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  3. 澤木凛さんのレビュー一覧

澤木凛さんのレビュー一覧

投稿者:澤木凛

66 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

目的を見失いそうな貴女に読んでもらいたい、力強い一冊。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 遙洋子ってだれ?って思う人もいるかもしれない。関西では有名な「しゃべりの上手なお姉さん」で「週刊トラトラタイガース」を川藤幸三と一緒にやっている。(この「週刊…」というのがおそらく関西人以外には胡散臭く聞こえるにちがいない…笑)で、そのタレントがなぜ上野千鶴子教授に教えを乞うたかということになるが、彼女実はかなり真面目に「フェミニズム」について勉強をやっていたようだ。そして、最後は日本の権威である上野教授について学びたい、という希望を実現させたのがこの本のきっかけである。

 ここまでなら「タレントなのに頑張ったのね」という程度の話で終わるが、ここからが凄い。厳しい上野ゼミを三年間通して勉強していった過程が書き記され、その中で「フェミニズムとは」ということをさりげなく語っている。もちろん、一冊の本で語れるわけなどないことは著者が一番痛感している。それでもその側面をわかりやすい言葉で「さりげに」書き記す。そして読むにつれて芸能界という非常に閉鎖的で女性差別が当然のように行われている世界で生きているが故に彼女がこの学問を選んだと言うことも見えてくる。女性故に反論できないことが多々あり、それがまかり通る世界。そこでも自分の意見を言えるようにするにはどうすればいいか、それを彼女は3年間という時間を通して体得していったのである。

 興味深かったのは上野教授の方針だ。とにかく議論をする。人間が知恵を振り絞って相手とやり合う。どこがおかしいのか、どこが正しいのか、なにが違っているのか、何にだまされているのか。道を切り開く手法はただただ論じることにだけある。そうやって他人と論じあうことは、すなわち自分を知ることでもある。それをゼミを通してみっちり教え込む。妥協は許されない。教授自身が受けてたつこともあるし、厳しさの足りない論議は教授によって徹底的に攻撃される。教授もまた真剣勝負であり、それによって成長しようとする。いや、常に論じることのみが「錆び付かせない」ための唯一の方法であるのかもしれない。

 これはきっと我々の日常生活にも同じ事が言える。最後は他者との対話ではないか。日常の中でも論じ、考えること。それが自分が保つ唯一の方法なのだ。自分の生活の中にそういう論議の相手がいることは実はもっとも幸福なことである、ふとそう思えた本であった。これは是非、一読をすすめる。自分の目的が見失いがちの人にはきっと何かを教えてくれるはずだ。勇気を与えてくれる本というのはこういう本をいうのだろう。

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紙の本

紙の本神様がくれた指

2000/10/17 15:22

極上のストーリーテーリングを満喫できる一作

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 佐藤多佳子氏は児童文学を中心に活躍している実力派のストーリーテーラーだ。最初に彼女の作品を読んだのは『サマータイム』というMOE文学賞を受賞した作品で、その瑞々しい文体に取り込まれて一気に読まされてしまった。きめ細やかな人物描写、そして魅力的な登場人物たち。その後はずっと児童文学を書いてきていたいが、数年前に久々に大人向けの作品『しゃべれどもしゃべれども』で健在ぶりを示し、今回の作品が数年ぶりの書き下ろしだ。今回も前作に違わない素晴らしい出来。一気に読ませてしまう展開は流石としかいいようがない。どうしてもっと書いてくれないんだろうか、というのは読者のわがままなのだろうか。いや、時間をかけてじっくりと自分の納得いくものを書いて欲しいというのも正直な気持ち。読者とは実にわがままなものである。

 さて、今回のお話はスリ師と占い師がひょんなことから同居するという実に代わったお話。この二人手先を使うことは同じなのだが(占い師はタロット占いを生業としている)、他は全く違った環境で育ってきている。スリ師は両親に早く死なれて天涯孤独、近所のスリの親分に預けられて育ったという筋金入りのアウトロー。占い師は弁護士の家に生まれ、司法試験に合格し、もう一歩で弁護士になれるというところでドロップアウトしたエリート。そんな二人がとあることで接点を持ち、同居を始める。そんなとんでもない話も佐藤の腕にかかると実にリズミカルに話が展開していく。

