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  3. 螺旋さんのレビュー一覧

螺旋さんのレビュー一覧

投稿者:螺旋

11 件中 1 件~ 11 件を表示

紙の本

紙の本ハイペリオン 下

2001/01/17 18:12

物語のダイナミズムが約束する至福の時間。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 28世紀。人類は「テクノ・コア」と呼ばれるAIを擁し、200からなる星間を「転移ゲート」で繋いだ銀河連邦「ワ-ルド・ウエッブ」を形成、繁栄を謳歌していた。折りしも、辺境の惑星ハイペリオンでは、時間が遡行する禁断の遺跡<時間の墓標>のゲ−トが開き始め、「破壊神シュライク」の解放という脅威が目前のものとなる。事態を憂慮した連邦は<時間の墓標>に縁のある7人の男女を招集し、ハイペリオンへと送り込む。7人はそれぞれの思惑を胸に聖地への巡礼に旅立つが、かねてより連邦に敵対する蛮族「アウスタ−」も、時間遡行の謎を求め、宇宙の覇権を賭してハイペリオンへと侵攻を開始する。

 世評高い「ハイペリオン」、なるほどワクワクドキドキ感もたっぷりで期待を裏切らない面白さだ。盆とか正月とかの長い休みにはSFが気分だが、「ハイペリオン」は世紀を跨ぐこの年末年始にぴったりの堂々たる風格。
「20世紀SFの集大成」と帯に謳われている通り、「ハイペリオン」にはSF的な目新しさや革新性といったものは無いが、まさに集大成と言うに相応しいSF的な設定や道具立ては入念に行われ、SFの魅力は横溢している。

 物語的には、銀河連邦の興亡という危機的状況を背景に、呉越同舟の男女7人が続ける巡礼の過程で明らかにされる6つの物語で全体を構成するという連作中編の体裁。
 「テクノコア」「ワ-ルド・ウエッブ」等のストレ−トな造語で28世紀のデジタルな世界観を示す一方で、多彩にちりばめられた「聖樹船」「風莢船」「大叢海」といった翻訳者の苦労が忍ばれるアナログなイメ-ジが実に効果的で、新しさとある種の懐かしさを混在させたSF用語の数々に、物語のリアリティ-や幻想性が大いに盛り上がる。

 ゴシック・ロマンな雰囲気も濃厚に、「グランド・ホテル」型と言うより、運命共同体に乗り合わせた人たちを描く「駅馬車」形式で展開する<司祭、兵士、詩人、学者、探偵、領事>からなる巡礼達の物語は、彼等に相応しい趣向が凝らされ、多彩で謎めいていてスリリングで、センス・オブ・ワンダ-に溢れ、どのエピソ-ドも、SF魂を漲らせた面白さを持って迫ってくる。
 にもかかわらず、この本の最大の魅力は、と言えば、全編に色濃く漂う彼等の喪失感の大きさと哀切さにこそあるだろう。その傾向は下巻に行くほど顕著になっていくが、銀河連邦の興亡を背景に、巡礼達が彼等の愛と喪失を豊かな詩情を以て語り出せば、6つのミクロは、マクロな謎の1点に収斂していく物語のダイナミズムをもって、至福の時間を約束してくれる。

