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特に海外において、宗教・信仰はその人の考え方の基盤となっているもの。その人がどういう考えを持っているかを理解するのに、その人が何を信仰しているかを知ることは非常に有効。でも自分は、宗教がなんなのか、全然分かっていない。海外の人と話す機会があっても、宗教的な感覚が分からず寂しく蚊帳の外な思いをしたこともあるので、いつか広く浅く学びたいと思っていた。そんな時に見かけたので読んでみた。
第二章以降はインタビュー形式の構成。インタビュー相手が凄いのか、池上さんが凄いのか分からないけど、話が凄いわかりやすく、そして身近。今までわからなかったからこそ得体が知れず気持ち悪い存在だった宗教が、概要が分かって身近に感じられるようになった。
[読書録]======================
■第一章
日本では、国家元首である総理大臣の宗教が話題になることは殆ど無い。カトリック信者の麻生太郎が総理になっても、ドイツでは話題になるのに日本では話題にならない。一見、宗教にまるで無関心な態度。しかし実際には「無関心」なのではなく、他人がどの宗教であろうと「問題にしない」だけ。
アメリカは強烈なキリスト教国家。1ドル紙幣にも「IN GOD WE TRUST」と書いてある。また、元々ヨーロッパから新天地を求めてやってきたキリスト教徒たちが作った国。みながキリスト教徒であることを前提としてできた国。神を信じる人の割合も、日本はもちろん、ヨーロッパ諸国をも大きく引き離す。
キリスト教原理主義団体や、そこまでではない聖書信仰の団体までを含めて、福音派(エバンジェリスト)と呼ぶ。共和党の大統領候補になるには、福音派の支持を得られるかが大きな鍵。宗教的な考え方が、政治に大きく反映される。キリスト教徒であるか否かが政治家の命運を決する。
民主主義のジレンマ(民主的な選挙をすると、原理主義勢力が圧倒的な力を取る)。ドイツでは、民主的なワイマール体制の中からナチスが生まれる。アルジェリアでは、1989年の民主化後の選挙で、イスラム原理主義勢力が圧倒的多数を取る。パレスチナでは、2006年の選挙の結果、イスラム原理主義組織「ハマス」が議会の多数派を占めた。エジプトも、リビアも同様。
アメリカ的な民主主義の発送で民主的な選挙を行うことによって、結果的に、反米国家が次々に生まれてくる可能性がある皮肉。
インド人=ターバンの印象があるが、実際にターバンを巻くのは、シク教徒のみ。インドの人口の2%しかいないシク教徒の印象が大きいのは、過去にインドを支配していたイギリスが、少数派のシク教徒を重用したため。ヨーロッパの国々が植民地を支配する時には、必ず少数派によって多数派を支配させてきた。そして、シク教徒はカーストに関係なく実力で上に行くことができるから。
インドでIT産業が著しく成長を遂げたのは、IT産業にはカーストの指定がなく、誰でも就くことができるから。
カースト制も不合理なことばかりではない。仕事を分け合うことで、結果的にワークシェアリングが成り立っている面もある。
■第二章(宗教が分かる)
日本人の宗教観について「��操がない」とよく言われるが、本当にそうか。実際には、神道と仏教はきちんと住み分けがあって、生まれてからすぐの間は神道の儀礼がづづく。死んでからは仏教。
日本人にとっては神道と仏教はそう簡単に分けられないもの。仏教の伝来した飛鳥時代からずっと神仏習合の文化。それをどっちか選択しろと言われても、片方を選択できる人は殆どいない。だからやむを得ず「無宗教」と答える。それだけ、どちらも深く根付いてる。
日本人は、神仏に対して何らかの形で祈りを捧げたり、参拝に行ったりするということをごく自然にやっている。そういう意味では、宗教に対して凄く親近感がある。
今の社会は、平安時代と江戸時代につぐ、第三の長期安定期。騒乱の時代には、人々は宗教に貧困や病気、争いごとの解決を求める。しかし今は、宗教に期待する人はあんまりいない。そうなってくると、エンターテイメント的要素が強くなる。宗教は、日常化して穏健なものになるが、条件が変われば過激なものになる二面性を持っている。
■第三章(仏教が分かる#1)
