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CAMさんのレビュー一覧

投稿者:CAM

259 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本英文法解説 改訂3版

2009/10/14 17:34

例文の対訳がすばらしい

26人中、23人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この書物、特に例文とその和訳のすばらしさを知ったのは、安西徹夫『英文翻訳術』(ちくま文庫)によってであった。これは、本書の例文を引きながら、翻訳(英文和訳)のテクニックを解説したものであるが、英語と日本語の違いに注意がはらわれた対訳が優れていることに感心した。

私は、大学卒業以来20年近くまったく英語学習からは遠ざかり、40歳近くになって急に英語学習を始めた者であるが、自分の実地経験からも、大学受験英語が実用的に無用だとはまったく思わない。40歳のころ、短期間ながら英国で語学学校に通ったことがあるが、彼の地の英語教育は文法中心であった。また、欧州ではケンブリッジ英検がもっとも勢力をもっており、日本の英検は明らかにこれに倣ったものであろう。

評者は、英語力とは、つまるところ文法力と語彙力だと考えているが、英国の英語教材を見て、その感を強めた。現在の日本では、文法力が不可欠な英検が退潮気味で、TOEIC、TOEFLが盛んなようであるが、あまり好ましい現象だとは思わない。

 帰国子女ではない一般の日本人にとっては、スピーキングにおける文法の重要性は論ずるまでもないと思うが、読解においてもやはり基礎となるのは文法力であろう。助動詞がきっちりと訳せていない翻訳などを見ると、翻訳者の基礎学力の不足を感じる。

読解については、たしかに辞書をひかずに“直読直解”できれば結構なことではあるが、外国語を自己学習、自己満足、自己消費の対象ですますならともかくとして、何らかの意味で他者(日本人)とのコミュニケーションの道具として利用しようとするならば、翻訳(英文和訳)の必要性から逃げることはできないのではないか。

 最近、「新々英文解釈研究」が復刻されたり、高校の日本史、世界史教科書を教養書として出版するという動きもあるようであるが、学力というか教養の土台はやはり高校レベルの学力であると思う。英文法も受験を離れて読むとけっこう楽しいものである。好きな興味にある部分だけを拾い読みすればよいのだから、気楽で圧迫感もない。

 そうした「学習」にとって、本書はすばらしい素材となると思う。学習参考書のよいのは安価である点で、同種の書物を何冊か購入してもたいした金額にはならない。

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「情報なき国家の悲劇」

22人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 今年で日米開戦・真珠湾攻撃の日から67年になるが、最近の田母神論文問題化に見られるように、東京裁判史観は未だに根強いように思える。しかし、勝者の論理が全面的に正しいということはあり得ないということだけは、最低限でも確定的に言えることではないだろうか。

本書では、日米開戦の問題についても、情報戦という見地から、次のような叙述が見られる。

>結論的には日本陸軍は、昭和11年頃から昭和17年初頭まで、米国務省の外交暗号の一部を確実に解読または盗読し、国民政府(蒋介石政府)の外交暗号、武官用暗号はほぼ確実に解読または盗読していた。この事実の裏を返せば、日本が日米開戦に踏み切った原因の大きな一つに、米国暗号の解読、盗読という突っかい棒があったと判断される節がある。特に陸軍が開戦に積極的であったということからも(p.278)。

しかしながら、

>昭和17年初頭、すなわち開戦1ヶ月後には米国は暗号を全面的に改変し、爾後昭和20年8月まで米国暗号は日本の必死の研究追求にもかかわらず霧の中に隠れてしまった。これも裏を返せば、日本に米国の暗号をある程度盗らせておいて、開戦に誘い込んでから計画的に料理をしようとした疑いもなくはない。暗号一つを通じて見た情報の世界でも、米国が日本を子供扱いにしていた観がある。これを情報的に観察すれば、日本を開戦に追い込むための、米国の一大謀略があったと見るのもあながち間違ってはいない(p.279)。

 著者は、戦時中に米軍の教令(『米軍野外教令・上陸作戦』)を見て思いあたった事項として、第一は、米軍はガダルカナル島以来、一貫して忠実にこの教令に書かれてある通り作戦を実施している。第二は、この教令は何年頃書かれたかは明らかでないが、明瞭に太平洋の島々、特に日本の委任統治領の珊瑚礁のある島への上陸を想定して作られている、ということを指摘される(p.149)。 米国がいつ頃から太平洋で戦争することを考えていたかについては、著者は、大正10年ごろからと推定している。 その時期はちょうど、ワシントン会議で日米の海軍戦力が3対5と米国に押し切られた年と一致する     (p.151)。

 真珠湾攻撃というか、日米開戦については、いわゆる「ルーズベルト謀略説」があるが、これが立証されたわけではないし、今後もこれが明確に認められるような資料が出てくることは多分ないだろう。しかし、当時の英米の指導者チャーチル、ルーズベルトが、陰謀という段階までに踏み込んだとは言えないにしても、少なくとも内心的意思としては日本との開戦を望んでいたことは間違いないことであろう。例えば、著者は、次のように述べる。

>太平洋は守るに損で、攻めるに得な戦場であることを日本は知らなかった。だからルーズベルトが、日本が真珠湾を奇襲攻撃したとき喜んだのは、単に対日戦争の名分が出来たというだけではなく、太平洋で責める側に立てることだったに違いない(p.122)。

