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  3. 浦辺 登さんのレビュー一覧

浦辺 登さんのレビュー一覧

投稿者:浦辺 登

307 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本塩狩峠 改版

2010/05/12 10:33

物事の背景を探り、聖書の意味を三浦綾子の小説から知る。

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この小説は実際に起きた鉄道事故を基に書かれたものだが、めったにこの著者の作品を手にしないのに、この作品を読もうと思ったのは明治時代に起きた「お召し列車事件」という別の列車事故を考えてみたいと思ったからだ。
 北海道塩狩峠で明治42年2月28日、暴走する列車がカーブで転覆しそうになる巨大事故を一人の鉄道員が自らの命を捨てて防いだ。片や、「お召し列車事件」は明治44年11月10日に明治天皇が九州巡幸にあたり乗車予定であった列車が脱線事故を起こし、死傷者は居ないにも関わらず、その管理責任を問われて鉄道員が鉄道に飛び込んで自殺をしてしまった。
 乗客の生命を守るために自らの命を捨てた鉄道員、管理上の不手際から自責の念に駆られて自殺してしまった鉄道員。ともに鉄道に生きる身でありながら、その二人を取り巻く人々の感情の違いを知りたかったからである。
 この作品はキリスト教信仰に生きる鉄道員の自己犠牲の姿を描いている。まさに、キリスト教信仰に目覚めた、三浦綾子にしか書けない内容の小説だった。

「お召し列車事件」では、飛び込み自殺をした鉄道員の顕彰碑建立の意見が出たことに対して、「福岡日日新聞」という地元紙に九州帝国大学総長の山川健次郎が意見記事を出したことから紛糾した。反天皇ともとれる内容であったために問題とされたが、山川健次郎の物理学会における功績の大きさもあってか、不問となり、後に東京帝国大学の総長に再就任までしている。
 もしかしたら、山川健次郎は明治42年の事件を知っていて、あえて、バッシング覚悟で意見記事を出したのではないかと思える。それも、山川健次郎の妹でありクリスチャンの大山捨松(薩摩閥の大山巌の夫人)から塩狩峠での鉄道員の自己犠牲を聞いて知っていたのではないかと推察する。明治初年、朝敵となった会津若松の白虎隊生き残りが山川健次郎だが、生命の尊さ、自らの生命を捨てるのは他者のためという信念を持っていたからではと考える。
 本来、小説についての評を記さなければならないのだが、山川健次郎が日本全国を敵に回してでも意見を曲げなかった背景を知るには、この小説を読むしかないと思った次第だが、山川健次郎はアメリカ留学時代に聖書を読んでいたのか、などとも。
 日常、聖書に触れる機会が皆無に等しいため、山川健次郎の心象風景を洞察するため、三浦綾子のこの小説を選んだ。

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紙の本

紙の本飴と飴売りの文化史

2009/06/03 22:03

「あまい」思い出は人生の原点にまで引き戻してくれます。

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ほとんど毎日お世話になるコンビニのカウンターに、「買ってちょうだい」とばかりにチロルチョコが並んでいるが、あのチロルチョコの原点は本書の「飴と飴売り」にあったのでは、と思い至った。
 昭和30年代に子供時代を過ごした身にすれば、チロルチョコの登場はおやつの革命だった。村に一軒しかない駄菓子屋には二個で10円の芋の澱粉で作った飴が売られていたが、10円でチョコレート、それも三つの山で一本のバーになったチロルチョコはおやつの定番だった。ヌガーをチョコレートで包みこんでいたが、ヌガーとしゃれた呼び方をしていたが、これは実のところ穀物澱粉から作った飴ではなかったろうか。チロルチョコ発祥の地は福岡県の中央部、筑豊田川だが、この地域は本書にもあるように昔から飴造りの盛んなところであり、農家の人々の憩いのひとときに欠かせないものであり、石炭採掘が全盛期の頃は炭鉱労働者の疲労回復に無くてはならないものだったのではと思う。
 著者の実家が筑豊の直方で飴も扱った和菓子屋さんだが、その飴についての研究は自然に地元が中心となってくる。しかしながら、興味はここで尽きず、日本全国における飴造りと飴売りの研究に及び、さらには日本で「飴売り」として出稼ぎに来ていた朝鮮人を記憶に留めていたことから第五章に「朝鮮人飴売りのこと」という章を設けている。
 砂糖が極めて高価で、流通量も少ない時代、アジアにおける甘味料といえば「飴」であったことを実証しているのもおもしろく、「甘い」の反対にある「辛い」の代表、塩にまで考察が及んでいることに感心する。

