KBN1215さんのレビュー一覧
投稿者:KBN1215
6 件中 1 件~ 6 件を表示 |
2004/01/06 19:42
「万能」ではない魔法使い。
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
わたしは「ファンタジー」が好きなのだ。小説でも漫画でも。
わたしが、この物語に惹かれるのは、万人が最善を尽くしても尚、あらゆる人が幸せにはなれるとは限らない。そのことを描いているからだ。
ましてや最善を尽くす人は少なく、その力を持つだけの人さえも貴重なのだから。
物語の舞台は、近代ヨーロッパ風の架空世界。タイトルは主人公の二つ名であり、彼、エドワード・エルリックは「錬金術師」である。ゲームやコミック、あるいは正統派のファンタジー文学ファンか、ヨーロッパ史に詳しい人以外、馴染みある職業ではないように思う。
言葉通り「黄金を錬成」する者を指し、オカルトめいた本では頻繁に登場する。実際には、黎明期の科学者であったという。黄金を生むために行なった様々な物質の研究から、現代の科学的な物質の多くが発見されてもいる。魔法的な印象が強いのは、そうした面々も数多くいたことと、当時は科学的な理解が極めて低い。実験の過程は、魔術以外の何物にも映らなかっただろう。
この世の物質を理解し、それを組み立てるのが錬金術師の概念であったが、この作品中でも「錬金術」は同様に扱われる。
錬金術では、無から有を生じることは出来ない。
つまり、石からは石を。木からは木を。確固たる法則に縛られ、一見して魔法のような現象は、科学的知識を持つ者の目には、原子や分子を並べ直し、新たな物質を生み出すに変換される。
この原理は、この物語では繰り返し「等価交換」という言葉で説明されている。
エドワードは若干15歳の少年で、彼と彼の弟が自ら起こした事件により、片腕片足を失い、機械製の義肢で補っている。それが「鋼」の所以だ。彼の弟も錬金術師だが、エドワードより残酷な犠牲を支払った。五体すべてを失った。魂だけが兄の手で辛うじて「錬成」されて、今は巨大な鋼の鎧…無論、中味は空っぽ…として生きている。
彼らの負った傷は、誰かに押し付けられたものではない。彼らの身体は、他人の手に奪われたのではなく、彼らが選んだ道の先にあった結果だ。
そして、「等価交換」。
エルリック兄弟が「錬成」したかったのは、彼らの母。これも、病による死であり、彼らに架せられた宿命では、なかった。ただ、母の復活を望み、行なった錬金術は失敗に終る。
その結果、残ったのはエドワードが見た「真理」。そして、大きな傷である。自分達の身体を取り戻すための研究の旅を、彼らは続けている。
錬金術は魔法ではないし、万能ではない。
失われた命は、恐らく物語の終焉に至っても甦ることはなく、何かを得る度に失う旅になるのだろう。
紙の本のだめカンタービレ 11 (講談社コミックスKiss)
2005/01/20 15:44
たかがクラシック。
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
クラシック音楽の世界で、指揮者を目指し頑張る青年と、彼に憧れるピアノの天才少女…なんて書くと、嘘では無いのに「一体、いつの時代の少女漫画だ?」と失笑したくなる。
が、もちろん「変人な天才」というより、「天才たるもの、変人で当然」とでも主張するような著者らしい本作を読めば、うっかりしていると「クラシック音楽」が世間で高尚で堅苦しくて、つまらなくて、良くわからないものだとさえ認識されていることも、忘れてしまいがち。
現在、最新刊である本巻の舞台はフランス。なにかとクラシックなものには弱体な面の多い日本から、出発したわけで、昔の少女漫画風な「海外だったら格好良い」とばかりに無国籍な美女・美青年が勢揃いしたり、しない。嫌になる程、現実的。
重大で、悲観的な出来事であろうエピソードにこそ、軽快なコメディタッチの描写が多用され、読んでいて落ち込んだりしない。くだらない、ささやかな…他人事であれば、笑い話でしかないエピソードに、登場人物たちは迷って、悩んで、とりあえず暴走してみたりする。
「○○を良く知らなくても読めます」とばかりに、蘊蓄披露で埋められた本も、悪くはないけれど、この作品で、しつこく語られる豆知識なんてない。別に、音楽家や指揮者や、何年にどこで作曲されたかなんて、どうだって良いじゃないか! たかがクラシック、聴いて好きか、嫌いか。
クラシック音楽の世界にいるけれど、ごく普通の変わり者たちの物語を、ぜひ楽しんで。
2005/02/04 11:43
同人誌の国会図書館?