 また、著者は日系人強制収容についても、情報戦という観点から、次のように述べている。

>日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃して、数隻の戦艦を撃沈する戦術的勝利をあげて狂喜乱舞したが、それを口実に米国は日系人強制収容という真珠湾以上の大戦略的情報勝利を収めてしまった。日本人が歓声を上げたとき、米国はもっと大きな、しかも声を出さない歓声を上げていたことを銘記すべきである(p.97-8)。

もっとも、太平洋戦争は米国が計画的に仕掛けた戦争だとしても(p.90)、それによって開戦も戦争自体も正当化できるわけでもないだろう。 要するに、日本は米国の掌の上でいいように弄ばれていた、情報戦争の観点からみれば大人と子供の闘いであった、というのが実相ではなかろうか。

 それにもかかわらず、著者が懸念されているように、このような点についての反省と情報戦略の重要性についての認識がないままに、軍事上でも、経済戦争上でも、同じ失敗を繰り返しつつあるというのが我が国の現状ではないだろうか。 我が国が「情報なき国家の悲劇」(本書の副題)を繰り返さないためにも、一読されるべき価値ある書だと思う。


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受験英語の素晴らしさ

17人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 “名著”の復刊である。この時期に研究社が、本書と「新自修英文典」の復刊を行った意図は不知であるが、高く評価できる企画であると思う。

 昭和40年版の復刊であり、奥付や巻末広告もそのままに再現されている。巻末広告も懐かしい。何よりも感じるのは、例文とその解釈の格調の高さである。「受験英語」というと弊害ばかりが強調されがちであるが、距離をおいてながめると、その有用さをあらためて主張したい気になる。 英語力とは、応用性ある文法力と語彙力がベースであるという自分の信念をあらためて再確認できるような気がする。

 受験参考書にもかかわらず、その造本、装丁の素晴らしさについても感心する。 カタチ、内容ともに昨今の安直な書籍には見られない「品格」を感じさせるものがある。

 受験参考書の変化を見るだけでも、この半世紀で我が国の社会がいかに「品格」を失ってきたかということをあらためて感じさせる。

 約45年前の定価が450円、復刻版が3,150円。大学受験参考書にしては少し高価かもしれないが、現在の受験生にとっても有益な学習書だと思う。

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「死に至る過程」

19人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


 ロングセラーであり、書名もよく知られたものである。 私自身も、1971年読売新聞社刊のハードカバー(手許のものは1995年5月第93刷)、1993年刊の原書ソフトカバー、そして2001年1月発行の中公文庫版(新訳)を所有している。 考えてみると、私が初めてこの書を手にとってから約13年経っていることになる。 今、読み返してみて、その頃から比べると、あらためて、自分自身の「死」が現実問題として近づいてきていることを感じざるを得ない。 そもそも、私自身が「死の瞬間」の概念についていささかでも考えたきっかけは、法学徒であったころ、「死亡による逸失利益の損害賠償請求権」に関する大審院判例(大判昭和3年3月10日)に出会ったことであった。同判例は次のように述べている。

「夫レ生死ノ境ハ間髪ヲ容レズ、所謂即死ノ場合タルト爾ラザル場合トヲ問ハズ総テ一如タリ。故ニ死ソノモノヨリ観レバ死ハ常ニ即死ナリ。即死ナラザル死ハ之ヲ想像スルヲ得ズ。某ノ所謂即死ナルモノハ、致死ノ原因ト致死ノ結果トノ間ニ極ハメテ僅少ナル時間ヲ存セル場合ヲ云フモノニ過ギズ。」

 たしかに、理論的には「即死ナラザル死ハ之ヲ想像スルヲ得」ないだろう。この判例を読んだ時には、かなり“感心”したが、それはあくまでも“観念的に”であった。若輩であり重病の経験がなかった自分にとっては、「死」はまだまだ遠いものとしか感じられなかった。 しかしながら、「死」はその「瞬間」が問題なのではない。重要なのは(その他の多くの事柄と同様に)それに至る「過程」であろう。本書も、翻訳書名は「死ぬ瞬間」とされこの書名が有名になってしまっているが、原題は ”ON DEATH AND DYING” であり、「死とその過程について」となっている。そして、原書名が示すように、内容の中心は「死の瞬間」というよりも「死に至る過程」についてであって、有名な死に至る5段階(Denial and Isolation, Anger, Bargaining,Depression,Acceptance)について述べられる。

ロス女史は、本書の結びとして、「“言葉をこえる沈黙”(silence that goes beyond words)の中で臨死患者(a dying patient)を看取るだけの強さと愛情をもった人は、死の瞬間(this moment)とは恐ろしいものでも苦痛に満ちたものでもなく、身体機能の穏やかな停止(peaceful cessation of the functioning of the body)であることがわかるだろう。人間の穏やかな死(a peaceful death)は、流れ星を思わせる。広大な空に瞬く百万もの光の中のひとつが、一瞬輝いたかと思うと無限の空に消えていく。・・・・・・・・70歳を過ぎるまで生きられる人は多くないが、ほとんどの人はその短い時間の中でかけがえのない人生を送り、人類の歴史という織物に自分の人生を織り込んでいくのである。」と述べておられる。

ロス女史自身は2004年8月24日、78歳で亡くなられているが、 Economist誌2004年9月2日号によると、彼女自身の死は、それほど安楽な(easy)なものではなかったようである。 心臓発作に悩まされながらも数年間生きながらえた彼女は、晩年をアリゾナで過ごされたのだが、太陽は発作の原因にもなるので、一日に18時間も、暗い部屋で、音声を消したテレビを見ながら過ごされたという。そして、簡単に死ねないことを神に対してぐちっていた(She railed at God for keeping her waiting.)という。女史自身は、はたして、“死の瞬間”(this moment)に、自らが叙述したような穏やかな死( a peaceful death) を“意識”されたのであろうか。 「かけがえのない人生を送り、人類の歴史という織物に自分の人生を織り込」まれたこと、その織り込まれたものは、我々のような凡人とは質量ともに比較にならないものであることについては全く議論の余地もないだろうが・・・・・・