 また、「飴売り」の形態についておもしろかったのは、金属類と飴とを交換していたということだった。おかしな格好をして独特の笛を吹いて子供たちを呼び集め、子供たちが持参した金属類と飴とを交換していたという民族史の紹介がおもしろかった。本書には写真やイラスト資料が豊富に用いられているが、その中にはキセルの雁首を盗み出して飴と物々交換している子供の姿もあっておもしろい。
 さらには、昭和20年代から30年代にかけてよく見かけた紙芝居の飴屋さんのことも紹介してあり、ねばりにねばってようやく貰った5円玉を握りしめ紙芝居屋に走ったこと、飴を舐め舐め「黄金バット」に興奮したことが思い出された。

 チロルチョコの創業者は子供たちに安価におやつを提供したいとの思いからチロルチョコを思いついたそうだが、初期のチロルチョコにあったヌガーというベース、それは筑豊地区における飴造りの土壌があったからこそ日本全国の子供に安価にしておいしいおやつを提供できたのではと思う。
 本書の帯には「うまい」の原点は「あまい」とあるが、甘いものを口にした時の記憶というのは幾つになっても「うまい」思い出として脳裏にこびりついているものだと思った次第です。

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紙の本

多面的に過去の日本の立場を述べた内容。

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 日米開戦直後、大川周明は日本国民に米英と戦端を開いた経緯を分かりやすい言葉で述べた。本書はその全文に著者が解説を加えたものである。日本の敗戦後、降伏条件には戦争裁判が含まれていたが、その開廷された極東国際軍事裁判(東京裁判)での大川の奇怪な行動から、大川の過去の全ての業績は砂上の楼閣となった。このことから、冷静に、大川が説いた内容を検証しようという試みはされず、ようやく著者によって陽の目を見たが、極めて正論が述べられていることに驚く。敗戦後の日本歴史では、日本の朝鮮半島、大陸への帝国主義、植民地主義によって世界大戦が引き起こされたかのような記述がなされている。しかしながら、大川が述べた内容は欧米の主張する内容とは異なり、さほど、戦後の日本の歴史が一面的にしか提示されなかったということになる。
 過去は取り戻すことはできない。けれでも、歴史や外交において、多面的に見なければならないという事を知るに適した一冊だった。

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紙の本

柔道はスポーツか、武道か。

11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この夏、総合格闘技のDREAMが「さいたまスーパーアリーナ」で開催された。リングサイドから見る総合格闘技観戦だったが、なぜか、寝技が多い。蹴りや投げ技もあるが、タックルから寝技に持ち込む選手が多く、さらにマット上での寝技の時間が長い。巨大なスクリーンが無ければ試合展開がリングサイドといえどもわからない。少々、イラつきを感じながら観戦していたが、本書を読んで、旧帝国大学、旧専門学校で盛んに行なわれていた柔道が現在の総合格闘技の寝技に近いということを知った。
 以前、日露戦争で戦死した廣瀬中佐を調べるために水道橋の講堂館を訪ねたが、柔道でありながら棒術を練習している写真パネルがあった。柔道に棒術と思ったが、かつての柔道の原型である柔術では「あて身」という打撃技も盛んであったという。今も講道館に伝わる古式の型は鎧兜に身を包んだ武者が組打ちをした際の闘いの型だが、武者が腰に短刀を差すのは組伏せてから敵の首をかくためのものという。
 現在のオリンピックや国際試合のポイント柔道につまらなさを感じていたが、その理由や本来の格闘技とは何であるかをこの一冊は語ってくれる。その題材として木村政彦、力道山の闘いを取り上げたのではと思うほどだった。ブラジリアン柔術のエリオ・グレイシーと木村政彦の死闘も手に汗握るが、かくも格闘技の戦いとは激しいものなのかと背筋が寒くなるほどだった。
 本書は二段組み、700ページに亘る内容で、牛島辰熊、木村政彦、岩釣兼生という熊本が生んだ三人の柔道家の生きざまが珠玉である。「勝つ」ということに対する執念は並々ならぬものがあり、師匠と弟子の葛藤、和解、まさに人間ドラマである。百獣の王ライオンは我が子を千尋の谷に突き落とし、そこから這い上がってきたものだけを後継者に据えるが、まさに、牛島辰熊、木村政彦、岩釣兼生という「柔道の鬼」どもが弟子を千尋の谷に突き落とし、落とされ、這い上がって生きてきた記録でもある。
 その記録を著わした著者の木村政彦に対する思いの深さ、重さは、計り知れない。柔道を愛する者、格闘技を愛する者の気持ちを代弁した格闘技史である。
 読了後、胸を去来するのは《夏草や兵どもが夢のあと》の芭蕉の一句だった。