仏教は「全てを語りつくそうとしない」ちょっと珍しいタイプの宗教。大抵の宗教は、この世の始まりから終わりまですべてを説明しようとするが、仏教は、経験則や臨床事例から大きく外れている領域を語ることには慎重。実践主義的な宗教。
輪廻から出て解脱する、つまり二度と生まれ変わらないことが仏教の目指す理想。喜びも悲しみも苦しみも全て捨象してしまった状態を理想とする。解脱すれば、二度と生を受けることはない(=涅槃に入る)、「解脱観」。輪廻:前世で行ったこと(=カルマ)に従って、様々なものに生まれ変わること。
菩薩道:人々を救済するためであったり、悟りを求めてなどの理由で、敢えてこの世界へと戻る。
仏道とは「生きるということは、苦である」といった自覚から始まる。「苦」とは「思い通りに成らない」の意。生きるということは思い通りにならない。そこで「思い」の方を調える。「思い(執着)」が強ければ強いほど、現実との落差も大きくなり、つまり苦悩も強くなる。身体を調え、思いを調え、言葉を調え、生活を調えるトレーニングを実践することによって、執着を小さくすれば、苦悩も小さくなる。究極的には、執着をなくしてしまえば、苦悩もなくなってしまう地平を目指す。
上座部仏教は出家するのが信仰の本来のあり方。それに対して大乗仏教は、出家しなくても在家でもいい。これは、出家という生活形態に閉じてしまうことへの疑問がある。大乗仏教の理想は「とらわれないこと」。社会や他者に関わるんだけど、とらわれない。拘泥しない。
しかし仏教者が社会改革運動をしたり政治に関わったりするのは稀。仏教では社会を変革させようとするよりも、日常生活の自分の心と体を調える方に重心を置くため。ただ、日蓮のように国家論を持つ人もいる。
日本がなかなかグローバルスタンダードを取れないのも、宗教が関係しているかもしれない。欧米人は、これが国際基準だよと提示する。日本は其の国際基準に合わせることしか考えていない。これは、欧米の場合はキリスト教の布教の経験がある。これが信じるべきものだよと世界に訴えて説得することを、ずうっと続けてきた歴史がある。日本は逆に受け入れる側ばかりだった。
「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀仏にお任せします」という意味。「南無」はサンスクリットのナマス、あるいはパーリ語のナモの音写。意訳すれば、帰依や帰命となる。「この世界に満ち満ちたる、限りない光と限りない生命の仏様にお任せして生き抜きます」という、自分の生きる姿勢を表す言葉。
仏教の体系は、人類の知恵の結晶。仏教の教えは、経験則や臨床事例や心身のメカニズム、自己分析や他者観察によって出来ている。だから、仏教者ではなくても、その説かんとする所はかなり納得できるはず。ある意味で、信じていなくても活用可能な部分があるという、稀有な宗教。
■第四章(仏教が分かる#2)
上座部仏教には二百を超える戒律があり、その規範を厳格に守ることでその人の聖性、スピリチュアリティーが周りの人に自然に影響を及ぼしていく。それゆえに信者さんたちはお坊さんを尊敬する。しかし日本のお坊さんは世襲化したことで五戒(不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒)も守れていない。
葬儀業者に丸投げするような形式的な葬式だったらやらないほうがいい。葬儀社主導の中で、お坊さんは決められた時間だけお経を読むという役割だけで、亡くなった方に向き合うこともなく、後に遺された方の悲嘆を緩和することもないのが現状。悲しみに包まれた方々に、宗教者が向き合わない葬式ならば意味はない。
葬儀とは、地域の中で、その人のことを思い出に残し、その人の医師を地域の人に伝えていくためにある。そこに、寺の未来がある。
イオンなど、葬儀に参入してきた流通業者は、対象(カード会員)を消費者としてみている。寺の場合は、対象(檀家)をスポンサーとしてみている。消費者と見ているイオンはニーズの把握の仕方が違う。お坊さんも、棚に並んだ商品の一つ。
自分が今生きているのは亡くなった方のお陰であるわけだからと、それを思い出しながら感謝するというのが、回忌の意味。三十三回忌で終わりなのは、ちょうど世代が交代する時期だから。
四十九日は、輪廻に行くか解脱するかという分岐点。四十九日までは、7日とごに魂を守ってくれる仏さんがいる。
