目次
映画というテクノロジー経験
- 著:長谷正人
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はじめに
第1部 リュミエール映画の考古学
第1章 リュミエール映画の考古学――「自生性」の発見
1 空虚な空間
2 リュミエール作品の考古学
3 失認症としての映画的視覚
4 意味の偽装
第2章 リュミエール映画の神話学1――『列車の到着』の神話学
1 起源の神話
2 『列車の到着』神話
3 鉄道恐怖症
4 エンターテインメントとしての鉄道恐怖
第3章 リュミエール映画の神話学2――触覚的経験としての映画
1 観客の熱狂
2 風・土煙・水
3 カメラの視線
4 失認症的視覚と触覚的光景
5 再び『列車の到着』へ
第4章 リュミエール映画の考古学・再考──リュミエールと宮崎駿の「細部」
1 リュミエールの細部
2 宮崎駿の細部
3 時間的な細部
第2部 テクノロジー、身体、古典映画
第5章 テクノロジー経験としての映画──戦争、全体主義、そして生命のリズム
1 テクノロジーと「経験の貧困」
2 「経験の貧困」としてのチャップリン
3 リーフェンシュタール、あるいは「鎧としての身体」
4 テクノロジーの遊戯としての映画
第6章 テクノロジーのリズムと物語映画――山中貞雄、マキノ雅弘、ハワード・ホークスをめぐって
1 狂った?機械と初期喜劇映画
2 韻律的な物語映画としての山中貞雄
3 早撮り、ナカヌキ、そして機械的リズム
4 マキノ雅弘あるいはダンスする映画
5 チーム・プレイのドキュメント
第7章 アニメーションというテクノロジー──宮崎駿をめぐって
1 宮崎駿における「表現」と「思想」
2 「植物に覆われた建物」というイメージ
3 アニメーションという「機械」をめぐる思想
4 消費としてのアニメーション
第3部 映画におけるフィクション
第8章 検閲の誕生──大正期の警察と活動写真
1 活動写真興行取締規則に関する検討
2 ライヴ・パフォーマンスとしての映画
3 映画館という猥雑な空間
4 不可視の権力
第9章 フィクション映画の「社会性」とは何か──D・W・グリフィスをめぐって
1 『国民の創生』をめぐる二つの言説
2 フィクション映画の起源
3 フィクションを捉え損ねる言説
4 フィクションの社会性
第4部 時間的想像力の可能性
第10章 映画、時間、小津
1 主題論的な体系と説話論的な構造
2 「何かが過ぎ去ってしまった」という時間感覚
3 運動イメージから時間イメージへ
第11章 記憶と忘却の経験としての映画
1 映画を分析するという錯覚
2 映画という記憶のたよりなさ
3 映画を想起するという快楽
第12章 レイアウトとしての映画
1 『地獄の黙示録』と主題論的分析
2 プロットと時間の多層的経験
3 『黄泉がえり』と過去の可能性を開くこと
あとがき
索引
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