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紙の本
朝日新聞の嫌な体質
2011/02/07 15:48
13人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
朝日新聞というのは、誠に嫌な体質を持った新聞社である。その経営体質の根本は保守である。これは当たり前の話で、日本社会の善良なる企業市民であり続ける為には、新聞社と言うのはすべからく保守の立場に立たなければならない(そうしないと企業として存続出来ない)。ところが、この朝日という新聞社はちょっと違う。「商売としての言論」を安売りする癖がある。戦前、暴支膺懲等と連呼して中国侵略を煽ったのは朝日新聞だし、その後、真珠湾攻撃でツキものが取れたかのように日本を滅亡の戦争へと煽りに煽って文字通り日本全体を焼け野原にしたのも朝日新聞だ。このA級戦犯とも呼ぶべき朝日新聞は戦後、その姿勢を一変させる。リベラルなどという生易しいものではない。反米親ソ、反米親中共へと大きく舵を切り、全面講和賛成、日米安保反対へと大きく舵を切る。新左翼運動、全共闘運動が盛り上がってくると、新左翼運動、全共闘運動を煽りに煽ったのも朝日新聞だ。道具として使われたのが悪名高いサヨク雑誌「朝日ジャーナル」だ。「朝日ジャーナル」が新左翼全共闘を煽りに煽ったことは、当時はやった「右手にジャーナル、左手にマガジン」という流行語(早稲田大学新聞の記事が出所といわれる)に端的に表れている。しかし、この朝日ジャーナルのスタンスは、別に朝日新聞の方針でもなければ社運を懸けても守ろうとした言論方針でも何でもなかったことは、著者川本三郎が朝日新聞に入社して直ぐに起きた「朝日ジャーナル回収事件」と、その後におきた朝日ジャーナル編集体制の総入れ替え、ジャーナル記者の大配置転換に端的に表れている。要するに朝日は、それがショーバイになるから、それが時流に乗る近道だから新左翼全共闘に共感したフリをしていただけであり、朝日新聞の経営層は初めから新左翼が目指す革命なんかに共感なんかしていなかった。むしろ心の底から新左翼、全共闘を「ガキ」として軽蔑していた。だからこそ、新左翼全共闘が目に余ると見るや、さっと朝日ジャーナルの編集部を総入れ替えすることが出来たし、前線で新左翼全共闘にシンパシーを感じつつ記事を書いていた記者たちを容赦なく叩き切ることも平然と出来たのである。この朝日新聞の「嫌な体質」を見抜けず、朝日新聞に憧れ、就職浪人までして朝日新聞に入社し、最後はあっさりと朝日新聞から懲戒免職処分にふされてしまったのが本書の著者、川本三郎その人である。川本は言う。『全共闘運動が起こった時、彼らにまず共感し、そして言葉は悪いが、彼らを「煽動」したのは「朝日ジャーナル」編集部ではなかったのか』と。この川本の言葉にウソは無い。正に声涙共にくだる。血の流れるような川本の本音がここにある。そしてこれに対する朝日新聞の答えは、おそらくこうだ。「お前、年はいくつだ。我々は新聞雑誌を売ってナンボの会社であることを忘れてもらっては困る。我々は商売の為に言論しているんだぜ。ガキじゃあるまいし、何時までも青臭いことほざいてんじゃねーぞ、コラッ」。川本三郎は、あまりにも若かった。あまりにも世間知らずだった。あまりにも大人の世界をしらな過ぎた。そしてその割には「麻布-東大法」という学歴に依拠して、傲慢であり傲岸不遜だった。「僕は何も知りません」という謙虚さが足りなさすぎた。だから結果として、入社して二年にして朝日新聞社を懲戒免職処分になり、以後の人生を売文業者に身をヤツして生きざるを得なかった。無知の代償として、それはあまりにも高い代償だったと私には思える。そして救いようがないのは、いまだに川本三郎が、この「朝日新聞の嫌な体質」を理解できていないように思えることだ。