 本書は、1969年に出版(原書)されて以来、現在に至るまで全世界で広く読みつがれており、日本語訳の読売新聞社刊版も百回以上の版を重ねている。自らの「死」をみつめようとする者にとっても、死に臨もうとする近親者に接する者にとっても、必読の書であろう。

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紙の本民法 第2版 2 債権各論

2008/06/26 20:18

現代的な民法概説書

17人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 近年では民法の代表的概説書とされているシリーズの一冊である。本巻はいわゆる債権各論に充てられている。 「はしがき」冒頭でも述べられているように、米国法の学習では最も力点がおかれるのは契約法、不法行為法であるが、私どもが受けた古き時代の民法の授業では、民法総則、物権、債権総則あたりまでで時間をほとんど費やしてしまい、債権各論あたりまでくるとかなり息がきれているという感じであった。そうした時代に比べると、このシリーズなどはテキストブックとしてもよく工夫されているという印象を受ける。 そういう点では、後述の大村敦志著のシリーズについても同様であり、昔と違って、教育的な配慮がなされたテキストを利用できる現在の学生は幸せだと思う。 本書については、「第4章 契約プロセスと契約法」あたりの叙述を見ても、「契約準備段階における信義則上の注意義務」にもふれており、現代的、動的に説明されているという印象を強く受ける。

 個人的な事情として、私は、最近、賃貸していた小さなマンション一室の賃貸借契約期間満了による解除の際の「敷金返還範囲」をめぐって、係争の一方当事者(賃貸人、敷金返還債務者)となった。 経験的、生活史的には賃借人としての立場に立つ期間が長く、自分が賃貸人の立場になろうとは、しばらく前までは予想もしていなかったことである。敷金の返還範囲については、最近では新聞雑誌などでも取り上げられることが多いが、賃借人側に立った論調が多い。しかしながら、実際に自分が賃貸人(敷金返還債務者)側に立ってみると、(当然のことながら)かなり考え方も違ってくる。

 場合によっては少額訴訟も覚悟しなければならないことから、こちら側の考え方をまとめるために、久しぶりに、民法概説書の「賃貸借」「敷金」についての部分を、実務に使うと言う観点から精読してみた。 最近は改定が激しいので最新版というわけにはいかないが、調べたのは、本書のほか、

A 有斐閣双書『民法6』
B 大村敦志著『基本民法2』(有斐閣)
C 我妻栄他『民法2』(勁草書房)
D 我妻栄『債権各論中巻1』(岩波書店)
E 来栖三郎『契約法』((有斐閣)
F 星野英一『民法概論4』(良書普及会)
F 道垣内弘人『ゼミナール民法入門』(日本経済新聞社)

 問題意識と目的が明確でさえあれば、無味乾燥に見える民法概説書もなかなかの読み物だなぁと、かつての不勉強をあらためて後悔しつつ読み比べて見た。

Aは、説明があまりに簡略に過ぎ、質量共に十分ではない。引用された判例をしっかりと読み込まずにこれだけを読んだのでは、消化不良となって、十分な理解が難しいのではないかと思う。多くの著者の共同執筆としての必然的欠陥であろうが、部分的な精粗の違いが大きい。 ところがそれに比べて、CはA以上に簡略な説明と文量であるにもかかわらず、意外にもかなり書き込まれており、全体的に極めてバランスがよい叙述がなされている。ロングセラーとして売れ続けてきた理由をあらためて納得できた。 判例集と併読すれば有益であろう。 Bは、学生への授業に使うテキストブックという色彩が強くて、説明の方法や体系に工夫がこらされた良書だとは思うものの、内容が簡略過ぎて実務的にはほとんど役に立たない。 Eは契約解除との関係について深く追求した貴重な労作だと思うものの、ほとんど論文集のような感じで、実務的には有用とは言い難い。 Fも量の割にはよく書かれているが、説明が簡略すぎることはやむを得ないか。 Dは実に昭和32年第1刷発行であるから、まさに半世紀、50年以上を経ながら、実務的に役に立つ体系的概説書としては現在においても第一かつ無比のものではないか。ただし、現在においては、量的にも、研究者か実務家の読みものであろう。

以上に比べてみると、本書は量的にも適当であり、その中で主要な判例事案の内容にいたるまでを簡約して叙述しており、実務的にも十分に役に立つ。現在において代表的な民法概説書としての立場を確立しつつある由縁がよく納得できた。現在では、一人の著者が民法全体にわたる質量ともに備わった概説書を著すことはますます困難になっていると思えるが、本書シリーズは、学生へのテキストブックという性格を持ちながらも実務的にも有益な体系的著作として、さらなる最高峰を目指し得る可能性を持っていると思う。

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紙の本ほんとうの環境問題

2008/04/07 20:41

「環境問題の本質」

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 オビには「環境問題の本質を突く、緊急提言!」とある。 「環境問題とはつまるところ、エネルギーと食料の問題である」(はしがき;池田)という認識の下に、「未来のエネルギーを確保するためにどういう戦略が必要なのかこそが、日本の命運を左右する大問題なのだ。 地球温暖化などという瑣末な問題にかまけているヒマはない。」(はしがき;池田)という視点での主張が述べられている。

