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24wackyさんのレビュー一覧

投稿者:24wacky

46 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

刺激的な米軍基地ガイド

22人中、22人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

挑発的なタイトルである。『本土の人間は知らないが』はむろん「本土の人間」に対してじゅうぶん挑発的であるし、米軍基地を観光地と位置づけることについては「沖縄の人」に対して挑発的である。さらに挑発的であるのは、本書を発行した書籍情報社は主にガイドブックに力を入れている出版社であり、そもそも社会性あるいは硬派なイメージで売っているわけではなく、本書も装丁からしてガイドブックの体裁をとっている点にある。

いざ書店に並ぶとき、どのコーナーに置くべきか、ガイドブックのコーナーに置くべきか、書店員の頭をいささか悩ますことだろう。ガイドブックコーナーから本書をたまたま手にした人がいるなら、沖縄の基地問題などそれまで関心がなかったが、圧倒的な迫力でもって展開する須田慎太郎の贅沢な写真に惹きこまれ、ページをめくる姿が想像されもする。それこそが同社の発行者であり文章を担当し、須田に声をかけ集中的な取材で島を歩き回った矢部宏治のねらいであろう。

本書は須田の写真と矢部の文章の交互編成からなる。須田の写真は沖縄の基地について撮られた従来の写真とは異なる。それは執拗かつ即物的である点において。こんなポジションが可能であったのかという驚きの連続であるが、それはいわゆる報道写真でもないし、状況にうながされるように撮られた沖縄の写真家たちのそれとも違う。たとえば辺野古弾薬庫を撮った写真(40~41ページ)は、かつて核兵器貯蔵が噂された禁断のエリアがあきれるほど鮮明に捉えられているが、「フェンスの網の目は粗いので、写真ではこう見えるが、実際はフェンス越しの風景」とキャプションで種明かしされる。

さらに構成として説得力がある例として、国道58号線沿いの車両置き場と整備工場と題された2枚の写真の配置を挙げたい。ベトナム戦争時に目にしたジャングル仕様のダークグリーンの戦車の写真が上部に、湾岸戦争やイラク戦争から採用された砂漠仕様の薄いベージュ色の戦車の写真が下部に配置され、中間に配されたキャプションで次のような「ガイド」がなされる。

《だから難しい本を読まなくても、沖縄の人たちは米軍の抑止力について、本土の評論家よりもずっとよく知っている。ダーク・グリーンやベージュ色の戦車が、日本を守るためにいるわけではないことを、日々の生活のなかで自然に知っているのだ。》

須田の写真に負けじと相当な分量で書かれた矢部の文章が圧倒的に読ませる。鳩山民主党の「迷走劇」を目にし「なんでこんな問題でやめてしまうんだ」と単純な疑問を抱き、それまで沖縄の基地問題についての関心などなかったと告白する矢部は、しかしながら沖縄取材で聞き取った市井の人々の声にこそその疑問の解があることを発見し、目からウロコがおちる。さらにそのウラを取るために様々な文献にあたり、一つの核心をつかむ、日米安保条約についての真実という核心を。占領軍から名前が在日米軍と変わっただけで実質的に米軍の占領が現在まで継続されていること、絶対平和主義にもとづく日本国憲法と、国内に米軍の駐留を認めた日米安保条約は表裏一体の関係にあることを。

矢部の気づきから改めて確認しておく。基地問題を中心とした「沖縄問題」は決して沖縄の問題などではない。戦後日本を規定し呪縛し続ける日米安保条約が核心としてある、日本人全体として共有し第一に解決すべき問題である。それを『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』であることが致命的に大問題であることを矢部は奇跡的に知りえた。そもそも「普天間移設問題」などと短い見出しで報じるマスコミの姿勢、そしてそれを口にしなにか分かった様な気になっている大部分の「日本人」こそ、この世で一番無知な人々であることを知ってしまったのだ。

米軍基地と観光は沖縄のなかで2つの異なる表象をもたらす。ひとつは観光の邪魔になるものとして、ひたすら基地を無きもののようも扱う姿勢として。観光ガイドブックのマップやカーナビにおいて、米軍基地は空白地帯として現される。空白にしてはあまりにも広大であるため、かえって目立ったりするのだが。もうひとつは、基地の街・沖縄市のようにその価値観を転倒させ積極的にPRするという姿勢として。そこでは「チャンプルー文化」や「多文化共生」などが謳われることにより、基地のマイナス面を覆い隠そうとする。本書の姿勢はそのどちらでもない。米軍軍基地観光ガイドという挑発的な試みは沖縄県内の欺瞞を見透かし、さらに出版業界を、沖縄と本土を横断する。

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紙の本

紙の本ガンジーの危険な平和憲法案

2009/11/04 23:10

国家権力を溶かす異質の原理

18人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

第二次世界大戦後の1947年、インドは非暴力抵抗を戦略の中心としてイギリスから独立した。その中心となったのは、国民会議という組織であった。当時の独立運動のほとんどが暴力をもってなされたことを思えば、それは常識を超えた驚くべき歴史的事実である、その過程でまったく暴力が発生しなかったわけではないが。

インド独立後、国家権力を手中に収めた国民会議は、さっそく憲法を作成した。しかし、出来上がったその中身は、軍事力を認める、戦争のできる憲法であった。

著者はこの矛盾に注目する。調べていくと、憲法作成の過程で、「暴力とは何か」「国家とは」「安全保障とは」などの、当然なされているべきはずの議論がまったく無かったことが判明し、さらに驚く。無論、著者とて「国家は軍隊を持つものだ」という世界の「常識」を知らないわけではない。ただ、非暴力抵抗運動を唱えた組織が、まったく議論もせずあっさりと軍事力を認める憲法を作ってしまったことが、いかにも腑に落ちない。

さて、この非暴力抵抗運動の指導者が、ガンジーその人であることはいわずもがなである。ガンジーはその時何をしていたのだろう?イギリスからインドへの権力委譲がいざ近づいてくると、ガンジーは新政府から離れていった。イギリスにとって最も重要な交渉相手であったにも関わらず。独立が近づくにつれ、彼は絶望感を現すようにすらなっていたという。

このことは何を現すだろうか。近代国家とは「正当な暴力を独占する社会組織」(M・ウェーバー)であるというシビアな認識である。国民会議は独立闘争の手段として、非暴力が戦略的に有効だとみなし、これを利用した。しかし、独立を勝ち得、国家樹立となった時に、軍事力を忌避することは不可能だと判断した。なぜなら他の国家がみな軍事力を持っているからだ。ガンジーの愛弟子であり、新しい国家の元首となったネルーは、このシビアな認識からそう判断せざるを得なかった。

一方、ガンジーはこのような「普通の国家」になることを目指していなかった。彼のいう非暴力は、たんに道徳的な意味のみでなく、「武装する敵を追い出すぐらいの勢力となる戦略」としてあった。国家についてのシビアな認識を充分過ぎるくらい持ちながらも、なおかつ、彼は妥協せず非暴力に固執した。

ここで注意したいのは、理想主義者、聖人としての彼ではなく、政治思想家としてのガンジーを見るべきだという著者の視点である。政治思想家ガンジーには独自の憲法案があった、そしてその内容を吟味する中で、現在の我々が抱える問題に再検討を促そうというのが本書の試みである。

ガンジーの憲法案では、インドの70万の村はそれぞれ独立した共和国になる。それらをつなぐ上部組織はあるが、それは村に対してアドヴァイスはするが命令はできない。国の中央司令部がない構造であるがゆえに、軍隊を組織することは不可能である。