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
少なからずコミケに関わりを持っていながら、彼を知らない人間なんて、いるのだろうか? 写真で彼の顔を知っていても、直接姿を見たことがあっても、きっとDr.モロー氏の描いたキャラクタが浮かぶはずだ。
「コミケ」に象徴される、漫画を中心とした自費出版誌=同人誌。
法律上の制約はあるが、基本的に誰もが自由に発行できる。「デビュー」という概念もなく、本来はアマチュアの趣味であるから、質も内容も雑多で、子供の落書きレベルから、同人誌に関わりない方の目には、何故にプロではないのか首を傾げる程、一般書店に並んでも見劣りしないどころか、堂々トップセラーに比肩するものが混在する。
この同人誌を統括する団体は、実は存在していない。
「コミケ」は、同人誌の総本山のような扱いをされることもあるが、基本的に場を提供するだけの「即売会」に過ぎない。無名の駄作はともかくとして、数時間で数千冊を売切る人気作品さえ、その場を逃すと永久に入手できない可能性が高いのが同人誌だ。
過去の名作が簡単に豪華版だの、文庫版だのと新装刊行される商業誌とは、根本的に違う。その日、その場で手に入れない限り、目にすることもできない確率が高いのだ。
「イワえもん」は、その同人誌を目一杯買い集めていた方で、コミケ参加者にとっては、神とか妖精とか、「面識はないけど知ってる」人物。単なるコレクタではなくて、まさに同人誌を愛していた「同人誌バカ」。享年50歳という氏は、「コミケ」の歴史が約四半世紀であるため、既に関係者としては長老格だった。
氏の蔵書が、「コミケ系」の漫画同人誌の公式記録と言っても良いのでは。国内の出版物を網羅する国会図書館のように?
追悼式では「献本箱」なるダンボールが並び、氏に手に取ってもらうため、大勢が自らの同人誌を捧げたらしい。
岩田次夫氏については、こちらのページもご覧いただきたい。「残したもの」でお判りの通り、残念ながら故人である。
2004/08/26 15:53
続編は今週末、ウェブサイトでどうぞ。
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
「森博嗣作品」のファンはともかくとして、「森博嗣」ファンであれば、薦められるまでもなく既に手にしていらっしゃるでしょう。
ミスティなどを何作か読んで、この作家本人に興味を持たれた直後、という方でしたら、ぜひご覧ください。期待通りの文章が並びます。
森氏の日記エッセイ(ウェブサイト「浮遊工作室」で公開されたものがベース)の、第5弾にして完結編。毎日毎日書かれていたものです。だからこその、このボリューム。
ついついページを捲ってしまうのですが、敢えて毎日1日分ずつ読み進めるなんてのは、どうでしょう?
日記エッセイシリーズ通しての、御自著(ミステリィ小説)タイトルを捩った、素敵なタイトル。数奇。有限。ふたつのキーワードだけでも嬉しくなってしまう方は、読まないわけにはいかないでしょう。
そして、ここに収められた以降の氏を追うのでしたら、今週末にでも、ゆっくり、ウェブサイトでどうぞ。目一杯楽しめます。
余談ながら、表紙が萩尾望都氏というのも、森ファンなら大納得。
紙の本2万ガメルを取り返せ!
2003/12/17 11:24
祝・凱旋!!
