紙の本
明治から大正、昭和に活躍された詩人・金子光晴氏の自伝的小説です!
2020/08/22 12:52
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、明治から大正、昭和にかけて『落下傘』、『こがね蟲』、『鮫』、『蛾』、『IL』、『女たちへのエレジー』 、『若葉のうた』などの詩集や『マレー蘭印紀行』、『ねむれ巴里』などの自伝を発表された詩人・金子光晴氏の自伝的作品です。同書は、「唇でふれる唇ほどやわらかなものはない―その瞬間、二人の絶望的な放浪が始まった」という書き出しで始まる書で、詩集『こがね虫』で詩壇にはなばなしく登場した詩人・金子光晴氏は、その輝きを残して日本を脱出、夫人森三千代氏とともに上海に渡ります。欲望と貧困、青春と詩を奔放に描いた一冊です。
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憧れの旅日記
2004/10/10 20:50
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投稿者:モコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
女学生だった森美千代を妊娠、退学させ、結婚。
しかし、夫人には新恋人ができてしまう。二人の恋を引き裂くという目的もあり、夫人同伴で無謀にもパリへ行く著者…。
貧乏、ハッタリ、人情…若い学生時代ならできたかもしれないけれど、今のふつうの社会人にはもう経験できないであろう旅に、憧れつつ読みました。
また、著者は、夫人の浮気も彼女の自由なのではないか…と悩みながら旅をします。
そんな著者の考え方には、現代に生きる私でも共感できました。著者とお友達になりたくなりました。
文章も、とても美しいです。
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『こがね蟲』で詩壇に登場した詩人は、その輝きを残し、夫人と中国に渡る。長い放浪の旅が始まった青春と詩を描く自伝。〈解説〉中野孝次
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詩人が残した自伝めいた紀行文。タイトルに象徴されるように、おどろおどろしくも生命力に溢れた一時期の上海のイメージが言葉から立ち上がってくる。
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虚飾さえめんどくさくなった老人の半生記。もう本当にどこを読んでも面白い。詩人ならではのやわらかく切れのある文章。
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美しい言葉を読むのは
食べ物を
体内に取り込むような
むさぼるのではなく
少しずつ浸透するような
そんな気持ちで読みました
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金子光晴の自伝的小説。
どろっとしたものがずっと流れているよな、
そんな小説。
わくわくドキドキまるでなし。
淡々とすさまじい人生。
結婚して、奥さんが不倫して、
その奥さんと恋人を引きはなすためにパリを目指す。
激☆貧乏旅行。
上海→香港→シンガポール
そしてパリへ。
他にもジャカルタや蘇州にも足を伸ばす。
詩人が絵をかいてお金を得る。
『どくろ杯』は言ってみれば出発編。
『ねむれ巴里』、『西ひがし』と続編がある。
1920年代後半からはじまるたび。
不思議なのは、80年近く前のことなのに、
金子光晴の感じていることが、
すごく生き生きしていて、
私が上海や香港で感じることと重なると言うこと。
発展しても、時間が流れても、
その町の根底にあるものはそう簡単には変わらないのかもしれない。
楽しい旅行記だと思ったら大間違い。
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世界を旅した人の本は多数あるけれど、これほど泥臭く、腐臭と怯え、快楽と逃亡を記録した作品は時代背景も含めて今後出てこない、というかこれないと思う。
詩人として華やかに文壇に登場した金子光晴ではあったが、最初の作品以後これといっためあたらしい作品をださぬまま、妻を連れて放浪の旅へでてしまう。
日本がアジアを統治していた時代、金もないのに誰かにすがりながら生きながらえて、時に豪遊し、なぜかパリまでたどり着けたのは、極限であってもそれを受け入れ生き抜く動物のような感覚なのか。
人間のモラルは世間体という他愛のないものによって実は守られている
というような文章があった。
その世間体を抜きんでる人物が、自分は臆病ものなのだ、と表現することが多い。臆病を隠すためにはじけてしまうのだと。
これだから芸術家肌は魅力的でやっかいだ。
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日本て変わったなぁという気持ちと