繰り返すが、ガンジーは、国家というものが本質的に暴力的な組織であることを厳しく認識していた。だからこそ国家とは違う政治形態を提案した。そしてこの「危険な」提案は、「普通の国家」を目指すインドの人々にとってタブーとなった。

著者は、ガンジーの憲法案と日本国憲法は相互補完的な関係にあるという。「ガンジーの案の中には、日本国憲法の九条ほど、明確で雄弁な戦争放棄の言葉は見つからない。彼の憲法には戦争『放棄』があるのではなく、その政治形態の構造自体から、戦争の可能性が最初から排除されている」。一方、日本国憲法では、警察制度、死刑制度など、正当な暴力が独占されている。

私は思う。戦争放棄、非暴力を訴えるならば、そもそも国家とは暴力的な組織であることを知らなければならない。その認識が欠けた平和論は空疎である。しかしながら「防衛のために軍隊を持つのだ」といって済ませているのは怠惰である。そこから出発し、「国家権力を溶かす異質の原理」を希求したガンジーのアイデアをさらに知りたい。

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紙の本

横に開き記憶を継承する

13人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

大手メディアでは、普天間「移設」問題が民主党政権の不安材料として連日報道されている。自民党政権時代には犯罪的なまでに等閑視された「沖縄問題」がクローズアップされること自体は、沖縄の人々にとってはもちろんのこと、国家の重要課題について目隠しされてきた哀れな日本国民にとっても歓迎すべきことだ・・・といいたいところだが、政権は変わっても変わらない官僚機構と大手メディアによるアメリカ従属路線の一大プロパガンダが展開されているのが実情であり、事実関係はもとより、もっともシンプルで重要なことがそこでは忌避され続けている。

その渦中で、一人の沖縄の近現代思想史研究者による、この10年間の論文をまとめた初の単著が静かに発行された。『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす 記憶をいかに継承するか』という本書のタイトルは、そのシンプルで重要なことを図らずも言い当てている。

普天間飛行場の「移設」ばかりがことの本質であるかのように報道され、それが実行されることがあたかも解決策なのだというような錯覚をそれらの報道は起こさせるが、ことの本質は第一に、生々しい「米軍占領」の歴史と現在なのである。二点目が、本土側に決定的に欠けている認識であるのだが、沖縄の人々にとって、現在の米軍占領が60年以上前の沖縄戦の記憶と、不可分に、じっとりと、突き刺さり続けながら結びついているということ。安全保障がどうだの、移設先がどこそこだの、直近の「地元」首長選挙の結果を云々する以前に、それらを共通のコードとしない議論は、本来議論たり得ない。

とはいえ、同時にこのタイトルは、これまで発行されてきた沖縄関連書籍のジャンル、すわなち平和教育がテーマのいささか教訓臭のするもの、あるいは基地問題を本土に向けて告発するもの、それらの焼き直しではないかという第一印象をも受ける。本書はそれらと一見して同ジャンルであるが、それらの限界を批判的に乗り越えようという隠された問題意識が基底にある。

その試行は「記憶をいかに継承するか」というサブタイトルに込められている。戦後世代として、つまり非体験者として、沖縄戦の記憶を〈当事者性〉を獲得しながらいかに継承していくかという。著者はこの難題に向う手立てとして独自の視点を挙げている。そしてこの視点に本土の人間としての私は驚く。

沖縄戦の継承といえば、当然それは沖縄の人々によってなされるべきである。当たり前過ぎる前提である。それは著者とて首肯しているが、続けてこうも書いている。

《と同時に、戦後世代が沖縄戦を考えるうえで大切なことの一つは、その世代への継承とともに、沖縄以外の戦後世代に対し非当事者の自覚をもって横に開き、体験者の教訓を多くの人びとに共有し分かち合って〈当事者性〉を獲得する努力を行っていくことが重要ではなかろうか。》

この視点は《沖縄出身者であるから沖縄戦を知っており、自分が常にその中心に位置しているとの感覚を常に疑う》という著者の倫理的な態度からきている。この峻厳な姿勢こそ、他の関連書籍を読むときの体験と異なる、絶えず遅延しながらも不意をつく新鮮さによって更新される、というような稀有な読書体験を与えてくれる。そしてその《横に開く》姿勢は本書を貫いている。その一例を挙げよう。

「6章 戦没者の追悼と“平和の礎”」では、メモリアルのあり方を問うている。平和の礎とは、沖縄戦終結五十周年を記念して本島南部の糸満市摩文仁にある平和祈念公園内に建てられた記念碑のことである。その刻銘碑は、沖縄戦で亡くなった戦没者を、敵・味方、国籍、軍人・民間人を問わず、すべて刻銘するという理念に基づいている。

その理念には「外来者を排除しない伝統的な平和思想」が沖縄にあると説明されている。具体的には「イチャリバチョーデー」(一度出逢ったら皆兄弟)「非武の文化」などがそうであろう。だが著者は、この「伝統的平和思想」を根拠にメモリアルが説明されることに疑問を持つ。

《沖縄の「伝統的平和思想」は、沖縄の人びとの本質的な特徴として昔からあるのではなく、歴史的に形成されたものだと考えるべきである。すなわち、沖縄の「伝統的平和思想」は、歴史的に形成され構築されたものにすぎないのだ。
(中略)
さらに、私の考えでは、それらの沖縄の「伝統的平和思想」は、ずっと昔からあるのではなく、むしろ戦後の難しい政治的状況に向き合うことによって、新たに「発見=創造(Invention)された言葉だと言えるように思う。つまり、基地問題をはじめとした沖縄の困難な状況下で沖縄住民の意思が問われたときに、あらためて沖縄の歴史や沖縄戦が語りなおされる過程で、それらの言葉が「発見」されたのである。」

前半でいっていることは、「平和」を語るのは沖縄だけの特権ではないのだという横への開き方である。日米政府による植民地的状況への抗議の声として相手の暴力性を批判するときに(批判がなされるべきこと自体は至極当然である)、翻って自分たちを「武器をもたない平和な民」だと規定してしまう「本質論」の危うさを著者は指摘している。その「本質論」が、「沖縄の人びとは平和な民なのだから、外来者を排除しないでしょ。たとえそれがあなたたちを死に至らしめた敵国の軍人であろうと、差別的に扱った日本軍であろうと」というお仕着せとして逆利用されることの危うさを。

そうではなく、もし仮に沖縄に平和思想なるものがあるならば、それは基地に占領された「戦後」の過酷な状況下で、それへの対抗手段として、その時々に発明されたり創造されたクリエイティブなものなのだと著者は説く。だからそれは固定的なものというより、絶えず更新され蘇生され続けるものである。著者の横への開き方に促されて、私は緊張しつつそう読んだ。

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紙の本

紙の本沖縄「戦後」ゼロ年

2005/10/10 10:03

全ての「日本人」は読め!

