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後半は真珠湾攻撃〜ミッドウェイ後、五十六が戦死するまで。五十六観がちょっと変わりました。作品としてはボチボチ。
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戦後、英BBCが第二次大戦の各国のキーパーソンを取り上げた番組を作成した際に「真珠湾攻撃のアキテクトたる大提督」と称したとのことだが、本書は昭和16年春に真珠湾攻撃の概略案を固めて実行するまでの言動・行動を詳細に記録。最終的には、昭和18年にラバウルで戦死し、日比谷公園で国葬が開かれるまでが収録されている。巻末の参考資料の量の多さと、インタビューした相手のリストが圧巻。山本は家庭に寄り付かず、様々な女性と過ごした時間が多かったため、旧版には遺族からの大きな抗議があった模様。本書は改訂版であり、旧版から一部削減された内容があるとのこと。
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開戦〜ブーゲンビルでの戦死まで。
誰よりも三国同盟、日米開戦に反対していた山本五十六さんだが、いざ戦争が不可避になったら、軍人としての義務を全うされたことに心底尊敬致します
と同時に歴史にifがないのは重々承知してるけど、このお方には過去の偉人の誰よりも期待してしまう
今まで読んだ本では、戦術家としての“英雄”的な側面しか分からなかったが、本書は政治家、人間性(情の熱さ、賭け事好き)、失敗や欠点などの“非英雄”的側面も積極的に取り入れている。
そのおかげで、ようやく山本五十六さんという人物を理解出来た気がする
加えて阿川さんの執筆にあたっての話には凄い感動した
太平洋戦争を知りたいなら、是非奨めます
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確かにその他の参謀が指摘しているとおり
ハワイじゃなくてアメリカ領のフィリピンを
攻めるべきだった思う。最初の勝利で交渉を
有利にして講話する予定だったのならば。。。
9.11もそうだけど真珠湾攻撃はアメリカの
獣性を目覚めさせてしまったよね。
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日本の暗号はアメリカの暗号解読班によってほとんどが筒抜けになっていたのだ。これでは戦争に勝てるわけがない。たとえ戦力が対等であったとしても勝てない。今から振り返ると、こんな馬鹿な話はない。陸海軍の首脳部の人々は亡くなられた方に対して本当に申し訳なく思ったのだろうか。
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城山三郎の「落日燃ゆ」っぽいのを期待したのですが、ちょっと違いました。
山本五十六がどういう人間だったか、取り巻きはどんな人間だったかの記述が多く、戦争に関しては意外とボリュームが少ないです。
山本五十六に関しては他にも多くの本があるから、むしろこのような、人間、山本五十六を知るには貴重な本かもしれません。
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下巻は真珠湾からの話。
少々、戦争史っぽくなる。もっと五十六を出してもよかったか。
とは言うものの、訴訟問題になるほどの作品。
読む価値あり。
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山本戦死後の記載が半藤のものと比べ、充実していた。開戦の日の述志より、
名を惜しみ、己を潔くせむ私心ありてはこの大任は成し遂げ得まじ。
リーダーたるもの、自分の名を惜しむ気持ちがちょっとでも出たらいけない、批判はいつでも結果論である。草鹿の言葉でつないでいる。
全体を通じ、著者の客観的であろうというスタンスが伝わってくる内容だった。引用書簡なども多い。ただ、家族から名誉毀損の訴訟を抱えるなど、事実をありのままに記載しようとすることによる弊害も生じ得るのは、近現代の人物の伝記作品ならではの宿命であろうか。