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紙の本

紙の本マハン海上権力論集

2011/03/20 07:18

実行に移された日米開戦。

11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 マハンといえば『坂の上の雲』での主人公秋山真之が師と仰いだ海軍戦略家である。しかしながら、その海軍戦略家であるということはマハンの一面であって、外交問題や民族、宗教も含めて多角的に物事を論じた人物である。
 本書はそのマハンの海上権力論の要約で構成されたものだが、読み進むうちにアメリカがマハンの対日政策と対日観を如実に実行したことが理解できる。白人優位主義、キリスト教原理主義とも思える発想がその根底にあるが、日本のハワイ移民から始まる日米の対立構造は日清戦争直後からのことに注目すべきである。日米開戦の発端は日露戦争勝利による満洲を含む中国市場の機会均等という開放政策の対立かと思いこんでしまうが、それ以前からの問題であったことは認識を新たにしなければならないだろう。
 さらに、日本から見れば広大な北米大陸だが、マハンから見れば大西洋、太平洋に挟まれた島国の発想をし、太平洋の沿岸防備のためには何が何でもハワイをアメリカ領土にしておかなければならないという異常なまでの主張に驚く。
 日米開戦はハワイ、カリフォルニアへの日本人移民による対立が始まりであると言っても過言では無いが、真珠湾攻撃の前に宣戦布告と同じ意味を持つパナマ運河の封鎖措置に出たアメリカの過敏なまでの行動原理はマハンの戦略にあったことが理解できる。
 本書は日米開戦に興味を持たない方には何ら面白みは感じられない。しかしながら、根本的な問題は何であったのかを考える方にはまたとない参考書になりうる。
 読みこなすに大変な一冊だったが、マハンの廻りくどい文体の原文を暗記していた秋山真之の頭の中の構造はどうなっていたのだろうか、そんなことが頭をよぎるものだった。

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紙の本

紙の本兄のトランク

2010/10/27 09:27

旅する賢治のトランクから。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 岩手県花巻市を訪れたとき、そこかしこに賢治の気配を感じた。新幹線「新花巻」駅を降りると「セロ弾きのゴーシュ」の一団が外れた音楽で迎えてくれる。吸い込まれるような青い空に風に揺れる稲穂のコントラストが印象的だった。
 その花巻を訪れた時を思い出させるような一冊だった。
 そして、賢治作品からは知り得ない近親者のみが知っている事実の数々。賢治愛用のトランクから『雨ニモマケズ』を書きとめた手帳が出てきたとき、読経しながら血を吐き、少しの水を口に含み、自ら身体を清めてから瞑目した賢治の最期に言葉を失う。父は「賢治の前世は旅僧」と表現し、再び生まれ変わって好きな場所を旅しているのかもと思う弟の清六さん。生きている間、書き溜めた原稿は売れなかったけど、いまだに愛される賢治は永遠の旅僧なのかもしれない。
 偶然にも、花巻温泉に宿泊したホテルの名前が賢治の作品も使われていたのを本書で知ったが、トランクから飛び出てきた手帳のように、賢治についてはまだまだ新しい発見があるのだろう。なぜなら、「下の畑にいます」といって今でも賢治は花巻で農業しているような気がしてならないから。

