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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2002.8
- 出版社: 紀伊国屋書店
- サイズ:20cm/566p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-314-00924-1
- 国内送料無料
紙の本
ユーザーイリュージョン 意識という幻想
著者 トール・ノーレットランダーシュ (著),柴田 裕之 (訳)
脳は私たちを欺いていた。意識は錯覚にすぎなかった−。マクスウェルの魔物の話からエントロピー、情報理論、心理学、生理学、複雑系の概念までも駆使して「意識」という存在の欺瞞性...
ユーザーイリュージョン 意識という幻想
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商品説明
脳は私たちを欺いていた。意識は錯覚にすぎなかった−。マクスウェルの魔物の話からエントロピー、情報理論、心理学、生理学、複雑系の概念までも駆使して「意識」という存在の欺瞞性を暴く。デンマークのベストセラーの邦訳。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
トール・ノーレットランダーシュ
- 略歴
- 〈ノーレットランダーシュ〉1955年コペンハーゲン生まれ。ロスキレ大学で環境計画と科学社会学の分野で修士号を取得。大学勤務ののち、科学ジャーナリストとして活躍。
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紙の本
あなたの「意識」は単なる錯覚に過ぎない
2003/06/21 06:28
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Snakehole - この投稿者のレビュー一覧を見る
500ページを超える大冊,でもそれに見合うだけの知的興奮を味わえる本である。なにしろオビにこうあるのだ,「脳は私たちを欺いていた。意識は錯覚に過ぎなかった」……。
デカルトの有名な言葉を引くまでもなく,我々は我々自身の「意識」こそが我々の存在の根幹だと思っている。手塚治虫の「火の鳥・未来編」でも,主人公マサトの「存在って何だ?」という問いに対して火の鳥は「意識よ」と答えていた。ところがこの本の著者が紹介する最近の知見によれば,どうもそれは間違いであり,意識というのはナンとも欺瞞に満ちた錯覚めいた存在らしいのである。
そんなアホな,と思うでしょ? またぁ,トンデモ本の類を読んでコーフンしてるのか,とおっしゃるでしょ? しかしそうではないのだ。これはキッチリと実験によって証明されている事実であって,どうにも反駁のしようのないものなんである。以下,簡単に説明しよう。
我々のいろんな動作,手を動かすとか首を振るとかそういう動作は,それが行われるに先立って脳内に電位変化(準備電位という)が起きることが判っている。つまり脳は筋肉を動かすために,まずはその命令を用意するわけですな。で,実際に測定してみるとこの準備電位が発生してから実際にその動作が行われるまでにはおよそ1秒ほどかかるという結果が出た。ここまでいいですか?
さて,この結果は普段の我々の動作,頭を掻いたり耳をほじくったりしている感覚に沿うモノだろうか? もっと簡単に言おう,我々は「頭を掻こう」と思い付いてから実際に頭を掻くまでに1秒も時間をかけているだろうか? そんなこたぁない,とオレは思う。ノロマのあんたはどうか知らんが,オレは断じてもっと素早く頭を掻いているという自信がある。
でも脳内の電位変化は間違いなく1秒ほど前に発生している。ということは,である。体がその準備を始めてあとでオレは「頭を掻こう」と思うことになる,なりませんか? つまり頭を掻こうと本当に決めたのはオレの意識の外のナニかであってオレの意識ではありえない。オレの意識はオレの脳が頭をかく準備を始めたあとで,あたかもオレが頭を掻こうと決めたんだい,と「錯覚」しているに過ぎないのだ。びっくりでしょ?
さて,意識が錯覚なら錯覚でしょうがないとして(オレは比較的あきらめがいいのだ),問題はなんでそんなアホなことになったんか,ということだ。これまた驚愕の最新学説によれば,人類がこの「意識」なるものを獲得したのはそう古いことではなく,ぜいぜい3,000年前くらいのことぢゃないかというのである。それ以前,ニンゲンは意識というもんを持ってなかった。エジプトのピラミッドなんかは意識のないニンゲンが作ったらしいんですよ,ヨシムラサクジ先生。
とにかくこの本,熱力学に関わる「マクスウェルの魔物」問題から筆を起こし,クロード・シャノンの「情報エントロピー論」やゲーデルの「不完全性定理」を経由していわゆるサブリミナル・閾下知覚の研究に分け入り,上に出て来たベンジャミン・リベットの実験を経て複雑系,カオス理論,宇宙論に翼を広げるという知の大著である。付箋張りまくりで半月ほどかかったが実に面白くためになった。江湖博雅の読書人諸氏に是非ともお薦めしたい1冊である。
紙の本
心頭滅却しても、熱いものは熱い。
2009/01/11 15:58
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:セカンド・プラン エトセトラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「人は人から生まれ、大地にかえっていく」
その間の人生は「夢、まぼろしのごとくなり」
意識は物質として存在していない、だからこそ無限でもあり、幻想でもある。
人体を解剖してみても、人は皆、同じ構造をしているのに、どこにも、怒りのかたまりや楽しみの臓器などというものが存在していない。
では、感じているであろう喜怒哀楽とは何か、欲するであろう思考とは何か。その答えが本書にあるわけでは、もちろん無い。
ただしヒントはある。「意識とは感じていることを認識する行為」と読み解くと、それがエネルギーであるらしいことが推測できる。そこで本書では宇宙からミクロまであらゆる角度で説明を試みている。けっしてやさしくはない。
身体の知覚器官は膨大な情報をキャッチしている。その中の重要な部分だけが選別され意識に認識される。さて、どうやって選別しているのか。そして意識への認識の仕方は事実をありのままとらえているだろうか。本書では、今までの経験が事実をゆがめてとらえさせているとしている。客観的に見るとそれはイルージョンに他ならないと。ただし自分では気づいてない。なぜなら「意識できないものは、認識できないから」だそうだ。
ここまでなら、実生活の経験を総動員して、理解の範囲内だ。驚くべき事実は次の要約である。「意識は無意識での行動を追認しているだけである」
簡単に言うと、偶然熱いものに指の皮膚がふれて、手を引っ込めてから、「アチッ」と認識する。私達は自分の自由意志で思考を決定し、行動を起こしていると思いがちだ。
ところが意思決定の材料である情報は意識されているものだけではないことに、気がつきようも無い。なぜなら、意識しされてないのだから。従ってまず、無意識下の行動が先にあって、それを意識が自分の意思であると追認していることになる。ほぼ同時に行われているようにイメージされているのだが。
これは私達が幻想の中で生きているようなものである。ただし、熱いものが認識されたとたん、熱いと感じることは避けようも無い。幻想と現実の中で行ったりきたりしている人生そのものが生きていることだということを痛感させられた一冊であった。
「無から有が生まれ、そして無にかえっていく。この間の有は幻想であって本当は無なのかもしれない。そこに方程式は成り立つ。今のところの科学では。」