お寺を地域の拠点に。六百数十万人が老の域に入ってきたら、国家の社会保障もうまくいくかどうか分からない。その時に、寺が持っている潜在能力をしっかり発揮できたら、間違いなく社会は変わる。土地はある、建物も持っている、人脈もあるのだから、それらを最大限に使い、その地域に高齢者の支援施設を作っていくというアイデアなど。
■第五章(キリスト教が分かる)
ローマ皇帝コンスタンティヌスの構想するローマの世界平和は「唯一の神、唯一の皇帝、唯一の帝国」。この考えがキリスト教の考え(イエスにおいて世界の民はひとつに結ばれる)と一致したことで、キリスト教はローマ帝国の国教となっていく。キリスト教とナショナリズム、国家主義とが密接に結びついていく。
東方正教会:ローマ帝国が東西に分裂していく過程で生まれる。皇帝自らが教会の保護者となったことが大きな特徴の一つ。
西ローマ帝国に残っ���ローマ・カトリック教会は、西ローマ帝国滅亡後に苦難の道を歩み、やがてローマ法王を中心とする「法王絶対主義」を制度として確立してきた。
プロテスタント:腐敗の進んでいったカトリック教会への抗議(プロテスト)を発端とする。カトリックとの教義の違いはない。違いは、東方正教会とカトリックが「典礼」に重きを置き、プロテスタントが「説教」に重きをおくこと。
キリスト教のメッセージは「愛」だと言われるが、イエスの言う愛とは「悲しみを知ること」に限りなく近いのではないか。これがキリスト教が多くの人々の心を捉えた秘密かもしれない。
■第六章(神道が分かる)
神道の柱は4つ:お祭り、神社、神道古典、神道思想。
神道は宗教であると同時に、日本人の日本人たる所以の文化・生活と密接に結びついている。例えばお祭りをすることは宗教的行為と言うより、稲作と切っても切り離せない生活のあり方だった。
神社とはお祭りの時だけ神様をお迎えする場所。神様の住んでいる場所ではない。
神社の本殿には鏡などのご神体が祀られていることが多いが、そこに神様が住んでいるわけではなく、あくまで神の実在のシンボルと考えるべき。其のシンボルを通して神様を拝む。神社に行かなくても、「大麻」と言われる神宮のお札を拝んでも良い。
神様とは、祖先の霊であり、自然である。それで八百万の神と言われる。本居宣長は「尋常(よのつね)ならずすぐれたることのありて、可畏(かしこ)き物」が神様だと言っている。狼や狐も神様。人間の中でも非常に尊い人も神様。だから自分たちにとって尊いものは神様。「お客様は神様です」と言うのもある意味正しい。ユダヤ教やキリスト教の「ゴッド」とは違う概念。
神道では、死後の世界ははっきりとは決まっていない。しかし、死んだらその家の神様にはなる。子孫にとっての祖先の神様。しかし、広く人々が崇拝する神様になるためには、同世代の人達が承認することが必要。権力を持った人間なら誰でも神様になれるわけではない。勝手に神社立てても、みんなが参ってくれなければ神様にはなれない。
神道というのは寛大な宗教であり、教えを統一するということがない。
神道に属しながら、仏教徒でもある、という神仏習合は日本人の重層性を示していて、少しもおかしなことではない。白河天皇のように、天皇を退位した後、出家して法皇と名乗る場合もある。
神社は2つの理念型に分類可能。「産土型神社」と「勘定型神社」。前者は五穀豊穣や共同体の安寧を祈る。後者は家内安全や商売繁盛といった個人の幸福を願う。ただ、後者(個人の安寧)も、前者(共同体の安寧)あってのもの。そういう意味では、個人の救済を目的とするキリスト教や仏教のような宗教とは、かなり性格が異なる。
■第七章(イスラム教が分かる)
ムハンマドは預言者なので、イスラム教では彼を尊敬しても、崇拝する対象とは考えない。
コーラン:モーゼやイエスなどの預言者に対して、神はこれまでも言葉を伝えてきたのに、人々は其の教えを曲解している。そこで神は「コーラン」という最終的に正しいものをムハンマドに送って、それをそのまま��存しろと言った。なのでコーランは、聖書のような読みやすい物語形式にはなっていない。また、神の言葉を正確に伝えるために、アラビア語のままでないと正式なコーランとはみなされない。