 彼らは当たり前だがそれぞれに悩みを抱えて生きている。他人の悩みって外から見れば「なんて変なことで悩んでいるのだろう」って事が多い。しかもすり師と占い師、特殊な職種の彼らが抱えている悩みはボクらが抱えている悩みとは一見違っているように思える。もっとシンプルに考えればそんなに悩まなくてもいいんじゃないか、と思えるようなことにとらわれている。しかし、実際のところもっとシンプルに考えていけばあっさりと解決するものなのかもしれない。彼らが不器用なまでに自分のスタイルを貫こうとする。彼らはスタイルにこだわっている分問題を簡単に割り切れないのだろうか。それは滑稽だが同時にボクにとってはうらやましい。

 ボクらは案外スタイルにはこだわっていない。スタイルにこだわっていればボクらの周りは問題だらけになってしまう。割り切り事でボクらは問題を解決しているのだ。逆に考えればボクらの悩みになっているものはスタイルとかにこだわっている部分が引きがねになって問題となっているのかもしれない。結局ボクらは自分の生き方と引き替えに問題を抱え込むのだろう。

 そんな問題を抱えてどうやったら楽しく生きていけるのだろうか?その答えのヒントがこの作品に記されている。問題を一緒に真剣に悩んでくれる人がいるかどうか、難問さえも楽しく感じて生きていけるかどうか。「神様がくれた」のはきっと指だけではない。もっと大切なものを彼らも、ボクらも受け取っていることがほんのりと見えてくるのだ。

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紙の本

紙の本希望の国のエクソダス

2001/03/31 15:44

疲労しすぎた現実とその中に見出す理想郷、村上龍渾身の近未来経済小説

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 久々に村上龍氏が経済をちゃんと勉強して近未来小説を書く、ということで期待して読んだがその出来は期待を裏切らないものであった。ストーリもさることながら、その着眼点はなかなか面白かった。

 まず学校教育の問題。たしかに現代日本において学校教育の退廃はゆゆしき問題だ。でも法という制度のもとでは変革はなかなかおきえないのも事実。ではどうすればいいか。村上氏は「不登校生徒がとんでもない数が出る」ことで国政が動くとしている。たしかにそこまでやらないと日本という国は動かないかもしれない。

 次に日本という国の現在が経済という軸をもとに的確に切り取られていたのがよかった。村上氏はこの執筆のために(というか、結果としてこれになったということだろうが)経済関係の勉強会を主催している。その結果はJMMという形で現れているが、経済という共通語を主軸に切り取ることで今の日本社会を具現化している。案外我々が思っている以上に富の偏りが起きている不平等社会である(または、それがもうそこまで来ている)と言っているのだが、これは佐藤俊樹氏の「不平等社会日本」の主張とも一致する。そしてそれを社会という建前を意識する我々は気がつかないが、敏感な中学生達は知ってしまうという展開をもってくる。旧型の日本社会が中学生の前に機能しなくなる、それは現実問題おきていることもかもしれない。

 この世紀末的な社会に対する解決法まで氏は書いている。いささか理想郷すぎるという指摘もきっとあるだろうが、理想郷無くして理念は実現しないのも事実だ。あまりにも現実に疲労した現代社会に置いてはありえない理想郷が支持されることも逆に可能ではないか。それは大きな時代の激変の兆候かもしれないし、破滅への第一歩かもしれない(実際、オウムがあれだけ一部の若者の支持を得たのは「理想郷」を彼らに示せたからだろう)。村上氏はあえて最後に理想郷を書くことでそれを試金石としたのだろう。支持される程度をみて日本という疲労しきった社会の今を知ろうとしたとは言えないか。この作品をどう感じるか、というのは実は大きな意味をもっている。

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紙の本

紙の本憂国呆談

2001/03/25 20:10

田中康夫+浅田彰の強烈スノビッシュ対談、そこに見えてくる新しい国のあり方に共感。

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 この本は出版が99年の8月、実はカー雑誌NAVIにて二人が言いたい放題の対談をしていたのをまとめたもので、連載をしていたのは94年10月から98年12月までという非常に長い期間だ。その間に阪神大震災やオウム真理教の事件があって、世の中は大きく変動した。二人が言いたい放題なのは変わらないが、こうやって読み返してみるとほんの数年前のことだが非常に面白く、興味深いことを言っていることに気づく。