人間て変わらないなぁという気持ちと、両方。
大正から昭和初期にかけての時代の空気に触れて単純に今との違いに驚いた。
成功も失敗も自己責任だよというドライな個人主義がないかわりに
目も当てられないような貧富の差や階級の差がある。
40年も前のことを振り返っているからか、
あくまで淡々とぶれも乱れもない確かな筆致で、
波乱万丈な内容とのギャップが素敵。
漢学の深い教養に裏打ちされている硬質な文体の合間に
詩心爆発の溢れる寸前で抑制された情緒を湛える色気のある文章が混じって
魅力的。この人の観察眼と文体は大好き。
続編の『ねむれ巴里』、『西ひがし』も読みたい。
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朝日新聞「ジュンク堂・スローな旅」選
☆上海
放浪と抵抗の詩人の自伝。かなりドロドロ暗そう。
人間の暗部を描いたか?好みではないかも。
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こんなこと気軽に言っちゃいけないんだろうけど、
三千代がうらやましい。
ゆるされている三千代がうらやましい。
三千代と出来あうところしかおもしろくないなどうしようと思っていたが、
インドネシア渡ってからはテンポが良い。
上海の辺りが停滞してしまうのは、
そのとき本人がくすぶっていたからしょうがない。
海外出ちゃってからはなんだかんだでなんとかなってるからいいけど、
日本篇はきつい。読んでてきつい。
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しらけわたった天地が、悠久につづいて、かなしさが霧のように茫々と立ちこめている。感傷だけが、ひそひそと溝河のせせらぎのように底にながれている。
↑5年前の自分が線を引いていた箇所
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「こがね虫」の詩人・金子光晴の、関東大震災で全てを喪失してからの生活を書いたエッセイです。この人の暗さは、安吾のカラッとした冷たさと違って、ジメジメうじうじしているのですが、読んでいると何だか一緒に泣いてあげたくなってしまいます。この人も文章が巧い!
(関係無いですが、↓下にある「みんなのタグ」欄に石田衣良とあるのが気に入りません)
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「めりけんじゃっぷ」の谷譲次を彷彿とさせるファンキーな生き様、そんな生き様にはおよそ似つかわしくない詩人らしい流麗な文体。時代背景を考えれば考えるほど、この金子光晴ってオヤジの海外放浪記は素敵すぎる。自らの血の一滴を振り絞るように、人間の底知れぬ奥深さを抉ってみせます。続編の「ねむれ巴里」「西ひがし」も一気読みだな、これは。
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金子光晴は、今から35年前の1975年6月30日に79歳で亡くなった詩人。
なんといっても果てしなく詩人という存在は、今も昔も貧乏の代名詞みたいなもので、たまらなく儲かってウハウハな詩人などというものは、おそらく谷川俊太郎くらいなものだと思います。
金子光晴もご多分にもれず、自分の詩集だけでは食べていけなくて、ランボーやモーリス・ルブランなどの翻訳でギリギリの生活をしていたといいますから、なんとかそこからの脱出を図って書いた小説を次点止まりにした第一回改造懸賞小説の選考委員たちの判定は、いかにも残酷すぎるといえばいえなくもありません。
賞をとれなかった結果を得て、プライドの高い彼は、そのあと小説を書くことを断念したのですから。
もっとも現代と違って、1928年(昭和3年)当時は本当に小説家へのデビューは狭き門で、文章が滅茶苦茶でも言葉使いが支離滅裂でもアイデアさえ面白ければ賞がとれる今とは全然情況が異なりますが。
ところで、先日刊行された川西政明の『新・日本文壇史』は、かつて1952年から69年に書かれた伊藤整・瀬沼茂樹の『日本文壇史』のあとを引き継いだもので、全10巻のスタートをとてもうれしく思います。
文壇史といっても堅苦しいものではなく、作家群像を時代の変遷のもとに描くといったもので、私は伊藤・瀬沼著の元本を中学生の時に図書館で読みましたが、今まで読んできた小説家やこれから読む詩人が、目の前で息をして実在しているような錯覚を覚えて興奮したものです。
川西政明も心得たもので、各巻の読ませどころはすべて、作家たちの愛憎混じった妻の譲渡や愛人関係などのスキャンダルだと言いますから、これらの著作の本質が明らかというものでしょう。
そこでは金子光晴の妻・三千代と美術評論家・土方定一との恋愛関係はどう扱われるのか?
金子光晴の本質的文学的意味・意義もそっちのけで、この醜聞は興味の尽きないものかもしれません。
あっ、いや、それとも、70歳になって3度目の離婚届けを出したりする金子光晴の方が注目度が高いでしょうか。