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「近代」とは何かを根源的に問い続けている著者の講演録。講演録なので、平易な言葉で語られており、読みやすい。近代の成果は人々を豊かにし幸福にしたが、それによって「インターステイトシステム」と「世界の人工化」という2つの呪いに呪縛されているというのが、著者の歴史観。そこから脱却していくために生活のゆたかさの意味を新しく位置づける必要を説いてる。その際のキーワードは、「自立的民衆世界」=“人が人らしく生きうる共同社会”の探究である。
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新書である事に気概を感じる一冊でした。
著者はかつての社会にあった美徳を顕彰するだけでなく、その至らなさも同時に検証し、同様に近代に対しても批判的な視座のみを持つのではなく、その功利も冷静に見つめています。
個人的には自由や平等という言葉のうちの過度の漂白を疑う良い機会になりました。また、社会の両義性を改めて実感し、その面白さ、困難さに打ち拉がれてもしまいました。
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おどろおどろしいタイトルではあるが、講演録なので内容は平易である。
近代とはどういう時代であったか?
それは市場経済が世界化することによって始まり、かつてない衣食住の向上(ゆたかさ)を人類にもたらした。
しかし、それが皮肉にも「ふたつの呪い」に転化していく。
一つ目。ゆたかさをインターステイトシステムのなかで維持していくためには、強力な国民国家(民族国家)づくりが必要だった。その結果、民衆世界の自立性は解体され、民衆は教育された「国民」として国家に拘束されていった。
二つ目。急激な経済成長と人間中心主義を前提とする近代科学は、自然を資源として収奪し、自然と切り離された生活世界の人工化=カプセル化を推し進めた。
これが近代だ。本書はそういう著者の思想のエッセンスとなっている。
個人的には、近代の起点として神話化されたフランス革命が決してバラ色ではなかったと説く第三話が強く印象に残った。
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大学での講演を文章化したもの。
近代の呪い(もたらされたもの)とは、
ナショナリズムの強化
世界の人工化
生活の豊かさとは何か、を問い直そう。
フランス革命は日本でよく言われているほどいいものではなかった、もいう事だけ伝わった。
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熊本大学での講演が中心で、そのため非常に読みやすい。もし講演を実際に聴いていたら、一生懸命メモをとっただろう。実は、まるで学生のように、本に線を引いて、簡単なレジメを作ってしまった。なんというか「お勉強心」が刺激される。
「近代」の両義性についての著者の考えが、かみ砕いて語られている。「近代化とは何か」というテーマは、決して議論されつくしたわけではないとあらためて感じた。自分がいかに無意識に、通説的な歴史観の枠組み内でものを考えているかということを痛感する。
アカデミズムとは距離を置いてきた著者ならではの、射程の長い考察で、もっと突っ込んだ話を聞きたくなる。もう八十歳をこえられたそうだが、「進行中の仕事が一つ、これから書きたいと思う大きなテーマが二つ」あるとのこと。うーん、すごい。
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近代に対する評価についてはこれまで読んだものと大きな違いはないような気がする...結局何を考えたら良いのだろう
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革命とか嫌いなんだね。この人。
フランス革命に絶望した…そんな言葉が行間にあふれていて、読んでいて辛い。専門家ではありません、と予防線を張りつつ大佛次郎の『パリ燃ゆ』へのあんまりな評価。
どう考えても、呪われてるのは作者自身?