 田中康夫氏などは順番に著名人をあげては文句を書いている。特に長野の五輪のときは長野県知事や長野市長のことを言いたい放題なのは知事となった今にすれば結構笑える。ただ、読んでいてわかったのはやはり彼が大きく変わったのは自分でボランティアとして動いた阪神大震災以降である。それまでは世の中に対して言いたいことや考えていることがあっても、こうしてただ文句を言うだけだった(いわないよりかなりましだが)人が、実際に自分の体を動かしてからはその言葉にリアリティがともった。さらに、引き続き神戸空港反対の住民運動を支援すると、何も政治団体を持たなくても人の心を動かすことが出来るんだなということを実感し、自分がそういった人の声を拾い上げることができるのだということを知ったようだ。いわば、今の長野県知事の秘密がここには書かれている。

 浅田彰氏が面白いことを最後に言っているが「僕だって、ポストモダン消費社会のイデオローグってことで左翼から批判されてたのが、今じゃいちばん左翼の方に来ちゃった感じだもんね」と自分たちの自身の姿勢はさほどかわらないの世の中の相対位置が大きく変化していることを指摘する。消費社会の申し子、田中康夫氏がボランティアというのも同じ、ただ、本人の中では一貫性があるという。時代とともに相対位置は大きく変わる。ただ大事なのは自分を見失わずに常に場所を把握しておくことだ。他の人の意見もどんどん聞いたらいい、その中で自分がどう考えるか、昨日までの自分とどこが同じでどこか違うか、それを知っていることが大切なのだ。

 この本を読むと本当に二人とも言いたい放題。政治家の悪口もがんがん言うし、「お前ら、そんなに偉いのか?」と思う人も多いかもしれない。でもそれでいいのだと思う。誰一人偉い奴なんていないのだから、自分がこいつは偉いと思えば誉めればいいし、ダメだと思えばけなせばいい。それがリベラルに出来る環境、思考を持つということが重要なのだ。これもダメ、あれもダメ、で考えてしまうとどうすることもできなくなる。常にいろいろな人の意見も聞いて、胡散臭い話もさらりと聞きこなせる術をこれからの世の中では必要となるのだ。言いたい放題の彼らの「戯れ言」に耳を傾けてみるのはけして時間の無駄にはならない。多くの人に一読してもらいたい一冊。

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紙の本

最高のアスリートが語る等身大の自分、そして人間。

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 この本は著者が自分の身におこったことをきちんと書きつづった自叙伝で、自分自身にとっての真実がきちんと書かれていて、そう意味では非常に貴重で意味のある本になっている。著者はプロのサイクリスト、世界選手権で優勝したこともある彼がなんと睾丸癌にかかってしまい、睾丸を摘出、癌は肺にも転移しており生存率10%を切るような状態から必死に闘病して見事生存を勝ち取ったという。治療後一年間に発病しなければ生きていけるが、一年以内に発病したときは地獄が待っている。そんな運命の中、彼は生き残り、そして再びレースを目指す。最愛の妻との間には手術前に精子バンクに保管していた精子で体外受精を成功させ、子供ももうけた。あと彼が目指すものはただ一つ、栄光の勝者のみが身につけるマイヨジョーヌ(ツールドフランス優勝)だけだ。

 まさかの発病から辛かった闘病生活、そしてすぐには踏ん切りがつかなくて戻れなかったレースの話。体外受精の赤裸々な告白、そしてツールドフランスで優勝するまでが、本当に彼の言葉で綴ってある。そこには成功者の奢りもなければ、敗者の卑屈さもない。ただただ彼がどうやって生き抜いてきたか、彼の最もそばで見ていた人間の手で描かれている。まさしくそれだけの物語だ。飾り気もないが、ウソもない。じっくりとリアルな出来事に触れてみるのもいいかもしれない。人間らしくとはいかなるものか、しっかりと書かれてあり、読み応えは十分ある。

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紙の本

紙の本運命

2001/03/26 20:47

スポーツの世界の敗者の美学、そこに真実を読む。

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 高山氏は知る人ぞしる大宅賞を受賞した気鋭のノンフィクションライターだ。その高山氏がNUMBERに書いた作品を集めて出版したのがこの本だ。スポーツにおける復活劇が書かれている。

 一人目は元巨人の吉村について。なんだ巨人の吉村か…と思う事なかれ、札幌円山球場で激突して選手生命を棒に振りかけた男だ。そのどん底で彼は必死になって野球にしがみついてはい上がってきた。リハビリをしても動かない脚を無理矢理ひきずっても打席に立ってきた。そしてその陰にもう一人の男の人生が見える、栄村だ。栄村は吉村とは対照的にずっと陰を歩いてきた男だ。その彼が一軍に昇格して今だとばかり張り切ったその時に吉村との衝突事故が起こる。球団の主軸を打とうとしている吉村と雑草のようにのし上がってきた栄村との衝突事故。悲劇は吉村の選手生命の危機とそれに対する栄村のほぼ無傷という事態にあった。その後の栄村はどうなったのか、吉村は栄村のことをどう思っているのか。事故の陰に隠れた人間模様に一筋の光をあて描き出している。