具体的に取り上げられるのは、環境と安全保障、ゴミとリサイクルをめぐる誤謬、バイオ燃料の問題性、太陽光発電の問題点と優位性、少子化対策の錯誤、人口問題、「地球温暖化」論の政治性などについてである。もう少し抽象的に言えば、「環境問題を理由にミクロ合理性を追求することによって、マクロに見るととんでもないような問題が生じている」(池田;p.164)、という我が国の環境論の現状、環境問題論の錯覚についてである。

主張はめっぽう面白く、語りを活字化したような軽いつくりの書物なので一気に読んでしまった。 環境問題を論じた書物が“おもしろい”、という表現はよろしくないかもしれないが、従来から“環境原理主義運動”的な論調には違和感を覚えている自分にとっては痛快な書物である。 京都議定書の問題点、我が国外交の戦略性の欠如からすれば、養老先生も言うように洞爺湖サミットもどうも不安である。 問題は、我が国が「環境立国」で生きていくべきなのか、環境問題が叫ばれる背景にある政治的な裏をもっと認識するべきではないのか(p.149)、ということだろうか?

ほんとうの環境問題は、エネルギーと食料の問題、であることは間違いなかろう。 そして、食糧問題もつまるところはエネルギー問題に帰着するものであり、現在のエネルギー問題、二酸化炭素発生問題の中心は石油問題である。 そして、石油があと40年ぐらいでなくなるという予測が正しいのならば、100年後の地球の温度など計算したって意味がない。そうした点を整理した論理も思考もないまま、CO2削減がただただ善であると謳ったところで無意味である(p.126)というのは全くそのとおりであると思う。

 本書は、「地球温暖化問題」について論じる際の必読の文献の一つだと考える。


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紙の本昭和の名将と愚将

2009/01/05 17:39

愚将篇は必読

13人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 文春新書には、雑誌『文藝春秋』に掲載された座談会、対談を補訂して出版されたというものが何点かある。いずれもよくできたものが多く、この会社の雑誌づくり、企画力の秀抜さを感じさせる。本書はその内の一書とも言えるが、前半(名将篇)は、本誌ではなく『オール読物』の07年3~9月号に掲載されたものであり、後半(愚将篇)は本書のための語り下ろし、となっている。 前半(名将篇)も面白いが、特に必読であるのは、語り下ろしである後半(愚将篇)部分である。 愚将としてとりあげられているのは、服部卓四郎、辻政信、牟田口廉也、瀬島龍三、石川信吾、岡敬純、大西瀧治郎、冨永恭次、菅原道大の9氏であるが、全て亡くなられている。 瀬島龍三氏は07年9月4日に亡くなられているから、本書は愚将としてとりあげられた全ての方が亡くなられた後の出版(08年2月)ということになる。

 昭和の戦争を主導した軍人の多くの責任倫理の希薄さについてはいろいろな文献で取り上げられており、本書で挙げられた9人についての例示も、多くは他の文献で既知であるものが多い。しかし、こうしてまとまって読むと、あらためて不愉快になってくる。 もっとも、こうした無責任、恥知らずな人物の相似形、ミニ版は現在においても身近にその例が容易に見出せよう。

 例えば、服部卓四郎については、「服部という人は東條(英機)にとってそうとう使いやすいところがあったのでしょうね。どんなやっかいなプランニングをやれと言われても、紙1枚にパッとまとめて、東條に示したのではないでしょうか」(保阪;186)などと語られているが、この東條・服部の関係などは小泉元首相・竹中元大臣のコンビを連想させる。

 9人共にひどい方々であると思うが、私が特に悪質、卑劣というか恥知らずであると感じるのは、「第9章」で取り上げられている「牟田口廉也と瀬島龍三」である。 牟田口廉也については、戦後に実際に本人と面談した半藤氏のコメントを読むだけでも、牟田口という名前を聞くと元兵士のだれもがブルブル身を震わせて怒った(p.200)ということが納得、同感できる。

 多くの部下を徒に死に追いやりながらも自らは生き延びたこうした「愚将」の中で、現在でも知名度が高いのはなんと言っても瀬島龍三であろう。 しょせんは、「資料をつくる便利なやつ」であり、「茶坊主」であった(p.209-10)のであろうが、 知名度が高いという事実そのものが、この人物の無恥を示すものであると思う。 “敗軍の将”とは言えども、生活の必要性までを否定できないから民間企業で禄を食むことまではやむを得ないとしても、公職活動にまでしゃしゃり出たのでは同情できる限度を超えている。そして、あくまで自らの過誤を押し隠し、消極的に秘匿するだけにとどまらず、積極的に他人の資料にまで改変を加えようとしたその姿はおぞましいというほかない。

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紙の本あの戦争になぜ負けたのか

2008/12/16 07:35

「なぜ負ける戦争、勝算なき戦争をしたのか」

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『文藝春秋』2005年11月号掲載の座談会記事を新書化したもの。 出席者6人は、半藤氏(1930年生)、保阪氏(1939年生)、中西氏(1947年生)、戸高氏(1948年生)、福田氏(1960年生)、加藤氏(1960年生)であり、戦前生まれ2人、敗戦直後生まれ2人、高度成長期生まれ2人から成っている。戦前生まれの半藤氏、保阪氏は、自分自身の戦闘体験はないものの、大東亜戦争関連の著作も多く、戦争経験者である将兵の多くと自ら直接にインタビューした経験を豊富に持たれている方。残りの4人は、戦争については観念的に学習したのみの方々と言えるだろう。

