『働く女性に贈る27通の手紙』Web往復書簡

女性が一生、夢中で打ち込める仕事に出会うために、
10代の頃に経験しておくとよいことについて、教えてください。

望月衿子さんからの3月に発せられた問いかけ。
小手鞠るいさんからの答えは?
手紙の一部をのぞいてみましょう。

第1回「恋が仕事に与えた何か」

  1. その2
  2. その1

 夫と出会ったのは、二十八歳の時。

 私はその頃、京都駅の近くにある書店の洋書売り場で、アルバイトの店員として午後の数時間だけ働いていて、そこへお客として本を買いに来たのが彼でした。

 英語もろくにしゃべれない私と、片言の日本語しかしゃべれない彼ではありましたが、なぜか、出会ってすぐに意気投合し、かねてから行きたいとふたりとも切望していたインドへ。恋って、おそろしいものですね。それまで住んでいた部屋を引き払い、仕事も辞めてしまって、ふたりはインドへ行ってしまうのですから。

 四ヶ月ほどの貧乏&放浪旅行を経て東京へ、その後、アメリカへ。

 ただ「あなたが好き」という気持ちが、これだけの行動力につながるとは……と、自分でも自分にあきれてしまいます。

 京都の書店で出会ってから、ウッドストックの森の生活という現在に至るまでの三十三年間、互いに互いを支え合って、二人三脚で進んできたわけですが、実は夫との恋愛は「起承転結」でいうと「転」に当たるもの。

 まず、ドラマチックな「転」の前に起こった「起と承」について、お話ししなくてはなりませんね。

 時を遡ること、今から四十四年前の春。

 桜の咲く季節に、私は京都で学生生活を始めました。

 地元の岡山大学へ進学してほしいと強く願っていた両親の期待をふり切って、京都へ出ていったのです。「第一志望は岡大、京都の大学は単なる腕試し」と親にまっ赤な嘘をついて、わざと不合格になるように岡大の入試の答案用紙を白紙で出して。

 悪い娘でしょう?

 そうまでして、つまり両親を裏切り故郷を捨ててまで、なぜ私は、京都へ出ていきたかったのか。

 この理由が、とってもおかしいの。今、笑いながら、書いています。

 三月の手紙にも書いたように、中学生の時、文芸クラブの顧問の先生に作文をほめてもらったことがきっかけになって、将来は小説家になりたいと、ひそかに、あくまでもひそかに願うようになっていた女子中学生は、高校生になって進路を決める時、小説家になるためには岡山に住んでいてはいけない、小説家になるためには京都へ出ていって、京都で暮らさなくてはならない、と、真剣に考えていたの。

 考えていた、というよりも、思い込んでいたと言うべきかな。

 小説家になりたければ、まず「小説を書こう」と考えるのが普通だと思うのですが、まだ十六か十七ですからね、卵の殻を破って、やっと外に出てきたばかりのひな鳥です。世の中も自分のことも、なんにもわかっていない。可愛いというか、ちゃんちゃら可お笑かしいというか。でも、その思い込みは、純粋で強固だった。

 そうそう、たまたまゆうべ読んでいた星野道夫さんのエッセイ集『旅する木』の中で、こんな文章に出会ったの。アラスカの自然にあこがれて、アラスカを目指した若き星野さんが昔をふり返って書いている文章なのですが、

 ──あの頃、ぼくの頭の中は確かにアラスカのことでいっぱいでした。まるで熱病に浮かされたかのようにアラスカへ行くことしか考えていませんでした。磁石も見つからなければ、地図も無いのに、とにかく船出をしなければならなかったのです。

(星野道夫著作集3 新潮社刊より)

 アラスカを京都に置きかえると、そのまま当時の私の頭の中です。

 

 磁石も地図もないのに京都へ船出をした私が、最初にぶつかったもの。

 それが、生まれて初めての恋愛でした。一応、恋愛と呼んでおきます。

 中学、高校時代にも、好きな男の子やあこがれの先輩はいたし、青いレモンのような初恋の味も味わったはずだけど、あんなものは、恋でもなんでもなかったんだと思わせられるような恋でした。

 とにかく、寝ても覚めても彼に会いたい。会えない時間はまるでモノクロの世界のようで、彼に会った瞬間、世界に色がつく。あるいは、デートが終わって彼と別れた瞬間、私は死んでしまい、次に彼に会った瞬間、生き返るという感じ。

 演歌の歌詞のようだけど、あなたなしでは生きていけない。まさにそんな感じ。

 知り合った時、私は一回生で、彼は別の大学の四回生だったのですが、彼が社会人になってからは、大学生同士だった時のように頻繁には会えなくなって、私はもう寂しくて寂しくて仕方がないわけ。

 会えば「もっと会いたい」「次はいつ会えるの?」「残業なんかしないで、私に会って」「会社と私とどっちが大事なの?」──

 自分の内面に、こんなにも弱い、こんなにも醜い自分が棲んでいたのかと驚き、「ああ、いやだ、いやだ」と悶々としながら、「こんなはずじゃなかった、こんなの私じゃない」と、自分に裏切られ続けているような日々。

 衿子さんとは正反対で、初めての恋愛は、私に自信をなくさせ、自分を嫌いにさせ、そうでなくても強かった劣等感を、ますます増大させるような代物だったの。かつて、作文をほめられたことで、自分に自信を持てるようになっていた私は、恋愛によって、以前よりももっと激しい自己嫌悪に占拠されてしまっていたのです。

 今にして思えば、あれは恋愛ではなくて、執着と嫉妬と独占欲と依存心の塊に過ぎなかったのかもしれない。

 何しろ、彼の女友だちだけじゃなくて、男の友だちや会社の同僚にまで、嫉妬していましたからね。社員旅行に出かける彼に「行かないで」と言って、泣きついてみたり。信じられない! って衿子さんの声が聞こえてきそう。本当に、嘘みたいな本当の話。事実は小説より奇なり。

 仮にこれが恋愛だったとしても、とても不幸な恋愛よね。だって、相手を好きになればなるほど、自分が嫌いになるなんて、そんなの悲し過ぎるよね?