 この他にライオンズ、黒い霧事件の池永、二輪の世界グランプリ覇者であるウェイン・レイニーをとりあげて書いている。いずれも不幸な事故・事件によって絶頂期に自分の生き甲斐であり仕事であるスポーツを取り上げられた人々だ。その後彼らがその事故をどのように受け止め、押し寄せる現実を直視し、暗雲のかかる未来に何を見つめて走ってきたのか、それを丁寧に描き出している。高山氏がこの作品のタイトルを「事故」でもなければ「復活」でもない「運命」にしたところが興味深い。それを起こるべくして起こった「運命」なのだ。しかし、そのことで彼らはあきらめない、その運命を乗り越えて次にまつハードルへ向かって歩き出した。それがまた「運命」であると。

 この物語は勝者はいないし、また敗者もいない。事故によって振りまわされた彼らの陰には栄村のように巻き添えをくった人々もまたいる。そんな全ての人をひっくるめて時間という波が押し流してしまう。皆、淡々と生きている。そして自分の「運命」と向き合っている。そんな当たり前のことをきちんと描き出しているからこそこの作品は読み者にいろいろな思いを投げかける。そんな一冊である。

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紙の本

日本という国はは本当は不平等なのか?それとも平等なのか?それを統計という技術で切り出す一冊。

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 日本という国は平等なのかそうではないのか?これは常々我々庶民が漠然と考えることである。それならばこの問題を統計的に切ってみたらどうなるか?、それがこの本の主旨である。きちんとした統計をとりそのなかでの調査をもとに綿密に分析してあり、なかなか説得力がある。いや、彼の分析と我々が感じているギャップをどうとらえるかという意味で面白い。

 佐藤氏は日本にも階級(クラス)が存在することをまず示唆する。それが戦前ほどきっちりとしたものではないが、ホワイトカラーかブルーカラーか、それが雇用される側かそうでないかなどから日本をリードする十数パーセントの知識エリートたちの集団を区別化し、分析を展開している。つまり各階層が実際問題存在していることを示した上で、平等かどうかを問うているのだ。

 平等かどうかというのは階層間の出入りが自由か、世襲されていないかをみればわかるという。つまり親が特定階層にいればそこから抜け出れないような社会は開放型ではないというのだ。当然、明治からずっと流れをみていけば、戦後という一つの時代に向かって社会は開かれてきている、と誰も思っているだろう。ところが、佐藤氏は統計的に調べていくとそうではないことを指摘する。

 つまり団塊の世代とよばれる人々になると戦後でも逆に階層は閉じられているというのだ。これは「学歴が世襲される」ということが影響しているという。学歴というものは本人が努力すればなんとかなるものであるはずだが、実際に統計的に見れば父親の学歴に影響を受けるのだ。そのことが社会の上層部と考えられる階層を閉じたものにしてしまう。その閉塞感が社会に浸透する。

 日本は平等だと我々は思っている。少なくとも自分がつきたい仕事に努力さえすればつけると思っている。しかし、個人個人のレベルでみればたしかにそうだが、それが全体という物差しでみてみれば案外そうでもなくなっている。日本にはびこる悪しき平等主義の下で現実は不平等が成り立っている。それは佐藤氏の分析を聞かなくても「ぼんやりと」我々が感じ取っていることではないか。しかし、一番問題なのは「悪しき平等主義」に都合のいい部分だけをあずけているところにある。西欧でもはっきりと階層社会が成立している。しかし西欧ではその閉じた社会の中で上層に位置する人々は「自分たちの役割」をはっきりと認識している。つまり階級社会特有の「高貴なる義務(ノブレス・オブリージュ)」という概念がしっかりしているのだ。我々はそういう面倒くさいものは「平等だから」といって放棄する、これでよりよい社会などできるはずがない。

 今の日本に必要なのは実際の姿をきちんと見極めて、これからどうすればいいか、を考えようとする姿勢である。まずは、自分の姿を鏡に映してみること。それが出来ないと何も始まらない。今一度、自分の姿を見つめ直さねばなるまい。その時この本はきっといい羅針盤になるに違いない。