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ヨーロッパでのフランスの弱い立場に乗じて,日本は仏印北部へは既に進駐していたが,昭和16年7月29日に日仏共同防衛議定書が正式に調印され,その日のうちに,日本の陸海軍部隊は仏領インドシナ南部(今の南ベトナム)の地に進駐を開始した。日本の南方進出に神経質になっていたアメリカは,手早い反応を見せ,しっぺがえしのように日本の在米資産の凍結を行い,8月1日には広範囲な対日輸出禁止措置をとった。それは,綿と食料品だけを除外し,石油を含む一切の物資を,今後日本向けに積みださせないというものであった。アメリカから石油が来なくなったら,日本は4ヶ月以内に南方の資源を求めて立ち上がるか,屈服するしかあるまいというのは,貯蔵量や消費量から割り出された一般的な考えであった。当時日本が平時状態で必要とした石油の量は,年間海軍が200万t,陸軍が50万t,民需が100万tの合計年間350万tで,今日私達が輸入して使っている原油が2億tであるので,その60分の1の燃料の問題が,日本が国運をかけて戦争を決する直接の引き金となった。
このため海軍は否応無しに戦争の気構えを固めなくてはならなくなった。それからというもの,航空艦隊は鹿児島湾一帯を真珠湾に見立て,実践さながらの猛訓練を行った。
9月12日,山本は近衛首相と東京で会見している。その中で,近衛は以前と同じ『アメリカと戦争をしたら勝てるか』と問い,山本は『是非に私にやれと言われれば,1年や1年半は存分に暴れてご覧に入れます。しかしそれから先のことは全く保障出来ません』と答えている。この発言に対し,井上成美は山本に『ああいう言い方をすれば,軍事に関して素人で優柔不断な近衛首相は,とにかく1年半は持つと,曖昧な気持ちになることはわかっている。海軍の見通しは如何と言われて,なぜ山本さんは,海軍は対米戦争をやれません,やれば負けます,それで長官の資格がないと言われるなら辞めますと,そう言い切らなかったか。連合艦隊4万の部下の手前,戦えないと言うことは,さぞ言い難かったに違いないが,その情は捨てて,敢えてはっきり言うべきでした』と言った。山本がなぜ近衛公に『1年や1年半は暴れてみせる』と言ったのか,井上は,それは山本の部下への思いやりだと言っているが,やはり,鍛えに鍛えた力を,一度は実践で試してみたいという,軍人特有の心理が,多少とも山本の心の中に動いたのではないだろうか。そして,長い間『腰抜け』と言われてきた事への反発や,郷里長岡の人たちに,『さすがは五十さんだ』と思わせてみたいという心理が働いたのではないだろうか。
そして遂に12月2日の夜,機動部隊は『新高山ノボレ一二〇八』を受信する。この日,旗艦赤城の増田飛行長の残した日記には『すべては決定した。右もなく,左もなく,悲しみもなく,また喜びもなし』と記載されていた。
真珠湾攻撃は,アメリカ側もその奇襲がある事を知っており,アメリカが戦争に後ろ向きな国内世論を開戦の方向に引っ張り込むために仕掛けたものであると言われている。このためか,真珠湾攻撃は見事に成功する。
その勢いをかって,徹底的に壊滅状態に追い込めば良かったのだが,それをせずに,日本の海軍は引き返してしまう。太平洋戦争における帝国海軍の絶頂期は,悲しいかな,開戦時の真珠湾攻撃のみであったように思う。確かにソロモン海戦では,劇的な勝利も得ているが,それは一時的なものにすぎない。帝国海軍は,ミッドウェー海戦以降,滅びの足音が徐々に迫ってきたといえる。
ミッドウェー海戦の目的の主眼は,ハワイにいる(正確には,ハワイにいるであろうと日本軍が想定していた)アメリカ艦隊を誘出し,決戦を強いることであった。シンガポール陥落後の早期講和のチャンスを逃したが,ミッドウェー海戦にかけた山本の思いは,その早期講和のチャンスを今一度ミッドウェーでつかむということだった。しかしながら,ミッドウェー海戦は,沈めても沈めても,打ち落としても打ち落としても次から次にやってくるアメリカの軍艦・戦闘機という圧倒的な物量攻撃と,敵に暗号が読まれていた事などにより,アメリカ軍に叩きのめされ,回復不可能な打撃を被ってしまった。これ以降,海軍は,行く先々で海空からの波状攻撃に成すすべなく,終戦に向けて次第にその決戦地を南太平洋から日本近海へと撤退して行く。
山本はガダルカナルの戦線が困難を極めている事を知り,その戦線に最も近いショートランド島方面の基地を日帰りで激励に行って来たいと言い出した。ニューブリテン島のラバウルから,南東約300kmのところにブーゲンビル島があり,この島の南端にブインの基地がある。この巡視計画には,不賛成を唱える人が多かった。しかし,山本がきかないので,仕方なく計画は実施された。
予定通り,山本をのせた陸攻は離陸したが,あと少しでブインというところで,不意にアメリカの戦闘機の急襲を受けた。1式陸攻323号機の山本機ブーゲンビル島のジャングルの中に墜落した。すぐに捜索隊が出されたが,捜索隊は山本ほか10名の遺骸と飛行機の残骸を発見した。山本には下顎部からこめかみへ抜けた弾痕があり,飛行機がジャングルに突入する前に機上で戦死したものと思われる。おそらく,今回も,山本の前戦入りをアメリカ軍が事前に知り,待ち構えて撃墜したものと思われる。事実,戦後にアメリカ側から,暗号解読による山本搭乗機の待ち伏せの成功ということが発表されたのであった。検死の結果,昭和十八年四月十八日午前七時四十分が死亡年月日時であった。
