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あの熊のクヌートの話ということで、ほんわかとした愛らしい話を想像していたけれど、読んでみると全くそんなことはなく、暗く悲しく美しい物語だった。自分の居場所が定まらない、自分のいるべき場所を喪失している者の物語。多和田葉子の本領発揮といったところか。面白かった。
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新潮社装幀室
なんといってもカバーの熊が印象的。非常にマットな質感に刷られていて(書店店頭では汚れそうだけど。。。)、イラストにも見える感じ(写真だけど)。そこに入った淡いブルーのタイトル文字もステキなバランス。
表紙は、ファーストヴィンテージに幾何学模様が色刷りされて、カバーとは一転、温かい感じ。
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おもしろかったー!シロクマ三代記。
3つの章にわかれているんだけど、不思議とそれぞれ別の小説のような雰囲気と世界を感じる。まったく別ってわけじゃなくて、全体として繋がっているんだけど。
それは主人公と、主人公が生きる時代と国、環境が違うからかな。
最初はソ連、次にまだ東独だった時代のサーカス、最後はほぼ現代のベルリン。時代の空気まで、はっきり閉じ込められている。
なんとなく、文章の雰囲気までもが外国っぽい感じがして、一瞬、外国文学だったっけ?と錯覚するんだけど、たまに日本のことが出て来て、あ、日本人の作家さんだったと思い出す。
作者さんがドイツ在住で、日独両言語で創作する方だと聞いて、なっとく。
あと、シロクマが小説書いたりするのに、完全に擬人化されているわけではなくてシロクマっぽさも残ってて、ファンタジーのようなんだけど地に足もついているような、とにかく読んでて不思議な感覚を味わった。
あと、全編に通ずる「北極」のイメージ…北極への憧れかな?がとても幻想的で美しい。
どのシロクマも本来いるべき北極とは切り離されているから。
生きるために芸を磨きつつ、自分や北極を求めつづけている3匹のシロクマたち。
一番好きなのはクヌートの話。
やっぱりクヌートがかわいらしすぎるし、三人称での第三者視点かと思いきや、途中で一人称だったときに気付いたときの新鮮な驚き!
マティアスやクリスティアンも、シロクマ視点でみるとなんだか愛らしい。人間って不思議な生き物。
最後に、マイケル・ジャクソンをモデルにしたと思われる人物もでてきた。まさに同時代的なおはなし。
でも、真ん中のトスカの話も好き。
サーカスという舞台設定自体が、なんていうか淫靡だったり時代錯誤だったり薄暗いイメージがあって(あくまで物語的なイメージ)。しかも社会主義時代の東独という時代と舞台もあいまって、余計にそこに哀切を感じる。
クヌートと人間たちの関わりと比べると、ウルズラとの関わりはどこか幻想的でエロティックな雰囲気で、そこがいい。死の接吻も、想像するとうっとりする。
この作家さん、初めてだったんだけど、けっこう好きかも。他の本も読んでみたい。
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よかった。三編とも好きだけど、一番いいなと思ったのは「死の接吻」。人間とシロクマの身体のエロティックな交錯にはぞくぞくさせられる。舌の記憶と身体の接触がからみあっていて、読んでいると自分の舌先にも甘いものがほしくなる。装丁もとてもよい。持っていることがうれしくなる本。
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ホッキョクグマ三世代の物語?ううんこれはもっと多くの人々(クマかな笑?)の物語。
”恋しい”という気分に満ちた幸せで哀しい物語。
トスカ、クヌート…名前を呼ぶよ
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帯の「その子をクヌートと名付けよう」で手に取った本。
クヌートの成長記とかクヌートに関わった人たちの物語っぽいのを想像してたので、
読み始めたら「・・・ん? ファンタジー?」という感じで
最初少し混乱しましたが、想像以上に面白かったです!
