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Norman Fairclough, Analyzing Discourse: Textual Analysis for Social Research, Routledge, 2003
【社会研究のテーマ】p8
特定のディスコース群(discourses)や表象に普遍的地位を与えようとするヘゲモニー闘争、イデオロギー
【テクストの社会的作用】p9
社会的出来事の要素としてのテクストは、因果作用(causal effects)を有している。すなわち、テクストはさまざまな変化をもたらす。テクストは、きわめて直接的に私たちの知識(私たちはテクストから事物を学ぶ)や信念、態度、価値観などにおいて、変化をもたらすことができる。テクストはまた、長期にわたる因果作用を有している。
【イデオロギー】p11
イデオロギーが何よりもまず表象であるとしても、それはまた、社会的に機能する際に「行為化され(enacted)」、かつ、社会的作用者(social agent)のアイデンティティのなかで、「教化され(inculcated)」うるのである。イデオロギーはまた、個々のテクスト、あるいはテクストの総体を超越する持続性と安定性を有しうる。イデオロギーは、ディスコース群(表象としての)、ジャンル(行為化 enactment としての)、およびスタイル(教化 inculcation としての)と関連するものである。
【批判的分析と「客観性」】p18
私の方法は、おおざっぱに言って「批判的社会科学」言いかえれば、倫理的観点と政治的観点、すなわち、社会正義と権力の観点から、社会生活に対する批判的問題提起をするための科学的基礎を与えることを目的とする社会科学の伝統に、属している。
【テクスト分析の限界】p19-20
テクスト分析は社会研究の一つの方法であり、他の分析手法とともに用いられると研究を大きく発展させることができるものである。テクスト分析それだけでは限界がある。意味生成におけるテクストの関わりやテクストの因果作用、そして、とりわけテクストのイデオロギー的影響について、これまで述べてきた。
テクストの因果的あるいはイデオロギー的効果を考察するには、テクスト分析を、たとえば組織分析の分野で行い、テクストについての「ミクロ的」分析を、権力関係がいかに実践と構造のネットワークを通して行使されるのかを分析する「マクロ的」分析に結びつける必要があるだろう。このようにテクスト分析は社会学的研究にとって価値ある補足であり、他の様式の社会研究や社会分析の代替物ではないのである。
[テクストのおもな意味のタイプ]p34
行為|表象|アイデンティフィケーション
私たちは、特定の出来事の一部分としての特定のテクストを分析するとき、相互に連関している二つのことを行っている。すなわち、(a)それらを、<行為>、<表象>、<アイデンティフィケーション>という3相の意味の観点から見ること、そしてこれらがテクストのさまざまな特徴(語彙、文法等)において、どのように具体化されているかを見ることと、(b)どのジャンル、ディスコース群、スタイルがここで利用され、そしてその異なったジャンル、ディスコース群、スタイルが、どのようなテクストのなかで、節合されているかを問うことによって、具体的な社会的出来事とより抽象的な社会的実践のあいだに関係を打ち立てること、である。p35
Cf. ディスコースは、社会的実践において、三つのおもな仕方で現れる。ジャンル(行為の仕方)、ディスコース群(表象の仕方)、スタイル(存在の仕方)p33
【ヘゲモニー、普遍と個別】p73
「ヘゲモニー」の概念は、アントニオ・グラムシ [Cf. Gramsci, A. (1971) Selections from the Prison Notebooks of Antonio Gramsci, London: Lawrence & Wishart.]に関連づけられるマルクス主義解釈の中核をなすものである。
「ヘゲモニー」の概念は、近年、エルネスト・ラクラウ [Cf. Laclau, E. and Mouffe, C. (1985) Hegemony and Socialist Strategy, London: Verso. 『ポスト・マルクス主義と政治』]の「ポスト・マルクス主義」政治理論において、ディスコース理論の観点から、研究が試みられている。政治勢力間のヘゲモニー闘争は、部分的には、自らの特定の世界観や世界の表象が普遍的地位を持っているとする、おのおのの主張をめぐる闘争とみることができる。p73
【前提(assumption)】p92
暗示性と前提が、イデオロギーに関わって、重要な問題となる。
[前提の主要な3つのタイプ]
存在の前提:存在しているものに関する前提
命題の前提:事実であること、事実でありうること、あるいは事実であろうことに関する前提
価値の前提:優良なもの、あるいは好ましいものに関する前提
<第7章 ディスコース群 Discourses>
ディスコース群は、実際の(ように見える)世界を表象するだけではない。ディスコース群は、また、投影的で、想像的なものであって、現実の世界とは異なる可能性の世界を表彰し、世界を特定の方向に変える営みと結びついてる。p187
【ディスコース群の同定と特徴づけ】
テクスト分析において、私たちは
(1) 表象されている世界(社会生活の領域も含め)の主要な部分、すなわち主要な「テーマ」を同定することができる。
(2) それらが表象されている特定の観点、見方、視点を同定することができる。p196
<第8章 社会的出来事の表象 Representations of social events>p202
【表象的観点から見た節】
・過程(process)
・参与者(participant)
・状況(circumstance)p203
【再コンテクスト化としての表象】p208
ある社会的出来事を表象する際、人はそれを別の社会的出来事のなかに組み込み、再コンテクスト化する。特定の社会分野、社会的実践の特定のネットワーク、そしてそのような社会的実践のネットワークの要素としての特定のジャンルは、自らを特定の「再コンテクスト化の原則」に結びつける。[Cf. Bernstein (1990) The Structuring of Pedagogic Discourse, London: Routledge]
・存在:出来事のどの要素が、あるいは出来事の連鎖のどの出来事が、存在しているか/不在か、目立っているか/背景化されているか?