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紙の本

紙の本なぜ水俣病は解決できないのか

2010/01/21 20:22

本書のタイトルに対する疑問から広がる日本の問題。

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 水俣病が昭和三十一年(一九五六)に公式確認されてから半世紀以上が経過した。あらためて、いまだ、この水俣病が解決されていないことに驚くが、さらに驚くのは患者の数が増加傾向にあるということ。この公害の原因は究明されたのに、なぜ、患者の数が増えていくのか。
 さらに、なぜ、全面解決されていないのか。
 
 本書を手にした前日、ナショナル・フラッグキャリアと呼ばれた日本航空が国家の手によって救済された。これから日本国民が税金として背負う負担は生半可なものではない。しかし、公共性、地方の活性化という美名のもとに救済された。
 この救済措置について国民から強い反対意見が出ないのは、たぶん、目に見える形で日本航空の存在が国民に認識されたからだろう。
 翻って、水俣病の患者に対する救済だが、国民の関心が薄いのはどうしてだろうか。熊本県の水俣市で起きた事件だからだろうか。国民の目に映らない企業不祥事の被害者だからだろうか。日本国民の人口比率から言えば、一地域の人々だけが影響を受けた事件だからだろうか。格差社会といわれるが、その格差社会の底辺に生きる人々が多かったからだろうか。
 今、水俣湾に水銀を垂れ流したチッソという会社は日本の産業に欠かすことのできない工業製品を提供しているという。携帯電話の液晶などがそれになるそうだが、高収益企業とのこと。日本の敗戦後も、チッソは化学メーカーとして日本の高度経済成長に不可欠の工業製品が求められた。その陰で、何の罪もない人々が高度経済成長の恩恵を受けることなく死んでいった。

 本書を読みながら、森永ヒ素ミルク事件、カネミ油症事件という公害事件を思い出した。高度経済成長という美名の陰で光化学スモッグもあった。日本の高度経済成長は人類の奇跡のひとつといわれているが、失ったものも多い。
 そして、十二年連続、毎年三万人にも及ぶ自殺者。
 高度経済成長という言葉に寄り添った「合理的」という単語に翻弄された日本だが、解決し救済しなければならない問題は多い。ふと、単純計算で三十六万人もの自殺者は戦争や公害などで救済されなかった人々の現世に対する恨みつらみの表れなのではと思うことがある。
 いずれにしても、この水俣病は一地方の問題として捉えるのではなく、日本国民全体の問題として考え直されなければ、日本という国じたいも救われないだろう。

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紙の本

まるで旧約聖書を読んでいるかのよう。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 今、金融業界は世界的な恐慌に陥っている。その原因はマネーゲームを楽しんだ一部の人間の欲というものだが、その欲得にかられた人間はバベルの塔の住人であることを認識しているのだろうかと思い至るときがある。
 その金融不況の震源地であるアメリカには先住民族のアメリカ・インディアンが住んでいる。インディアンといえば、アメリカの西部開拓時代の悪役という印象が強いが、白人が侵略者でインディアンはその被害者でしかない。そういったことがようやくにして分かり始め、そして、彼らが代代引き継いでいる物語が旧約聖書にも負けない内容であることに驚きを隠せない。

《善人にも、悪人にも雨は降り、陽は昇る》
《家族の間に調和が保たれれば人生は成功だ》
《ひとりの子供を育てるには、村中の努力が必要だ》
《知識ではなく、知恵を求めよ。知識は過去の産物だが、知恵は未来をもたらす》
《宗教はどれも神に帰る踏み石にすぎない》
 これは、アメリカ・インディアンに伝わる格言として本書の中に収められているほんの一例でしかないが、いずれもどこかで読んだ記憶がある。
 
《答えがないのも、答えのひとつ》
 これもアメリカ・インディアンに伝わる言葉だが、今、人々に必要なことはバベルの塔の足もとに暮らしていた先住民族の知恵に学ぶことなのかもしれない。

