紙の本
エロティスティックエッセイスト
2004/12/16 11:17
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:基次郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
澁澤の書物は常に斬新で軽妙である。一時、彼にはまり、河出文庫の澁澤コレクションを読み漁ったことがる。とにかく、面白いのだ。そして、その博学ぶりに驚嘆するのみ。三島をも唸らせた著書の行間には無駄がない。
当文庫「夢のある部屋」は澁澤の「自身と家とその周辺」を気軽に語った、他のコレクションと少し毛色の異なる内容となっているが、澁澤の魅力が十分、発揮されている。澁澤初心者の方々にはもってこいの内容ではないだろうか。読んで興味がわけば、他のコレクションを読み進めばいいし、興味を感じなければ、もっと市井のエッセイストのものを手に取ればいい。間違っても、いきなり「エロティシズム」を読んではいけない。そこには澁澤の本質が強烈に表現されているから。彼ほどエロティックなエッセイストを、澁澤自身が認める稲垣足穂を除いて私は知らない。
投稿元:
レビューを見る
2009/8/31図書館で借りる
2009/9/2読了
ガラスの魅力:読了
【感想】
ガラスは粗末に扱えばすぐに割れてしまう、その宿命的な繊細さ、脆弱さのために、人はよく傷つきやすい人のことを『ガラスのような心を持った人ね』などと言う。実は、私も以前付き合っていた女性に言われたことがある。
ジャン・コクトーはある恋愛小説の中で、青春期の男女を「ガラスの種族」と「ダイヤモンドの種族」とに分けた。ダイヤモンドのような堅い心の相手に触れれば、ガラスのように繊細な心の人は、宿命的に傷つくのである。だから、ガラスの心を持つ人はそれをビニール製のものに作り替えなければならない(吉行準之助の言葉)ということになるであろう。
ギリシャ神話に、泉に映った自分の姿をみて日に日にやせ細り、ついに水の中に飛び込み、おぼれ死んで水仙の花になったという物語がある。この水死を遂げた人物こそが、ナルシスとの語源となった、青年ナルシスである。こんなところにも、鏡に対する古代人の畏怖の感情が、よく表れているようだ。
鏡の魔法:読了
【感想】
日本では、フランシスコ・ザビエルが持ってきた鏡が最初のガラスの鏡ではなかったか。それ以前の日本では、金属の鏡、つまり銅あるいは青銅の鏡を用いていた。
金属の鏡のいちばん古いものは、中国で発見された紀元前六世紀ないし五世紀のものだというから、鏡は人間の文明が始まると同時に存在していたといえる。
それでは、人間の文明以前には鏡は存在していなかったのか。否、文明以前には人間は自然の鏡を見ていたのである。それは沼や泉の水である。大昔の原始人は沼や泉の水に映った自分の姿を見ていたのである。
夜を演出する:読了
【感想】
文明時代の都市生活には夜の感覚が失われてしまったようだ。深夜に新宿や渋谷を歩いてみるとこのことがよくわかる。大通りを歩いている人たちが、ネオンを求めてバーに駆け込む姿が見られるであろう。そこでは、昼の感覚と変わらず、時間を忘れてしまったかのように踊ったり歌ったりしているのである。
蛍光灯やネオン・サインの輝く夜は月の光や星の光を薄れさせ、色褪せさせる。以前、ニューヨークで大停電が起こったとき、停電が起こったのをきっかけに人々が月の明るさに気付いたというエピソードがある。現代では、降るような満天の星屑を眺めるには、都会を遠く離れなければならない。フランスの哲学者であるガストン・バシュラールは、「私たちの唯一の役割は、スイッチをひねることだけだ」と、現代文明を皮肉っている。
たしかに、冷たい人工的な光の中に暮らしている私たちには、もう光というものの暖かさや懐かしさを忘れてしまっているようだ。
だから、私たちの今日の生活では、夜らしい夜、本当の夜は、もう私たちの演出の中でしか実現し得なくなっているのではないか。私たちのそれぞれが、趣向を凝らして、それぞれの自分の夜を工夫し、演出するのである。近年の冬のドラマで見られるような、ビルの明りを利用した告白などは、粋な男の演出によるものではないだろうか。(笑)
遊びの哲学:読了
【感想】
近頃はやっているレジ��ーとか、レクリエーションとかは、労働の苦痛や退屈を忘れるために存在しているのではないだろうか。レジャー施設の建設の欲望は労働の苦痛を忘れるための欲望と一致しているのであると思う。だから、近年は自由な遊びの場がなくなった。その場所の代りに、資本家がもともと自由に遊べる場所で会った場所をレジャー施設に変えているのである。
したがって、明日の労働の活力を生みだすために、レジャー施設を利用するのではなく、労働そのものを幸福な遊びと一致させるような社会体制を作ることが私たちにとって望ましいものではないのだろうか。
早急に労働と遊びが一致するような政治体制が求められているのだ。
→快楽主義の哲学/澁澤龍彦を読む
アダムとイヴの匂い:読了
【感想】
香りについての記述をしている。これは調香師の手帖と一緒に読み進めていこう。
贅沢について:読了
【感想】
澁澤さんは一度もテレビに出演したことも、講演にも、座談会にも出席をしたことがないという。出ずっぱりな寺山さんと違い、テレビに出たくてたまらないという人ではない。物書きだから、ただ文章を書いていればいい、というスタイルであって、それ以外のサーヴィスをする必要はない、と考えている。
渋澤さんはこのエッセイの中で、「日本人のテレビ好きは、日本人の貧乏たらしさの何よりの証明のように思われて、実に情けなくなる。ヨーロッパでは、フランスでもイギリスでも、あんなに夢中になってテレビなんか見やしない。彼らには、もっと別の楽しみや娯楽があるのだ。」と言っている。
制服、そのエロティックな秘密:読了
【感想】
「愛」という言葉 或るマトリストの解釈:読了
【感想】
女・物・記号:読了
【感想】
女性と論理:読了
【感想】
遊び:
ユートピア あるいは遊びのすすめ:
投稿元:
レビューを見る
地上の知識をうまいこと切り取ったりつなげたりしてイヤミにならず見せてくれてありがとう澁澤さん♪(´ε` )
投稿元:
レビューを見る
澁澤はともすれば女性を敵に回しそうな発言もするのに、女性読者にも根強い人気があるのは、なぜなのでしょう。本作のエッセイは女性誌に掲載された、ゆったりとしたものが多い印象です。でも気を抜いているとその博識の波に呑まれてしまうので、やはり油断は出来ません。
発展する建築や技術に対して嘆いている場面も多く、澁澤が自然や古典を愛し、好奇心のおもむくままに生きた素敵なひとであったと再認識しますね。