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

来沖する以前の東京時代、私は環境運動などを主に社会運動の活動に熱中していた。ヒトとモノが溢れかえるその場所で、さらに時代はインターネットによる情報のやり取りを必須化させる。その中には国家に管理・操作されていない真に必要な情報があり、パソコンに向かいながら正気を保ちつつ、物事をグローバルに考える修練を積む、という利点があったのは事実だろう。
だが、そこでも「沖縄」は抜け落ちていた。
私は直観した、グローバルな問題、アメリカ〜中国〜日本〜沖縄〜etc の坩堝、それが沖縄である。そしてまた、東京生活という「繁栄」の裏面の沖縄問題、それに向かわずして何の解決があろうかと。
〜「戦後六十年」があたかも憲法九条があったが故に戦争を免れ、 日本が平和を保てた六十年であった、とまとめられてしまうこと の問題があります。憲法九条をターゲットとして改憲の動きが強 まっていることに対して、憲法九条の意義や大切さを強調するた めに、この六十年を「平和」な時代であった、と護憲派が強調し たりする。
〜「戦後」日本の経済成長によって生活が向上し、それが多くの
日本人に「平和」を実感させたと思いますが、その足下に踏みつ
けられていたのは何だったのか。そのことを忘れて、あるいは意
識的に無視して「平和」な時代としての「戦後六十年」を語るこ
とは欺瞞に満ちています。「平和憲法」と「日米安保条約」を共
存させ、在日米軍の存在によって「国防」予算を抑え、経済成長
を優先させる。そのような戦後日本のあり方は、沖縄に在日米軍
基地(専用施設)の七五パーセントを集中させること、つまり日
米安保体制の負担と矛盾を沖縄に押しつけることによって可能と
なったのです。(13〜14ページ)
この沖縄の常識が相変わらず日本の常識とならないのは、「日本人」の無関心による。「日本人」が無関心なのは、国家による教育も含めた情報管理が第一要因だろう。真の情報を隠すことと別の情報を意図的に流すこと。これによって平和運動などに携わる「意識のある」人たちでさえ沖縄を足下に踏みつけていることに気づかない。知らないからといって済まされないこともあるのだ。
「青い海青い空」の観光消費イメージ、「ちゅらさん」「ナビーの恋」に代表される暖かくおおらか(テーゲー?)という紋切り型の人物造形によって捏造される「癒しの島」。この垂れ流しによってさらに真に「そこにあること」は隠蔽される。
ヤマトンチューが沖縄を消費していることに対して沖縄から批判の声が上がっている。勝手なイメージを作り上げブームに乗って移住してきて好きなところだけつまみ食い、基地問題など暗い現実には見向きもしない身勝手さにいい加減にしろ、といっている。
自分達が、沖縄大好き、沖縄ファンで、沖縄びいきで、積極的
に沖縄に親しもうとしていることを肯定的にだけ見るのではなく
して、それが一種の暴力性を持っているのだということを反省し
ていかなければ、軋轢は解消しないですよ。基本的に、お互い立
っているスタンスが違うんだ、ということをですね。その違いは
簡単に融和したり、乗り越えたりできないはずなんです。
(171ページ)
私がここ沖縄で日常生活に使う「標準語」は明らかに暴力装置として働いている。communication が discommunication を絶えず誘発しているという事実。そしてまた、仮に私が「ウチナーグチ講座」にでも通って、「ウチナーグチ」を完璧にマスターしたとして、それだけで私は認められるなどと期待してはいけない。「簡単に融和したり、乗り越えたりできない」のだから。その二律背反の中で、尚ここに立つことの理論と実践。それがこの書に対する答えとして「あえて」これから続けていくよすがである。

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紙の本

紙の本沖縄へ 歩く、訊く、創る

2010/11/22 12:55

東京の基地跡地から普天間返還後を想像する

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は2010年4月25日に読谷村で開催された「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し国外・海外移設を求める県民大会」に参加した著者が、そこに集まった沖縄県民のただならぬ言葉「沖縄差別」「沖縄の屈辱」を受け留め、ヤマトーンチュとして「とっても、辛く、切なく、そして厳しい言葉だ」としぼり出すように言葉を吐くところから始まる。既に30年近く沖縄へ通い続けている著者としては、沖縄の尋常でない怒りがもっともだと思う。しかし大多数の日本国民はその怒りの迸りを恐らく理解できないだろうこともまた、著者には想像できる。だからこそ、そのような日本人に向けて沖縄への理解を求めようという動機から本書は生まれたのだ、と私は推測する。

「歩く、訊く、創る」とある通り、著者は激動の2010年の沖縄を歩き回り、大田昌秀元沖縄県知事、山内徳信参議院議員、伊波洋一元宜野湾市長など革新系の要人、あるいはジャーナリスト精神を失わない琉球朝日放送のキャスター、あるいは市井のシマンチュへ話を訊きまわる。これらはみな、日本人に向けて沖縄理解の手助けになるだろう。

しかし沖縄在住の私にとって、それらよりもむしろ「第1章 沖縄を思う」の、著者が住む東京府中市近辺の散策から始まる冒頭が印象的だ。この周辺はかつて「関東村」と呼ばれ、広大なアメリカ軍基地があった地域であり、その規模は調布市、三鷹市と三市にまたがる。現在の「東京都調布飛行場」は太平洋戦争中、旧日本軍の「帝都防衛拠点」であった。その西側には1964年の東京オリンピックを機に代々木にあった米軍将校用居住地が移転される。フェンスに囲まれた豊かなアメリカという沖縄では既視の風景が、かつて東京多摩地区にも存在したのだ。

関東村は1973年全面的に日本へ返還される。その後の基地跡地利用計画により、現在では武蔵野の森公園、多数の少年野球場にサッカー場、味の素スタジアム、東京外語大学、警察大学校、榊原記念病院、高齢者介護・養護施設、障碍者施設、養護学校などが立ち並ぶ。著者はこれら整備された憩いの街並みを散歩しつつ、「沖縄がこうなっていけないわけがない」とつぶやき、返還後の普天間飛行場跡地を想像する。「第6章 沖縄に創る」で提示される「沖縄医療特区構想」なるオリジナルアイデアも、この散策から生まれたものかとの推測が成り立つ。

この描写は、基地返還跡地といえば北谷町美浜や那覇新都心などの商業地域をまずは連想してしまう沖縄の人々にとって示唆的である。散歩する沖縄、新型路面電車がスローに通り過ぎる沖縄、高齢者や子どもにやさしい街並みなどを自由に連想してみる。将来の沖縄をデザインするヒントがここにあるような気がする。


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紙の本

可能なる電波のコミュニズム

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

特集「ラテンアメリカの地殻変動」所収論文「政党化するマスメディア ベネズエラRCTV問題をめぐって」廣瀬純著は、反グローバリズムに沸き立つベネズエラ・チャベス政権の、その進行形の「革命」プロセスにおいて、メディアと政治の切り離せない特異な関係の真相を分かりやすく分析している。欧米のメジャーメディアを通してほとんどの情報を浴びているわれわれの「常識」を、それは見事に覆してくれる。

ベネズエラの民放テレビ局RCTVの電波使用許可更新をチャベス政権から認められず、2007年5月27日に放送を打ち切られたというニュース。これに対し日本を含め欧米のメディア、さらにアムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチなどの人権団体までも、チャベス政権による強権的な口封じであると批判した。

この批判に著者は疑問を呈する。ベネズエラでは日本同様放送電波は国有資源でありRCTVの私物ではなく、政府の措置は合法的であるという前提をおさえ、市場原理が取り入れられることにより電波の私有化=民営化(privatization)が引き起こされる危険性があるのではと説く。それよりも我々が向かうべきは、「電波の私有化=民営化ではなく、むしろ電波のコモン化、すなわち、電波のコミュニズムである」と。

チャベス政権がRCTVの代わりに開局した国営テレビ局「TVes」の基本理念はこうだ。「この新たなチャンネルにおいては、周波数の持ち主は、放送コンテンツの持ち主ではありません。そうではなく、独立プロダクションの開かれた参加こそがそこにはあるのであり、そのことによって〈論調の一本化〉をなくすことが目指されることになります」。