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紙の本

紙の本昭和史発掘 新装版 1

2008/12/09 20:58

資料の裏付けと読みの深さに感服の松本史観。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この一冊には下記の5つの事件について、松本清張の視点で解説が加えられている。
・陸軍機密費問題
・石田検事の快死
・朴烈大逆事件
・芥川龍之介の死
・北原二等卒の直訴

 刊末にも注釈がある通り、社会の不条理に対しての松本清張自身の憤りも加味した内容となっているが、これはそのまま、松本清張の身の上に不思議と重なりあう気がする。戦前の軍部が膨張の一途をたどり始めた陰には官僚化した高級軍人が政治の世界に介入し、政治を支配し始めたことにあるが、その象徴的な事件が「陸軍機密費問題」である。冒頭、乃木希典が政治の世界に身を置かなかったというエピソードが対極にある田中義一の人間性を浮き出させ、興味を惹かれてしまった。
 
 このなかでも、「北原二等卒の直訴」を読んでいて思ったのは、これは松本清張が朝日新聞に所属していたときの、いわれのない差別に対する憤りをこの作品にぶつけたのではと思えてならない。差別は差別を受けている人間が闘って、自ら勝ち取るということを暗に訴えているが、これは芥川賞という社会的にも高い評価を受けたにも関わらず、新聞社の催場の受付係をやらされていたという組織差別に対する反抗の言葉かもしれない。

 また、「芥川龍之介の死」においては、『半生の記』に描かれてはいるが、松本清張自身の陰の部分を芥川龍之介に見たのかもしれない。

 尚、これらの作品は昭和39年(1964)、40年(1965)に書かれたものなので、当時、まだ生存している関係者に配慮して綴られているように見受けられる。前後の関係がすっきりとしない箇所が散見されるが、こういったところに松本清張という作家の社会に対する優しさが偲ばれるようだ。

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紙の本

紙の本我ら戦争犯罪人にあらず

2012/04/12 22:07

精神的従属から解放されるには。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 大東亜戦争中、現在のインドネシアに軍政を敷いて現地の人々から支持を得た将軍の回顧録。敗戦前、ニューギニアでの持久戦を展開し、およそ7万の将兵の生命を持続させることが司令官の職務と考えていた。
 敗戦後の連合国による戦争裁判では、かつての敵軍であるオランダ軍からは無罪判決を勝ち取るものの、オーストラリア軍からは10年の刑期を申し渡されている。しかしながら、本人は自身の部下が十分な証拠調べもない中で死刑を宣告、執行されることに懸命に弁護、証人を努めている。どさくさに紛れて戦争裁判を逃れ、部下の証言者を免れる旧日本軍の上官が多いなか、最期まで逃れなかった。
 その今村大将の姿に、オーストラリア軍も捕虜の処遇を考えたりするが、他の地域でのイギリス軍などの日本兵捕虜、戦争犯罪人に対するリンチは凄まじかった。死刑宣告された日本人戦争犯罪人に、執行直前までリンチを加えるイギリス軍兵士には憤りすら覚える。
 巻末には今村均の反省録が収められているが、これは一読に値するものである。
 あの戦争は聖戦であるとか、正義の戦いであるとか、そういう国家の枠を飛び越え、一個の人間として戦争を見つめた言葉が詰まっている。
 戦争裁判では東京裁判での7人の絞首刑で終わっていると思いがちだが、外地での戦争裁判まで含むと軽く千名は絞首刑、銃殺で命を落としている。これに連合軍兵士による日本兵捕虜へのリンチ、原爆投下、無差別爆撃、沖縄戦での砲爆撃を加えると、連合国軍の戦争犯罪は日本の比ではない。しかしながら、連合国軍からは一人も戦争犯罪人は出ていない。先の戦争裁判が勝者の裁判、人種差別裁判といわれる由縁でもある。
 もう一度、連合国軍が下した歴史観を振り返り、日本人は精神的従属から解放されなければならない。

