紙の本
問題解決のためにいろいろくふうしている著者を応援したい
2008/08/22 22:11
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者はプレカリアートあるいはワーキングプアがうみだされる背景を分析し,プレカリアートを搾取する日雇い派遣などのビジネスを糾弾している.そして,立ち上がるプレカリアート (とともにたたかう著者) がいる一方で,そういう行動に批判的なプレカリアートがいることも具体的な取材にもとづいて書いている.座談会を企画しているが,そのなかに努力しない若者をなげく 61 歳の女性もまじえているのがよい.また,石原都知事と著者との対談ものせているが,火花をちらしそうな雰囲気もあるなかで,都知事からある程度有意義な発言をみいだしているようだ.
冒頭にプレカリアートということばがイタリアでつくられたことが紹介されているが,そういう世界規模の問題であるだけに容易に解決できるものではない.しかし,解決をめざしていろいろくふうしている著者を応援したい.
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(2008/7/27読了)本編自体は常日頃各所で語っている内容そのものだが、よく分からない面子の座談会(フリーター、キャリア正社員女性、団塊世代主婦)は若者貧困問題の一般的なとらえられ方の縮図を見事に描き出している。それ以上に石原都知事との対談がある意味すごい、かみ合ってない、まあ想像通りだが・・・。
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自己否定ってとこはものすごく共感できるな。
自分もそうだから。
ただ、雨宮処凛は完全に石原都知事に負けてるよ…。
ワーキング・プアも自己責任なんじゃないかなってちょっと思っちゃうよー。
でも、この話は他人事なんかじゃないんだって思えてぞっとする。
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プレカリアートとは不安定な雇用・労働状況における非正規雇用者、失業者の総称。
彼らの厳しい現実を垣間みることが出来る本。
これが先進国日本の現実か…。
将来自分がどうなるかなんてわからないので、自分とも無関係な話ではないですし、ぞっとします。
皆で真剣に考えるべき問題でしょう。
最後の対談はあんまり議論がかみあってない印象も受けたので星4つ。
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面白い!今まで読んだ新書の中でベスト10に入る。
ネットカフェ難民などの驚愕の事実が書かれている。
自分もネットカフェで夜を明かした事があるし日雇い派遣のバイトもした事があるし、正社員として採用されるのが難しそうな立場にあるので、自分の身に近いものとして読んだ。
三宮に行ったとき、24時間経営のマクドナルドがあったけど、2時〜4時の間掃除のため全員席を離れてもらう、というような事が書かれてあって、なんでかな、夜中勉強するのに使えないな、なんて思っていたけど、その理由も書かれてある。マック難民というのがいるそうだ。
>例えば80年代の大卒就職率は80%近く。だが、2000年代には55.8%。大学を卒業して就職を望んでも、半分近くが就職できないという事態に陥ったのだ。
これは大学院進学者の事も考えているのか、という疑問がわいた。
>赤木:必ずしも営利とはコミットしない様々な体験を通じて、色々な可能性を探っていく場所が学校だと思いますから。それを新卒社員を会社に供給するための機関に変えていこうなんて……正直、まともな発想ではないですよね。
大学に進学するのは職を得るためという人がほとんどで、大学の存在理由のほとんどは新卒供給機関だと思っていたから、まともな発想ではないというようには思えなかった。
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ネットカフェ難民や若年ホームレス、非正規雇用者・失業者の現実が書かれた本。
決して他人事ではなく、遠い世界の話ではないと感じた。
後半の対談がおもしろい。
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中高年の雇用を守って、若年層が犠牲となる。フリーターが生まれた。普通の物件は借地借家法で賃貸人が守られる。敷金礼金ゼロのところは、施設付き鍵利用契約。会員制で家賃の支払いが一日でも遅れれば会員資格を失う。