これに先立つ2004年12月に成立したチャベス政権による法律「テレビ及びラジオにおける社会的責任に関する法律」に対し、反チャベス派マスメディアは、「表現の自由」を侵害するものだとして強硬に反対していた。大資本企業やトランスナショナル企業による放送電波の独占を規制したことに対して突きつけられる「表現の自由」という「奇妙な」理由に著者は注目する。この言葉の裏にはネオリベラル体制における「自由」、つまり、各自の購買力に応じてその幅が規定される「自由」という意味があると指摘する。この主張によると、「あくまでも各人に平等に保障された『チャンス』に基づくかたちで購買力を高めたもの(マスメディア)が、その購買力に応じた『表現の自由』を享受し得るのは、当然のこと」となってしまう。

しかし反チャベス派が強硬に「表現の自由」を要求する理由は別にある。それは一言で言えばマスメディアの「政党化」という問題だ。チャベス政権の「ボリーバル革命」によって、国内の政治経済エリートたちは、それまで自分たちの権益を代表してきた既存政党がもはや民衆から支持を受けられないことを察知し、それならばと、選挙による議席獲得を経ること無しに自分たちの力を行使できる場所として、新たにメディア空間を見出したのだ。

マスメディアの「政党化」の何が問題かといえば「実際には、ベネズエラ住民のごく少数(政治経済エリートたち)の声を代表しているだけなのに、それが「マス」すなわち「みんな」の声であるかのように表象されることだ。

チャベス政権による「ボリーバル革命」の基本構造を著者はこう述べる。「自律的な諸組織(ここでは国内独立プロダクション)の多用かつ自由な活動を積極的に促しつつ、その脱コード的な流れを超コード化することによってそっくりそのまま『ボリーバル革命プロセス』の推進力として包摂するという構造である」。

「脱コード的な流れを超コード化する」とはどういう意味だろう?脱コード的な流れに対し、それらをコード化=規範化するのではなく、並列させるというようなイメージだろうか? 包摂するということであれば、かつての管理型社会主義国家システムと同じ帰結に至るのではという疑問が生まれる。超コード化するとはそれとどのような違いがあるのだろうか?この重要なポイントが残念ながら私には今ひとつ理解できない。同著者の『闘争の最小回路ーー南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン』人文書院 (2006年)を俄然読みたくなった。

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紙の本

『オーマイニュースの挑戦』を読む

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

保守的な韓国マスコミ界に敢然と挑戦状を叩きつけたインターネット新聞代表による教養と熱情と起承転結に満ちた物語。
もともとインターネット音痴だったという著者は、市民みんなが記者になってインターネット新聞を影響力のあるものにすれば、歪んだ韓国のマスコミを変えられると決意する。それは月刊「マル」記者時代に経験した排他的、圧制的なメジャー新聞マスコミからの差別という苦い思い出からも動機付けられた。「市民記者」とは、「職業的な記者ではないが、自分の生活空間で発生するニュースを、既存の保守的マスコミの視点ではなく自分自身の目線で記事を書く」者のことをいう。オーマイニュースには2004年6月現在、約3万2千人が登録し、1日に約200本の記事、そのうち約150本が市民記者の手によって書かれるという。
その批判精神の核心は、ニュースの「標準化」を覆すこと。「紙新聞」には、何時までに何枚の記事を書かねばならないという時空間的制約がある。この要求に対応できるプロの書き手が必要とされる。その中で「このように書かねばならない」という標準化したルールが生まれる。その故に書くのはプロ記者、読者は記事を読むだけという閉ざされた関係が生じる。それに対してインターネット新聞は、無限大の空間に書きたい時に書きたいだけ書くことができ、市民だれでも参加できる。さらに記者と読者お互いを同等の主体と認める双方向性が生まれ、新聞の投稿欄と比べると「レベルの高い」双方向性を生じさせる。
2002年の大統領選における盧武鉉候補の劇的な逆転劇の背景にあったといわれるオーマイニュースの「ニュースゲリラ」たち。彼らの熱い支持がなければ、その成功も成り立たなかっただろう。著者自身が挙げる急成長の5つの背景の1つにもあるが、若者の政治への興味が高いことが他国に類を見ないほどであるという点。浅野健一氏の解説でも指摘されているが、この点が日本のインターネット新聞が伸び悩む一番の要因ではないだろうか。政治的に進歩的な人々をターゲットにできるか否かが。あるいは潜在的な彼ら・彼女らを有機的に発酵させ、繋ぎ合わせるメディアの創出が先か。

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紙の本

複雑な沖縄の基地問題を分かり易く描いた大人の絵本

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私が好きな写真はこれだ。老婆の家を訪れた3人の女たち。部屋の照明に照らされているのは、中央の障子戸(ちょうど手でつかみ易い位置の障子が破れている)、椅子に腰掛け膝に置いた紙になにやら書き込んでいる左側老婆の白髪、膝元の紙、老婆の背後の壁に張られたポスター。それと対照的に障子戸の右側には、老婆の作業を覗き込む3人のおんなたち。その背後は夜の闇に包まれている。
これは沖縄県米軍普天間飛行場の移設先辺野古への海上ヘリポート計画について、賛否を問う市民投票を実現するための署名活動の一瞬を捉えたものだ。そこには90歳を超えた老婆への女たちの畏敬の念、思いやり、親しみ、申し訳ない思い、不安など、ひとつでない感情の襞が窺える。
一方基地問題についてわれわれが日頃目にする光景とは、フェンスの向こうへ拳を突き立てシュプレヒコールをあげる男たちの憤怒に満ちた顔であり、マイクを向けられ基地占拠の不当性を訴える運動リーダーの顔であり、苦渋の選択を述べる苦虫を噛み潰した県知事の顔であり、冷静にコメントする中央政府の担当政治家の顔だったりする。
「大人の絵本」を目指して作られた本書は、浦島悦子によって意識的に綴られた平易な、そして肌理の細かい文章と、石川真生のザラザラヒリヒリ、しかしとてつもなく優しい写真のコラボレーションによって、沖縄の複雑な基地問題を分かり易く伝えることに成功している。基地問題の専門書というより、人間賛歌でありブルースに似ている。