山本の後に連合艦隊の指揮のとれる人は山口聞多ぐらいしかいないと言われていたが,山口は先にミッドウェーで戦死していたし,その他,小沢治三郎は年功序列の縛りで指揮は任せられないだろうと言われた。結局,山本の死により,帝国海軍はおしまいだと,多くの海軍関係者,政府,国民が感じたことであろう。
連合艦隊の指揮はもとより,多くの人が山本には戦後の時局収拾をしてもらおうと考えていたのではないか。山本は事実,戦前,親米英派と言われていたし,国民の間に不平不満の声が上がっても,『これは山本大将が決めたことだから』と言えば,多くの人が堪えられるだろうという考えでもあった。そんな山本を失った日本は,レイテ海戦,沖縄戦,原爆投下,終戦へと突き進んで行った。
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二度目。
人としてとても魅力の有る軍人だ。が、名将とはよべない。軍政に徹すべきだったと愚考する。
阿川さんは、大好きなんだろうな。
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下巻は真珠湾攻撃以降だが、山本の当初の見通し通り開戦後1年半が経過したあたりから戦局に翳りが見え始める・・・・こうなると(対英米戦争に誰よりも反対していただけあって)「やっぱりな」という諦めにも似た思いが出始め次第に死に場所を求めていたのでは・・・と思ってしまいます。勝てない戦でのトップの苦悩が垣間見えるような気がしました。
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ここんとこの寝る前に読む本だった「山本五十六」
ようやく読み終わった。
阿川弘之の海軍提督三部作の中では一作目にあたるわけですが、「米内」と「井上」を先によんだので、これにておしまいっ。
山本は有名すぎて、その生涯も最期もおおまかに知ってるので、あんまり読む気がわかなかったんですが、読んでみるとやはり面白いな。
ギャンブル好きで女性好きな人間山本五十六がよく描けてたんじゃないでしょうか。
この三部作、イケイケどんどんの声が増えてきた昨今、再び見直されていいと思うのよね。
私は「井上成美」が好きやね。
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下巻では、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、次々と歴史のターニングポイントがあらわれる。日本の暗号はアメリカにほぼ100%解読されていた事を知り愕然とした。それに類した話は小耳にはさんだ事はあったが、ここまで詳しく本で読んだのは初めてだ。
そこで当然出てくる疑問は、「アメリカは日本の暗号を解読していたのなら、真珠湾攻撃を知っていたのでは?」というものだ。知った上であえて攻撃させ、国民の戦争気分を盛り上げた、という論法だ。
これについては答えは出ていない。
真珠湾に続くミッドウェー海戦で日本は赤城などの空母を失い、ここから敗北へと突き進むわけだが、ミッドウェーはそもそも有利な条件ばかりが揃っていたというのは知らなかった。『永遠のゼロ』では、飛行機の離陸準備に手間取ったのが痛かったという意味の事が書いてあったのを思い出す。
そしてこの史伝の主人公・山本五十六の死。
そこでこの本は終わる。
戦争突入前のロンドン軍縮会議から真珠湾、ミッドウェーまでの歴史が山本五十六という人物の眼を通してよく見える、大変な力作であった。
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よもやこれほど赤裸々に提督像が描かれているなんてと驚き、何度も読み返しながら確認しつつページをめくった。
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私が学生の頃抱いていた大東亜戦争の印象は、「軍や政治家が狂信的に行った非合理的な戦争」というものだった。しかし、山本のように合理的な視点から戦争に反対していた人々も居た。
政治家が戦略的視点を持たず、落としどころを見つけられなかったのがあの戦争の悲劇か。政治家や陸軍側視点で何が考えられていたのかも知りたい。
多くの書簡や公私両面から山本の人物像が描かれており、著者は努めて客観的に描こうとしているのが感じられる。
真珠湾攻撃が米軍に知られていたのでは、という件についてもう少し突っ込んで調べてみたいと思った。