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紙の本

満洲は傀儡国家というよりも密売国家だったのか。

9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 日本の敗戦から半世紀以上も経過しながら、「満洲国」の全容が見えない。ひとつには、傀儡国家という蔑称が頭に付くからであり、現在の中国共産党が当時の満洲国の資料を公開しないところにある。仮にあったとしても、「灰燼に帰した」ということで公開はさせないだろう。さほど、各方面にとって脛に傷がある満洲国なのだろう。
 そもそも、この満洲という地域は辛亥革命の孫文によって日本に租借と言う形で譲渡された地域だった。漢民族の孫文にとって異民族の地満洲に興味は無く、日本からの革命資金と軍隊調達の見返りの担保物件に過ぎなかった。さらに、日露戦争によって日露共同管轄という歪な地域が満洲であった。その満洲の権益を狙ってアメリカとイギリスが暗躍するが、なにがそれほど満洲の地に埋まっていたのだろうか。地下資源なのか、はたまた、アヘンなのか。ソ連軍の南下政策の防波堤を築くためは大義名分だったのか。
 本書は満洲国を陰から支配した甘粕正彦と表から国家としての形を築いた岸信介を通して満洲を描いたものである。当然、この二人だけを通しても満洲の全容は見えてこないが、しかしながら、根幹を成すのは確かである。その根幹の裏を成すものがアヘンだったが、日本においても敗戦後、ヒロポンという覚せい剤が町の薬局で販売されていたことは徐々に記憶から消されている。合法的に覚せい剤が販売されていた陰には、敗戦後の日本でアヘンが余っていたこともあるが、生産活動における疲労回復剤として利用され、民心の安定という目的もあった。さらには、特攻隊員には薬物中毒者がいたが、生き残った者たちが中毒を少しずつ緩和するための必要措置であったことにもある。
 このアヘンでは戦後日本の支配者であるアメリカ、イギリスも脛に傷持つ仲であり、満洲を自国に組み込んだ中国においてもそうである。全てを闇に葬る手段として、戦争裁判で口を割りそうな者を処刑するしかなかったということか。
 巣鴨から出所した岸信介とその親族関係の戦後を洗っていけば、さらに新たな事実を解明する道筋が見えるかもしれない。沖縄返還交渉の切り札にアメリカ軍がからんだアヘンの事実を佐藤栄作がちらつかせていた、などということはあるまいが。

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紙の本

紙の本玄洋社・封印された実像

2010/10/20 09:41

真の独立国家日本の歴史を再構築するために。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は玄洋社の研究者として、それも玄洋社の地元福岡で活動する著者によって著わされた集大成である。いままで新聞や雑誌に発表してきた研究成果に加筆訂正されたものだが、その豊富な資料と裏付けには、頭が下がる。
 と言ったところで、現代日本において玄洋社を知る人は極めて少ない。それは、出回っている解説書の全てに「右翼団体」「大陸侵略を主導した団体」「右翼の源流となる団体」と、日本人にとって迷惑な文言が記されているために関わりあいを拒否するからである。さらには、進歩的文化人が「悪」の象徴として糾弾したためである。
 本書の冒頭、著者は玄洋社を誤認し、作品中に誤った記載をした作家、評論家、研究者を批判している。ひとつ、ひとつ、資料を明示しながら反論を試みているが、それを読んでいくと大仏次郎論壇賞の受賞者などは無知極まりないことが分かる。本書ではないが、岩波書店発行の文庫本の解説では、意図的に史実と異なる記述をして、より一層、玄洋社をダーティーなイメージになるような記述をしている。言論の自由、言論の正義を標榜する出版社がそれで本当に良いのかとモラルを問いたくなるほどである。
 しかしながら、その現代ニッポンの歴史が歪められたのはGHQによる歴史観を正しいものとして信じ込んだ人々にある。一点の疑いも無く、GHQお仕着せの歴史を受け入れているのだが、その一番の被害者が玄洋社ということになる。
 欧米のアジア侵略と闘ったが故に玄洋社はGHQから「敵」として糾弾されたのだが、その欧米が日本の敗戦後に行なった行動を辿れば、いかに国益に準じた戦争を起こし、傀儡政権を樹立し、被支配国の歴史を改竄していったかが理解できると思う。その欧米の侵略に抗った一人に近代中国を作った辛亥革命の孫文がいる。この孫文の革命を全面的に支援していたのが玄洋社であり、亡命インド人のビハリ・ボースだけを支援していたのではない。
 願わくば、本書で批判された研究者たちの反論の研究書が出版されることを願っている。封印された玄洋社が解明されるとき、それは、真の独立国家としての日本の歴史が再構成されるときになる。