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紙の本

紙の本堕天使は地獄へ飛ぶ

2001/10/22 20:52

クレージーな社会に真当な生き方を貫きたい男の、ハードボイルドな格好悪さが泣かせる。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 市警の過剰な捜査活動がマイノリティーの鬱積した怒りに火をつけ、一触即発の緊張感が高まりつつあるロサンゼルスの真夜中に発生した殺人事件は、市警の権威を失墜させ、同時に過去のロス暴動並みの騒乱を引き起こしかねない因子をはらんでいた。当局は自らの公平中立性を明らかにする必要から、政治的配慮に基づいた新チームを編成し、捜査に投入する。
 ハリー・ボッシュの最新作「堕天使は地獄へ飛ぶ」は、事件発生から状況設定までを簡潔にテンポ良く描写する導入の巧みさで、一気に物語に引き込こんでくれる。更に、市の喉元に突きつけられた時限発火装置にも等しい事件の究明、という貧乏くじをつかまされ、不穏な空気に満ちた街に、内務監査課の仇敵との呉越同舟を命じられたボッシュは、どこを向いても八方塞がりのこの難局にどう立ち向かうか、という牽引力の強い展開で、ぐいぐい読ませる。
 これまでの作品で、過去の心理的な不良負債の処理を終えたものの、ボッシュの私生活は、相変わらずすっきりしない。しかし、感傷は抑えられ、ボッシュの目線が事件にストーレートに向かって、全体的にすっきりした印象を受ける。物語の中心には、いつもながら豊かな今日性に裏付けられた犯罪が据えられ、と同時に、事件の背景への迫真的な書き込みが、作品に密度と緊迫感を与えている。
  人権の尊重、人道への配慮は、市民に安全と権利を保証するが、一方では、捜査手段の制限や、訴追手続きの複雑化を招き、結果的に一部犯罪者を野放しにもしているという現実的な問題を、人権に抵触しない手続き優先のため捜査が滞るというサスペンスとして提示し、人種間の対立によって生まれた不安感が作品のトーンを決定付けるといった具合に、ロスを取り巻く時代の相、空気感のリアルな描出にコナリーはいっそう力をそそいでいる。まさに、そこがこのシリーズの魅力でもあるわけだが、とにかく面白い。
 同僚からは「人間性に信頼を置きすぎる」と揶揄されながらも、ひたすら公平さと正義とを見い出したくて、不撓不屈に犯人を追い詰めるだけの孤独な警官。しかも今回は手抜かりもあって、金田一耕助ばりに犯人に出し抜かれもし、そのためカタルシスの弱さではシリーズ屈指だが、リアリティーは高い。
  事件は究明され、真相は明らかにされなければならない。しかし、決して明らかにされぬ真相もある。全てはれ、「政治的に正しい」利用がされるのだという苦味を飲み込むボッシュの姿に、クレージーな社会にあって、真当な生き方を貫きたいとこだわり続ける男の、ハードボイルドな格好悪さが全開する。

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紙の本

紙の本エンプティー・チェア

2001/10/22 20:35

とことんエンターテインメントに奉仕した作家が示したレベルの高さに圧倒される。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ノースカロライナの片田舎を訪れたリンカン・ライム。到着を待ちかねたように、誘拐犯追跡の協力を要請してくる地元保安官。断り切れない状況に、1日という期限付きでやむなく要請を受け入れるリンカン。最新設備が整えられたホームゲームなら、全知全能を遺憾なく発揮できても、必要な分析装置の調達もままならぬ田舎町では分が悪い。満足な捜査体制を整える間もなく、リンカンの未来と、被害者の生存を左右するカウントダウンがスタートする。
 リンカンの目的の意外性に驚かされたところに、スキャンダラスな事件が割り込んでくる。開始早々、暖気運転も終わらぬうちから、読み手を座席に釘付けにするディーバーの強烈な先制攻撃。しかも、打たれ心地の何たる快感だろう。更には、一刻の猶予も許されぬ戦いにかり出されるリンカンとアメリア。さあ、どうする、これから一体どうすんだと、矢継ぎばやの無理難題に読書意欲が強烈に喚起される。
 読み手の興味関心を一気に掴んで走り始めたディーバー印のローラーコースターは、ノースカロライナの大湿原と歴史を背景に、逃走と追跡の熱いドラマのクローズアップを絶妙に織り交ぜながら、全く先の読めない、ってゆーか先を読む暇を与えぬ変幻自在さで設定されたコース上に、緩急自在な速度を実現し、止まる間も、降りる暇もあらばこそのエクサイティングにデンジャラスな疾走振り。いやはや、何とグレートな面白さ。
 プロットには、体重の乗った豪速球に切れ味の鋭い変化球と、球種の豊富さで超一流を誇り得るディーバーだが、更に魅力なのは、球質に甘んずることなく、配球の斬新さで一層の攻撃力へと転じてしまう鮮やかな投球術。キャラクターをみても、人間性の洞察には奥行きがあり、決して皮相に流れない。格好づけや情緒で変にバイアスをかけたりしないストレートな造形には好感が持てる。
 クールなリンカンとエモーショナルなアメリアの魅力。この好対照をベースに、抜群のサバイバル技術を持つ逃亡者や、アメリアをしのぐ怒りを発散する女性を配したドラマは、一瞬のうちに攻守が入れ替わる。緊迫感と意表をつく展開から目が離せない。もーなんつーか、物語の面白さに興奮させられつつ、ディーバーの凄さに改めて感動させられてしまった。力量のある作家が、とことんエンターテインメントに奉仕した結果到達したレベルの高さに、圧倒される思いの「エンプティー・チェア」。