3編とも、少し哀しくて、雰囲気のある物語でした。
白クマ好きにはたまらないし、読むと白クマが好きになると思います。
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内容はよく分かんなかった^^;
けど不思議な雰囲気の話だった。描写が独特で綺麗だし、まるで本当にクマの気持ちが解るみたいだった。
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わたし、と話している人が、時々変わっているけど、あんまり、気にならずに読み進めいける。で、今誰が話してるんだっけ?と思ったり。滑らかな語り口が、気持ちいい。
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(2011.04.16読了)(2011.04.06借入)
三つの話が収められています。「祖母の退化論」「死の接吻」「北極を想う日」です。
主人公は、シロクマのような人間のような。外見はシロクマだけど、本人は、人間のつもりなのかもしれません。何せ、シロクマが一人称でしゃべっているのですから。
三代にわたるシロクマの物語のようです。(断定できるほどの読解力がありません)
本の中ではシロクマではなく、ホッキョクグマと言っています。ホッキョクグマの方が正式なのでしょうか?個人的には、シロクマの方がなじみです。
一代目、二代目はサーカス団に所属しているようです。二代目の名前はトスカです。三代目は、動物園で暮らしています。クヌートと言う名前です。主な舞台は、著者の住んでいるドイツです。
動物好きの方やちょっと変わった小説を読んでみたいという方にお勧めです。
●赤ん坊のシロクマ(7頁)
歩くのは不得手で、歩いているというより、よろけた勢いで偶然前に進んでいるようなものだった。
●子供にとっての排泄物(21頁)
子供にとって排泄物は誰の手も借りずに、たった一人で完成させた唯一の生産物なのだ。自慢したくなっても無理はない。
●三種類の動作(24頁)
世の中には三種類の動作がある。角砂糖の出る動作、鞭の飛んでくる動作、鞭は飛んでこないけれど角砂糖も出ない動作。(芸当を教えられているときの話)
●「寒い」とは(48頁)
「寒い」という形容詞は美しい。寒さを得るためなら、どんな犠牲を払ったっていいとさえ思う。凍りつくような美しさ、ぞっとする楽しさ、寒気のする真実、ひやっとさせる危険な芸当、冷たく磨かれた理性。寒さは豊かさだ。(寒さが好きなシロクマならではの形容です)
・一代目の話は、シロクマなのかロシア人作家なのかよくわからない話です。作家活動を始めたら、シベリア送りになりそうになったので、西ベルリンへ亡命し、さらにカナダへ行ったのか、行きたいと思っただけなのか、よく読みとれません。ソヴィエト連邦と言うものがあった時代の話です。
●トスカの母親(110頁)
トスカの母親はソ連で生まれ育ち、一度西ドイツに亡命し、そこからカナダに渡って結婚し、トスカを出産し、デンマーク生まれの夫の希望で家族で東ドイツの移り住んだという経歴の持ち主で、すでに亡命疲れしているそうだ。
・二代目のトスカは、サーカスの猛獣使いになったようだ。一代目の名前は、ウルズラだろうか。
・三代目のクヌートは、母親のトスカが育児拒否をしたために、動物園の飼育員によって育てられた。(ピースのことだろうか)
動物から見ると人間はどんなふうに見えるのだろうか、と言うことを著者は書いてみたかったのかもしれない。
●「カワイイ」(210頁)
「カワイイの意味はどういうこと?」
「取って食ってやりたいくらい愛らしいっていうこと。」
取って食いたいほどかわいいというのはどういうことだろう。あいつの故郷のサセボ国では、カワイイものを食う習慣でもあるのか。私は美味しそうな食べ物を見てもカワイイとは感じない。
☆多和田葉子の本(既読)
「犬婿入り」多和田葉子��、講談社文庫、1998.10.15
「尼僧とキューピッドの弓」多和田葉子著、講談社、2010.07.28
(2011年4月19日・記)
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人と動物の境界が曖昧な世界観が難解で、最初は自分には合わない本ではないかと思った。読み切れるか不安だったが、サーカスや動物園の描写、赤ん坊(クヌート)がだんだん世界を認識していく様子の巧みさにひきこまれ、結局最後まで読んでしまった。
