『私の読書癖』
まずはhonto様、十周年おめでとうございます。益々のご発展をお祈り申し上げます。私も会員です。紙の本は手元に置いておきたいものを近くの書店で受け取り(通販でも)、電子は今すぐ読みたい! と思い立ったものを購入させていただいています。夜中でも読みたい本がすぐ読めるって、本当に便利な時代になりましたよね。
さて、今回のエッセイ、テーマは『ずっと本と』ということですが、子供の頃から今に至るまで、趣味を聞かれたら読書と答え続けてきました。物心ついたときから本を読むのが好きだったので、まさに『ずっと本と』共に生きてきたといっても過言ではありません。ってちょっと大袈裟ですね。そういう人、結構いますよね。
新しい本を読むのもわくわくしますが、お気に入りの本のお気に入りのシーンを繰り返し繰り返し、それこそ覚えてしまうほど読み込むという癖? が子供の頃からありました。たとえば『小公女』だったら、『あのインドの水兵さんに猿を渡していいですか?』『この子だ! この子だ!』のシーンとか、もう少し大きくなってから読んだ江戸川乱歩の『孤島の鬼』では、諸戸通雄の父親からの手紙の文面とか(泣けますよね)。横溝正史の『黒猫邸事件』は『耕ちゃん、しっかりしなきゃ駄目だ』(どこかわかります?)、京極先生の『姑獲鳥の夏』はやはり、榎さん初登場シーンの緋襦袢でしょうか。有栖川先生の『四十六番目の密室』はいわずとしれた『もちろん(ルビはアブソルートリー)』ですよね。これでアブソルートリーの単語の意味を覚えた人も多いはず。
好きな部分だけ繰り返し読んでいるからか、他の部分の記憶が曖昧になっていることもままあります。凄く好きな本なの。こういう話なんだけど、と友達に説明していると、「それ、本筋から外れてる部分じゃない?」とその本を知っている他の友人から突っ込みが入ったり。
紙の本ですと、好きな部分ばかり読むのでそのページが開きやすくなってます。電子でも栞機能を遣わずとも、だいたいこのへん? とスクロールでいきつきます。
ふと思い立って本かタブレットを手にし、お気に入りの部分を何度か読み返して、ああ、やっぱり好きだなあと改めて思い、幸せな気分で本を閉じる。そういう本はまさに自分にとっての宝物。出会えた幸運に感謝です。この先もそういう宝物のような本に出会えるよう、紙でも電子でも色々読んでいきたいと思っています。
そして願わくば一人でもいいので、拙作のここが好き、と、覚えるほどに読み込んで、『宝物』はおこがましいので『お気に入り』の一冊に加えてくださるかたが、どうかいらっしゃいますように。