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紙の本

紙の本ハイペリオンの没落 下

2001/04/21 08:35

重厚華麗な一大SF絵巻

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 アウスタ−の襲来に「連邦」の栄光は脅かされ、テクノコアの野望に人類の尊厳は揺ぎ始める。未来から過去へと連なる時の奔流に謎の遺跡「時間の墓標」の扉は開き、宇宙の命運を左右する闘いの渦に、6人の巡礼達が飲み込まれていく。
 
 28世紀の銀河に繰り広げられる人類の興亡を、六つの物語に託して描いた「ハイペリオン」の、謎と興奮に満ちた面白さが続編にも持続するか否かが注目だが、作者は、前作で広げきった大風呂敷に、更なる文様と豊かな色彩とで新たなを意匠を施し、高々と掲げて、これでもかこれでもかと言わんばかりにはためかせて見せる。

 巡礼達の運命というミクロから、連邦の存亡というマクロへとステ−ジを移して、物語は時間も空間も自在に飛び越え、良く言えば自由奔放、悪く言うなら傍若無人、生も死も思いのままに、疾風怒涛の大展開。いくら何でもそりゃないだろうという突っ込みを封じ込む腕と度胸は大したもの、作者はこの大長編を鮮やかに仕切ってみせる。

 「どこでもドア」ならぬ「転移ゲ−ト」の設定で空間的な制約を解消し、キ−ツ人格の「サイブリッド」という万能なキャラで視点の自由さを獲得する離れ業。物語的な制約を一挙に解除し「何でもあり」状態を成立させた作者の、ご都合主義的展開もそうと感じさせぬ強引な説得力。拡散するエピソ−ドの数々を、連邦CEOマイラ・グラッドスト−ンの苦悩で繋ぎ、キ-ツ人格で統合させ、連邦対アウスターの見事な無制限一本勝負へと結実させていく。全く大した読み応えなのだ。

 「ハイペリオン」シリーズは、エコロジカルさをベ−スにした豊かな情景描写と、SFな大道具小道具の魅力も豊富な大作だが、活躍するキャラ達はといえば、強さと威厳に溢れたマイラ・グラッドスト−ンはまるでエリザベス一世のようだし、ブロ−ンが聖母なら、レイチェルと父親の肖像は聖母子像の反転のようであり、シュライクが「ドラゴン」の別名なら、シュライクに挑むカッサ−ドの闘いは当然ドラゴンスレイヤ−のそれに重なる。といった具合で、大時代な設定にふさわしく古典的な色彩が濃い。

 全編を貫くロマンティシズムの香り。血わき肉躍る超絶的展開。謎と答。興奮と悲哀のクライマックス。余韻に満みちたエピロ−グ。「ハイペリオン」の醍醐味を支えきるには、この大時代な設定こそ確かに必要なのだと納得できる。
 前作に劣らぬスケ−ルとパワ-で描かれた絵模様は、極彩色も鮮やかな大風呂敷、というより、重厚にして華麗な一大SF絵巻というべきだが、「剣と魔法の国」の物語にSF的重装備を施したハイブリッドなファンタジ−、と言うこともできそうだ。

