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*寄付
フロイト 抑圧されたものは回帰する
受動的攻撃 なにかをしない、与えない、忘れるといった拒絶的態度によって、怒りや敵意を間接的に表現する
キュブラーロス 対象喪失受容過程 否認、怒り、取引、抑うつ
怒りの感情が湧いたら、何かうまくいっていないものがあるサインとしてきちんと受け入れる必要がある
摂食障害は時代の病であるが、患者のはなしにじっと耳を傾け、生育歴をじっとたどっていくと、患者の背後に強い怒りがすけてみえてくる
どんな厄介な自傷行為であってもそれまで抑圧されていた感情をひとつひとつ言葉にしていくとができれば、消えていく
フロイト 自責の訴え この訴えのうちで一番強いものは、自分自身にあてはまるものは少なく、患者が愛しているか、かつて愛したかあるいは愛さねばならぬ他の人に、わずかの修正を加えれば、あたはまるものであるという印象をうけないではいられない
(本当は自分以外のだれかに怒りを抱いている場合が多い事がわかる)
受動的攻撃に長けている人は、非難をはねつけるほうほうに長じている
怒り 依存、支配、競争をめぐって渦巻く葛藤を抱えている
親友が苦しい立場に立たされているのを見ても、なぜか嫌な感じはしない ラ・ロシュフーコー
一人だけ逃げ出して幸せになるなんてゆるさないという怒りから受動的攻撃を繰り返すのはよくあるケース
自己処罰という回り道をとおって、もとの対象に復讐している
フロイト 多くの場合、マゾヒズムとは自分にむけられたサディズムの延長にほかならない
有閑マダムは受動攻撃の達人 なかったことにあるいはいなかったことにする自己欺瞞がお得意である
★老化に限らず、人生はは対象喪失の連続なので、なにかうまくいかないことがあったときに怒りがでてくるのは自然な反応だと受け止めるべきだ
われわれの美徳という仮面の下には悪徳が隠れている ラ・ロシュフーコー
怒りの原因になったことについてその行動、解釈、感情、影響、希望の5つの要素を整理して伝えることが必要になる
怒りはぎりぎりまで我慢して、辛抱しきれ無くなってから出すようなことをしてはいけない
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「NEXT READING」
(怒りは悪い感情なのか)・・・怒りは喜怒哀楽の感情の一つ、感情に良し悪しはない。怒りとは「今何かうまくいってないことがある」というサイン、生きるうえで非情に重要な感情。怒りを出すことに伴うリスクを避けようとするあまり、怒りを押し殺してしまう「怒り恐怖症」こそが諸悪の根源です。
(怒りの抑え方は)・・・怒りをうまく相手に伝える術、”怒る技術”、①「あなたが何に腹を立てているのか言うべき」、相手にどうしてほしいのか、「はっきり」、「きちんと」、「礼儀正しく」言うべき、②相手の立場を考慮する(相手の話を聴く)、③「伝わらないこともある」・・・そんなときはあきらめる。
(怒りとあきらめのつながりは)・・・「自分が正しい」と思い込んでいる人を前にしたら、「仕方ない、相手にした人が悪かった」とあきらめること、明らかに見るしかない、それでも”伝えた”けれどだめだったとあきらめがつく。
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人間性を問われたり、人に嫌われたりなどを考えると「怒り」を表現することが悪いことのように感じられてしまうことがある。だから「怒り」を表現しない人が多が、多くの「怒り」は受け止めかたを変えても、表現しない限り消えることはない。
そして、この本にあるような「受動的攻撃」という形で、「怒り」を表現してしまうことが多いのではないだろうか。
「しない」「忘れる」「遅れる」「黙る」「正論を吐く」