・抽象化:具体的な出来事がどの程度抽象化/一般化されているか?
・配置:出来事はどのように順序づけられているか?
・付加:出来事の表象に何が付け加えられているか―説明/正当化(理由、原因、目的)、あるいは評価?
Cf. [Van Leeuwen, T. (1993) 'Genre and field in critical discourse analysis', Discourse & Society 4 (2): 193-223]は、要素の削除、付加、置換、再配置の観点から、表象に関してこれと同じような考え方を発展させている。p209
【モダリティ】
「モダリティは...発話の『純粋な』指示―叙述内容に対する態度を表現する多くの方法を含み、事実性、確実性あるいは不確実性の度合い、曖昧性、可能性、必要性、さらには許可や義務性を表す」[Cf. Verschuren, J. (1999) Understanding Pragmatics, London: Arnold『認知と社会の語用論』] p240
<用語解説 Glosaries>
イデオロギー
:権力、支配、搾取の関係を確立し維持することに関与する世界の諸相の表象である。イデオロギーは、相互行為の際に(ゆえにジャンルのなかで)行為化され、存在の仕方すなわちアイデンティティ(ゆえにスタイル)において教化されうる。テクスト分析(おそらくとくにテクストのなかの前提を含む分析)は、出来事と社会的実践のより広い社会的分析のなかに位置づけられれば、イデオロギー分析と批判の重要な側面となる。p303 Cf. [Eagleton, T. (1991) Ideology, London: Verso 『イデオロギーとは何か』
再コンテクスト化(Recontextualization)
:異なる社会的実践(のネットワーク)のあいだの関係。すなわち、ある社会的実践の要素が、どのようにして別の社会的実践によって流用され、そのコンテクストのなかで再配置されるかという問題である。もともとは社会学の概念(Cf. [Bernstein, B. (1990) The Structuring of Pedagogic Discourse, London: Routledge]であるが、ジャンルの連鎖のようなカテゴリーによって、学際的な方法でディスコース分析に利用することができる。そうすることで、ある社会的実践のディスコースが、別の社会的実践においてどのように再コンテクスト化されるのかをより詳細に示すことができる。Cf. [Chouliaraki, L. and Fairclough, N. (1999) Discourse in Late Modernity, Edinburgh: Edinburgh University Press] p308
ディスコースとディスコース群(Discourse and discourses)
:しばしばフーコーの影響のもとで、社会科学全般においてさまざまな用途で用いられている。「ディスコース」は、一般的には、他の要素と弁証法的に関係しあっている社会生活の一要素としての言語(また、たとえば視覚イメージ)に対して用いられる。「ディスコース」はより具体的に用いられることもある。異なるディスコース群は、世界の諸相を表象する異なる方法である。本書におけるディスコース分析は、テクストの詳細な言語的分析を伴うものとして理解されているが、その理解はフーコー的な伝統におけるディスコース分析ではまれである。p314 [①Chouliaraki and Fairclough (1999) ②Foucault, M. (1984) 'The order of discourse', in M. Shapiro (ed) The language of Politics, Oxford: Blackwell 『言語表現の秩序』③Van Dijik, T. (ed.) (1997) Discourse Studies: a Multidisciplinary Introduction (Vol. 1: Discourse as Structure and Process; Vol.2 Discourse as Social Interaction), London: Sage
<フェアクラフ氏のCDA研究について by 高木佐知子>
以下にフェアクラフ氏のCDAの枠組みを紹介する。
分析の枠組みは
(1)書かれたものや話されたものとしてのディスコースに対する言語学的分析(「テクスト分析」(analysis of text))
(2)産出や解釈といった言語行為として実践されるものとしてのディスコースの分析(「ディスコースの実践の分析」(analysis of discursive practice))
(3)社会実践としてのディスコースと社会との連動の分析(「社会的実践の分析」(analysis of social practice))
という3つのレベルに���けて提示される。この3レベルの分析はばらばらに存在するのではなく、(1)が(2)に、さらにそれが(3)に包含されるという入れ子構造になっている。これがすなわち「記号作用と社会的実践の他の要素との弁証法的関係」を表しているのである。p332-333 [Cf. Fairclough, N. (1992) Discourse and Social Change, Cambridge: Polity Press