 前作同様、翻訳が特筆物のすばらしさ。 気がつけば、大風呂敷は見事にたたみこまれておりました。

∫∬螺旋式∬∫

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紙の本

紙の本静寂の叫び 上

2000/11/18 21:17

静寂の叫び

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 言葉を越えた所で気持ちが通い合い、理解が深まり合う事が珍しくないように、言葉はコミュニケーションの全てではもちろん無い。「言葉にすれば 嘘に染まる」と歌った歌手もいたが、嘘か真かは、あくまで人の心の問題であって、所詮言葉の問題ではないのだし、何より言葉に対する信頼が無ければ、小説どころか社会といったものの成立さえ危うくなる。

 その「言葉」を駆使し、幾多の人質解放交渉に目覚ましい成果を挙げてきたFBIの危機管理チーム。その精鋭達がカンザスの片田舎に召集された。廃虚と化した工場跡に、ろう学校の女子生徒達を人質にたてこもる脱獄囚が三人。人命という切り札をちらつかせる犯人に対するFBI随一の交渉人が挑む人質解放という名のゲーム。

 切り札一枚持たぬ交渉人ポターにあるのは、犯人の思考と自らの思考を同化させて突破口を創りだすという交渉技術。それが、冷静にして狡知にたけた犯人にどこまで通用するものか、全てはポターの判断にゆだねられる。一方、人質となった実習生メラニ−は生徒達の開放に向けて捨て身の反撃を決意する。

 ポタ−によれば、FBI流の危機管理とは、あらゆる可能性を想定し。被害を最小限度に抑えるに必要とあれば、人質の命であれ犠牲はいとわない、およそ感情や情緒の介在する余地ない計算の上に行われるものだという。もとより、腹芸、阿吽の呼吸、浪花節などが全身に染み込んだ日本的な土壌には異質な発想が求められるものらしいが、それはともかく、人質の少女たちを通して語られる知られざるろう者の世界が、人質交渉のハ−ドな展開と絶妙に交錯し共鳴して、物語に豊かな彩りを与え始める。

 人質解放という非日常を日常にする中年男ポタ−の私生活、犯人と共感しあえる程には理解しあえる相手もいないその皮肉な哀しさ。戦いの中で自分を再発見していくメラニ−の魅力。更にタフな悪党ル−・ハンディ−の強烈な悪の存在感が、物語を引き締める。

 虚でもなければ実でもない、犯人の聞きたい言葉をとことん利用するポタ−の戦いと、聾者メラニ−の静かなる戦いが交差し白熱化し、功名心にはやる地元警察、ジャーナリスト、政治家などの思惑がゲ−ムの行方を複雑化させると、人質達の運命は思いがけぬ方向に転がり始め、盤面上で翻弄されるピンボールさながら、その都度得点を更新し、掛け金を釣り上げながら、やがて待ち受けるOUT穴に向かって転がり落ちていく。

 F・フォーサイスが取り上げて以降、ネゴシエーターの存在は小説に映画にとメジャーなものとなったが、このような仕切りで、そのテクニックとヒリヒリするような交渉の過程を、かくも迫真的な臨場感をもって描き出した作品はちょっと無い。

 中年男と若い女性の恋愛感情なぞの適度な通俗性で読者サ−ビスも下品に堕すことがなく、善きことへの信頼をストレ−ト表明する前向きで力強いディーヴァーの作風は、根っから下品で根っから性悪説な私のようなひねくれ者には、とても染みてくるものがあるのだ。

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紙の本

紙の本朗読者

2000/10/29 22:49

朗読者

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 例えば、誰もいない日曜の午後、傾いた日差しが床にくっきりとコントラストをつくり、風が、まるでワイエスの描くようにレースのカーテンをやさしく揺らす、シンと静まり返った部屋に、ぽつんと一人取り残されたような時間を過ごしていたとしよう。そんな折りに、ふとしたきっかけで甦る思い出があるとすれば、それは身をよじるような悔恨やら後悔やら「ギャッ」と叫びださずにはおれないような、恥ずかしさ溢れる遠い記憶が相応しい。

