紙の本
村の生々しい暮らしを荘内弁で描き出す、羽黒山伏と村人のユーモラスな物語。
2010/10/03 18:45
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:toku - この投稿者のレビュー一覧を見る
鶴ヶ岡(現在の山形県鶴岡市)にほど近い山間の村を舞台に、主人公で『村の駐在』的役割を務める羽黒山伏・大鷲坊と、村人の交流や習俗を描いた作品。
荘内弁で描き出す村人の、良くも悪くも生々しい暮らしが特徴的で、山伏と村人のユーモラスな交流と、先を読まずにはいられない物語は魅力的。
会話が荘内弁で書かれた異色の作品であるが、生き生きとした人々の濃厚な交流が暖かい良書だと感じた。
荘内弁の会話が今一つしっくりこないという人には、藤沢周平原作の映画「たそがれ清兵衛」を観ることをお奨めします。
完璧に荘内弁を取り入れたものではないようですが、会話のリズムやアクセントを聞くと、本書の会話のイメージが湧きやすくなります。
【験試し】
羽黒山から来たという山伏・大鷲坊は、別当を勤めていた山伏・月心坊を神社から追い出した。
たしかに羽黒山の発行した書付けを持つ大鷲坊が正式な別当だったが、村人は別当として七、八年も働いた月心坊を仲間と思っていた。
村人は、大鷲坊を追い出すべく、歩けなくなった娘を法力で治せるなら認めると、難題を持ちかけた。
祈祷の力を信じ、排他的である村の物語に違和感なく入っていける。
それは、大鷲坊の、村人の信仰心を損なわず、歩けない娘を診る現実的で聡明な行動が読者を納得させるからだろう。
【狐の足あと】
村人の信頼を得た大鷲坊は、肝煎に呼び出され、仲立ちを依頼された。
添役の息子・宗助は、かつて城下で間男を半殺しにした広太の妻に手を出してしまったのだ。
宗助は、それを理由に強請ってきた貧しい権蔵を投げ飛ばしたものの、権蔵の妻が広太に言いつけると怒鳴り込んできたという。
『馬ペロ』というあだ名をつけながらも、怪力を想像させる広太の巨躯に畏怖する村人の姿が、なんともユーモラス。
権蔵の妻と話をつける大鷲坊の手腕が見所で、間男のことを知った広太を納得させる大鷲坊に脱帽。
【火の家】
十九年前に火事で焼死した、政右ェ門夫婦の持っていた水車小屋に男が住み着いた。
その男とは、村に禍を起こしたと噂された政右ェ門夫婦の、生き残った息子・源吉だった。
彼を恐れる村人は大鷲坊に、村から出ていく説得を依頼する。
大鷲坊が探偵役となって、源吉の両親にあった噂や、源吉の村に現れた真意を探る、サスペンス調の作品。
狭い世界に生きる人々の頑迷な思い込みと、理不尽な仕打ちを受ける者の姿はやり切れない悲しさに満ちている。
【安蔵の嫁】
すっかり村に溶け込んだ大鷲坊は、太久郎のばばから、なぜか女子から嫌われているという息子・安蔵の嫁探しを頼まれた。
山のような柴を背負う安蔵は怪力であったが、実際会って話してみると、色白で声が高く、もじもじと身体をくねらせる、男の魅力に欠ける男だった。
一方、太久郎のばばから聞いた友助の家を訪ねてみると、娘のおてつには確かに狐が憑いていた。
狐が憑いたおてつのリアルな描写もさることながら、憑いた狐を落とす山伏の本職に圧倒される。
その一方で、村人からすっかり頼りにされ、安蔵の男らしさのアピールに心を砕く大鷲坊はまさに『村の駐在』
【人攫い】
祭りをやっている神社へ一人で行った、おとしの娘・たみえがいなくなった。
たみえを攫ったのは、山に住み毎年箕つくりにやって来る夫婦である。
捜索の指揮を買って出た大鷲坊は、四方の山伏に連絡を取ると、この村から十里離れた村を通り過ぎたという情報が入った。
はっきりとした場所の知れない山窩の村に向けて、険しい山道を進む、スリル溢れる物語。
おとしをつれて進む厳しい探索のもたらす結末が、とても気持ちよい。
ところで子供を探しに行った場所をGoogle Mapsで調べてみると、一つの目標としていた『オツボ峰』や『大鳥池』が、現在でもかなり山深く、鶴岡からも遠いことが分かる。
他にも作中に出てくる山や沢が見つかるので、Google Mapsを見ながら読むと面白いかも知れない。
※山窩―さんか:山間部を移動しながら漂泊生活をおくっていた人々。山菜などの採集や狩猟・川漁、あるいは箕・籠などの竹細工を生業としていた。(三省堂大辞林より)
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山伏としての修行を積んだ大鷲坊が、故郷の村に帰ってくるところから物語は始まる。村の様々なやっかいごと、もめ事、事件を解決していく連作短編。
読みどころは東北(山形県と思われる)の村人たちの日常や風習、訛りをそのまま活かした会話だ。はじめ取っつきにくいが、村人の発する言葉が不思議と心に残る。
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091128(s 091230)
100309(n 100524)
100512(n 100629)
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2回目の読了。
山形県庄内地方の山伏を題材にした小説。
昔のガキ大将だった鷲蔵が数々の修行を経て大鷲坊として帰った来た。村人との様々な触れ合いを通じて次第に欠かせない“山伏ど”になっていく。
藤沢さんか「ほとんど恣意的なまでにこだわって書いている」と言うように、会話はほとんど荘内弁で、これも魅力の一つとなっている。
