時その身体的現場に生き生きとしたリアリティをもって同時に立ち上がっているある種の眩暈に似た感覚。それを私は(小平邦彦の「数覚」にならって)哲覚と名づけているのだが、保坂氏「思考の生の形」といい茂木氏が「生成の現場」と呼ぶものといかほどかは相通じているのだと思う。『仮想』を読みながらしきりに『演算』を想起したのはたぶんそこに似た感触を、つまり哲覚の共振を感じたからだ。
ある種の眩暈に似た感覚とともに一つの哲学的問題が立ち上がってくる現場。それはまた哲学が新たに語り直される現場でもある。だから茂木氏が本書で語ったこと、たとえばクオリアや仮想という概念、脳内現象説という理論が文脈に応じて融通無碍のニュアンスや曖昧さを帯びていたり、あるいはカントやベルクソンといった既成の哲学の焼き直しに見えたとしても、それは哲覚を共有していない者の取るに足らない感想でしかないのである。哲学を新たに語り直すこと。脳科学者はそこから新たな概念を立ち上げ、小説家は新たな世界を立ち上げる。読者もまた生きる態度を更新させなければならない。それが一冊の書物を読むという体験にほかならない。
《様々な仮想が生み出された誕生の現場に立ち返り、日常の生活の中でのありふれた「慣性」を超えた、かつてそれらが生成された瞬間の躍動においてとらえること。そのような作業をすることによって、私たちは、仮想の系譜を石版の上に書かれた模様のような静止した状態においてとらえるのではなく、それを生み出した生成の躍動の連続においてとらえることができるようになる。生成の連続という本来の意味で、歴史というものを体験することができるようになるのである。》
これは余談だが、『仮想』との哲覚的共振の実質を確かめたくて中公文庫版の『演算』を買い求めたとき、ことのついでに入手した折口信夫の『言語情調論』は「思考の生の形」に対する「気分(感情)の生の形」とでもいうべきものを表現する言語の「音覚情調」をめぐる論考だった。『脳と仮想』は要するに『脳と言語』であろう。言語をより精確にいえば「言語的構造物」で、たとえば物語、科学、哲学、さらに絵画、映画、舞踏、歌、音楽まで含めていいかもしれない。
紙の本
全ては仮想?
2004/10/08 00:51
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:リーチャー - この投稿者のレビュー一覧を見る
脳科学、あるいは哲学のいわゆる啓蒙書に類すると思われますが、著者のエッセイ色がちょっと強いかな、という印象。内容は、私たちが認識するあらゆることがいかに「仮想」であるかが論じられており、小林秀雄や小津安二郎などの作品からの表現引用も多めです。
とにかく、世界は須らく仮想で、例えば、目の前にコップがあるということ、それを認識していることすら「現実」ではなく「仮想」ということになっています。コップを見るということは、コップそのものを理解することにはならない。それに触れたときの感覚も、著者の考えるところ現実ではなく「仮想」。そのような流れで、著者の過去の体験や、身の回りにある感覚、認識、思考、それらが結局「脳」というもので理解されている範囲を出ない仮想である、という展開になっています。
全体を通して、科学哲学的に新しい知見はあまりありません。どの論も既に先人たちが考えてきたことで、それを「仮想」という観点から著者の感じるところを書き下した感じでしょうか。ベルクソンやライプニッツなどのハードな哲学を既にやっている人にはちょっと退屈な内容かもしれません。逆に、学生や一般向けには志向の転換になる考え方が多くありそうです。ハードカバー本ですが、難解な表現はなく、読み物としてさらっと読める内容だと思います。