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- カテゴリ:小学生
- 発行年月:2006.6
- 出版社: BL出版
- サイズ:31cm/41p
- 利用対象:小学生
- ISBN:4-7764-0188-6
紙の本
哲学するゾウ フィレモンシワシワ
著者 ミヒャエル・エンデ (作),ダニエラ・シュジンスキー (絵),那須田 淳 (訳)
シワシワは、月を見あげながら、この美しい夜空にくらべて、自分はなんてちっぽけなのだろうと思うのでした。それは、シワシワの心をしあわせにしました。一方、ハエたちは、だれから...
哲学するゾウ フィレモンシワシワ
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商品説明
シワシワは、月を見あげながら、この美しい夜空にくらべて、自分はなんてちっぽけなのだろうと思うのでした。それは、シワシワの心をしあわせにしました。一方、ハエたちは、だれからも尊敬されていないことにはらをたてていました。そして、世界で、もっとも偉いのはだれなのかを、思いしらせてやろうと、シワシワにサッカーの試合を挑みました。ハエが挑んだ原生林のワールドカップ。でもシワシワの頭をしめていたのは、別のことでした。【「BOOK」データベースの商品解説】
ゾウのシワシワは、月を見あげながら、この美しい夜空にくらべて、自分はなんてちっぽけなのだろうと思うのでした。一方、ハエたちは、だれからも尊敬されていないことに腹をたてていました…。ミヒャエル・エンデの名作絵本。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
ミヒャエル・エンデ
- 略歴
- 〈ミヒャエル・エンデ〉1929〜95年。南ドイツ生まれ。現代ドイツを代表する作家。ドイツ児童文学賞等受賞。
〈ダニエラ・シュジンスキー〉1972年北ドイツ生まれ。フリーのイラストレーターとして活躍。
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紙の本
賢者の生き方と鏡に映るこちらのすがた。
2009/11/09 06:31
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wildflower - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品はBL出版(旧ブックローン出版)より2006年6月に出ています。
(原著はドイツで2004年)。
これまでエンデさんの本はだいたいの著作名は覚えていましたけれど
この作品は知らなかったので、手にとってすぐに読みました。
東洋の思想や日本文化に深い造詣のあった作者らしい
大いなるものへの憧憬や、聖と俗との対比の可笑しさがうつくしい
それだけでとても素敵な作品です。
主人公は年を経て2頭分もの皺をたっぷりと蓄えた哲人のゾウ
フィレモンシワシワです。
インドの地に棲み、すでに俗界のことを煩うことはなく
日々、より豊かでうつくしく、おおいなるものを想い過ごしています。
インドのビロードのように青い夜空が、足もとにうつしだされると
シワシワはとても感動し、おそれうやまい、ただひとつのことしか
考えることができなくなりました。「月!」と。それは、とても
大きなことでした。
詩情ゆたかな絵は北ドイツの30代気鋭の画家ダニエラ・シュジンスキー
(Daniela Chudzinski)さん。
まあるくて黄金のように輝く月に映るおだやかな貌のゾウと
地上から思い焦がれて見あげている一頭のゾウのちいさな姿が
対比される見事なシーンです。
実体は大きな存在であるフィレモンシワシワは
自分の存在をちいさな者と想い
日ごろ考えるほどにどんどん大きく深くなっていく世界のひみつを想う
日々を過ごしていました。その象徴としてに月や花が出てきます。
後半はその聖なる静かな場から一転、醜いハエの集団が登場します。
ちいさき彼らは大いなる野望をもとにフィレモン・シワシワにも
ある闘争を挑みますが――。
*************************************************************
実はこちらの本を読んでから、作者の伝えたかったことは何だったのか
という想いがずっと残っています。
『エンデの遺言』という旧い番組が、偶然にもつい先日再放映された
こともあって、素直に読むだけでなく
いろいろと想いを巡らせてしまった作品でした。
単純にみれば、大いなる存在に想いを寄せる哲人と対照的に描かれる
ハエたちの集団が卑俗で矮小に思えてきます。自分たちこそが世界一と
思い上がる様は滑稽でさえあります。
矮小なる存在を上から見下ろすような存在としてではなく
はなから問題視さえしていないようなフィレモンシワシワは
年を経た賢者というよりも、なんともいえず遠い存在のように思えたのです。
どっちの側に作者はいたのだろうと。
そして
この作品がエンデの歿後の2004年にドイツで
2006年にあらためて日本で出版されたのはなぜだろうと。
20年ほど前には『森の賢者ヒダエモン』というタイトルで河出書房新社
(現在は岩波書店発行の『エンデ全集14-メルヒェン集』所収)から
出ていた作品のことも知りました。
おそらく元はとても近い作品のようですね。
2000年を過ぎてミヒャエル・エンデ歿後、世界の大きな課題が
さまざまに問題視されるようになってきました。グローバル化の弊害
そして環境問題……。
ミヒャエル・エンデさんご本人がかねてよりそうした課題について
深い造詣と憂慮を持っておられたのもだんだん分かってきました。
この作品のフィレモン・シワシワだったら、そうしたさなかにも
静かに穏やかに、おおいなるものに心を寄せつづけているのかも
しれません。
特定の宗教については触れられていませんが
仏教的な覚りにちかい境地にいる姿にも思えます。
翻って評者は矮小卑俗に毎日を思い悩んだり勘違いして思い上がったり
そっちの部類に生きています。
そうした存在への鋭い批判とうけとめてしまった最初は
とても厳しいものがたりだと感じました。
そして一抹の反撥も感じました。
別なときに、なんどか読み返してみると
フィレモンシワシワの大きなこころに触れたときの
安心感のようなものも感じました。
鏡にうつる姿のように
そのときどきの心もちで全然違った印象になる不思議な魅力のある
作品でした。