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紙の本

紙の本暴力の哲学

2006/05/28 12:30

抵抗運動のための実用書

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

9・11以降、日本では新しい平和運動のスタイルが生まれた。それは主にインターネットを介して、様々な団体はもとより、組織、階層による束縛のない個人同士の間においても、自然発生的に瞬時に沸き起こったフレキシブルなアクションであった。それまで特定の利害に対するリアクションとしての特定の団体の抗議行動がその主流であったものが、それらに属さないような個人が、「平和」という普遍的なテーマの下に「発見」されていったのが特徴だ。その勢いの中でデモ行進は「ピースウォーク」と呼ばれ、権力への敵対意識丸出しの従来のスタイルは忌避された。ここで掲げられた「テロにも戦争にも反対」という「圧倒的に正しいスローガン」に対して、著者は割り切れない思いが拭えない。そういった極めてアクチュアルな問題意識から本書は書かれている。
暴力を哲学するとは、暴力を批判すること。この「批判」とは、暴力を拒絶することではなく、「(暴力の廃絶という理念に立脚しながらも)暴力そのもののなかに線を引く」ということだ。つまり暴力という言葉の使われ方に対して疑義を質し、吟味した上で、先の理念に近づこうという真摯な意志によって貫かれている。
その中で重要なキーワードが「非暴力直接行動」。キング牧師やガンディーによるそれは、日本の「ピースウォーク」のように警察権力とも仲良くする「ピースフル」なものとは相容れないものだと著者は指摘する。座り込みやデモ行進などの「非暴力直接行動のねらいは、話し合いを絶えず拒んできた地域社会に、どうでも争点と対決せざるをえないような危機感と緊張をつくりだそうとするものです」(キング)。つまり交渉の場に持っていくための巧みな戦術として必要なのだ。
キングの「危機感と緊張をつくりだす」という挑発的な言葉を、著者は「敵対性」という概念を挿入し、さらに吟味を加える。現在の日本の風潮では、「なにかあるシステムに対して『波風を立てる』こと自体が、ほとんど犯罪のように、しばしば『テロ』とみなされる傾向」がある。徹底して敵対性が回避された「市民社会」!政治への無関心!
一方で「戦争中毒」国家によるグローバルな再編に合わせた形で、この国の暴力は各種最悪法案の提出等が露出過多の状況にある。一方で「暴力はいけません」という「正し過ぎる」スローガンが叫ばれる。だがその漠然とした「正しい」モラルがかえって暴力に対する無感覚を肥大化する恐れがあるのではないか、と著者は危惧する。「敵対性と暴力を分けなければ、結局、暴力に直面しても聖人のようにふるまえ、という単なるモラル論、あるいは宗教論に帰着してしまうおそれがある。非暴力直接行動とは、より大衆の力を強化するために、要するに、よりラディカルにやりたいために暴力を控えることなのです。」
以上のことは、私が生活する「基地の島」沖縄での状況と照らし合わせると興味深い符号が見て取れる。労組、各種団体による抵抗の声。総決起集会、捻りハチマキ、たて看板、横断幕、シュプレヒコール、突き上げられた拳・・・。これら従来型の抵抗運動に対して、そこへ入ってはいけないが基地反対への思いを表現したい個人の声を掬い取る新しい運動の形も生まれつつある。一方で、一坪反戦地主・阿波根昌鴻の「伊江島の闘い」、現在の辺野古への普天間基地移設への反対運動に見られる、敵対する相手を招き、お茶を出すところから始める非暴力直接行動の継承がある(酒井氏はキングの説を柔術に例えているが、伊江島も辺野古もまさに柔術的ではないか!)。それらの敵対性を敵対性として認め、今後の運動の理論と実践を鍛える実用書として、本書の出現は大きい。

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紙の本沖縄戦が問うもの

2010/11/15 10:41

なぜわれわれは戦争をするのか

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書を書くにあたり考えたこととして、著者はあとがきで次のように書いている。第一に、沖縄戦をこれから学ぼうとする人たちに読んでもらえること、第二に、沖縄戦についてよく知っている人が読んでもおもしろい本にすること、第三に、沖縄にいないからこそ書けるものにしたい。そしてその後に「第一と第二の点を両立させるのはなかなか難しい」と吐露している。それはどんな内容であれいえることであろうが、特に沖縄戦に関しては難しいだろう。そこに沖縄と日本の対立構造が含まれるからだ。そのような困難を抱えつつも、結論から先にいうと、本書はそれを見事に克服している。

第一の目的は、本書の構成に現れている。第1章「沖縄戦への道」から第5章「戦後の出発」まで時系列に章立てし、あたかも戦争文学をじっくりと堪能するように読むことが可能であり、しかも調査に裏づけされたデータと図版により事実関係を逐次確認することができる。

第二の目的は、章ごとに加えられた「検証」という長いコラムによって達成されている。例えば「検証4 変化する日本軍」では、日本陸軍兵の総数が、1937年の93万人から1945年の595万人と急激に増えたというデータが紹介される。その人数増加の内実は、当初は徴兵検査で優秀な結果を出した者が選ばれていたが、戦争が長引く後半に至っては、身体が小さかったり弱い者も召集されるようになったということであった。太平洋戦争末期の沖縄戦には、まさにこの状況が持ち込まれた。きちんとした軍事訓練を受けず、すでに社会生活を営んでいた30代、40代の兵士などが根こそぎ召集された。彼らの場合、若いときから徹底した軍国教育を受けたわけでもなく、社会の裏も表も分かる。そのような者たちに、お国のために死ぬ思想を植えつけることはそれほど容易ではない。だからこそ、日本軍は彼らに対し、脅しと暴力で統制を図ろうとした。日本軍の「沖縄差別」にもこうした背景があることを教えてくれる。

この事例は第三の目的をも適えている。つまり、沖縄人として沖縄戦を書くとき、「沖縄差別」を被った民族としての「感情」から書くことを余儀なくされるがゆえ、その背景を俯瞰的に見る姿勢をともすると見失いがちになることがあるかもしれない。それを補うものとして、自らの役割を認識する著者は、例えば戦争を煽るメディアの問題など別の視点を導入している。とりわけ第1章「沖縄戦への道」では、沖縄戦「前」のアジア状勢の過程で、沖縄に対し皇民化教育を徹底させていく日本軍の様態に紙数を費やしている。戦争はドンパチを始めるのがその始まりではなく、その前段階から既に始まっているのだとすれば、この「至る道」の詳細は必定である。

本書を貫いている倫理として、著者は沖縄戦を検証することで、「なぜわれわれは戦争をするのか」を徹底的に問ういている。だからこそ、日本軍が狂気に至るピークと化した沖縄戦を、沖縄への過酷な差別を洗いざらい晒す。


戦争が人々を死に追いやったという言い方は間違いではないが、きわめて不正確である。戦争という抽象的なものではなく、日本国家と軍が、一人ひとりにとってはそこにいた軍人や大人たちが、一人ひとりを死に追いやった。一人ひとりを救ったのも、同じように具体的な個人だった。 (中略) 外で砲爆撃で死んだのであれば、なぜガマの中で隠れていることができなかったのか、なぜ砲爆撃を受けないような民間人のための安全地帯が設定されていなかったのか、ガマの中にいて米軍の攻撃で死んだのであれば、なぜ米軍の呼びかけに応じてガマから出なかったのか、という疑問を問いかけなければいけない。
(「第6章 なぜこれほどまでに犠牲が生まれたのか」)


それらの疑問を封じ、原因と責任を追及しないことが今日の日本の問題であると著者はいう。

最後に一言。沖縄にいないからこそ書ける俯瞰的な位置と評したが、著者はその位置から離れないわけではない。いやむしろ、その発話は沖縄を差別し続けている日本というポジションから絶えず投げかけられている。さらに、歴史認識はいま現在をどう見るのかと不可分であるとの立場から、沖縄戦から米軍基地問題を批判する。クールな文体に熱い血潮が沸騰している。

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理想と現実が手を結ぶ

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

喜納昌吉の存在は私にとって常に曖昧であった。そのライブパフォーマンスに煽られ馴れないカチャーシーを踊る無邪気な「日本人」のように、彼を自明のパフォーマーとして決して見ることができないのみならず、それは積極的にではなくかなり消極的に見ることしかできないこともまた認めざるを得ない。

しかし、本書を一読し、その曖昧さを彼の両義性として捉えることができた。まずは、保守と革新が明快に二分する沖縄の政治状況からして、彼は両義的である。「すべての武器を楽器に」と謳いあげグローバルな平和主義者であるとみなされている彼が、革新政党からではなく、どちらかといえば反対の側にあり、しかも2004年、当時としては特に県内において微弱で存在感の薄い民主党という政党から政治家としてデビューした経緯からしてそうであるが、その両義性は沖縄にとって歴史の結節点となるであろう2010年現在まで彼につきまとう。「普天間問題」での民主党本部との「ねじれ」現象に立つ時の県連代表としてのスタンスも、その曖昧さゆえに革新側からも疑問の声が漏れたが、それも無理はない。その結果、先の参院選で落選したことは記憶に新しい。