ハディース:ムハンマドの言ったこと、やったことを記録したもので、コーランにつぐ聖典扱い。コーランに書いていないことを知る上では、ハーディスに書かれたムハンマドの発言や行動がよすがとなる。
コーランやハーディスは覚え切れないし、そもそもそこに書いていないこともある。これらを解釈するのがイスラム法学者の仕事。
イスラムでは、カトリックのように「聖職者が神と人間の間を仲介する」という考え方はしない。神と人間は一対一で向き合う。そういう意味で聖職者はいない。
スンニ派:ムハンマドが亡くなった後の指導者である「カリフ」をいめた。シーア派は、それではなくムハンマドの娘婿であるアリーの血統が正当であるという主張。日常生活に限れば、両者に教義の違いはほどんど無い。その対立が激しくなったのは、二十世紀後半に、シーア派が多数を占めるイランにホメイニという独創的な思想家が出て、宗教と政治が一致した体制を作り、スンニ派がシーア派を警戒するようになってから。
イスラムでは自殺を禁じている。だから「これは自殺ではない」という理屈をつけるために、これはジハードだと主張する必要がある。
イスラム教はマニュアル型宗教でわかりやすい。大してキリスト教は概念がわかりにくい。そういう意味で入信者は増えやすい。
■第八章
日本で無宗教といっても不自然ではないが、欧米であれば「アンチキリストと」みなされる。イスラム圏では「反宗教」、ある種の無政府主義者みたいに思われかねない。日本には「信教の自由」ではなく、「宗教からの」自由がある。
お布施や戒名料について:嫌だったら払わなければいい、一生懸命お経を挙げてくれたんだからある程度払っておこう、と思えば払えばいい。適当でいい。その「適当」がわからなくなってしまったのは、「マニュアル思考」のせいかもしれない。
一神教には「自分」の存在が前提となる。しかし仏教には「ワタシなんて無い」と言う立場。今ある姿はカリソメのものにすぎない。自分の存在を意識しすぎることは、他人との違いを気にしすぎることにもつながる。
「唯一客観的な現実」が存在するというのは信仰。唯一客観的な現実というのは、神様がいない限り成り立たない。にも関わらずメディアに流れる情報が唯一の現実だ、と思い込んでいる人が多い。自分の眼や耳で確認したことを信じる、というなら健全でしょう。でも既存メディアの情報は嘘で、ネットの情報は真実、という二分法なら、同じ穴のムジナ。
■おわりに
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日本人は無宗教であるといわれるが、この「無」というのは仏教でいう「空」を示していて日本人は無意識的に宗教を感じているという内容が心に残った。外国での無宗教の示す意味との大きな違いに気づくことができた。
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この本、タイトルがずれてる気がする。メインは死生観、死とは何かを各宗教から視点から見て、自分の死に向き合うっていうとても宗教学的な、哲学的な内容だ。浅く広くだけど、考えてしまう本だ。ううむ。
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学問としての宗教に関心があります。昔の戦争の原因はほぼ宗教。人と人を簡単に争わせてしまい、個人の考える力を奪う宗教とは一体なんなのか。
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110814by『伝える力』探索も不明 110918on朝日as5位
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第1章 宗教で読み解く「日本と世界のこれから」―東日本大震災・ビンラディン殺害・中東革命
第2章 宗教がわかる!ほんとうに「葬式はいらない」のですか?―vs.島田裕巳(宗教学者)
第3章 仏教がわかる!1 「南無阿弥陀仏」とはどんな意味ですか?―vs.釈徹宗(浄土真宗本願寺派如来寺住職)
第4章 仏教がわかる!2 仏は「生・老・病・死」を救ってくれますか?―vs.高橋卓志(臨済宗神宮寺住職)
第5章 キリスト教がわかる!「最後の審判」は来るのですか?―vs.山形孝夫(宮城学院女子大学名誉教授)