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紙の本

紙の本スターリンの対日情報工作

2010/08/31 05:21

イヌはしょせんイヌであるのか。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 日米開戦前、日本中を驚愕させたのはゾルゲ事件である。日本の国家機密をゾルゲがソ連に通報していた事件だが、そのゾルゲは日本の同盟国ドイツの人であった。さらには、駐日ドイツ大使のオットとゾルゲは親友とも称されるほど親密な関係を築いていた。
 そのゾルゲに情報を提供していたのが元朝日新聞の記者であった尾崎秀実だが、近衛文麿に近く、首相の座にあった人物の傍にソ連のスパイがいるとは、思いもしなかったことだろう。この事件によって防諜工作が盛んになり、言論弾圧も激しくなったが、東條政権成立の日にゾルゲを逮捕している事実から軍部が親英米派といわれる近衛文麿を失脚させ、政権奪取のきっかけに事件を利用していたのは明らかだろう。
 驚くのは戦中のことだけではなく、日本の敗戦後に明らかにされたスパイ事件の犯人が思わぬ人物たちだったからだ。自首してきた元関東軍航空参謀少佐の志位正二の証言により外務官僚たちが逮捕された「ラストボロフ事件」と呼ばれるものだが、関東軍の中にソ連のスパイがいたとなれば、日本の機密情報は筒抜けに等しい。
 本書には、不確定ながらも推測で語らなければならない事項も多々ある。それだけ、スパイが巧妙に身分をカムフラージュして活動していたということになるが、いかに欧米の情報活動が巧妙であったかということになる。日米開戦前、アメリカの諜報機関によって宣戦布告が解読されていたのは有名な話だが、日本の情報管理はあまりにお粗末としか言えない。これも日露戦争における明石元二郎の諜報活動がうまくいったが為の油断だったのだろうか。
 今でも現役の自衛官が機密コピーやディスクをロシア大使館員に売却したことが事件になり、旧冷戦構造時代のスパイ同志の交換やスパイの暗殺など、世界のどこかでスパイ事件が話題になる。当初、戦前に起きたスパイ事件の振り返りをまとめたものなのか、そう思いながらゾルゲ事件に関する書物をひっくり返して読み進んでいたが、どうも現代ニッポンに対する警告の書なのでは、ということに気づかされた。個人情報保護法など情報管理がうるさく問われる昨今だが、根本である国家の機密は大丈夫なのかと不安になった。
「イヌはしょせんイヌ」と引用された箇所があったが、国家のためにと情報を集めても最後に笑うのは飼い主(権力者)であって、イヌ(スパイ)は亡命するか暗殺されるかしかない。
 みじめだが、やはり、イヌはイヌの扱いしか受けない。
 そんなイヌの扱いしか受けないスパイが消滅する日は来るのだろうか。権力に目覚めた人間が出現する限り、悲しいかな、消滅の日は来ないだろう。

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紙の本

紙の本昭和史発掘 新装版 2

2008/12/27 14:25

民族問題も絡めた満洲問題を解きほぐしてもらいたかった。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この一冊には下記の5つの事件について、松本清張の視点で解説が加えられている。
・三・一五共産党検挙
・「満洲某重大事件」
・佐分利公使の怪死
・潤一郎と春夫
・天理研究会事件

 これらの作品を読んでいてふと気づかされたのは、「昭和史発掘1」に収められていた「陸軍機密費問題」が「満洲某重大事件」と「佐分利公使の怪死」に繋がっていることだった。官僚化した陸軍軍人が政治に介入し、「統帥権」という絶対権力を振り回して政権を操ったが、その余波が各地域で引き起こした事変だった。
 ここで思い出されるのは、陸軍大将乃木希典の「軍人は政治に介入すべきではない」という言葉だが、後輩の田中義一が陸軍機密費を持参金にして政治に色気を見せたのが間違いの初めだったのか。