自分を責めたり、謝ったりしながら、実は相手に「あなたのせいよ」と思わせたい気持ちが隠れている。「怒り」を表現していないから「攻撃」ではないと思われるが、受け取った側には強烈な「攻撃」となり、そして相互に受動的な攻撃が繰り返されていく。
この本を読んだ後、ふと自分の決断を考えると、実は相手に「こう思わせたい」など、伝えたい思いが別にあることに気づかされることが多かった。
それに気づいたら、立ち止まり、ストレートに表現することをこころがけたい。そして考えた結果、同じ決断になっても、その意志は能動的なものでありたい。
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精神科医師、片田珠美氏の著作。人間の自然の意思表示である怒りを周りを怖がって表現できずに怒り恐怖症となり受動的攻撃につながる。悪質ないじめに向いたり、はたまた自傷行為、自殺につながっていく。
幼児期の環境が(親子関係)影響している場合が殆どであるがまず怒りを恐れずに怒りを排出すべきである。①いい子ぶらない。②ユーモアの持ち合わせ。③~してくれないはダメ。④怒っている理由をキチンと伝える。⑤瞬間湯沸かし器ではなく(0か100でなく)60~70でうまく排出せよ。
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2013/04/28読了
最近読んだ新書の中では一番役に立った一冊。怒りをテーマに書かれているのだが、日常的に誰もが抱えている問題について筆者の長年の分析が本当に役に立つ。受動的攻撃という言葉をこの本で知ったが、日常生活の人間関係における嫌なシーンの大半はこの言葉に関連付けられる。怒りっぽい人も、
怒られっぽい人も、標的にされやすい人も、悩んでいる人も是非一度この書籍に目を通す事をオススメする。
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短気な自分に飽き飽きしていた。そこで手に取った本。
怒ることを前向きにとらえるという視点もあるのだ。
怒ることで自己評価を下げ、自責の念にとらわれ、さらに怒るというスパイラルに落ちている私には、まさに目からウロコ。問題なのは表現力。筆者のいう「受動的攻撃」は女性ならみな経験があるのではないか。私も攻撃者であり受け手でもある。
母親と自分、自分と娘の関係を見つめ直しながら読み進めた。
賛否両論あるだろうが、怒りをポジティブに受け止め、健全に表現する訓練をすることは、私には救いになりそうだ。
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日本においては、聖徳太子の時代から「和を以て貴し」が美徳とされ、怒りの感情を表現することは「美しくない」という風潮で、しつけのなかで親や先生が子供に怒りを表出させずに抑圧してきた結果として、「怒り恐怖症」や、怒りが爆発して「キレる」こと、そして怒りを偽装する「受動的攻撃」など、複雑な形で抑圧された怒りが表出されていることが繰り返し述べられている。この怒りを醸成するのは「依存」「支配」「競争」という人間関係における形であり、そこから抜け出すためには抑圧的な「怒らない技術」ではなく、健全に「怒る技術」を身に着けることだという処方箋を示す。
書いてあることは平易だが、これほどまでに複雑な精神病理が「怒り」を中心としたネガティブな感情と絡んでいることに驚いた。寺山修司の「怒りは排泄物のようなものなんだから、一日一怒」って慧眼だな。
あとは、キュブラー・ロスの「喪失の受容」過程にも、実は怒りが重要な位置を占めるというのも改めて実感。死だけでなく、別離、失敗、挫折などの人生のいくつかの場面でも「否認」や「怒り」でとどまってしまっている人は実はとても多いのではないか?