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
凱旋、である。
この文庫は復刻版なのだが、雑誌連載当時から毎号彼らの「冒険」の記録を心待ちにしていた私たちにとっては、これは「凱旋」である。
テーブルトークRPGは、架空世界での冒険を会話と想像で疑似体験する、コンピュータを使わないゲームだ。リプレイは、その様子を演劇の台本に似た形体で書き起こした記録である。架空世界での出来事ではあるが、実際にプレイヤーが体験した事実の記録なのだ。それも、歴史に残る偉業と、その日の宿代・飯代に困窮する姿は、同列に描かれる。
熱心なRPGのプレイヤーは、同じ世界のどこかで、同じように冒険の旅をしていた「同業者」と彼らを認識する。そして、このシリーズの6名の冒険者は、世界を大きく変えた「英雄」なのだ。
このシリーズで活躍した「バブリーズ」は、お互い仲間として認識も薄い旅立ち直後、不運に見舞われ金銭的に逼迫してしまう。その後も、何故か本来得られる筈の報酬を取りこぼしたり、ただ働き同然の冒険を続ける。特に大きな目的もなく、成り行きの旅は、次第に力を増す彼らに自然に敵を作る。
その後、天地をひっくり返す「事件」が起こるのだが、それは次巻以降でのことである。
長年入手困難だったシリーズの復刻は、ともに「冒険」してきた私たちにとって、正に英雄たちの凱旋であった。
紙の本きみはペット(講談社コミックスKiss) 14巻セット
2004/01/14 18:05
「愛玩動物(ペット)」を愛してはいけない…?
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
あなたの家の…あるいは、あなたの理想のペットはなんだろう。
この物語の主人公、スミレのペット「モモ」は、20歳の人間のオスである。
彼らは、あくまで「御主人さまとペット」のスタンスで同居している。これは、明確に言葉通りの意味でしかなく、「モモ」は気ままに遊び暮すペットであり、スミレはペットとして、彼を養い世話する。自立した女性と、可愛い愛玩犬。彼らの関係は、それだけ。
スミレは、やや冷たい印象ながら皆が認める美女で、仕事には否の付け所もない。だが人間関係…友人も、恋愛も、上手くいかない。語学堪能でスポーツ(何故か格闘技なのが著者らしいが)も万能な割に、人との関わり合いは気が遠くなる程の不器用さ。
その不器用なプライベートを、たった1人の女友達だけが支えており、スミレが万能で強い女ではなく、要領の悪さと心の弱さを背負っているのを知っている。
彼女は決して「自分より劣る」他人を見下してはいない。壁を作っているつもりもないのに、他人はスミレの周囲に高く厚い壁を見ている。あんなに美人で仕事の出来る人は、きっと自分たちとは話も合わない…そんな風に。
そこに表れたのが「モモ」。小柄な美少年で、異様に明るくて人懐っこい。ダンボール詰めで捨てられていたという状況は、彼の振る舞いを見ていると事件ではなく、ちょっとした「捨て犬」との遭遇と錯覚してしまう。
居座ってしまったら迷惑、と「ペットとしてなら飼っても良い」というスミレの断りの言葉通りに、少年はペットとなった。御主人さまの帰りにシッポを振って出迎え、食事の世話をして貰い、家事雑用において、一切なにの役にも立たない。ただ、一緒に過ごすというだけの、これは同居人ではなく、ましてや恋人でも愛人でもない。ペット。
その彼らの関係性は、ここ最近の展開で揺れ出してもいる。
スミレは念願であった、「自分が自慢にもしていない優れた部分」を勝手に比較して、卑屈にならない男を求めていた。そのために、あらゆる点が優れた男がいい。その理想に適う、蓮實を恋人として得た。彼女にとって、かつて「憧れの王子さま」であった人でもある。
その「王子さま」の幻滅が、スミレは怖い。期待されていないとしても、完璧な恋人であろうと演じてしまう。スミレは、自分が周囲が信じているような、完璧な人間ではないことを充分知っているからだ。
スミレは、一見誰からも幸福で悩みなど持たないように見える。
だが、とても脆い橋の上に、彼女は居る。
可愛いペットに、心なぐさめられる時だけを支えにして。
だが、「人間の男の子をペットにしています」と、誰にも言えない。やましいことなど無いが、誰が理解してくれるだろう? 秘密を共有出来るのは、唯一の女友達以外だけ。
「モモ」をペットとして飼い続けることは難しい。 ペットの寿命は短いのだ。
そして、既にスミレとモモは、多くの時間を過ごした。もう、幸せな時は残り少ないのかも知れない。
彼らの未来は、これから描かれる。
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