だが、その曖昧さは彼の捨て身の戦略だったことがわかる。市民運動から議員に転じるきっかけを問われた彼はこう答えている。

《いわば現実のポリティクスのなかで、天と地が分離しているわけです。ガン細胞がなかにいるんです。ガン細胞をなくすためにはガン細胞のなかに入っていかなくちゃいけない。だから、もともとアウトサイダーだった私が、インサイダーになっていくんです。しかし、アウトサイダーの魂のまま、インサイダー化していくんですね。》(『沖縄の自己決定権』)

それが考え抜かれた戦略であったのみならず、ここで読みとりたいのは、喜納昌吉がガン細胞=国家をみていることだ。国家の頑強さを認めたうえで、それに対抗するために「アウトサイダー」を括弧に入れ、あえてインサイダーになる。その認識は、権力の中枢に入ればミイラ取りがミイラになるといった俗諺を冷徹に拒んでいる。ミイラになる者は、そもそも国家=ガン細胞をみていない。

さらに本書では、天と地、インサイドとアウトサイド、政治家と音楽家、東洋と西洋などの二元論が語られる。喜納はよほど二元論が気になるらしい。それらを溶解させたい欲求さえ感じる。その究極が、《理想のない現実というのは砂漠です。それから現実のない理想というのは墓場なんです。理想と現実が手を結べるような概念革命があるはずなんですよ。》(『沖縄の自己決定権』)との言い切りである。

恐らくその実際例として、もし基地が残るならという前提で、沖縄の基地を国連軍のものとして運営することを彼は提案している。この突拍子もない不意打ちに、保守も革新もおざなりな苦笑いを浮かべるしかないだろう。しかし、ここでも注目すべきは、そのことが軍事力の無力化に結果するという視点である。ここには国連軍=国家の揚棄という極めて実践的な政治思想があることに驚くべきではないか。

思えば、菅民主党とは気の毒な政権である。なぜかといえば、理想(鳩山)と現実(小沢)の狭間に位置することで、あまりにもその存在が耐えられない軽さとして現象せざるをえないからだ。喜納に対し「沖縄は独立したほうがよい」と冗談めかしに発したという本書のエピソード自体が、耐えられない軽さを露呈する事態以外のなにものでもない。その浮遊した政治の中枢で、両義的で魂を売らない喜納昌吉は、そのときどう動くのか?






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紙の本パレスチナとは何か

2006/05/19 10:09

『パレスチナとは何か』を沖縄で読む「私」とは何か

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『パレスチナとは何か』は80年代半ばに発表された、彼もまたエグザイルであるジャン・モアによる写真との「共犯」ワークだ。その共犯とは、パレスチナ人=テロリストというような安易なイメージを否定することを目的とする。その手段として、流浪の民にふさわしい「本質的に型破りで雑種的で断片的な表現形式」、つまり文章と写真の相互作用を通して、分散したパレスチナ人のナショナル・アイデンティティーを極めて私的に描く、という方法が選ばれたわけだ。
ジャン・モアの写真が表象するものから、サイードは自らのパレスチナ人としてのインサイダーであると同時にアウトサイダーであるという宙吊り状態を表象=レプリゼントされ、そこから書くことを進める。そして読者は、写真からのテキストの生起ぶりを生々しく疑似体験してしまう。
この混沌ぶりが本書のひとつの魅力であろうが、そもそもエグザイルとしてのサイードにとって、写真の情景と自分の実生活とには隔たりがある。しかし同時に、遠く離れていても写真は容易にその情景を伝えることができる。例えばT字路で食べ物屋台を出している男と、自転車に乗る少年たちの後姿が写しだされた日常的な街路の写真に触れ、「彼らが売るものを買う時、私たちは、かつてと同じように、ポケットの中をこそこそとまさぐって見つけた小銭(通貨の単位は何だったろう、ピアストルか、フィルスか、はたまたシリングだったかで支払う。」というように、生き生きとして具体的な描写がなされるのだが、その記憶を生起するや否や、今、ここにいない自らの宙吊り状態を発見してしまうのだ。
イスラエル建国後も尚その地に留まり、壁の中で生活する人々。サイードのようにそのアウトサイドにいる人々。どちらもパレスチナ人と呼ばれる。ここから民族とは何だろうか?という問いかけが生まれる。主体である「私」は生まれも育ちも生粋であり、そこで何の疑いも無く生活し続ける。客体である「それ」や「あなた」は外部にあり、威嚇的かつ異質なまま存在し続ける。これらが民族的同一性、排外主義的偏見を表現するものとなる。しかし、パレスチナ人の場合、己れ自身のアイデンティティーは、しばしば「他者」として知覚されるとサイードは指摘する。もちろんそれは、イスラエル「内」に留まろうが、サイードのように「外」に出ようが故郷喪失していることに変わりはないが故のこと。
沖縄のアカデミズムの中でサイードを読んでいない者を探すのには苦労することだろう。私が『オリエンタリズム』を読んだのは来沖前の、もう何年前のことだろうか?とにかくサイードを読むのはそれ以来になる。
ところで、この息苦しさを読む「ヤマトンチューとしての私」は、果たして「主体的で」安全な場所にいることを赦されるだろうか?自らを「自己」として認識するだけで済まされる「私」の居場所はそんなに自律的だろうか?少なくともこの書を最後まで読み通した時、そんな安全地帯はもう無い、といってよい。そこからようやく沖縄でサイードを読むという「出来事」が始まるのだ。

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死者は語らないが・・・

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は遺骨収集ボランティア団体「カマフヤー」代表の具志堅隆松氏の働きかけにより、市民・行政をあげて実現した那覇市真嘉比(大道森)での遺骨発掘作業を中心とするフォト・ドキュメントである。撮影したのが、沖縄戦の体験者の語りを標準語ではなく地元の言葉で語ることの身体性を映像で記録した「シマクトゥバで語る戦世」の比嘉豊光であったことから、それと対峙する者に不可避的に突きつけられる驚きと戸惑いの、言葉の真の意味でドキュメントとなっている。つまり、あなたが本書を書店などで手にし頁をめくるその瞬間こそドキュメントなのだ。

驚きと戸惑いの本質は、骨というモノ(物質性)に対峙するときの人間の理性・想像力・観念・記憶・情念らが攪拌されることによって生じる。まず始めに、これらの骨は単なるモノから死者へと変わる。「死者は語らない」ことに直面した生者は、始めに沈黙し、次に発話しないことがなにか居心地の悪いことであるかのように言葉を吐き出す。沖縄戦を継承する者であれば、主にその記憶と記録を頼りに、それ以外の者は、ひたすら死と生という普遍性を言語化しようと努め。

沖縄戦を継承する者にとって、それが日本兵であることはその遠くない歴史的記憶と記録が喚起される。それは「米兵より友軍(日本兵)の方が恐ろしかった」という体験談が示すように、日本軍の沖縄住民に対する植民地主義的差別からもたらされる様々な暴力の行使がなされたからに他ならない。さらにその差別は、現在まで続く米軍基地占領を沖縄に押しつける日本人のあり方と直接つながり、たんに過ぎ去った過去の出来事では済まされないことを、否が応でも感知してしまうからだ。