同調圧力や親からの道徳の押しつけに代表される「子供を取り巻く環境(しつけ)の劣悪さ」を思うと、子供の時から自分の感情と向き合い、それを言語化する経験の重要性と、親子関係に焦点を当てた「カウンセラー」の役割の重大さを改めて痛感した。
結局、当事者同士では、言語化することも憚れてしまう。「信頼できる第三者」が大きな意味を占めるのではないか、とこの本を読んでますますそう思った。
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文章の端々にみられる攻撃的な表現が気になって、あまりいい印象が持てなかった。
著者が実際に受動的攻撃を受けた話もいくつか出てくるけれど、さすがに主観が入りすぎているように感じた。それに、当人が読めば自分が批判されているのだとわかるような内容を出版物上で晒すこと、これだって受動的攻撃ではないのだろうか。
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怒りの例はいっぱいあったが、ではどうすればいいのか、対処方法がとても少ない。受動的攻撃のほうが、詳しくなったくらい…
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20140821
人間とは、ワガママで勝手な生物だと言うことを、コンコンと説明している。
色々な「怒り」を紹介してある。
こんなことで怒る人いるんだ、と感じた。
とは言いつつも、私も怒って損している人間だ。
怒りの発散方法、対処法が至極少ない。
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片田珠美『なぜ、「怒る」のをやめられないのか 「怒り恐怖症」と受動的攻撃』(光文社、2012)を読む。
精神科医が怒りの構造とあるべき対処を語ったもの。
副題にある「怒り恐怖症」は感情を押さえ込んでしまうことで、自己のこころを蝕む抑圧であるとしています。
が、それよりも。後段で豊富な事例が語られますが、「受動的攻撃」は実に迷惑なもので、過剰な仕事を要求する上司、指示を「忘れる」部下など表面を取り繕った静かな怒りが周囲を困らせる様子が見えてきます。
あわれな人格形成を背景として、自分の存在価値をアピールするために周囲をふりまわさずにはいられない人々。
この種の人に会ったら、「自分が間違っているかも」という卑下は禁物で、どんどんつけ込まれてしまいます。無自覚に自己を棚上げして相手に罪悪感を抱かせる者。
となりで聞いているこちらが恥ずかしくなるほど、自己正当化、相手に責任をなすりつける「交渉」しかできぬ役職者がそこら中にころがっているのは周知のとおりです。(とはいえ、「頭が良すぎて政治にたずさわらない人間は罰として自分より頭がよくない者に支配される」というプラトンの指摘もあり我々は戦わざるを得ません)
【本文より】
◯自分の欲求が全て常に満たされているわけではないにせよ、「欲求不満を心配してもらっている。だから、自分は愛されている」と信じて育った人間が、怒りを爆発させるだろうか?そんなことをする必要はないだろう!…そしてこれこそが、まさに怒りの核心にある問題ではないかと思うのである。
◯耐えがたい上司
◯不愉快な感情を他人に投げ入れる
◯受動的攻撃を繰り返す人の多くは、あらゆる状況で勝ちたいと願う。そのため他人の成功をねたみ、憤慨する。自分より恵まれているように見える人に対して、やっかみや怒りを抱くのだが、それを直接表現することができないため、受動的攻撃の形で出すしかない。
◯もし罪悪感を抱くように仕向けられたのだとすれば、受動的攻撃のサド-マゾ的な連鎖に巻き込まれているとみなすべきだろう。
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怒りを否認することで歪んだ形で現れることになり、その無限ループは続いてしまう。
いい人でいたいのをやめよう。「怒る技術」を身につける必要がある。
要求を冷静に相手に伝えること。その結果必ずしも要求が通ると思わないこと。必ず相手の要求も聞くこと。
それができれば苦労しないよなーと思いつつ、これはトレーニングのようなものかもしれない。何度もやらないと身につかないのかもしれない。
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「受動的攻撃」という言葉を軸に、いわゆる「嫌がらせ」を言語化した一冊。
結論から言えば「今、自分が直面している局面には全く役立たない一冊」。
「受動的攻撃」なんて奥ゆかしいことは、もうちょっと余裕のある場所でやることであって、現状の日本では「見えるところでは『受動的攻撃』が行われていて、それをみなが”否認”してなんとかごまかしているが、楽屋では『直接的攻撃』の嵐で草生えるwww」なんだと思う。ただ…もう少しお上品な世界の人と会話をする必要があるときにはいい参考書となるかと。
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20160411読了
ざざっと読み流し。この著者が新聞に書いていたコラムがすごくおもしろくて楽しみにしていたのに終わってしまった。もっと早く気付けばよかった。で、著書を読んでみたことがないなとふと思って図書館で探したら一冊だけ発見。さすがに新聞コラムとは雰囲気が違ったけど、これはこれで読み物として楽しめた。
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受動的攻撃について書かれて入手可能な唯一の書籍だったので購入。
「引き受けたことをやらないで人を困らせる」「何かを遅れさせて人を困らせる」「言ったことを忘れる」こういった攻撃方法や攻撃の理由、攻撃への対応について知ることができました。
オススメ。