それにしても、2009年は昭和84年にあたり戦後64年であるから、敗戦時に15歳であった方が存命であるとしても満年齢が79歳。 大東亜戦争を、銃後であっても現実に体験した方々は次々に世を去られていることであろう。そして、本書では、話題となった将官についての簡単なプロフィールが欄外に注として記されているのであるが、あらためて感じるのは、多くの将官が、戦闘で、戦争裁判で、さらには自決により亡くなられてはいるものの、相当数の方々が戦後まで生き残っておられたということである。しかしながら、それらの方々も当然ながら次々に亡くなられているから、現在の日本には、現実に戦争というものを肌身で経験した人間は全くいなくなってきている状況だということである。したがって、これから発表される日本人の手になる戦争論は、その対象について全く「実体験」を持たない人間によるものになるということになる。考えてみれば恐ろしい事態である。

 その反面では、時間の経過ということの結果として、秘密資料の公開が始まるという利点がある。しかしながら、中西氏は、本書の巻末付論の中で、大東亜戦争関連史料について「日本側に関する限り、今日かなりの史料が公開されてきているが、戦勝国側のものは、実質的に言って(中身の重要性に鑑みて)まだ半分も公開されていないと言ってよい」とし、真珠湾問題関連史料についても大量の非公開状態が続いており、論争が絶えない最大の理由はそこにあるだろう、と述べておられる(p.236)。

 我々が「あの戦争」について考える時、「あの戦争になぜ負けたのか」という問いを発すれば、その前に「なぜ負ける戦争、勝算なき戦争をしたのか」という問いが必然的に出てくる。 本書では、冒頭の「対米戦争の目的は何だったのか」において、半藤氏は「対米英戦争、太平洋戦争に関する限り、私は目的は一言で言ってしまえば『自存自衛』だと思っています。侵略戦争ではない、防衛戦争だ、ということです」(p.11)と言い切っておられる。中西氏も支那事変と対英米戦の違いは戦争目的にあったのであり、「対英米戦は『自存自衛』の戦いだと国民の末端まではっきりと理解できた」、これに対して「支那事変は、その始まり方から言っても、そうした『大義』を感じることは難しかっただろうと思うんです」と述べておられる(p.184)。 私も、1941年の対米開戦前とその後の問題とは明確に区別して論じられるべきであると考える。

中西氏は、また「マッカラム文書」についてもふれて、「以後、アメリカが国策的に日本を挑発していったのは間違いない」と述べている(p.26)。淵田美津雄氏も、トルーマンが大統領が退任後、淵田氏に対して「真珠湾事件は両者有罪だよ」「いまに史実として両者有罪であることが明らかになるだろう」と語ったということを述べておられる(『真珠湾攻撃総隊長の回想』講談社p.365)。 また、最近渡部昇一氏がよく引用されるように、マッカーサーも上院軍事外交合同委員会において、「したがって、日本がこの前の戦争に入ったのは主としてセキュリティーのためだった」(Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.)と証言している。

 私は、だからと言って、「あの戦争」を先制したことが正当化されるとか、その愚かさが軽減されるとか言うつもりもないし、むしろこれらの事実こそ、日本人の政治的未熟さ、国民意識の浅薄性、欠陥を露呈していると思う。 堀栄三氏が『大本営参謀の情報戦記』で述べるように、「情報戦」という観点から見れば、日本は米国の掌の上でいいように弄ばれていた、情報戦争の観点からみれば大人と子供の闘いであった、というのが実相ではなかろうか。本書でも、半藤氏は、ルーズベルトが「私は日本を3ヶ月間あやしておける(to baby)」と発言したといわれていることを紹介している(p.221)。中西氏は、本書において「VENONA文書」にもふれているが(p.239)、国際政治が戦勝者の公表史観だけで割り切れるほど単純なものでないことだけは確定的に言えることだろう。

現首相の祖父である吉田茂元首相は、アメリカ軍の駐留について、頭の悪いやつは占領が続くと思えばいい、頭のいいやつは番兵を頼んだと思えばいい、しかし、番兵はいつか必ず引き揚げるときがくる、その時が日米の智恵比べの始まりだよ、と語っていたという。 経済的、軍事的に、米国の圧倒的優位が揺らぎ始め、それは我が国との安保条約の見直しに繋がっていくことは不可避であろう。そして、中国及び朝鮮半島の情勢が相変わらず不安定な状況下で、でき得る限り平和を保持していくための国防論、国際関係論を構築していかなければならない我々の責任はますます重くなってきている。

 本書は、雑誌座談会を増補した新書版で300頁にも満たない書ではあるが、以上のような観点からも、類書に加えて読まれるべき価値が十分にある書だと考える。

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歴史の宝庫・大阪

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 「歴史散歩シリーズ」の大阪府編である。 一読して、大学入学まで大阪で育ち、大阪で勤め人生活を送ったこともある自分が、大阪の地理・歴史にいかに無知であったかを思い知らされる。そのことは、もちろん自分の責任であるのだが、いわゆる「日本史」教科書が、明治以降の東京中心史観で成り立っていることも大きいのではないか。