仲里効は、遺骨がないために浜でひろった珊瑚のかけらを弔うエピソードを目取真俊の小説『群蝶の木』から引用した後に、《・・・しかし、住民を追い出し死に至らしめたことや、スパイの嫌疑をかけ虐殺した行為が不問にふされてよいわけではない。ガマの闇のなかや堅牢な古墓のなかの日本兵の骨たちは、そこを追い出され、粉砕された沖縄住民の不在の骨、珊瑚の欠片と等価なわけではない。》と糾弾する(「珊瑚のカケラをして糾しめよ」)。

これに対する応答というべきか否か、恐らく現場に足を運んだわけではなく、ひたすら比嘉の写真を凝視することによって書かれたであろう小森陽一の語り。《あなたが見せている、幾重にも刻まれた襞の中の闇に向って、私は語りかけたい。「国体」を護持するために、「本土決戦」を引き延ばす「捨石」にされた沖縄戦。その最後の激戦であなたは死んだ。あなたは六十五年間地下の闇の中に居た。そのあなたを土地の中から掘り出し、人間として弔ったのは、沖縄戦で生き残った住民の、その命をつないだ人々だったということを。あなたたち日本兵より、沖縄の住民ははるかに多くの犠牲者を出したのだ。》(「無数の罅割れと襞に向かって」)。

小森が日本近代文学の研究者、とりわけその構造と語りを我々の前に切り開いた者であることを思い起こせば、この語りは入念に読み返されるべきであろう。二人称《あなた》と一人称《私》を包摂しうる日本語という制度は、《幾重にも刻まれた襞の中の闇》で同居する。同時にそこでは「国体」「本土決戦」などの固有名詞が異物のように響く。この想像された場所が、近代そのものの装置なのか、あるいはそれを越える、どこにもない場所なのか。

ここから話の流れを変えるが、私はといえば、固有の戸惑い方をしている。それは私自身が真嘉比・浦添市前田の遺骨収集現場を訪れ具志堅氏の説明を受けたときから(2009年10月)、佐喜真美術館で開催された比嘉豊光写真展ならびに関連シンポジウム「骨からの戦世-65年目の沖縄戦」を訪れた折(2010年8月)にも感じた戸惑い方であった。

その戸惑いの元は、私が当時従事していた仕事――埋蔵文化財調査員――にある。つまり、その現場は遺骨収集現場と似通っている。土を掘り、丹念にモノを検出し、記録に収めるという作業においても似ている。しかるに美術館に展示された比嘉豊光の写真に私は戸惑った。それらの写真と埋蔵文化財調査の記録写真との相似性と異質性に。埋蔵文化財調査員の経験として、戦死者の骨を出土した経験こそないが、人骨の出土はそれほど珍しくない。つまり物質性や作業レベルの身体性は似ている。

それでは異質性はどうか。むろん、写真家比嘉豊光の捉えた写真は、構図やら現像やらが違うことはいうまでもない。それらによって、たんなる記録写真ではなく作品として提示されることのひとまずの正当性は理解できているつもりだ。

一方、埋蔵文化財調査全般において、仲里がいうように「珊瑚のカケラをして糾しめよ」というような歴史的記憶にもとづいた情念は発露しない。というより、それらが仮にあるとして、それらを一時的に括弧に入れる。それにより理性的な作業ができる、それが職業意識としてなされると理解しつつ。それはちょうど、外科医がオペの後に血が滴るビーフステーキを頬張ることを鍛錬によって可能とする、その括弧入れと似ている。

つまり、私は遺骨収集現場や美術館においては、埋蔵文化財調査員としての職業倫理の括弧を外すべきであったのだが、それが必ずしもうまくいかなかった。それによって、眼前の「骨の戦世」にピントを合わせることができなかったのだ。だとすれば、今やその仕事を辞め、改めて本書を手にしている私は「骨の戦世」にどう対峙しうるのか?

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紙の本要石:沖縄と憲法9条

2011/01/03 14:21

積極的平和はあり得るか

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「最低でも県外・国外へ」と公約に掲げて誕生した鳩山民主党政権による在沖米軍基地の普天間「移設」問題が昨年来「迷走」を続け、今年5月の日米合意による辺野古回帰に帰着した経緯は記憶に新しいだろう(ことを願う)。その間、沖縄では、基地に反対する立場の人たちに、大きく分けて2つの態度が存在した。「他の場所へ移設しても平和的な解決にはならない。基地は無条件に撤去すべき」という意見と、民主党の公約同様「県外あるいは国外へ移設すべき」という意見と。両者とも沖縄から「世界で最も危険な」普天間基地(海兵隊)をなくすことでは共通している(普天間基地がなくなっても在沖米軍基地の大部分は残ることを忘れてはならない)。これらの立場は政治的にいうと革新系に当て嵌まる。これに対し、経済振興と見返りに基地を容認する立場を保守系という。

やがて11月の県知事選を迎え、この政治的状況に変化が訪れた。それまで容認の態度をとり続けてきた保守系で現職の仲井真弘多氏が「県外移設」に舵を切り、結果県民多数の支持を得、「県内反対」を訴える「革新系のエース」といわれた元宜野湾市長の伊波洋一氏を破り再選を果たした。選挙戦を通し、仲井真氏の主張には際立って目立つ新しい主張があった。それは「沖縄の基地負担は重過ぎる。日米安保条約を重視し、享受するならば、米軍基地を日本全体で公平に負担すべきだ」という容認派らしからぬ発言であった。それは同時に、「日本人」(沖縄以外のという意味でここでは使う)にとって、できれば見てみぬ振りをしたい刀の先であろう。

本書は、いわば、保守系のリーダーが本音かどうかはともかくそこまでいわざるを得ないまでに変化した沖縄の状況(というか実は日本の状況なのだが)を理論的に同時に感情的に知る上でも絶好の書である。ここでは、括弧で閉じた(日本の状況である)ということに特に留意して読んでいただきたいのだが。

著者によれば、これら2つの態度の前者が反戦平和の原理、後者が、そして変化した仲井真知事が不平等を訴える、もっとあからさまにいえば植民地的差別をはっきりと指摘する原理である。沖縄ではつい最近まで後者をいうことはタブーであった。しかし、今はそのことをはっきりいう人が増えてきたことに著者は注目する(その後の経緯としては、増えてきたどころがそのことを主張する県知事を誕生させた!)。

そのこと、つまり日本人の沖縄差別が計らずも顕わになる意外な瞬間が、日米安保条約を問題視しない護憲論者の態度にこそあることを著者はこれまで指摘し続けている。その「平和を愛する」人たちにとって、憲法九条を守ることと、日米安保条約でアメリカから軍事的に守られていることを容認することは矛盾しないらしい。つまり、沖縄に基地を押しつけていることには目を逸らすか、せいぜい「かわいそうだ」といって一時的に同情するかしかない都合のいい護憲論。

以上のことを指摘するに留まらない政治的理論書としての本書の魅力は、前半の「積極的平和?」で簡潔に示されている。平和学者によって定義される「消極的平和」とは、平和は戦争によってつくられ、軍隊、警察その他の国家権力によって保護される社会状態を指す。一方「積極的平和」は、紛争の原因となっている経済的不正、搾取、あらゆる差別、軍国主義的民族主義が消え、暴力(戦争)が存在しない状態と定義される。前者は非戦状態が例外的に存在し、後者は当たり前に存在する。あるいは、前者は性悪説、後者が性善説に基づくと言い換えれば分かり易いかもしれない。