 シンとした部屋とは無縁の生活だが、苦さや恥ずかしで叫びたくなるような記憶には事欠かない。「悔恨」や「恥」を自己正当化で塗り固め、一応の体裁整えたつもりでいても、何かの弾みでボロボロと化けの皮がはがれ落ちてくる。『生きてるってなんだ−ろ−、生きてるってな−に?』そんな問い掛けが、ギャグにしかならないような世の中だからといって、生きてきた時間の重さは誰にも否定できない。詩は感情ではなく経験なのだ。とリルケは言っている。人は一生をかけて、蜜蜂が蜜を集めるように経験を集めるなくてはならない、そうして、それら数え切れない思い出の影から、『一編の詩の最初の言葉は生まれてくるのだ』とマルテも手記に書いていた。何と勇気づけられる言葉だろう。

 強力な推薦文が並んだ新聞広告に興味を引かれて買い込んだ『朗読者』。ワイドショー的な興味、視点で見れば、これほどスキャンダラスで刺激的な素材は無いというくらいに、この本に描かれた関係や事件は市民的な価値観からは糾弾され断罪されても不思議はない。
 だが、そうした視点からは決して見えてこない人間の姿というものがあり、それを明らかにする力を「文学」ともいうのだ。
 
 「朗読者」が紡ぎだす言葉にはリルケの言う「経験」の重さがあリ、簡潔で端正な文章には、恥を知り、公正で豊かな精神が息づいている。 明晰さがもたらす秩序と、厳しさがもたらす美とをもって語られる物語は、どんな場所でペ−ジを開いても、じきに「静かなシンとした部屋」に草臥れたオヤジを運んでくれた。これを文学の力と言わずして何と言おう。
 

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紙の本

紙の本あ・じゃ・ぱん 上

2000/10/27 22:26

あ・じゃ・ぱ!ん

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 戦後日本と日本人の本質を、思いがけない角度から驚くべき大胆さと鋭さで、笑いとともに浮かび上がらせた「あ・じゃぱ!ん」の、何たるしたたかさだろうか。

 大戦末期、沖縄には米軍が、北海道にはソ連軍が上陸。かくして直江津から沼津に至る、東経139度線を境に分断された日本人民、東西対立の50年。という架空戦記かパラレルワールド。昭和天皇崩御の首都「大阪」でCNN特派員の<私>が見た、極東日本の「昨日、今日、明日」というキワモノ、ゲテモノ、顰蹙もの世紀末。

 東西に分断された戦後日本には、三島由起夫に田中角栄。実在、架空の人物怪しく陰微に入り乱れての、出鱈目、滅茶苦茶、支離滅裂。
 古今東西、文学、映画の名場面、しこたま放り込んで練り上げた、ルイス・キャロルにジェイムズ・ジョイス、メルビル、ヴァネガット、チャンドラー。祝十郎、武蔵にボンドに李香蘭。ローマの休日、ピーターパンに黒死館のエトセトラ,etc。数え上げてもきりがない。元ネタ不明も限りない。警句炸裂、ギャグ満載。パロディーの百花繚乱。箴言爆発、コメディー全開。起承転結の豪華絢爛。

 しかし、この滅茶苦茶には美しい秩序が、出鱈目には確かな根拠がある。右も左も上も下も、あらゆる権威、欺瞞、恥ずべき行い俎上にのせ、すっきりきっちり三枚に下ろしてみせる。当然「ハードボイルド」も、矢作その人さえ、パロディーの刃先から逃れることはできない。この潔さ、この公平さ、何と清清しいことだろう。

「しっかりしていなかったら生きて行かれない、優しくなれなかったら云々」
 もはや、手あかにまみれで、死に瀕した台詞だが、今の矢作なら、これを再生するぐらい朝飯前。曰く
「失礼でないとはじめられない。上手でないと終わる資格がない」
ウウッ!何たる不敬。何たる冒とく。しかし、唖然とする他ない程の真理でもある。

