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今日の芸術~時代を創造するものは誰か~ みんなのレビュー

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一般書

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みんなのレビュー135件

みんなの評価4.3

評価内訳

135 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

―未発掘の概念や理念に光をあてた岡本太郎―

2009/11/06 16:31

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:レム - この投稿者のレビュー一覧を見る

  この本を読むと、「いやったらしい」という言葉がよく目に付く。 これは岡本太郎(どうしてもフルネームで書いてしまう・・・)の著書でよく用いられる言葉だ。 「いやったらしい」という感覚は、決して快感に類するものではなく、むしろその逆だ。 そして「いやったらしい」対象とは、それを見たときに、さっさと背を向ければ良いのになぜか拒絶できず、逆に惹かれてしまう不可解なものだ。 岡本太郎は本書で、「いやったらしさ」を感じさせる不快な存在は、実は自己に内在しながらも認識されていない概念や理念の一片に触れる何かと常識との間のギャップの具現化なのだ、ということを述べている。 そのような対象から目を離せないのは、自己との関係を断ち切れない何かを無意識のうちに感じて後ろ髪を引かれるからであり、不快な感覚が生ずるのは、解決できない感覚の表出ということなのだろう。
   
  岡本太郎は芸術という手段を用い、「いやったらしさ」を感じさせる作品で「いまだ光に照らされていない未発掘の人間の概念や理念」を社会に浮かび上がらせてきた。 これは決して彼岸のような、悟りを得なければ到達不可能な場所にあるのではなく、何かのきっかけで会得できるものであると、本書の中で岡本太郎は何度か述べている。 一方で、個人や社会が全体的にその概念の範囲を未発掘の領域まで広げてこれを会得した場合は、もう既に既知の概念領域との間のギャップは存在せず、常識的なものとして受け入れられ、同時に「古いもの」になる、ということが書かれている。 そして、タイトルにある「今日の」という形容詞は、芸術の世界では、「新しい」という意味の時間的な位置づけ以外に概念の到達領域の広さのような意味があるとの主張が随所に垣間見える。
   
  先述の未発掘の概念や理念は、ジョルジュ・バタイユGeorges Batailleの言うところの「人間のばかばかしくて恐ろしげな闇」( 「バタイユ入門」)にかなり近いだろう。 岡本太郎は、フランス滞在期間中にバタイユと交流があったことは良く知られている。 ナチスドイツの軍靴の音が近づく1930年代のパリにおいて、岡本太郎はバタイユの設立した反ファシズム思想集団「コントル・アタックcontre attaque(「対立攻撃」の意)」や秘密結社「アセファルacephale(「無頭人」の意)」に所属し、脱会した後も二人の交流は続いた。 岡本太郎の思想や発言にはバタイユとの交流から相互に強く影響しあった形跡が随所に認められるとされる。 この「人間のばかばかしくて恐ろしげな闇」は、フロイトの言うエスesと同一だとされる。 エスは、無意識の熱きエネルギーの大海であり、規制や法律といった「超自我」によって社会規範などの枠に押さえ込まれている状態にある。 制約を受けない年代の子供たちが描く自由闊達な絵は、エスの噴出なのかもしれない。 全ての子供が天才だとは言わないが、現に彼らはやがて「絵の描き方」やさまざまな「約束事」を知り、絵が上手くはなってもたいていはつまらなくなっていき、そして「大人」になってしまう。 しかし、岡本太郎は、作品のみならず、生き方そのものを通じてこのエスの放出を社会に提案し続けた。
   
  東京の青山にある岡本太郎の自宅は、現在は『岡本太郎記念館』となって一部が公開されている。 入り口で靴を脱ぐと、そこにはスケッチブックが置いてあって、入場者は子供も大人も伸び伸びと絵や文を描いている。 故人となった今もなお、終えることのない岡本太郎流の意思疎通手段かもしれない。 アトリエも覗くことができる。 そこには、仕事場が生前の状態のまま保存されており、画材の他に、ゴルフバッグまで置いてある。 描きかけなのだろうか、たくさんのキャンバスも立てかけたままだ。 奥からひょいと岡本太郎が出てきそうな雰囲気だ。 ただ、以前はまだ油彩用の油のにおいがずいぶんと残っていたが、最近はそれも薄れてしまい、少し寂しいものを感じる。

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紙の本

あえて、グロテスクであること

2002/06/16 18:03

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:のらねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 おはずかしい限りだが、この年齢になっても未だに「芸術」なる単語のしめす概念がわからない。「芸」と、「術」。といった具合に別々の語として認識するのならまだしも、このふたつがひっついた「芸術」って……具体的にいって、いったいなんなの?
 この問いに、本書は極めて明晰に答えてくれる。ただし、この答えはあくまで著者の「岡本太郎」氏の個人的な見解と定義であって、世間一般に流布する通説とは異なることを、お断りしておく。
 個人の好みからいえば、辞書に記載されている無味乾燥な記述よりも、本書で熱く語られる「芸術」の定義のほうが、ずっとしっくりきますが。
 それにしても、本書の初版が「一九五四年」に刊行された光文社「ノベルズ」であったことは、二重の驚きです。
「一九五四年」の時点に、「ノベルズ」でこういう文章をサラっと発表しちゃう岡本太郎氏って……。本人の存在自体が爆発、じゃあなかった、芸術だったんですね。