 高校以下で教わる「日本史」においては、縄文・弥生時代の記述の後はすぐに奈良・平安時代に飛んでしまい、その間に大阪が存在することを無視されてきたのではないか。

 たとえば、

 大阪には、皇居が四度置かれた。5世紀初め、仁徳天皇の皇居であった難波高津宮、大化改新後白雉3年(653)に完成した孝徳天皇の難波長柄豊碕宮、天武天皇15年(686)に失火で全焼後再建されたという天武天皇の難波宮、神亀3年(726)から造営を始めたという聖武天皇の難波宮の四度である。 

 という事実なども、一般の日本人はもちろんのこととして、大阪府民さえもがあまり認識していないのではないだろうか。

 それもそのはずであって、難波京については、代表的な高校教科書である「詳説日本史」を見ても、ほとんど記述がない。私が手許に持つのは少し古い版であるが、「この年(645年)、中国にならってはじめて年号をたてて大化とし、都を難波に移した。」「(藤原広嗣の)乱が平定された後も朝廷の動揺はおさまらず、聖武天皇はそれからの数年の間、恭仁・難波・紫香楽と都を移した。」という記述があるのみである。

 こうしたことは最近の歴史についても言えることであって、大正14(1925)年の大阪市第二次市域拡張によって、大阪市の人口は211万を超えて、約199万6千人の東京市を抑えて全国一の人口となったこと、この拡張された大阪市は「大大阪」と呼ばれたことなども、大阪市民の間でさえも、現在でほとんど忘れられようとしているのではないか。

 評者は、本書を通読することによって、大阪の各地に日本の二千年を越える歴史が伏在していることをあらためて知らされた。

 例えば、生国魂神社、難波神社、住吉神社、大鳥神社等の歴史の古さなどもあらためて再認識させられるが、「住吉行宮」「楠葉宮」等についても、評者はまったくの無知であった。平野郷の古い歴史などもあらためて知らされる。自治都市・堺の歴史なども日本人として誇るべきものであろう。百舌鳥古墳群を市内に有する堺はまた古代史の宝庫でもある。

 こうした豊穣な歴史・文化を有する大阪府について、上・下の2巻構成であることはいかにもさびしい感がある。東京都、京都府と同様に、3巻構成とするべきであろう。そして、改訂の際は、写真を増やし、カラー写真の比率も高めて、よりビジュアルで読みやすいものにして欲しいものである。

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「奈良まほろばソムリエ検定」

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 「奈良まほろばソムリエ検定」の公式テキストブックである。内容はまさに“教科書”である。 単調な叙述で満たされている。 それが“教科書”の通性であろうが、全体の相当部分を占める寺社や古墳についての説明文を読み通すためには相当の根気と意欲を要するだろう。ただし、これも“教科書”の通性であるが、相当の知識を有する人が知識の整理として読めば有益な書だと思う。一般的には読み通すというよりも辞書的に使う書であろう。そういう意味でも、索引のさらなる充実が望まれる。

 初心者は、この教科書だけで知識を得ようとすることは無理で、ガイドブック、ネット等で補強する必要がある。ネットでいろいろ検索してみると、奈良というか大和路のファンによる立派なサイトが多いことに驚き感心する。また、公的なサイトで、動画を提供されていることはうれしい。

 評者は、この間までいわゆる「御当地検定」なるものの存在は知っていたものの、受験者は物好きな人だという程度にしか認識していなかった。それが、自分でも受けてみようかと思ったのは、昨年、「大阪検定」の発足を知ってからである。結局、昨年夏の初回大阪検定で2級、そして引き続き今年1月に受けた奈良検定の発表がこの2月22日にあり、2級に合格した。奈良検定は2級については東京試験場が設置されるのはありがたい。今年の会場は御茶ノ水大学であったが、かなりの受験者(300名ぐらいか?)がいた。今年は平城遷都1300年にあたる。奈良ファンが増えることは、本籍を奈良県に置く者としてうれしい限りである。

「試験」と言っても、御当地検定は受かっても何らの具体的利益はない。しかし、試験を受けることによって、旅行ガイド本を初めから終わりまで読み通すというような行為への誘因となる。その結果、地理と歴史について融合的理解ができるようになる。特に奈良については歴史的知識なしでは探訪の意義は少ない。評者も、奈良検定の勉強を通して、日本古代史についての理解がずいぶんと深まったと思う。

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紙の本エコノミストを格付けする

2009/09/22 16:22

エコノミストと称する種族の信用度

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 東谷氏の新著。 同種の著作である『エコノミストは信用できるか』が03年11月の刊行であるから、約6年を経ている。

 前著と同様に、巻末に「エコノミストたちの採点評」を掲載している。今回はその中で、著者である自分自身について「本人にはまったくアカデミックな経済学の経歴もなく、また、どこかの研究機関で経済データを分析したという経験があるわけでもない」とし、「エコノミストについての評価でも、分析の方法といえばただひたすら論文や著作を繰り返し読むだけだ」、しかし、「言動の一貫性や論理性にはこだわる」と述べている。

 評者としては、こうした著者の態度は十分に共感できる。評者も「まったくアカデミックな経済学の経歴」はないが、エコノミストと称する方々の論文や著作を読んで、その「言動の一貫性や論理性」さらには、その「言説と実結果との乖離度」を問題にしたくなることがあまりにも多い。たしか、三島由紀夫氏が「予測の当たらない政治学者や経済学者は信用できない」という意味のことを述べられていたと思うが同感である。

 評者は(ほとんど不勉強ではあったが、一応は)法学部出なのだが、ある法学部の先生が、「経済などは日経新聞を半年も熟読すれば大体は理解できる」と述べられたことが今に至るまで刷り込まれていて、エコノミストなる種族はどうも信用ならないという先入観を持っている。本書でもエコノミストと称する方々の「言動の一貫性や論理性」の欠如、「言説と実結果との乖離度」のひどさが多々指摘されている。