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日本で暮らしていたときも、藤沢周平についてはあまり知っていなかった。偶然、書店でこの本を見て、これだ!と思って、買って一気に読み済ました。作品の背景も好みだが、この主人公は本当に優しく、ヒューマニストだと思った。
韓国に紹介されたらいいな。。。
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庄内地方の村に現れた怪しげな、しかし親しみのある山伏、大鷲坊。実は子供の頃もその村に。一寸エッチで愛嬌のあるその姿は健康的な日本の農村(江戸後期?)の微笑ましさを楽しく語ってくれます。足萎えの娘を心から癒す、不倫の発見から恐喝になった村の事件の円満解決、冴えない独身怪力男の嫁取り助けと狐憑き娘の解放、人穫いの幼児を追っての羽黒三山中の追尾行、そして幼なじみの若い後家とのロマン、楽しい本です。著者の作品は庄内弁を忠実に言葉で書き表し、読んでいるうちに自然と東北弁の世界にはまっていくのも楽しいものです。
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鶴岡近郊の農村を描いた作品。物語の舞台は北国だが、明るくあたたかい。主人公の大鷲坊がなかなかに魅力的だ。エンディングも微笑ましい。
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あとがきでも触れている通り、全編庄内弁で綴られているのがとても印象深い。
東北出身ならわりとすんなりと、訛りがゆえに生き生きと人々の暮らしや考えが入ってくる。
Kindleにて
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とっても良かった。
村人たちの暮らしと、山伏の登場。
分かりやすい善悪の中で、みんな生活のために決して怠けたりしない。
昔の話は武士とかよりも村人の話の方が好きだなあ、と改めて思う。
読んだ後に、胸が洗われた気持ちになる、素敵な短編集。
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2021年の今、読み進むうちに以前読んだような記憶が浮かんできた。
このブクログで探ってみると確かにかつて読んでいた。2016ねんに。
感想も今と同様で
「石坂洋次郎さんの
「石中先生行状記」が思い出された。」
となっている。
石中先生〜は津軽の人々を描いて
「春秋山伏記」は山形。
どちらも東北の厳しい冬の中で育まれる人々の生活を描いていて、そしてどちらもほんのりエロチックである
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ついつい読み進んでしまうリズミカルな会話文と、強い訛りが印象的。世俗と聖の中間をいく山伏のあり方が、とても身近に感じられた。
貧しい農村を舞台に、男女の仲や親子関係、金の話など、人間臭い生活が生き生きと描き出されている。
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藤沢周平さんには珍しい土俗的小説です。
庄内藩の山里を舞台に、里山伏を主人公にした5つの連作短編集です。
里山伏とは、村里に住み着いた修験者のことで、村々の鎮守社や勧請社などの司祭者となり、拝み屋となって妻子を養い、田畑を耕し、あるいは細工師となり、鉱山の開発に携わる者もいたそうです。
かつては村の鼻つまみのガキ大将だった鷲蔵が、羽黒での修業を終え、立派な里山伏・大鷲坊として村に帰って来ます。その大鷲坊の元には村で起こる様々な問題が持ち込まれます。足萎えになった娘、乱暴者の嬶の浮気、村に恨みを持つ若者の帰村、力持ちだがどこか女々しい寡(やもめ)の嫁探し、狐憑き。大鷲坊は噂を集めてその原因を探ったり、祈祷などで問題を解決して行きます。
ちょっとミステリー風の仕立てで、土俗的な軽いエロティシズムもあり、おおらかで柔らかく、温かなユーモアのある物語です。
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青年山伏が主人公の、そこはかとないユーモアが漂う時代小説。
こういうのを成功させるのは難しいんだろうなあ。
そして成功させているのは藤沢周平ならでは。
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藤沢周平は私にとって身近な作家ではなかった。
ドラマや舞台、映画でいい作品だなあと思ったらそれが「藤沢周平」の作品だった。
どこか山本周五郎に似た感覚が感じられ
そして、庄内出身の作家と知り、さらに肌に近くなっていった。
庄内は羽黒に代表される修験の地域だが、修験そのものは明治の神仏分離により江戸時代以前の姿とは同じものではない。
ただ人々の生活の中にいたであろうもっと身近な山伏の姿を、この『春秋山伏記』の中で藤沢は描こうとしている事に、私はものすごく親しみを感じる。
観光だとか、文化とか、そんなものではなく、生きていくための中に存在した山伏の姿は、綺麗事でない人々の生活の中で必要なものであったと確信している。
山の民はどこから来たか、西日本に平家の落人があるように、東北にも、、、。
そんな謎めいた存在も又この作品の魅力を増しているのではないか。
もちろん、庄内弁はなお心地良いです。
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この小説は山伏が主人公のようでありながら、実は江戸後期の村人の誰かれが主人公に物語になっている
私には、方言は急速に衰弱に向かっていると言う考えがあるので、あまりいい加減な言葉も書きたくなかったのである