 私が大学を卒業して、彼と別れるまでの四年間、苦しい恋愛にどっぷり浸かって、溺れ死ぬ寸前まで行っていた私ですが、そんな私がかろうじて息をしていられたのは「あるもの」のおかげです。

 なんだったと思いますか?

 ここで真打ちの登場です。仕事です。「働くこと」です。

 父ひとりが働いて家族三人を養っていた私の家は決して裕福ではなく、下には大学進学を控えていた弟がいたし、おまけに親をあざむいて学費の高い私立へ進んだわけなので、私は京都へ行く前に「学費と家賃だけ払ってくれたら、生活費は自分で稼ぐ」と、親に約束していました。

 この約束を果たすために、大学時代の四年間、アパートの近くにあった喫茶店のウェイトレスを皮切りに、掛け持ちで家庭教師をしたり、京都府立資料館でコピー取りや書架の整理をしたり、夕方には保育園で居残り組の子どもたちの面倒を見たりしながら、汗水垂らして働き、部屋に戻ってからは、模擬試験の添削や、壁紙の見本を台帳に貼る内職までしていたの。もちろん、主たる目的は生活費を稼ぐためだったわけだけど、結果的には、彼に会えない時間をひたすら仕事で埋めていたわけです。どれも期間限定のアルバイトに過ぎませんでしたが、それでも「働くこと」には違いなかった。

 恋は私をきりもなく弱くしたけれど、働くことは私を強くしてくれました。糸の切れた風船のようだった私を、かろうじて、世界につなぎとめてくれていたのが仕事だった、と言っても過言ではないと思います。

 私を強い女にしてくれるのは、男ではなくて、仕事。社会に出て働くこと。

 この思いは、今もまったく変わらなくて、私は今でも、つらいことや悔しいことがあると、ひたすら仕事に打ち込んでいます。言いかえると、書くことに逃げている。

 失恋しました、不倫の恋が苦しい、と、友人から相談を持ちかけられた時には、いつもこう答えています。

 好きな仕事に没頭しなさい。

 目の前の仕事に集中しなさい。

 あなたを救ってくれるのは仕事よ。

 

 ここまで書き進めて「あっ」と思って、衿子さんからいただいた三月のお手紙を読み返してみたのですが、手紙の最後に、こんな質問が書かれていました。

「女性が一生、夢中で打ち込める仕事に出会うために、十代の頃に経験しておくとよいことは?」

 その答えは、こうです。

 恋でもアルバイトでも旅でも、なんでもいい。失恋でも失望でも嫉妬でも不倫でもいい。どんな経験も、どんな苦労も、悲しみでさえも、それは貴重でかけがえのないものなのです。若い頃にはうんと、苦労しておくといい。できるだけたくさん悩んで、できるだけたくさん泣いておくといい。苦労も悲しみも悩みも、あとあとになって必ず、生きてくる。積み重ねた失敗は、あとになって必ず成功を生み出す。

 ひとつぶひとつぶの涙は、磨けば輝く宝石の原石みたいなもの。

 経験はすべてあなたの財産。

 役に立たない経験など、ひとつとしてない。

 このことを証明するためにも、今月のお手紙の最後の質問「小手鞠さんの経験した恋がどんなふうに今の仕事につながっているか?」に対するお返事を書いておきましょう。

 胸を掻き毟るような恋をしていた四年間は、それから約三十年後、『欲しいのは、あなただけ』という小説に昇華され、この作品によって私はやっと、小説家として生計を立てていけるようになりました。

 小説家になるために、小説を読んだり書いたりしていたのではなくて、私はただ毎日、悲しくて、寂しくて、めそめそ泣いてばかりいたのです。泣きながら、涙をぬぐいながら、保育園で子どもたちと遊び、資料館でコピーを取り、壁紙の見本をせっせと台帳に貼り付けていたのです。

 そう、人生において、役に立たない経験は何ひとつとしてない。

 きっと、衿子さんも今、大きくうなずいて下さったことでしょう。

 それではまた来月、風薫る五月のお手紙を楽しみにお待ちしています。

小手鞠るい

働く女性に贈る27通の手紙

『働く女性に贈る27通の手紙』

小手鞠 るい(著),望月 衿子(著)

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Profile

小手鞠るい Rui Kodemari

1956年生まれ。アメリカの東のほう在住。出版社の編集職、学習塾の講師、書店でのアルバイト、出版社の営業事務職などを経て、渡米後、小説家に。「書けるものならなんでも書く」をモットーにして書いている。手紙が大好き。恋愛小説、歴史小説、エッセイ集、児童書など多数。好きな動物はライオンとパンダ。

望月衿子 Eriko Mochizuki

1978年生まれ。東京の西のほう在住。出版社で雑誌編集を経て、独立。女性誌を中心に編集に携わった後、男女問わず生き方や働き方をテーマに取材執筆する。ライフエッセイや実用書のブックライティング実績多数。日頃のノンフィクション系執筆は「望月衿子」とは別名で活動中。好きな動物は猫と熱帯魚。

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