 スペクターの秘密基地が、いつしか厳流島の決闘、になったと思いきや、次には一瞬にして「モビーディック」に転ずるといった、華麗にしてアクロバティックな筆さばき、包丁さばきを見る楽しさは勿論なのだが、在るべきものを、しかるべき本来の在り処に位置付けようとする、矢作一流の鋭角的な美意識、ハードボイルド魂が、精魂込めて紡ぎ出した優れた文学作品であり。現代社会を丸ごと描いた全体小説としても、その志しの高さ、面白さは只事ではない。

 気鋭のハードボイルド作家としてデビュー以来30年。「スズキさん」で開花させたコメディーセンスと、「新日本百景」連載で鍛えた文明批評の眼力とをもって、嘘八百を、「あ・じゃぱ!ん」という名の新たな真実として結実せしめたのだ。
 ハ−ドボイルドスピリッツをバ−ジョンアップさせ続ける矢作の真骨頂、面目躍如の堂々たる傑作なのだ。

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紙の本

紙の本ハンニバル 上巻

2000/10/27 21:24

ハンニバル

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 クラリスは卑劣で独善的な出世主義者に組織内での行く手を阻まれ「神学にほとんど絶望している医療伝導団」さながらだが、誠実に献身的に職務を遂行している。しかも名誉は不当に損なわれ、クロフォ−ドにはバックアップの余力もない。
 この世の何処にいようと、倫理道徳は言うまでもなく善も悪もあらゆる権威や価値観から解き放たれた超越者ハニバル・レクタ−が残した僅かな痕跡に、復讐の怨念と化した、メイスン・ヴァ−ジャ−の邪悪な触手が蠢きだし、孤高の戦士クラリスも必死の追撃を開始する。

 待ちに待ったトマス・ハリスの新作はテンポ良く緊張感も豊かに幕を開ける。何より読みやすく、意識の流れを中断しない展開が快適で、異常性も何気に膨張してくる。
 
 優美さと力強さで全き自己実現の至福を創造しようとするレクタ−の魅力が古都フィレンツェに炸裂する。思いっ切りスノビッシュに、かつペダンティックに開陳されるレクタ−のスタイルから、堕天使の真摯さや悪魔の理想主義が伝わってくる。だが、謎めいたレクタ−の過去が明らかにされ、数知れぬ悪行の動機が合理的に説明されてしまうのは、レクタ−の魅力を阻害する要因にもなりうるものだ。だが、そんなリスクをものともせず、ハリスは、絶望から生まれ、それ故に神に拮抗しようとする堕天使ハニバル・レクタ−の肖像を入念な陰影をもって描きだす。
 
 欲望の数だけ誘惑の種子はある。
 果てない欲望が誘惑の果実をたわわに実らせる。
 レクタ−・ザ・カニバルが欲望の何たるかを示す時、
 人はその誘惑に抗うことができない。
 
 「自分の手の届くかぎり、そんな世の中にさせるもんか」というクラリスの理想主義は直裁で力強く、レクタ−の幼児性を凌駕している。天国と地獄の理想主義が激突する時、戦慄の祝祭が幕を開ける。
 月並みなカタルシスを拒否したビタ−スウィ−トなエンディングの味わいは、この大世紀末、規範無き世界の宙ぶらりん感覚に満ちている。全員が犯人なのだと明らかになった今、有効な処方箋など何処を探してもありはしないのだ。

 『レッド・ドラゴン』『羊たちの沈黙』と斬新で驚異的な面白さに満ちた作品と比べると、『ハンニバル』にはミステリとしての弱さがある。だが「レクタ−サガ」としてこの3部作を見たなら、『ハンニバル』は俄然その輝きと存在感を増してくるのだ。だから、思いがけぬ大胆さと華麗さとで、シリ−ズをかくも見事に成熟させ、完結させたトマス・ハリスの志と技の前に、ミステリとしての瑕疵など何程のものか、むしろ讚えられてしかるべきだろう。
 これはトマス・ハリスが1981年の『レッド・ドラゴン』以来ほぼ20年にわたって紡ぎ続けた、ハリス流『地獄篇』とも『失楽園』とも『経験の歌』とも受け止められるのだ。 
 
 バアルとアシュタロスの婚姻に、世界の再生と新たな秩序の確立をつかの間幻視し、夢想するのは、キリスト教的に過ぎるとはいえ、大世紀末を生きる我々の、今だけに許された禁断のエンタテインメントにほかならない。