 「言動の一貫性や論理性」の欠如についての代表的例は「竹中平蔵」であろうか。 著者も述べるとおり、「少なくともその発言を経済学者のものとして扱うのは間違っているだろう」が、「これまで竹中氏が公言してきた経済についてのコメントは、ほとんどが矛盾を来し」ている(p.213 )。

 本書においても、相当箇所において、その具体的例示がなされているが、なんと言っても最悪であったのは「郵政民営化」についてであろう。今さらという気もするが、新政権下で小泉・竹中による民営化策の見直しが始まろうとしている現在、あらためて検証する価値は十分にあるだろう。竹中元大臣による詐欺的言辞の典型例は「郵政公社を民営化すれば郵貯が市場に開放されて資金は“官から民に流れる”と論じていた。また、郵政公社の職員は公務員だから、民営化すれば公務員削減が可能になるとも述べて」いた(p.44)ことである。

 そもそも民間・企業セクターよりも公セクターによる資金需要が強い中で、民間銀行までが大量の資金を国債購入に充てており、さらに当分の間は借換債及び新規債の大量発行が続くことが不可避であると考えられる現状(仮に困難なプライマリーバランスの回復を成し遂げても、さらに大量の累積債務を解消することは極めて困難であろう)において、前者はほとんど”詐欺“に近い発言であるし、後者についても、郵政公社は独立採算制であったから実質的な公務員削減効果が期待できないことは明らかであった。

 著者が言うように「これが政治の現実というものなのかもしれないが、それでは竹中氏が経済学者として延々と論じてきた構造改革とは何だったのだろう。結局、竹中氏が行った構造改革とは、国民を欺くだけでなく、自分の学問をも欺くものにすぎなかったことになる」(p.44)。

 竹中その他、経済学者またはエコノミストを名乗る種族が、いかに「言動の一貫性や論理性」を欠いた方々であるかを再確認するためにも、本書は一読の価値があるだろう。

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紙の本毎日が日曜日 改版

2008/05/14 22:24

ビジネス戦記

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 本作品は、昭和50年(1975年)2月から読売新聞朝刊に連載されたものである。「あとがき」において、著者は連載を始めるにあたっての「作者の言葉」を紹介している。

「余暇社会の入口まできて、にわかに崩壊しはじめた経済。形こそちがえ、いまの世相には、第二の戦争末期といった感じがある。前途は暗く、混乱はひろがり、生きがいは見つからない。」

 私は読売新聞で毎朝本作品を読んでいたが、1975年当時は石油危機(1973年)の後でかなりの不況であったと記憶する。著者は当時を「第二の戦争末期」のようで「前途は暗く、混乱はひろがり」と述べているが、当時は「第一の敗戦」(1945年)の約30年後であった。

サンフランシスコ条約の発効(1952年4月28日)により主権を回復した我が国は、敗戦の15年後(1960年)の第一次安保改定問題という“政治の季節”を経て、経済高度成長期に入り、敗戦の約20年後(1964年)には東京オリンピック、敗戦の25年後(1970年)には大阪万国博を開いた。

しかしながら、石油危機直後の1974年には消費者物価指数が23%上昇、インフレ抑制のための公定歩合引き上げによる企業設備投資抑制などの結果、日本経済は戦後初のマイナス成長を経験、高度経済成長が終焉を迎えたとされる。そして、さらにこの約10年後には、その後のバブル経済とその崩壊の原因となったと考えられるプラザ合意(1985年)となる。

 こうして見ると、著者が1975年当時を「第二の戦争末期」と喩えられたのはまことに適切であったわけで、その後のプラザ合意、バブル崩壊という「第二の敗戦」を経た現在は、まさに「第二の戦後」ともいえることになる。

 今、本書をあらためて読み返して見ると、まだ成田空港ではなくて羽田が唯一の国際空港であったこと、京都と東京間の国内電話料金でさえもまだ相当の高額であったこと、当然のことながらPC・携帯電話はまだ登場していなかったことなど、30数年の歳月を感じる部分も多いとはいうものの、帰国子女問題なども既に生じていたことがわかる。本書では、そうしたまだまだ情報化社会以前であった世界で戦った多くの無名「戦士」「兵隊」たちに対する城山氏の暖かい視線が感じられる。

 著者は、「作者の言葉」として、前掲の部分に引き続いて次のように述べている。

「そうした中で、経済戦争の加害者であり被害者でもある戦士と、その家族たちは、どのように生き、どのように漂っていくのであろうか。
 会社を信ずる者と信じない者、のめりこむ者、脱出する者と、そのさまざまな生き方の織りなす中で、現代に生きるよすがとなるようなものを追い求めて行きたい。」

 本作品が読売新聞に連載されていたころ、私は(商社ではなかったが)最初の勤務先を退職した直後であって、いわば「会社を脱出した者」としてこれを読んでいた。 そして、その後の日本社会を“漂つた”末に、この30数年後の本年4月から自分自身が「毎日が日曜日」となった現在、ふたたび本作品を読んでみて、当時の “会社にのめりこんでいた” 団塊世代前後の同僚達のことをあらためて思い出した。