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紙の本

紙の本神戸から長野へ 新・憂国呆談

2001/03/25 20:11

田中康夫と浅田彰がひたすら言いたい放題、その中にキラリと光る政治論議は注目。

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 田中康夫・浅田彰の対談「憂国呆談」の第二弾。これが実に面白い。内容的には二人でダラダラと世の中の批判をしているに過ぎない対談集だが、この後、田中康夫氏が長野知事選出馬を決意したことをみるといろいろと深読みもできる。

 この対談集の中で二人はありとあらゆる政治的問題に踏み込んで発言している。といってもその大部分は二人で「言いたい放題」の内容に過ぎないけど、とにかくこれでもかというくらい激しく治世者を批判している。おお、これだけ言ったのだからお手並み拝見と行こうじゃないか、というのは簡単だけど、それをわかっていてなおかつ政治の世界に踏み込んでいった田中康夫氏は評価に値するだろう。思っていても考えてもやれない奴が多い中、行動で示してくれると言うのは確かに説得力があるから。この本の中でもダムの問題にもちらりと触れているし、長野県の非常に封建的な部分にも踏み込んでいる。さらに「こうしたらよくなるんじゃないの」というアイデアも沢山出している。それをちゃんとこなしていってくれるか、ますます目が離せなくなる。

 ただ、この対談集は非常に「スノビッシュ」な対談だ。どうせ、馬鹿達にはわからないけど、世の中本当はこうなっているだよ、的な発言「しか」載っていない。実は非常に過激で、読んでいると「で、お前達、そんなに偉いのか?!」と思う人は沢山いるだろう。ある意味、田中康夫氏の個人的な性生活を書きつづっている「ペログリ日記」を読んでも彼に批判的にはならないけど、この文章を読んで嫌悪感を持つ人は結構いるのではないか。自分たちのことをアッパーミドルだと思っている人々には強烈なカウンターパンチになる。(石原都政なんかもボロクソだし、村上春樹なんかも完全に三文文士扱いだ…笑)。それを含めて読み切れれば、この本は面白いし、そうでなければ、この本はかなり危険だと思う。田中康夫批判をする長野県の政治家達は、「ペログリ」で攻めるのではなくて「憂国呆談」を引き合いに出すほうがいいくらいだ(とそれすらわからずにむやみやたらに「批判」しているから奴らは馬鹿なのだが…)。

 田中知事の長野県政に注目している人には一読の価値ありの一冊です。

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紙の本

紙の本サギサワ@オフィスめめ

2001/03/25 00:49

博徒作家サギサワの真実の姿に迫る一冊!

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 なにげなく読み始めたこの本、実はとてつもなく面白い。まさに一本やられたという感じ。鷺沢氏は小説家、昔は美人女流という肩書きであったが今やバツイチ・博徒作家である。その氏の毎日を日記として綴り、さらにそれをWEBに載せているのが彼女のホームページ「office Meimei」である。で、この本はその日記を文庫にしたものだ。まあ形態は微妙に違うけど森博嗣先生の「すべてがEになる」と同じである。両者に共通しているのは作家の「いま」が見事に切り取られている、という面白さだろう。

 この本何が面白いかって、鷺沢氏のとんでもない生活がのぞき見出来るところが一つ。とにかく氏は「飲む、打つ、書く」なのだ。酒を飲んでいるか、麻雀を打っているか、さもなくば仕事をしているかのどれかで生活が構成されている。ううう、凄い。オヤジ化もかなりしている。我々の比ではない。だが、それだけではこんなにも大絶賛はしない。実際、この本の前半は読んでいて退屈なところも多い。ところが後半になると俄然面白くなる。それはわたべ嬢の登場によるものだ。

 このわたべ嬢は普通のOLなのだが、縁あって鷺沢氏のホームページの管理人をやっている。縁というのは行きつけの雀荘が同じだったというこれまた強烈な縁であるが、そこで見そめられてしまったわたべ嬢は鷺沢氏のホームページをつくることになった。最初は氏の日記がこのWEBのメインであったが、そのうち管理人わたべ嬢が裏ページをつくり、いつのまにかそれが鷺沢氏との交換日記の場所になったのだ。この裏のページが抜群に面白いのだ。良質のかけあい漫才というか、鷺沢氏のいい味が実によく引き出されている。まさに天の配剤とはこのことだ。