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紙の本

紙の本24時間

2001/10/22 23:44

読者の弱みにつけ込んでくる誘拐サスペンス。

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 デビュー以来スケールの大きい作風をそのままに、一作毎に安定感を増しつつ、前作「神の狩人」では、ハイテクとサイコとエロという新鮮な取り合わせで大いに読ませてくれたグレッグ・アイルズ久々の新作。
 成功率100%を誇る営利誘拐犯人が新たに狙いをつけた5歳の少女とその両親。この誘拐の手口というのがかつてない大胆不敵さ、実際に真似する奴が出そうな程のシンプルさと隙の無さで説得力も抜群。しかも犯人達と被害者達が一対一対応でしのぎ合うシチュエーション設定とタイムリミットに向けて多元展開するプロットとを決定づけるという斬新さもあって、グレッグ・アイルズの頭の良さというか、クールな魅力が横溢している。
 となると問題はキャラクターだが、人間を描くアイルズの視点は過去の作品の例に漏れずヒューマニスティックで暖かい。登場人物達は、それぞれ動機もリアクションもリアルで納得のいく掘り下げがされ、魅力的に造型されている。例えば、被害者の父親の次のような述懐。
> 医者としてウィルはときどき最悪の病気はなにかと考えてきた。 --- 中略 ---
> だが最悪の傷も、最悪の病気というものもない、最悪の傷とはあなたが負った傷であり、最悪の病気とはあなたがかかった病気のことだ。 p324
 憎しみや暴力や性で彩られた物語も、アイルズの、弱さと強さをないまぜにした人間の切実さに対する押さえがしっかり効いて、サスペンスの高まりや緊張感も一層の効果を上げている。えげつないな場面も節度と品格を保ちながら展開するあたり、アイルズを特徴的づける健全さだが決して嫌味は無い。
 見事な構成と緩急自在の展開、痺れる緊迫感で読者の鼻面を引き回し、充分惹き付けたところで思いっきりのカタルシスを炸裂させる絶妙な演出力。読ませる作家の例に漏れず、読者の弱みにつけ込んでくるのが巧いのだ。

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紙の本

昭和から平成へと向かった日本と日本人の実相

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 アメリカの西部開拓はカリフォルニアの海岸線がデッドエンドで、そこから北上してアラスカのゴールドラッシュと化したと思っていたが、これは浅薄な理解だったようだ。フロンティアスピリッツはあくまで西進、カリフォルニアから波頭を越えてハワイを経由し、日本から朝鮮半島へと上陸、その後は赤化中国を回避し東南アジアに転進。ベトナム戦争とはその延長線上での出来事なのであって、北爆全盛の60年代、「米海軍・横須賀港」から横浜を抜け、北爆の前線基地として100%機能していた「横田」に至る国道16号線は、この時確かにルート66に直結していたのだ。と矢作は言う。けだし卓見。なるほど、私は目から鱗で納得する。

 矢作の属する団塊の世代にとって、当時の多くの日本人にとってもだが、普及し始めたテレビから見たアメリカは、豊かで美しく贅沢で、憧れの的だった。14型白黒TVから見たアメリカは、「何でも知っている」優しいパパや「世界一」のママがいて、大型冷蔵庫には2リッターはありそうなでかい牛乳が詰まっていた。学生は「ルート66」を走り、ドビーは「青春」を謳歌し、「ハイウエイパトロール」は格好よく、探偵は洗練され、力と正義が空を飛んでいたのだ。

 その頃、日本では、一家揃ってちゃぶ台を囲み、つつましい夕飯を食べながらそんな光景を映し出すテレビに見入っていたのだ。ついこの間まで、日本にとってアメリカとは「来るべき輝かしい未来」そのものだったのだ。あれから30有余年、日本は世界有数の経済大国にのし上がったのだが…。
 