本書は、日本経営の長所とされたいわゆる終身雇用制が揺らぐ現在だからこそ、あらためて読まれるべき“戦記”とも言うべき作品だと思う。

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紙の本奈良大和路の古寺

2009/12/06 18:24

奈良・大和路の82寺院

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 奈良・大和路の82寺院について解説したガイドブックである。奈良の寺院についての、簡明な辞典のような構成である。全体的にやや単調な叙述であるが、辞典的に使うのではなく、全体を通読するのも有益であろう。

平均すれば各寺院について2頁の量となるが、興福寺、東大寺、唐招提寺、薬師寺、法隆寺の5寺については6頁を当てて、全体の地図も添えられている。西大寺、長谷寺、室生寺、当麻寺の4寺については4頁が当てられている。これらの寺院を、五木寛之氏監修『百寺巡礼(ガイド版)』(講談社)の10寺と比べると、後者では秋篠寺、中宮寺が加わり、西大寺は落とされている。したがって、両方で挙げられた延寺院数は11となる。 評者は、82の寺院を訪れるのは中期目標として、とりあえずはこの11の寺院は訪れなければならないと考えている。

 白州正子さんは、「アメリカ帰りの若い娘には、京都は何かじめじめして、小じんまりと完成されすぎており、大人になるまでなじむことができなかった。それに反して、大和には、風通しのよい雰囲気があり、事実空気も乾燥していた」と書かれているが、評者は、妙に観光ずれしたような京都に比べて、奈良には素朴な美しさが残っているように感じる。

来年の春こそ、ゆっくりと奈良を訪れたい。心沈むことが多い昨今であるが、春の到来が待ち遠しい。

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「日本のルーツが見えてくる」

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 著者が言うように、大阪にはどこにも千年を越える地名と歴史が伏在している。 徳川幕府以来、明治以降においても東京中央政府、歴史学会による敵視または陰謀によって、大阪の歴史的伝統については軽視され続けてきた。 評者も、大阪の歴史を少し学びなおして、このことをあらためて感じる。

学校で教える日本史でも、縄文・弥生の次はすぐ奈良・平安に飛んでしまい、その前後に「大阪」が存在することを無視してきた。このため、大阪出身者でさえも、日本の国というか大和国の発祥が難波(なにわ)にあることについても、難波京の存在についても、ほとんど知ることがなかったと思う。

古都と呼ばれる京都でも、その歴史はせいぜい1200年前以降のことであり、奈良はもちろんそれより古い歴史を有するとしても、8世紀に都が去ってからは、日本歴史の上ではほとんど表舞台に登場することはなかった。東京などはせいぜい400年前以降の歴史に過ぎない。ところが、大阪の歴史は千数百年前にさかのぼるのが普通であり、しかもその後の大部分において日本歴史の中心的舞台となってきたのである。

著者自身も、「大阪の歴史に余りに無知であったことを恥じた」と述べているが、本書は、大阪の駅名を通じて、大阪の豊穣な歴史と文化に対する認識を新たにしてくれる。まさに「日本のルーツが見えてくる」良書だと思う。

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紙の本憲法 第4版

2009/02/20 16:50

一般市民でも理解でき、しかも水準を高く維持した憲法書

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 必要があって、ひさしぶりに憲法の教科書を読んだ。本書は、ラジオによる放送大学テキストが基になっているというだけに、比較的一般向きに平易に説かれているように感じる。

 基本的人権の部分を通読したのだが、我々のようなかなり古い時代の教育を受けた人間から見ると、分析などに明らかにアメリカ憲法学の強い影響がみられるように思う。日本では民法、刑法などの基本法がドイツ、フランスなど大陸法系を継受していることから、戦後になって、憲法、刑事訴訟法、会社法などがアメリカ法に基づき大改正が行われたにもかかわらず、相当の期間、ドイツ的な解釈手法がまだかなり支配的であった。私自身が受けた憲法の授業では、「憲法の概念」「憲法の最高法規性」「公共の福祉」などについて、かなり概念的な講義をされたと思う。しかし、会社法なども、米国のデラウェア州会社法などに倣ったものにさらに大幅改正され、法律の米国化は急速に進んできたように思う。ちょうど、私たちの学生時代の経済学部といえば、マルクス経済学が主流で、米国流の近代経済学はまだ少数派であったのが、近年では、圧倒的に米国型経済学が主流になってきた?ことと相似的な現象だろう。

 本書では、例えば、「表現の自由」については、これを支える価値として二つある、として、一つは、個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという、個人的な価値(自己実現の価値)であり、他は、言論活動によって国民が政治的意思決定に関与するという、民主政に資する社会的な価値(自己統治の価値)である、と説かれる。この部分など、アメリカ憲法学の影響を強く感じる箇所である。

 プライバシーの権利については、個人の私的領域に他者を無断で立ち入らせないという自由権的、消極的なものと理解されていたのが、情報化社会の進展にともない、「自己に関する情報をコントロールする権利」(情報プライバシー権)と捉えられて、自由権的側面のみならず、プライバシーの保護を公権力に対して積極的に請求していくという側面が重視されるようになってきている、と説かれる。こうした明らかにアメリカ憲法学の強い影響を受けたダイナミックな記述は魅力的である。

 わが国の憲法典は、成立後60年を経ながら、未だに改正がなされたことがない。安部内閣のもとであったか、自民党立党50年を期して盛り上がったかに見えた憲法改正の動きも現在では休止してしまったことは残念と言うほかない。しかし、今後の政界再編から大連合の動きによっては、再び改正の気運が盛り上がることも予想される。そうした場合に広く読まれるべき、一般市民でも理解でき、しかも水準を高く維持した憲法書として、本書はまだ当分は存在価値を保ち続けるのではないかと思う。

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