 作家の日常の臨場感・生活感を感じることが出来るのは、まさしくこのわたべ嬢という触媒があってこそ。二人の軽妙なやりとりがWEBという独特の場を借りて見事に作品に仕上がった。この本を読んで、鷺沢氏のWEBの虜になった人も多いはず。作家・鷺沢萠の新たな一面を見ることが出来る貴重な一冊である。

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紙の本

紙の本沈まぬ太陽 3 御巣鷹山篇

2000/11/19 15:39

異彩を放つ御巣鷹山篇、人間の生というものを真っ正面から描く自信作

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 圧倒的な事実を前にすると何も言えなくなる。実際に起きた惨劇を黙々と書きつづることによって、この本は構成されている。この御巣鷹山篇の存在があったからこそ山崎豊子がこのシリーズを書いたのだろうとはっきりとわかる。

 舞台は国民航空の30周年記念式典会場の描写から始まる。その華やかな式典の裏でとんでもない事故がおきるとは本当に運命とは過酷である。満員の飛行機が十分な連絡を取れずに操縦不能となる、そして墜落。人が足を踏み入れないような山深くに墜落した飛行機は当然大惨事だ。物語はあえて落ちたときの飛行機の中の様子を一切書いていない。ただ書かれるのは事実として得られた断片のみである。数少ない生き証人による記載もあまりない。墜ちた後の飛行機を調べていってわかったことだけが書かれている。まさしく事実を組み合わせるだけの叙述、そして直接的に描かなくても得られた断片を重ね合わせることで、十分に我々には響いてくる惨劇。限りなくノンフィクションのタッチを用いることで臨場感と現実感が刻み込まれる。

 もうあの惨劇から十五年が経つ。それは忌まわしき昭和の惨劇であるが、確かにその時、その場所で多くの人々の尊い命が奪われた。その事実の重さを改めて知ることは決して生半可なことではなく、この本はたしかに重い。そしてこの本の凄さは読んでいるときに何かを感じるかよりも読んだ後にずしりと効いてくるところにある。読後に響いてくる、ぼんやりとしているときに圧倒的な事実が、その重さが我々を包み込む。他の四冊とは一線を画したこの三巻はこれ一冊でも十分に読む価値のある本である。

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紙の本

最近熱くなることがなくなった人必読、今一番熱い男ジョニー黒木の物語

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 熱血漢の人が読んだら、きっと読み終わった後にダッシュでマラソンに出かけてしまうくらい気合いのはいる本、それが平山譲「マウンドの記憶」だ。この本、サブタイトル「黒木智宏、17連敗の向こう側へ」とあるようにロッテのジョニーこと黒木について書いた、ドキュメンタリー。これが実に熱い。

 ロッテというチームを支えているのは熱心なサポーター達であるが、彼ら以上にジョニーは熱い。どうすればプロとしてやっていけるか、に始まり、ロッテのエースとなってからは「チームのために自分ができること」を探し続けて生きる。たとえ怪我をして戦列を離れなければならないときでも彼にはそれが出来ない。自分が抜けてしまうことでチームに迷惑がかかるくらいなら自分の体なんてどうでもいいと思ってしまう。もちろん、監督が「お前がいても役に立たない」といえば彼は二軍に直行して体を治すだろう。しかし、監督に「ジョニー、辛いのはわかるがチームのためにも頑張ってくれ」といわれればどんな過酷なことでも彼はやってしまう。それがジョニーなのだ。

 チームメイトもそんな彼に引っ張られて知らず知らずのうちに熱くなる。ジョニーの最多勝がかかった試合、みんなが「お前のために今日だけはやるよ」と言ってくれる。その一言がまたジョニーのハートに火をつける。「俺はチームのためならいつだって投げる」ジョニーの帽子のつばには「気合」と書いている。たとえ技術的に劣っても気合いだけは相手に負けてはいけない、と自分に諭しているからだ。

 ジョニーは熱い、熱い故に失敗もあるし、損もしている。それでも彼は自分のスタイルを変えようとはしない。そこに彼の美学が、いや生き方がある。フォームは変えても生き方を変えることは出来ない。野球を続ける限り、いややめた後でさえもジョニーは熱く生き続けるだろう。結果をおそれず、気合いだけは誰にも負けず、熱く闘い続ける。最近熱くなることが少なくなったあなた、是非読んでみて下さい。その熱さに引きつけられてきっと夜眠れなくなるはずです。