著者は「消極的平和」を理論づけるホッブスの社会契約説、つまり「正当な暴力の独占」を国家に譲渡することで平和を得る「契約」に説得力があると認めつつもこう述べる。

《逆に、軍隊を完全に廃止するのは、ほとんど難しいことだと思う読者がいるだろう。私もそのひとりである。そこで、この論文において、軍隊とは一体何なのかを改めて検討することによって、「積極的平和」を作る仕事=軍隊をなくす仕事、をもう少し想像可能なものにしたいと思う。》

つまり、軍隊(暴力)がない理想の状態を実現することは口で言うのは簡単だが、実現することは決して容易ではない。まずそれを認めようという。しかし、(ここからが大事なのだが)そこであきらめるのではなく、「軍隊をなくす仕事」という実践を想像することはできるのではないかとギリギリのところで留まる。

冒頭の沖縄の政治状況に照らせば、「基地は無条件に撤去すべき」という意見と、「県外あるいは国外へ移設すべき」という意見において、著者は県外へ、つまりヤマトゥへ移設するのが植民地的差別への抵抗から「常識的な」考え方だと指摘している。しかしながら同時に、理論(理念)としては「軍隊をなくす仕事」は想像可能だという。

著者において、沖縄とヤマトゥをめぐる二項対立は容易に解消されるべきでない歴史的現実がある。それに対する沖縄からの抵抗的アクション、つまり米軍基地は県外へという政治的選択は当然であるとみなす。他方で、軍隊をなくすことは絶望的に難しいが、それを想像することは可能だ(よって実現も夢ではない)という理念は持つべきである。いわば前者は現実的・漸進的運動であり、後者は高く掲げられた理念である。

しかしながら、ここで勘違いしてはならないことは、前者と後者は議論の混乱を防ぐためにいったん切り離されて捉えられているが、実は矛盾するものではないということだ。この両義性を顕在化させることは重要である。

私見では、著者の主張「軍隊とは一体何なのかを改めて検討する」ためには、そもそも軍隊(暴力)を独占する国家とは何かを認識することが必須である。それを考察する上で、沖縄は両義的な場所である。「県外だ」「国外だ」「撤去だ」と愚鈍な選択を迫られる「現実」があり、そのことで理論的考察は日常的に妨害されざるを得ない。同時に、これもまた「日常的に」国家の暴力が顕わにされる例外的な場所として沖縄はあり、国家とはなにかを不断に問い続け、よってそこからのオルタナティブを試行することもまた可能であり、その意味ではまたとない場所だから。

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再定住の思想を要請する沖縄のアクチュアルな今

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「記憶の声・未来への眼」(1995~2006)に収められた偶感(十六)は、アメリカのエコロジー活動家、詩人であるゲーリー・スナイダーと、屋久島在住の詩人である故山尾三省の対談集『聖なる地球のつどいかな』山と渓谷社(1998年)で語られている「再定住」の思想に触発されて書かれている。近現代沖縄文学研究者であり沖縄の住民運動に関わり続けた著者とアメリカのエコロジー思想とは意外な組み合わせな気がした。

「再定住」とは、根無し草的な生き方(かつての共同体のように言葉も人種も同じであることが当たり前の生活に対し、それぞれが同じ根ではありえないような生き方)の現代文明において、ひとつの場所に定住し、その場所の環境・生物・土壌・気候などを知り尽くし、生態系に対する人間の責任を確認しながら生きることをいう。スナイダー自身の言葉を加えれば、「コスモポリタリズムを捨てることなく意識的に場所に回帰しようとすること」。

ではコスモポリタリズムとは何であるか?『聖なる地球のつどいかな』でスナイダーが語っていることを私なりに解釈すると次のようになる。文化的同一性、地理的なルーツ、伝統、家族の問題、あるいは「愛国心」などは保守的な人々、「右側」の人々が重んじる。一方「左側」の人々は、文化の多様性、人種的な寛容さなどを掲げる。それに対しスナイダーや山尾のようにバイオリージョナリズム(生態地域主義または生命地域主義と訳される)の立場に立つ者は、文化的、地理的ルーツを持つべきだと主張し、同時にあらゆる文化に対して寛容であるべきだと唱える。そのような寛容さがコスモポリタリズムであると。

この「再定住」の概念に対し岡本はやや強引な解釈を施す。「自分がいま現に生きている場所、あるいは、生きる場所として選びとった場所、そこでどのように生きるのか、それは未来をどのように構築するのかに関わってくるのだが、そのためにあらためて、その場所をとらえ返し、その場所について深く知ることが必要だ」というのが「再定住」の意味だと。そこには「環境・生物・土壌・気候などを知り尽く」すエコロジカルな視点は捨象されている。

岡本自身も「限定した形で受けとめ」「偏りがある」と認めるこの解釈は、しかし1972年の沖縄返還=祖国復帰を巡る渦中に生まれた「反復帰論」という思想、その一人と看做され読まれた岡本の代表作『水平軸の発想』を読んだ者ならば深く頷くところだろう。同書で描かれているのは、地縁血縁社会=沖縄から脱出したはずの若き岡本が、個人主義が確立し社会が「発展」したはずの東京での生活で、自らの血に紛れも無く存在する、捨ててきたはずの「沖縄」を発見して驚き、改めて沖縄へ帰還・回帰する物語だ。それが祖国復帰という、沖縄の主体性を問われる大きな政治状況の只中で試行されることがスリリングなのだ。

そこでのポイントは「沖縄人(ウチナーンチュ)である」ことより「沖縄人になる」こと。沖縄人とは、「沖縄」という場所と文化を意識的に生き直す人、つまり「沖縄」に「再定住」する人のことを指す。「それは、沖縄という言葉に特別な意味を持たせる考え方、人と場所と文化(言語)の同一性に疑いを持たず、そこにアイデンティティーの根拠を見出す楽天性をどうしても持つことができなかったから」が、その理由に挙げられる。

沖縄で生活すればすぐ分かるが、「沖縄という言葉に特別な意味を持たせる考え方」はそこら中に溢れている。無論それは「ヤマトゥ」(日本)からの植民地的差別を現在まで被ってきたことによる、「ヤマトゥ」との関係性において防御的に生み出されるある種のナショナリズムに他ならない(それを倫理的に批判する資格が日本人(ヤマトーンチュ)である私にあるわけがないこともまたいうまでもない)。そしてそこから生まれる終わり無き「ウチナー」対「ヤマトゥ」の二元論。

この客観的な視座を岡本に可能にさせたのは、彼が沖縄の周縁である宮古島に生まれ、両親は那覇出身、同居していた義姉が栃木出身だったことから、家では「共通語」を用いていた(本書内我部聖作成による精細な年譜による)という「コスモポリタン」な生い立ちが影響を与えていることは間違いないだろう。しかし「今―ここ」=沖縄で生きる私が読み飛ばしたくないのはそのような「文学史」ではない。

偶感(十六)が書かれたのが1998年、岡本が復帰前後から抱えていた思想をこの時まで捨てず、さらに「再定住」という新しい概念を導入してまで、その時のアクチュアルな問題として保持していたことに我々は驚かねばならない。そしてそれは裏を返せば復帰前後の沖縄の問題がこの時まで存在し続けていること、さらにいえば、本書が2007年現在に出版され、少なくともこの沖縄内においては回顧ではない極めてアクチュアルな要請として読まれようとしていることをみれば、現在も尚沖縄の問題が在り続けていることを証明=照明している。

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