登場する人物(動物)たちが、みんなどこか不器用で寂しくて悲しい。クヌートの物語を読んでいる時に、ちょうどドイツの本物のクヌートが死んでしまったことを知って、より一層悲しい気持ちで読んだ。
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耳の裏側や脇の下を彼にくすぐられて、くすぐったくて、たまらなくなって、身体を丸めて床をころがりまわった。きゃっきゃっと笑っていたかもしれない。お尻を天に向けて、お腹を中側に包み込んで、三日月形になった。まだ小さかったので、四つん這いになって肛門を天に向かって無防備に突き出していても、襲われる危険なんて感じなかった。それどころか、宇宙が全部、自分の肛門の中に吸い込まれていくような気がした。わたしは腸の内部に宇宙を感じた。
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着想もだけど特に表現が面白い 恐らく意図的だろうけど、トスカの話は時間軸や事の流れが把握できなかった‥‥
ところでこの本の存在をベルリン動物園は知ってるんだろうか
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サーカス団員から作家になった「わたし」→踊り子からサーカス団員になった「トスカ」→動物園で人気者の「クヌート」
3つの話
特殊な世界と、時代背景になかなかついていけなかった。
最後のクヌートだけは覚えがあったのでそうかもなーと思いながらサラサラっと読めましたが、最初のトスカとわたしの話はなかなか・・・・。
表現とか流れは上手いなーと感じました。
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読みやすくはなかった…けど、しみじみ面白かった。シロクマ三代記。
なんだか全編物悲しいのは、彼らが絶滅危惧種だと思って読んでるからでしょうか。
クヌートの祖母「わたし」(モスクワからカナダに亡命)→母「トスカ」(東ドイツ)→クヌート(統一後のドイツ)と、生活の場がいわゆる東側から西側へと変わっていくのとリンクして彼女-彼たちと人間とのコミュニケーションが、貧しくなるというか、困難になっていくのが、なにかを象徴するようで興味深かったです。なんというか、郷愁?みたいなものを感じました。
一番はウルズラとトスカのお話。入れ子になってて難しかったけど、二人だけの秘密、的な雰囲気がよかった。
クヌート、死んじゃったんだよなぁ。
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大きな手にくすぐられて笑い転げ、「宇宙が全部、自分の肛門の中に吸い込まれるような気がして」いた子どものころ。この回想が、実はかつてのサーカスの花形、引退後はソ連共産党の事務官になったホッキョクグマの執筆する自伝だったなんて! 彼女の自伝はベストセラーになり、西側に亡命までしてしまうのだ。ここから、ベルリンの壁崩壊をはさんで、3代にわたる白いクマの物語が3章にわたって語られることになる。
東ドイツのサーカスにいた母グマが育児放棄した後、人間の手で育てられ、その愛くるしい姿が世界中にブームを巻き起こしたクヌートの祖母に、多和田さんは大胆にも、言葉を通して人とクマの世界を行き来した女性を想像したのだった。言葉を書き綴ることをおぼえたために、それまでにない心配ごとや悩みも抱え込むことになりながら、頭をしゃんと上げて、ソ連からカナダ、カナダから東ドイツへと、勇気をもって進んでいくこの祖母クマの姿が、とっても素敵。
考えてみると、この本が書き終えられた時点では、まだクヌートは急死していなかったのだけれど、環境保護のシンボルとして商業主義に利用されつくしたあの小さい生き物の運命を、この小説は知っていたかのように思えてしまう。
でも私がいちばん好きなのは、東ドイツのサーカスではたらいていた2代目クマのトスカと、人間の女ウルズラについての第2章。夢のなかでだけ語りあえる2人のキスは、とても美しく懐かしくエロティックだ。