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紙の本

古民家移築に挑むハットリ夫婦のドキュメント、そこには古いものを新しい中に取り込む技術が必要だ。

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 この本は作家である服部真澄氏が趣味である骨董収集の延長として(?)福井県から東京に古民家を移築するという話が「夫の視線」で書かれている。服部真澄という人物が女性であることを知っていれば、「ああ、わざとダンナの視線で書いたのだな」とわかるのだが、知らなければ知らないでそのまま読めてしまうのが面白かったりもする。もっとも、あれだけ、妻のことを辛辣には書けないだろうけど。

 さて、古民家の移築というのは単に土地があるところに古い民家を運んでくるだけではない。古い民家のよい材料を生かして、新しく築くのである。昔の民家は樹齢百年クラスの木材をふんだんに使っている。もちろん、家は古くなっているけど木材としてはまだまだ現役で使える。しかも数十年使われて「味」も出てきているという。だが、これが田舎の人にとってはただのボロ家でしかない、というところも興味深い。アンティークというのは特定の人にとっては価値のない物が、別の人にとっては高価であったりするのだと、当たり前のことに納得する。

 また単に骨董趣味というだけではなく、樹齢百年以上の木を40年で使い捨てしていればサイクルとしてあわない、というのもなかなか説得力のある言葉だ。百年物は百年使ってこそ、意味がある。そして、それだけの力も持っている。リサイクル社会の考え方の基本はこういう部分にあるのかもしれない。

 そして興味深いのは全く新しい物を否定しているのではないということだ。古い家を移築するが、中で暮らすのはもちろん現代人。必要なところは便利にしておかなければならない。古い部分と新しい部分をいかにして共存させるかがポイントなのだ。そしてそれをやるにはやはり「職人の技」が必要不可欠。この本にも魅力的な人がたくさん登場する。そういった人々の協力の上に「古民家移築」の一大プロジェクトは成功した。

 この本を読むと家を建てるということだけではなく、古いものをいかに取り込んでいくか、ということを考えさせられる。もちろん、「ああこういう家に住みたいなぁ」という思いで読むこともできる。所々に載せてある写真が実にハットリ邸の良さを写しだしている。古民家移築という事業に立ち向かう二人の様子も楽しげだ。肩をこらずに読み通せる実用も兼ね備えた一冊である。

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紙の本

紙の本ボーイフレンド

2001/03/31 15:50

理系の男の子必読の一冊、北川悦吏子氏の魅力の秘密が少しだけわかるかも。

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 この本は元々今をときめく脚本家北川氏がいい男を順番に友達にしようという月刊カドカワの連載を本にまとめたもの。まあ軽く読み流すには抜群の一冊。

 どこがいいかといえば「北川悦吏子さんはお嬢だった」という下りです。つまり彼女は育ちがいい、とゲストにきて解説まで書いているつんく氏は語っています。単なる金持ちとかではなくて、「育ちがいい」のがポイントらしい。そしてそんな彼女はむちゃくちゃもてたりはしなけど、必ず何人かの男の子が「北川さんっていいなぁ」と思い描いているはずだ、とつんく氏は指摘する。このあたりの指摘はさすがつんく、と私もうなずいた。

 北川氏の育ちの良さが彼女の書く脚本に出ている。彼女の描く主人公はどことなくノーブルだ、というのも鋭い指摘。たしかに「愛していると云ってくれ」のトヨエツもお母さんからして吉行和子さんで育ちの良さが浮かび上がっているし、「ビューティフルライフ」のキムタクも医者の息子が放蕩のあげく美容師になっているという育ちのよさでは抜群にいいわけだ。その安心感が品のいいストーリーを作っているのか。北川氏の世界を一瞬にして分析してしまうつんくの嗅覚にも脱帽してしまう。

 北川氏のもう一つのポイントを忘れずに指摘しておこう。彼女は自分でもいっているけど昔から「理系の男の子がすき」らしい。このことは非常に重要だ。もちろん、別に「オタクがすき」といっているわけではないが(別にいってもいいと思うが)、理系の男の子が好きというのはどことなくロマンチストを愛する彼女の性格が出ていると思う。どんな理系の男の子でもいいわけではないが、知的な感じのするロマンチストを彼女は理想に思い描くのだろう。だから彼女のラブストーリーの主人公はそんなテイストが乗っている(これが理系の男の子へのエールになればいいが…)。

 案外、北川ドラマの陰の視聴者はそんな理系の男の子かもしれない。そして素顔の北川氏は間違いなく理系の男の子があこがれる育ちのよいお嬢さんであるのだろう。かくいう私も彼女もような人に惹かれてしまったりする。そんな私がはっきりと断言しよう。この本は、理系の男の子には必読の一冊なのである。

