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全くもって初めて読む作家・伊藤たかみの作品。芥川賞作家らしいが。例によって今月の書く出版社の新刊案内を検索していたら、文春文庫のところで本作が目に入ったからで、その第一にして唯一の理由が「祖父の危篤の報せを受けて、(中略)、辿り着いたのは父が捨てた町・紋別」とあったからだ。
紋別って何、という人は日本には居ないと思うが敢て説明すれば偉大な私が生まれ育った北海道はオホーツク海に面した紋別市だ。なかなか我町がこうした文学作品に登場する機会は無いし、果たしてどのように紋別が描かれているのか興味津々で購入した次第。
祖父の牧場は紋別の郊外にある、紋別空港建設工事で地上げされそこなった一本松近辺、とあるので場所は元紋別地区から小向にかけてだと思われる。かつて名寄本線が走っていた時代な無人駅があった記憶がある。
そして危篤の報せを受けて神戸を後にした主人公は敢て祖父に実家には行かず、「入院している病院に近いから」という表向きの理由で何故か紋別から小一時間の距離にある遠軽町のホテルに滞在する。遠軽町は石北本線が旭川方面から来て北見・網走へと続く途上にあり、かつては紋別方面に向かう名寄本線と接続する場所だった。
しかし牧場が紋別の郊外とは言え、決してそこは市内から遠くはなく車で10分から20分程度なのだから、何も入院するのに遠軽あたりの病院を選ぶのはかなり現実的には難しい想定だ。食事場面も殆どが遠軽だしまったくもって紋別本というには物足りない。
結局私の生まれ育った紋別市内の描写は殆どなく、最後になってようやく市内のホテルで叔母に会う場面で僅かに出てきただけ。と、言うわけで今ひとつ地理感覚と物語の想定でかみ合わせが悪く落ち着きが悪く期待は裏切られた形。
確か桜庭一樹が紋別を舞台にした小説「私の男」を書いていたような記憶もあるので今度はそれを探してみよう。なお、彼女は紋別には何も縁は無いはずだが、確か文藝春秋の担当編集者が紋別出身ということで度々エッセイにも「紋別クン」として登場しているのでその絡みで書いたものだろうか?
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伊藤たかみの文庫新刊。文庫が出ていると読む作家となったが、今回の作品はまだ消化できていない。後ほどレビューを書きます。
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洋は、おじいさんのお見舞いに紋別へ渡ります。
父親不在のまま、彼の生まれ故郷に辿りつきその影を追っていきます。
そんな洋に付き添ってきた、はとこの歩美。
恋人というわけではないのですが、洋にいい感じで寄り添っています。
父と息子の関係って面白いですね。
ちょっと回りくどさを感じますが、微妙な距離感が微笑ましくもあり、苛立たしくもあり…。
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「海峡の南」というタイトルを見た時、私は北海道なら津軽海峡だろう、その南となると本州・青森であると思った。しかしあらすじには北海道紋別とあるから、まさか宗谷海峡…!?この話はまさか、樺太から撤退した話とか??と想像が膨らんでしまった。ちなみに全く関係がない。
閑話休題。
さて、この作品は正直起承転結の分かりやすい話ではないし、ハッピーエンドなど簡単に分類できるものではない。
まず人間関係然り、現在と過去の関係しかり距離感がつかみにくい。小説の中で若干触れられていたが、確かに北海道にいる時の本州はどこか非現実的存在だし(気候とか文化的に違うので)、道内を移動する感覚に慣れてくると、東京名古屋間もまぁまぁ近い距離判定になってしまう。主人公たちが内地育ちで、それも内地でも移動をした経験があって、北海道に来たのだとしたら、精神的な時空間の広がりが土地に影響されそうだ。ずっと音信不通の父が想起され始めるのは距離感のアンバランスな環境に来たのがきっかけだろう。
戻れない時の中で父を遡り、自分もまた移動していく。そしてまた南の本州に戻る。そういえば鮭は母川回帰といって、生まれた川の匂いを覚えて最後に戻ってくるという。鮭に似て、洋の父も洋も何かしらに惹かれるように邂逅し分かれていくのかもしれない。最後に日本海経由ではなく太平洋経由で帰るのも、名前が洋だからなのか、北から南へ回遊していく様にも思われた。
内地と北海道という距離感、北海道内の距離感、船と飛行機の感覚…流浪するから渡るからこそ知り得て、知り得るが故に土地に根を下ろすことなく寄るべなく生きている感覚は、地元を出たあとに流されゆく自分自身にも当てはまる気がする。
故郷であって故郷でなく、根を下ろすこともできず揺蕩う。揺蕩うから自由で、孤独で、だから人の存在が確かに私がいたことを教えてくれるのも、本当だと思った。
こちらの作品を読んだ方、もしできるなら新日本海フェリーや太平洋フェリーで北海道に来てみて欲しい。青森まで行って津軽海峡フェリーに乗るでもいい。飛行機よりはるかに時間がかかるし、
船酔いもするかもしれない。でも、海の姿も天気もさまざまなことがわかるかもしれない。春先ならイルカの群れが見れるし、海鳥の群れもタイミングが合えば見えるだろう。そうした時、或いは北海道に着いて歩いてからでもいいが、もういっかいこの作品を思い出して欲しい。
国際海峡を越え、ブラキストン線を越えて、隣国との国境が迫る感覚は、遠くに来た事実以上に、本作品におけるミナミを感じられるかもしれない、と思う。