紙の本
読み手は、著者のスケベ心に圧倒される
2006/01/21 23:36
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、「東電OL殺人事件」にかこつけて、著者のルサンチマンとスケベ心を発露した過ぎない。前作『東電OL殺人事件』の書評にも書いたが、これはノンフィクションとはいえない。妄想がいっぱいで、トンデモ本と紙一重である。少なくともノンフィクションに次のような表現が似つかわしいとは思えない。
「裁判長が読みあげる判決理由のなかで、私の耳が一瞬勃起したのは、…」
著者は、そのことで頭の中がいっぱいなのだろう。
「代々木練兵場に近い円山町で起きたOL殺人事件に私が激しく発情したのは、二.二六事件の青年将校たちを処刑する銃声や、大杉一家が最後にあげた断末魔の声が、その事件の底からかすかに聞こえてくるような気がしたからかもしれない。」
関係ない。二.二六事件とこの事件とは絶対に関係ない。
「豊かなブロンドの髪に青い目をした彼女は、ハリウッド女優のファラ・フォーセットそっくりの美人だった。」
前作同様、なぜか著者の意に添う女性は、みんな美人だ。 などなど
著者は『あとがき』で「この事件に関する女性読者の感染、わが国のメディアの劣化、そしてますます広がる司法の闇というのが、三本柱となっている。」と書いているが、
まず、女性読者の感染について言えば、「おびただしいほどの」手紙と書いてあるのでどれくらいかと思えば、「百通を優に超す」となっている。「斎藤学と対話する、ある医療機関主催のシンポジウム」には、「百人あまりの聴衆」だし、斎藤学、田口ランディとの三人の鼎談で、「八百人ほど」である。これを感染と呼べるだろうか。潜在感応者がその数倍いたとしても、それは感染というより以前から同じ心性を持っていた人がカミングアウトしたにすぎない。そして、そのような女性に著者のスケベ心が、「発情」しているにすぎない。
次に「わが国のメディアの劣化」について述べると、この著者に人のことが言えるのかと問いたい。私は、この著者の人権感覚を疑いたくなる表現に気分が滅入った。例えば、
「車が二台は楽に入りそうな大きなガレージを前に張り出したその家には、イタリア人の指揮者とソプラノ歌手の日本人妻が住んでいる。だが、音楽家夫婦が住む家というイメージから、連想される文化の香りはまったくなく、自分の権勢をこれみよがしにひけらかすチンケなヤクザの豪邸のようだった。…」
事件と無関係な人の家をこんなふうに表現する権利が著者にあるのだろうか。
「住人が裁判官で占められたこのうっとうしい環境…」
まるで裁判官全員が悪人であるかのように語る根拠は?
そして、判事の妻の実名や学校名までを暴く必要があったのか。などなど
「司法の闇」について、どんな世界にも闇の部分はあるだろう。そして、それを暴き出し正すことがメディアの役割であることは、言うまでもない。しかし、前回被害者の心の闇を解き明かすことに失敗したように、今回も司法の闇を暴いたと言うにはほど遠い。警察、検察、司法みな筋の通らない行動、そして判断をした。事実を追えば私もそう思う。しかし、それがなぜなのかは何ら解明されていない。
最後に、私には「売春OL」と「買春判事」の心の闇は同根だと思えるのだが、著者が「売春OL」には同情し、「買春判事」には敵意を抱く理由が分からない。著者の論理で言えば、ふたりとも現代社会の犠牲者ではないのか。
彼らの心の闇に迫りたければ、鷲田清一の『悲鳴をあげる身体』や斎藤学の『「家族」はこわい』を読むのがよい。
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同著者の「東電OL殺人事件」の補足本とも言える、加害者の判決後のルポ。「東電OL殺人事件」の印象があまりにも強すぎたので、それに比べると印象は薄いが、事実と著者の思考が丁寧に突き詰められている様は見事です。
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グロテスクを読んでいたのでそういうことだったのかと思って読んだ。孤独とずっと向き合ってきた被害者に共感をおぼえる女性も多いだろうな。でもその人を神格化するのは違うと思う。
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東電OLといったキーワードを使っているけど、
中心に据えたにしてはなんか散漫な印象。
それにしても、数年前、会社のあった渋谷から自宅まで歩こうと
昼の円山〜松濤をぶらつき、モチロン神泉駅のところでは
TVで見た記憶から現場となったアパートはあのあたりと確認して、
杉並まで帰ったのだが、読んだ後だったら近づいたか疑問。
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電力会社のエリート社員だった女性が毎夜売春する生活を長期間続けた末殺害された実話をもとにしたノンフィクション小説執筆とその中から浮かび上がった現代の断層を描いたところ、女性読者から尋常ならざる反響が寄せられたそうだ。その多くは、敬慕する父を失い、エリートへの道を閉ざされて堕落へひた走った被害者への同情と共感だったというから、興味深い。図書館で借りた日に、3時間ほどで半分ぐらい読み進めた。元の作品も読んでみたい。