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15/5/28 明通寺読書会 若泉さん担当の本です 渡辺京二 著 フランス革命など視点が違っておもしろい
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著者の近代観はほんとうに勉強になる。自分が常識としていることをぐるっとひっくり返してくれ、新たな探求を促してくれる。
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一つめの呪い。近代とは、民衆がお上から口だしされないでも自分たちで成り立たせている自主性が撃滅された時代。世界経済は、民衆が国民として統合された国家同士が地位を競うインターステイトシステム。国民国家が進むにつれ、個人は社会の管理を受けざるを得なくなる。
二つめ。資本主義によって衣食住に困らない豊かさを実現した一方で、自然はホビー化し、生活空間は人工化した。自然というコスモスの中に自分の実在を謙虚に位置付ける感覚を失ってしまったこと。
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熊本大学での講義を書籍化したもので、・近代と国民国家・西洋化としての近代・フランス革命再考・近代のふたつの呪いの4話と、大佛次郎賞を受賞したときの講演・大佛次郎のふたつの魂の五つの章からなる新書です。民衆と市民の違いとはなにか。僕はEテレ「100分de名著」という番組のハンナ・アーレントの回で解説の仲正昌樹さんが平易に説明してくれていたことでその違いを知ったのですが、本書ではそのあたりももう少し深く、近代と結び付けて解説してくれいて、このトピックについて何か読みたいところだったので、渡りに船といった体で読むのを楽しみました。要するに、民衆とは、国家天下のことはどこ吹く風で、自分の周囲の出来事にしか関心が無く、そういった生活圏で楽しんで暮らす人々。比べて市民とは、その国家の構成員であることを自覚していて、政治について経済について、いろいろ勉強したうえでコミットしていく種類の人たちをいいます。昨今の文化人には「みんな、市民になろうぜ」っていう種類の言説や思想が多いですよね。良いか悪いかは、本書において、その良し悪しについて解説があります。なるほどなあと思いますよ。どっちに傾くかにしても、極端に100%針が振れるようなのは害悪になりますね。近代の呪いのふたつの面についても、端的に言ってしまえば、ナショナリズム化していく構造的な面と、人間中心主義ゆえに自然を消費するものとしてとらえてしまうがゆえに、生まれてから死ぬまで人工的世界に浸ってしまう貧しさ、もっと言えば、それは間違いなんじゃないかと著者は言ってますが、そういった社会構造や心理の面に疑問を持とうと訴えています。本書では、近代を考えていくことで、そういった現代の病巣がみえていくかたちになっています。フランス革命とはなんだったか、だとか、近代化といえば人権・平等・自由の獲得だが、そもそもそれは真実なのか、といった見ていき方があり、つぶさにみていくことで、さきほど書いたような、近代の呪いと結びつく。滋味の感じる語り口の文章です。それでいて論理的で非常に有機的な近代論になっています。しっかりしていて興味深く教えられる好著だと思いました。
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「近代とは何だったのか」をテーマに、日本や世界の近代化を問い直している。一般に、近代がわれわれにもたらしたものは人権・平等・自由の三点に漸くされる。しかし、江戸時代においても無秩序状態というわけではなく、その時代に即した人権のとらえかたがあり、前近代社会よりも一面では近代社会のほうがキュウクツで、江戸時代にもそれなりの平等はあったことなどを興味深い内容だった。
筆者が考える近代の恩恵は「衣食住の豊かさ」である。フリーな市場経済の世界化が衣食住の貧困を克服させた。その大小として2つの近代の呪いを人類は背負い込むことになったという。ひとつはインターステイトシステムであり、もうひとつは世界の人工化である。
生活のゆたかさを新たにとらえ直し、経済成長がなくなればこの世は闇というような考え方を克服することは難しい。具体的にどうしたらいいのか。
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いつもながら慧眼。次第に繰り返しも増えてきたがそれも味わいなり。大佛次郎を読まねば、という気にさせてくれる。
20151130追記
また最近読んだ。電子化も考えているが紙で持っておきたいという気持ちもあり。
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近代以降の世界において、われわれはインターステートの体系に所属せざるをえない。近代において人権や生活水準の向上が進んだことは事実であって、そのことは絶対的に良い方向なのだが、代わって個人は否応なしにインターステート・システムに取り込まれてしまい、ヒトどうしや自然との交感を喪失し、自分の身近な生活空間を意識することができずに経済成長ばかりを追い求めることとなってしまっている。
講義録であって読みやすいが、内容は、煎じつめると歴史教養の紹介+上記の慨嘆というもの。瞠目する提言があるというのではないが、そういう賢しらげな態度で読むべき本ではないと思う。むしろ心の奥底で渡辺のいうことにいちいちうなずく自分を感じる。