 そして、事変から戦争へと突き進む原因を作ったひとつの事件が「満洲某重大事件」だが、これなどは天皇の意向を無視して陸軍が暴走を始めた事件だった。これぞまさしく「統帥権」の干犯だが、このことを追求する政党人が少なすぎた。陸軍機密費による買収、憲兵隊による恫喝を受けていたからだろうか。
 本書を読んでいて思ったのは、民族問題もからめて松本清張には解説して欲しかったということだ。チベットでの暴動が世界に報道されるようになったことで中国には多数の民族が存在していることが日本でも認識されるようになったが、この満洲の問題には満洲族と漢民族との三世紀弱にわたっての抗争が横たわっている。この民族間の支配、被支配の関係を前提に満洲問題をみていくと、主義主張だけではない権力闘争の裏面が読み取れ、軍閥間の離合集散の流れがより鮮明になってくると思う。

 ちなみに、「三・一五共産党検挙」の中で佐野学という人物と後藤新平が縁戚関係であると簡単に述べられているが、南満洲鉄道総裁、内務大臣、東京市長も務めた後藤新平の養女と結婚した佐野彪太の弟が佐野学になる。共産党創立にあたって、党員が佐野学と距離を置きたがったのも理解できる。

 これら一連の作品は昭和40年頃に書かれているので、読者に対して事件に登場する人物や時代背景の注釈が不要な時代だったと思うが、今後は必要になってくるのではと思う。

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紙の本

紙の本未踏の野を過ぎて

2011/11/13 11:28

一過性の意識変革。

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 東日本大震災は日本人の意識を変えたといわれる。確かに、人と人の絆を求めるようになったとか、他者に対して優しくなったとか、日本と日本人に自信を深めたという。これはこれで大変良いことだが、根本的な問題が解決されたかというと、何も変わらない。
 首都圏では膨大な数の帰宅難民を生みだしながら、その後の台風の直撃でも同じ轍を踏んだ。首都圏への一極集中が莫大な人的被害をもたらす危険と知りつつも、解決の方向性は見つからない。危険と知りつつも住み続ける首都圏の住民に福島原発の避難区域から立ち退かない住民を批判する事はできない。
 ひとつの熱狂が鎮まった頃、しみじみと語られる本書の内容は軽いタッチでありながら、言葉が重い。「言葉の職人」を自認される著者だけに、ひとつ、ひとつ、言葉を選び、考えている。その言葉の使い方についても、指摘は鋭い。感じる事ごとは読み手の環境や体験によって異なると思うが、35ページから始まる「三島の「意地」」という一文は何か心にひっかかる。「人間が自覚して愚行を選べぬようになってはおしまいだ。」という一行は、いかに現代が賢く生きることを人々に求めてきたかがわかる。その賢いという言葉にしても、人間性を求めてではなく、「より」多く、「より」良く、他者と比較して「より」快適な暮らしぶりの高さを求めてのものである。
 著者は中国大連からの引き揚げ者である。着の身着のまま、身体一つで日本に帰国してきて、何もないところから再スタートを切っている。今の東日本大震災の被災者と同じ環境であり、広島、長崎の原爆投下を考えれば、福島原発の事故からも立ち直ることが可能と喝破する。やんわりと、マスコミが騒ぎすぎとも注意を忘れていない。
 三島の切腹について、ぶざまな姿であろうが生き延びることも「愚行」であると著者は語る。ここに、自ら死を望まぬとも「生きる」ことも「自覚した愚行なのでは」と三島に生き抜いて欲しかったという著者の願いがある。中国から引き揚げ、結核に冒されてでも生き抜いた人だけに、生命の尊さを知っているから言えることである。
 東日本大震災は日本人の意識を変えたというが、その後も、親殺し、子殺し、自殺が止まらない現実を見ると、意識変革は一過性のものであることがわかる。

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