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ちょっと内容が薄いかなぁ。何冊か他の本を読んでるので,特に新しいものはない印象。6章の石原都知事との対談はその場の微妙な空気まで伝わってきて痛々しい。かみ合うはずがありません(笑)5章の座談会も,かなり緊迫した雰囲気だっただろうね。「赤木論文」の赤木氏31歳と,フリーターの息子を正社員にした61歳女性のやり取りは,両者の前提の違いを浮き彫りにしている。赤木氏にとって問題なのは,今自分が置かれた状況であり,そこからの脱出はもはや個人の努力とかいう問題ではないのだ。これに対して,61歳女性は,夢をもって努力すれば何とかなるというスタンス。そのやり取りの中で発せられる赤木氏の「確実に報われること以外は,なかなか頑張ることができにない」という主張は,問題の本質を突いているように思う。山田昌弘的なリスク化した社会では,見返りを得られない可能性を前提としつつ,自分でリスクをとって努力していかねばならない。これは,費用対効果という意味では,かなり効率が悪い。だから,収入が低い人は,このリスクを取れないことになり,結果としてチャンスから遠ざかることになる。と,こう書けば,責任を社会や制度に転嫁できそうな気もする。しかし,同じような条件でリスクを取ってチャンスをものにした人もいるわけで,ローリスクな努力を求めること自体が甘えとも考えられる。将来が保証されたパイプラインなど,すでにもうないのだ。その中で,どう生きるかが問題なのであって,保証がないことを指弾するのは,やはり違和感を覚える。赤木氏は努力でどうにかなるなら問題は解決されていると言うが,具体的にどのような努力がなされてきたのかは,良く分からない。確かに,真面目にバイトをこなしてきたのだろうが,それだけではそれなりの待遇しか受けられない社会なのだ。単純労働でも正社員として年功序列で給料が上がり,将来は主任や工場長といった管理職に就ける可能性がある,そんな職場はもう,ない。フリーター,非正規労働力として使い捨てられる人たちの存在を前提とする社会。この現実を共通の土台としなければ,生産性のある議論にはならないのではないだろうか。それでもやはり,チャンスをものにできなかった人々に対して有効なセーフティーネットは必要だとは思うが。
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バランスのとれた好著である。「生きさせろ!」という貧困の底からの叫びは、ただネットカフェで暮らす人たちだけのものではない。病気、解雇、金欠…いったん落ち込むと抜け出れない社会はマトモだろうか。「努力」で超えられない壁は厳然としてある。「日本人は劣化した」「若者は怠け者」などと論評し嘆息したところで何も変わらない現実。政策目的として「下層」が積極的に作り出されていることが大事。個人の性向如何を超えた大きな力が働いているのだ、この日本には。
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グラフなどもあり詳しくプレカリアートの情況について説明されている。
特におもしろかったのは、5章と6章。
5章では、フリーター2人と、正規雇用者1人、フリーター世代の母親1人と雨宮処凛+編集者が対話をしている。
フリーターと正規雇用者、フリーターと母親世代の間にある大きな断絶が浮き彫りになっている。
譲らない両者。
特に母親は全くもって譲らない。
年寄りの嫌なところが出ている。
6章では雨宮処凛さんと石原慎太郎が対話する。
ここでも、両者の間に断絶はあるが、雨宮さんが譲る場面も見せる。
石原慎太郎の対談の上手さ、ここでいう上手さとは自らの論の正当化の上手さ、がでている。
非常におもしろい。
石原慎太郎は暴動を許す。
見えていない、見ていない部分があるのは非常にわかった。
勝ち組の理論がここにはあった。
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[ 内容 ]
プレカリアート【precariato】「Precario(不安定な)」と「Proletariato(プロレタリアート)」の造語。
不安定な雇用・労働状況における非正規雇用者・失業者を総称していう。
日本のフリーター数は四百万人を越え、非正規雇用者数は一千六百万人を突破した。
若年フリーター層の平均年収は百六万円である。
ネットカフェ難民や若年ホームレスに転落した者が正規雇用者となる道はなぜ閉ざされてしまったのか――?
不安で曖昧な日本の未来を予見する「プレカリアート問題」の実態に肉迫する渾身の一冊!
[ 目次 ]
第一章 なぜプレカリアートは急速に増加し続けるのか
第二章 「貧困ビジネス」が若者の日銭を搾取する
第三章 プレカリアート吼える!~若者たちの反撃~
第四章 黙して語れぬプレカリアートの声なき叫び
第五章 就職氷河期世代の逆襲!
第六章 「都知事公認暴動」を繰り広げよ!