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紙の本

ありがとうございます。

2018/06/04 08:59

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ろくなな - この投稿者のレビュー一覧を見る

岡本太郎さんに感謝します。

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紙の本

太郎は実は変人ではない

2016/01/08 17:26

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ハムム - この投稿者のレビュー一覧を見る

この本を読む前に、太郎の「自分の中に毒を持て」を読んでいたので、
今日の芸術はそれと比べると、大分言葉遣いが丁寧な印象を受けた。
(もちろん、自分の中に毒を持ての情熱的な言葉遣いも好きだけど。)

絵が好きな人間からすれば、「わかる、わかる。」と同感したり、
「おお、ナルホド。」と納得することが多いのではないでしょうか。
たとえ絵に興味がなくても、話題は絵に限定されていないので、十分楽しめながら読める本だと思います。
太郎の芸術に対する考えを、この本等を通して味わうことは、個人的にはとても貴重な経験です。
この岡本太郎の考えに触れれば、
少なくとも、「変わり者」「相手にしちゃいけない」みたいな固定観念
からは解放されるのではないか、と思います。

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紙の本

芸術の捉え方

2001/09/11 00:19

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:たけみ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 画家、彫刻家などとして知られる「芸術は爆発」の岡本太郎氏の本。

 この本で岡本氏は、意外にも(失礼!)非常に明解かつ論理的に、そしてやっぱり情熱的にいきいきと、芸術について語っています。 その芸術をとりまく偏見や状況を、絵画史、日本の文化、そして日本の美術教育など非常に多方向から分析していて、その洞察力の鋭さはやはり常人のものではないなと感じます。

 岡本氏は様々な言葉で芸術を定義していますが、誤解を恐れずに意訳すれば「万人に共通の根源的な生きる喜び、怖さなどの感動を突きつけられるもの」というようなことなのでしょう。

 絵画だけに限らず、音楽、文学など表現の産物には、その裏に必ず表現者の感動があります。 その表現の産物が「芸術」となるには、様々なくくり−「人種」「性別」「時代」「文化」などを超えて、その感動が見るもの聞くものを精神的に高揚させる(それが共感でも反感であったとしても)ものであることが必要条件だと私も思います。

 様々なくくりを超えた感動、すなわち芸術に出会ったとき、私達は自分をとりまく「くくり」を突きつけられ、「くくり」について考えさせられ、そしてその「くくり」から解放されるチャンスを芸術からもらう。 それは、つまり1生命体としての、1個人として自由になること。これが、岡本氏の言うところの芸術が「自分自身の人間形成、精神の確立」(岡本氏の言葉の引用)たるゆえんでしょう。

 岡本氏は万人に共通した感動を表現するには具象より抽象、というようなことを本書中で述べていますが、他の著書を読むとどうやらその後「具象の要素を取り入れた抽象」に進んだ模様です(「痛ましき腕」という作品がその初めのよう。この絵は衝撃的です)。抽象と具象という二面性が人間が持つ混沌・矛盾をまさに表しているということでしょうか。

 この本をきっかけに、私は岡本氏関連の本・情報を興味を持って見始めていますが、知れば知るほど岡本氏は思わず惚れてしまいそうになるくらい、自由で魅力的で器がでかい!と感じさせる人物です。 もうご本人は亡くなられましたが、生前に岡本氏にお会いした男性も女性もその魅力にノックアウトされてしまったのではないかしら。

 本質的なものに触れることの少ない、また触れなくても生きていける現在に、1950年代に書かれたこの著書を読むともっといっぱい感動しなくちゃ! と身の引き締まる思いがします。

 本職は何かと問われたときに「人間」と言い切れる、見事に確立された岡本氏の価値観にはしびれます。

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芸術の捉え方

2001/09/06 19:52

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:たけみ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 画家、彫刻家などとして知られる「芸術は爆発」の岡本太郎氏の本。 この本で岡本氏は、意外にも(失礼!)非常に明解かつ論理的に、そしてやっぱり情熱的にいきいきと、芸術について語っています。その芸術をとりまく偏見や状況を、絵画史、日本の文化、そして日本の美術教育など非常に多方向から分析していて、その洞察力の鋭さはやはり常人のものではないなと感じます。

 岡本氏は様々な言葉で芸術を定義していますが、誤解を恐れずに意訳すれば「万人に共通の根源的な生きる喜び、怖さなどの感動を突きつけられるもの」というようなことなのでしょう。

 絵画だけに限らず、音楽、文学など表現の産物には、その裏に必ず表現者の感動があります。その表現の産物が「芸術」となるには、様々なくくり−「人種」「性別」「時代」「文化」などを超えて、その感動が見るもの聞くものを精神的に高揚させる(それが共感でも反感であったとしても)ものであることが必要条件だと私も納得しました。

 様々なくくりを超えた感動、すなわち芸術に出会ったとき、私達は自分をとりまく「くくり」を突きつけられ、「くくり」について考えさせられ、そしてその「くくり」から解放されるチャンスを芸術からもらう。それは、つまり1生命体としての、1個人として自由になること。これが、岡本氏の言うところの芸術が「自分自身の人間形成、精神の確立」(岡本氏の言葉の引用)たるゆえんでしょう。

 本質的なものに触れることの少ない、また触れなくても時を過ごせる現代にこそ芸術が必要である、と熱く語る岡本氏の言葉に身の引き締まる思いのする一冊です。

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2004/09/26 15:48

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2004/10/02 17:00

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2004/10/03 13:22

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2004/12/04 05:03

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2005/02/05 15:51

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2006/01/28 20:58

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2006/06/06 03:14

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2006/08/12 23:50

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2006/09/10 20:43

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