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紙の本

紙の本輓馬

2001/03/31 15:39

作家が大きく変わるときがある。もしかしたら鳴海章氏にとってこれはそんな一冊かもしれない。

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 失礼を承知で書くと、鳴海章氏はどちらかといえばあまりぱっとしない作家であると私は思っている。もっともだから「嫌いだ」とか「くだらない」というのではない。どうもぱっとしないのだけど、なんとなく読んでしまう、そういうところがあるということだ。これは実は一番大切なことで、「この作家は素晴らしい、とても上手だ」と思っていてもどうも読めない…というのはけっして誉められたことではない。作家は読んでもらってなんぼだから。つまり私にとっては非常に「気になる作家」なのだ。

 その鳴海氏の作品「輓馬」は予想以上によく書けていた。しばらく前に「今度の作品はよくできている」とどこかの書評で誉めてあったけど、確かに「よく書けている」という印象をもつ作品だ。舞台は北海道で開かれている輓曳競馬、輓馬とよばれる巨大な馬が大きな橇(そり)にのせた騎手をひき競争する。もちろん、公的な競馬場で行われる歴としたギャンブルの場所でもある。平坦な芝生の上を駆け抜けるのではない、巨大な橇を引き、障害を乗り越え、勝敗を決する。そんな北海道らしいダイナミックな競馬場が舞台になっている。

 主人公の男は北海道の貧しい家に育ち、成功することのみを考えて東京で一旗あげた。最初は上手くまわっていた彼の人生もここへきてつまずき、彼は二千万円の負債を背負って、借金取りから逃げるようにして北海道の地に戻ってきたのだ。そこでは実の兄が輓曳競馬の調教師として働いていた。しばらく兄の元で輓馬の世話をする主人公、その中で彼を自分の人生をもう一度見つめ直す。最後のシーンで彼は東京から追ってきた借金取りにつかまるが、その時には彼には自分のなすべきことが何かはっきりと見えていた。

 最後の方で主人公が語る「おれにとって、今度の借金が第二障害だと思うんだよ。逃げるわけにはいかない。ここまで逃げてきたおれがいうのは何だけど、ここで逃げ出したら、一生逃げなきゃならなくなる」という台詞は秀逸。決して心温まるわけではないけど、力強い素描を繰り返すことでこの物語にはぼくとつとした素朴な感覚がわき上がる出来になっている。今まであまり上手くない、と思っていた私の印象は一変した。鳴海章氏の今後の作品にも期待が膨らみそうだ。

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紙の本

紙の本人体再生

2001/03/31 15:35

生体再生工学の最先端を探索、近い将来をのぞきみる先端技術の入門書。

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 この本は「ティッシュ・エンジニアリング」という生体再生工学について書かれたものだ。これは人体の損傷箇所を人工のもので補助しようという考えだが、工学といっても単なる合成物にとどまらないのが今の最先端のようだ。

 一昔前は高分子材料で人工心臓や人工血管をつくっていたりしたが、やはり人間の体にとっては異物なので免疫の問題で拒絶反応が出たりする。いま流行の脳死ドナーからの生体移植というのも似たような問題がある。それをもう一歩進めて本人の細胞を培養して本人に移植したらいいのではないか、という辺りの話が書いてある。それが技術的にどうすれば可能なのか、真剣に研究すれば突破口が見えて来るという非常に興味深い話だ。

 実際皮膚の培養はかなり進んでいて実際にビジネスになっているという。全身火傷を負った人間も体のごく一部に残っている本人の皮膚組織を培養して移植するということも出来るという。細胞培養の技術は格段に進歩している。細胞が増殖するのに必要な因子はなにか、支えとなる枠組みがあれば細胞は自分の力で増殖し、「再生」する。そしてその枠組みとなるものが生体分解性の材料で出来ていれば自然となくなるのだ。そういった設計こそが技術というものだろう。

 いつも最先端の技術を素人にもわかりやすく、それでいてけっして妥協することなくあくなき追求心で取材する立花氏の手法は健在。読んでいて、最新の技術が次々に明らかになる。もちろん、この内容は近い将来ごく当たり前になることだ。知と技術の最先端を追いかける氏の本はある意味、正確な未来予想図になるかもしれない。タイムマシーンで未来を覗く代わりに一冊読んでみても損はしないだろう。

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