終章 プレカリアートの不安で曖昧な未来
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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かつて「雨宮処凛」という作家の名前を初めて知ったのは、何かの雑誌インタビュー記事だった。内容はと云えば、彼女が「プレカリアート」という言葉を日本に広めた作家ということだったと記憶する。新書「プレカリアート」(洋泉社)にはその言葉の「プレカリアート」の定義や誕生、実態等について詳述されている。その後、彼女に関心を抱きつつ何編かの小説作品に接していたが、独特の癖のある情念的な描写が気にかかっていた。
今回読んだ「排除の空気に唾を吐け」もまた、極めて情念的なタイトルがまず鼻について仕方がなかった。ところが読み進めていくにつれ、そこにレポートされている迫真性に、まさしく気圧されてしまったのだ。
この新書を通してレポートされているものは、現代日本のいびつな姿に他ならない。その切羽詰った現状を思い知らされたと云っても過言ではない。
新書全編を通して、職を奪われ、生存を奪われ、排除されていく、行き場のない人々の姿がつまびらかにされていく。中でも驚きに耐え難いのが、加藤智大(秋葉原連続殺傷事件の犯人)と造田博(池袋通り魔事件の犯人)とに関するくだりである。両者はともに労働の現場で疎外を受けていた。「疎外」という言葉はおいらが青春期の頃によく使っていた言葉ではあるのだが、現状はそれ以上に深刻である。生存を脅かせるくらいの「排除」が進行しているのだ。驚くことに両者は同じ派遣会社(日研総業)と派遣先(関東自動車工業)に身を置いていたことがあるということなのだ。
当初はおいらも情念的だと考えていた「排除」という概念が、とてもリアルな現実的事象に感じざるを得なかったのである。そして今なおこの流れは止まることがない。その大きな流れを作り出したのが、小泉純一郎と竹中平蔵による自由主義的経済政策であり、当時の内閣が負う全ての政治的政策であったことを記しておく。小泉・竹中流の「自己責任論」が招来した悪しきしわ寄せの数々の実例を、これでもかこれでもかと提示していく。そんな作家の筆力には脱帽の思いである。
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プレカリアートとは、「不安定な」という意味を表すプレカリオと、「プロレタリアート」をくっつけた造語で、「不安定な雇用・労働状況における非正規雇用者・失業者を総称していう」のだそうだ。
でも前半は「ネットカフェ難民と貧困ニッポン」と重なる部分が多かった。
後半は、石原慎太郎東京都知事との対談が載ってたりして、ワケ分からない展開だけど、220頁からの「終章 プレカリアートの不安で曖昧な未来」はなかなかおもしろかった。
団塊の世代の子供世代が不安定雇用にさらされているのは、単にバブルがはじけたあとの不況で就職できなかっただけでなく、「彼らをアルバイトなどの流動雇用形態の労働力として、言い換えれば労働力需給調整の緩衝帯(バッファ)として活用すれば、親にあたる団塊世代の雇用は維持できる」(経済企画庁の報告書「二十一世紀のサラリーマン社会」1985年)という明確な目的を持って仕組まれていたというくだりだ。(220頁)
ああ、これってどっかで読んだ議論だなと思ったのだけれど、どの本に書かれていたのかは忘れてしまった。
確かに私の会社の人員年齢構成を見ても、平成23年度退職くらいまでの年齢層が一番厚くて、そこをどう乗り切るかにきゅうきゅうとしている。この年代の首を切れない代わりに新卒採用を手控え、いわゆる契約社員や派遣社員で乗り切ろうというのが会社の魂胆だ。
そして、もう一つ興味深く読んだのが
「「一人で生きてきた」ような顔をしている人たちのほとんどは、日本型の社会保障機能(企業と家族)に頼って生きてきたのだ。現在起こっているのは、その企業と家族の持っていた社会保障機能が、急速に低下してきたという事態である。」
「国家に頼って生きる人間(ここでは生活保護を受けることを指している)を「甘えている」というのであれば、団塊の世代を含む企業戦士たちも立派に企業に「甘えて」生きてきた」(湯浅誠・仁平典宏「若者の労働と生活世界」)との指摘だ。
いずれも雨宮さん以外の人の書いたもので、そういう意味ではこの本は引用だらけだったり、石原慎太郎東京都知事とのしょうもない対談にけっこうなページが割かれていたりしてちょっと安易な書き物という印象を受けた。ただ、「貧困」の問題に社会の関心を集めるという意味で「プレカリアート」というこの本の題名はよくできていると思った。
books91
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高円寺の松本さんってどうなのか、まずそういうところから考え直してみてはどうか。これにはあらゆる問題群がふくまれているようにみえる。
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格差が拡大し、ごく少数の勝ち組以外は非正規雇用で明日なき戦いをかろうじて生き延びるか、運良く正規雇用されても酷使され心を病んでいく・・・ 新自由主義がもたらしたものがいかに悲惨で実りのないものだったか、それにもかかわらず公的には「この道しかない」として路線修正のきざしはない。
実質年収は下がり続け、労働時間だけ増え続ける現状では供給に見合った需要は望めず、いつまでたってもデフレから脱却できず自分たちの未来像を描くことは困難。
その中で局地的に発生している対抗運動も先細りの印象があるのですが・・ 新たな対抗の論理が必要なのでしょう。