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東電OL裁判の途上
関係者や裁判官にまで副次的な事件が波及・連鎖してゆくさまが
まるで死者の手引きのようでもあり、
皆汚いものなのよ、と、泰子が示唆しているようでもあり、
そう思わせる現実の出鱈目さと相まって、非常に考えさせられる。
堕ちて命をなくしたOL。
それが死して尚、浮き彫りにし続けるものに深い感慨を覚える。
自己を徹底的に罰しつづけ、遂には他者の動機を誘引し、破滅的な毎日から死へとダイブしたOLの凄まじさを、また考える。
正直、読んでは考え、考えては読むにつけ思うことは、渡辺泰子は、僕自身でもあるという事であり、
そう確信しつつ自ら恐怖もするのである。
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最近の裁判をめぐるさまざまな報道や震災に対応する会社の苦悩などがこの事件と重なって、再度東電OL殺人事件を読み返してみた。この東電OL症候群と両方読むことで、最初は感じなかった作者が伝えたかったことが少しでも深く理解できたような気がしている。
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東電OL殺人事件の続編。
裁判所でのやりとりの記述が多く、興味なく頭に入ってこなかった。筆者の考察を元にした調査が面白く、それがあまりなくて残念だった。
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著者はこの本の三本柱として「この事件に対する女性読者の感染」「わが国メディアの劣化」「司法の闇」をあげているけれども、正直言ってどれもそれ程深く掘り下げられていないと思う。裁判記録と、読者の紹介と、裁判官の不祥事について書かれているという感じ。著者の考えの部分が、どうしても考察というより妄想に思えて仕方なかった。東電OL事件の裁判に関わった裁判官の不祥事を追っているけれども、それがどう判決に影響を与えているのかがわかったわけでもない。ところどころ、それは東電OL事件にどう関係してくるの?と言いたくなるような項目がたくさんあって、まとまりがないように思えた。ただ、『東電OL症候群』というタイトルから、ひとりのジャーナリストが東電OL事件に突き動かされてこんなにたくさんのことを調査することになったっていうエッセイみたいなものと考えれば、これはこれでいいんじゃないでしょうか。
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前作「東電OL殺人事件」に続き、この事件の被疑者だったネパール人が一審で無罪判決が出た直後、勾留され控訴されたところから、控訴審での逆転有罪判決、そして最高裁への上告までを描く。
一応ノンフィクションやドキュメンタリーの体裁をとっているが、実際は前作同様、予断と偏見に満ち、不十分な取材の元、著者の心象がそこここに散りばめられた醜悪な文章で綴られた最悪なエッセイのようなもの。
元になっている事件のほうが、大きな動きがなく、書くことがないためか、手紙を送った読者のことを書いてみたり、児童買春をした判事のことを書いてみたりと、前作以上に内容が散漫になっている。
こんなひどい自称「ルポルタージュ作家」が、また「ハシシタ 奴の本性」のようなひどい事件を引き起こしている。下劣で卑怯な本性は推して知るべしである。
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326.23
続編の本書から読んでしまったが、被害者である渡邊泰子さんが摂食障害であったなどの背景も興味深い一方、元東京高裁裁判官である村木保裕の少女買春については全く無知だったため後半かなり引き込まれて読んだ
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『東電OL殺人事件』の続編。
無罪判決から一転、有罪無期懲役を言い渡し、迷走を続ける司法。
そんな中、作者は感想を寄せた読者に会い、話を聞いたりと被害者女性の闇に更に踏み込む。
そうしていくうちに、社会の闇へ闇へと導かれる。
2015.2.15
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毎晩、円山町に立つ東電OLの精神の闇について興味はあるが、殺害した犯人が冤罪であったこと、また新犯人像などには興味がない、読み物として一貫性はあるにしろ、同じことを何度も主張する意味が不明である。最大の読みどころは東電OLに共感する女性たちのインタビュー箇所かな
以下は同事件を題材にした小説
鳴海章『鹹湖 彼女が殺された街』(1998年、集英社)
久間十義『ダブルフェイス』(2000年、幻冬舎)
桐野夏生『グロテスク』(2003年:文藝春秋、2006年:文春文庫)
真梨幸子『女ともだち』(2006年、講談社)
折原一『追悼者』(2010年、文藝春秋)
追記:『鹹湖 彼女が殺された街』『追悼者』二冊は未読
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東電OLの続編。相変わらず過剰な比喩表現が鼻につくが、圧倒的な取材力と、事件そのものがもつ異様さが存分に伝わって来る。