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近代史の専門家である渡辺京二氏による、講演を本にまとめたもの。研究が深い。論旨も明確であり、学術的で説得力がある。特に、最初の「近代と国民国家」が参考となった。近代から現代にかけて、人類が何を追い求めてきたのか、国家とは何かを示している。面白い。
「(中国人留学生秋勤しゅうきん)秋勤さんは横浜で日本人兵士が日露戦争に出征する風景を見た。そして大変感激してこう書いているのです。「日本人はかように心を合わせ、軍人をこんなに貴んでいます。だから彼は戦に生命を投げうたずにいられましょうか。だから、みな死を恐れぬ心を持つようになり、自分たちがもし勝てなかったら、国に帰って人々にあわせる顔がないと思っています。人々がみなこのような考えをもっているので、戦のたびに生命を投げうち、砲火を避けず、前が死ねば後がさらに進んでいくのです。今日ロシアという大国が小さな3つの島国の日本にこのように敗れたのも、大部分はこのためです」p12
「天皇のためであれ、人民のためであれ、自分は国家の運命と切り離せない存在なのだという自覚が成立しているのです。この成立はけっして自然なものではなく、秋勤も教育の結果だと言っているではありませんか。日露戦争時の日本人がしぶしぶであれ、よろこんでであれ「義勇公に奉じ」たのは、維新以来すでに40年近く教育されてきたからなのです」p13
「天皇制国家のために死ぬのは誤った愛国だが、民主主義国家や社会主義国家のために死ぬのは正しい愛国だというような区別はナンセンス」p16
「国家のリーダーとなりエリートとなった者たちには、立場が右であれ左であれ、国家主義であれ民主主義であれ、必ず民衆が、自分の生活ばかりにかまけて国家あるいは社会の大事に気づこうとしない能天気野郎のように見えるのです。そのような民衆を教育し、その尻を叩いて、国家の運命に目覚めさせ、国民としての責任、義務を遂行するように改造せねばならぬというのが、彼らの強烈な脅迫観念になるのです」p17
「(長谷川伸の足尾九兵衛の懺悔)前の年の節句の日、井伊掃部頭が桜田門で雪の中でやられたと聞いても、今年の正月これも江戸の坂下門で老中の安藤対馬守がやられたと聞いても、ちょっとも騒がぬ手合いです、わが国がどうなるか、心をつこうたことがない、早く言えば月給さえ貰えたら、国がどうなるか考えぬというような者と似たヤツです」p20
「河原町の油屋という家の二階で、浪士が二人暗殺されたと、噂を、その朝すぐ聞きましたが、それが坂本龍馬と中岡慎太郎だということを、聞いたやら聞かぬやら、聞いたにしろ、ほゥそうかと言うぐらいのもの、どういう人物で、どういう事件やら、私どもは知りません」p20
「(石牟礼道子の西南役伝説)肥後の農・漁民はあの明治10年戦争を、まったく天災のようにやりすごしたことがわかります。彼らの眼からすると、天朝さんと西郷さんが何で喧嘩しているのかわからないし、またそんなことにはまったく関心がありません」p22
「むろんお上はいろいろ口出ししますし世話を焼きますが、そんなものは頭を下げていれば、みんな頭上を素通りしてしまうのです。足尾九兵衛が懺悔する国家への無関心とは、実はこのよ���な民衆世界の自律性を語っていたのです」p24
「世界経済がグローバル化するにつれて、自分が属する国民国家の地位が自分の生活に直結する例は増加するのですから、グローバリズムは国民国家を逆に強化することになります。(みなが国益を追求するようになるから)」p29
「社会の福祉化、人権化、衛生化が進むにつれ、個人はますます国家あるいは社会の管理を受け入れざるをえなくなります」p30
「個人が国家の管理に従属してゆく様相は、今後強まるばかりでしょう。それはみな、民衆世界の自立性を近代が撃滅した結果ののです」p30
「私は国家の介入を悪とする市場万能主義者ではありませんし、ケインズ主義の適切な復権こそ今日必要ではないかと考えております(民営化に反対)」p43
「国民の生活水準を維持したいならば、並立する諸国民国家との経済競争に勝ち抜かねばなりません。もちろん、生活水準なんてどうでもよろしいという生き方は、個人の信念としては可能です。だが、個人として信じる道は他者にもすすめてともに歩みたい道であるはずですから、他者にすすめても到底受け入れてもらえない道というのは、何か欠陥があるのです」p46
「自分の同胞である人々が国民国家の国民という存在形態を生きている以上、自分だけオラ知らねえといった態度はとれない。これが、反国家主義が突き詰めると成り立たぬ理由になるかと思います」p50
「(アンガス・マディソン)人類1人当たりのGDPは西暦元年には400ドルであり、これは西暦1000年まで変化しなかったそうです。つまり一千年間ゼロ成長だったのです。1000年から1820年までの間に、わずかな成長があって、1820年には600ドルに達しました。1820年以降は急激な成長が生じ、20世紀末には6000ドルを超えるに至りました」p64
「フランス革命のどこに自由や人権の確立がありましょう。個人の自由と人権がまったく無視されたのがフランス革命の特徴です」p116
「フランス革命には確かに近代的な一面があります。それは中央集権行政国家、言い換えれば近代国民国家を創設したのであります」p119
「世界の資本主義的市場化が完了すれば、あとに残るのは地球規模の均質的斉一的なモダンライフにほかなりません」p184