 作家と写真家の二人連れが「ルート66」よろしく、マスタングならぬカマロを駆っての16号線道中記。ウインドシールド越しに見えてくる現代日本の消費生活、その風景に30年前の日本と自分の姿を重ね合わせ、この歳月、日本人の一体何が変わり、何が変わらなかったのか、そしてこの先日本は何処に向かおうとするのか。

 作家の神経を逆なでする事象の連続にもめげず美意識を全開し、写真家との掛け合いにのせ、当意即妙、軽妙洒脱な悪口雑言のうちに美学、哲学を語り、ノスタルジーという大人の甘味まぶしつつ、いつしか日本の復興を矢作流真ハードボイルドの「感傷」に染め上げる。

 村上春樹もハードボイルド度は高いが、河合隼雄との対談に於いて「ねじまき鳥クロニクル」から「アンダーグラウンド」は「デタッチメントからコミットメント」へとシフトした結果だと発言し、大方の注目を集めた。さすが村上春樹うまいことを言う。チャンドラー流のハードボイルドは、本質的にデタッチメント度の高いものだが、近年、そのデタッチメントな自己完結性、幼児性を打破する動きが現れてきており、マイクル・コナリーは明らかにその最右翼の一人だし、日本では、村上春樹を待つまでもなく「スズキさんの休息と遍歴」を転回点とし、すでに矢作は充分なコミットメントを果たしている。さしずめ、週刊誌に長期連載中の「新日本百景」なども、矢作流コミットメントの見事な証左に違いない。

 「新日本百景」が、日本国中に点在する奇妙な建造物を点でつなぎ、バブリ−な「今」を面として俯瞰した試みだとすれば、「16号線ワゴントレイル」とは、東京湾を大きく周回する環状線の中心に、30年と言う時間軸を立ち上て、そのスタートとゴールの螺旋構造の落差の内に昭和から平成へと向かった日本と日本人の実相を見事に浮かび上がらせている。

 螺旋式

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紙の本

紙の本李欧

2001/05/22 22:43

高村版宝塚花組公演『李歐』

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 過去の重さと分厚い閉塞感の中、世界との接点が希薄になるばかりの日々を送る一彰が、裏社会のとば口でふと邂逅した謎の殺し屋、李歐。若い人生がつかの間交錯し、自ら流れを作り出さずにはおかぬ李歐の鮮やかな軌跡が、流れに逆らわぬ一彰の頑なな心に風穴を開け、命の熱さを吹きこんでいく。憂愁に沈んだ美貌の一彰、その来し方行く末を見守るのは、ただただ満開の桜。う−ん、舞台も決まった、役者も揃った。

 淀川べりに広がる工場地帯、金属切削加工の町工場の、十年一日変わらぬ日常的な光景の中にだって、誰にも気づかれずに妖しく息づく命の炎があることを、高村は、艶めかしくも淫靡に描写される金属切削加工のプロセスや、弾丸を撃ちだすその瞬間に全てを捧げる拳銃の細緻なメカニズムに潜む官能性とともに、美しくも清冽に描き出す。

 『わが手に拳銃を』の文庫化にあたって、書き直しのつもりが、もとの文章は一行たりと使わず、結局、書き下ろしたという、この『李歐』。それにしても、書き直しを「書き下ろし」せずにはおかぬほど、常に完成度を求め続ける高村は欲が深い。いつでも、一人の人間の熱と、その世界を丸ごと描かずにはおれぬ程、作家としての業が深い。その透徹した目で個の内面を見据え、熱い想いで世界のありようを幻視する高村が、この作品では、従来見せたことのない浪漫的な世界を、とびっきりの美形二人に託し、思いきり楽しんでいるように思える。いわば高村版宝塚歌劇花組公演「李歐」とでもいった感じだろうか。

 ノワ−ルな成長小説としての基本は前作と変わらないが、悪の匂いや狂気の質、悲劇の量には変化がみられる。エンディングの違いも好みの別れるところだろうが、この理想主義は作者が最も書き直したかったことの一つではないか。前作も今回も、どっちも私は好きだ。
 
 LIOUはRISOUに良く似ている、中をとりもつ桜のS。

∫∬螺旋式∬∫

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