第6章 神道がわかる!日本の神様とはなんですか?―vs.安蘇谷正彦(國學院大学前学長)
第7章 イスラム教がわかる!『コーラン』で中東情勢がみえますか?―vs.飯塚正人(東京外国語大学教授)
第8章 宗教と脳がわかる!「いい死に方」ってなんですか?―vs.養老孟司(解剖学者)
おわりに 宗教は「よく死ぬ」ための予習
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人はなぜ宗教を求めるのか?日本人は「無宗教」なのか?スピリチュアルブームの正体は?仏教、キリスト教、イスラム教の3大宗教から、神道、ユダヤ教まで、7人の賢人と池上さんが読み解いた。世界を正しく理解するために必要なエッセンスがこの一冊に。
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日本の寺は地域のコミュニティの中心的役割を果たして来たが、現在ではその役割を果たしておらず、その代替もない。団塊の世代が老の領域に入ったらこの問題は更に顕在化するだろう。
養老孟司さんの意識中心主義が問題だという指摘は納得した。
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・人が宗教を求める心理
・日本人の宗教性(本当に無宗教なのか?いや多神教なだけ^^)
・現代で、50~だけでなく若者からもおこっているスピリチュアルor宗教ブームについて
・新興宗教、伝統宗教のそれぞれの役割と時系列に沿った隆盛→今は伝統宗教が見直されている。
がより理解できてgood!
(個人的には神道についておもろーだった)
池上さんは、ミーハーに人気あるだけあって、文章がわかりやすい・テンポよい♪
ただ、彼の“1意見”を相対化して考えるほど、まだ背景知識の基礎がないので、もっと分析や考察をぬいた無機的な文書をよむ時間をつくってもいいのかも。
聖と俗というテーマで、少し深ぼれて満足ほくほく^^*
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世界に興味を持って勉強していくと、当然なんだけど宗教がわかっていないせいで理解できないことが多く、でも本当の宗教本は敷居が高すぎて読んでもちんぷんかんぷんだし…と思っていたら、この本を見つけました。尊敬する池上彰氏著だったし、帯見て私の疑問に思っていたことが網羅してあると思って購入。
正直期待していたのとはちょっと違ったけれど、自分の知らないことが世の中にはまだまだたくさんあることに改めて気付かされて、もっと幅広く知識を持たなくてはと刺激され、すごく悔しくもなり、こんなに知らないことがたくさんのまま世の中を生きていくのに恐怖も感じました。
そしてやはり、池上氏は偉大な方だと思いました。
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楽しかったです! 仏教、神道、イスラム教、キリスト教の宗教観、また、無宗教といわれる日本人の宗教観を、識者へのインタビューを交えて解説してくれる本でした。
※この本でいう日本人は、特定の宗教に入っていない日本人のことだと思います。
【この本による日本人的宗教観の特徴】
神仏に対して何らかの祈りはする。神々しいものに対する畏れも抱く。神道や仏教が、意識されないほど生活や文化に溶け込んでいる。冠婚葬祭もいろんなやり方でやる。どんな神様も受け入れられる。その宗教に合わせて行動できる。無宗教といっても宗教や神を否定しているわけではない。
この変が日本人の宗教的な特徴だと言っています。
読んでいてふと立ち止まって考えたことは、他宗教への寛容は日本人に限らず、ある宗教の信者でも、必ずしも他の宗教の人を否定はしないよなぁということ。経典の中にも他の宗教には寛容であるようにと書いてあったりもして。排他的で攻撃的な宗教は少ないような気がします。じゃあそういう宗教と日本人の違いはなんだろうということを考えました。
例えば宗教対宗教の対立があったとしたら、中立の立場にはなったりなだめることができたりするような気はします。二項対立を越えたところにいる、第三者的な感じ。
目の前にA教徒がいたとして、「自分の信じているものと相手のとは違う」とは思わないような・・・。それは多分、信じていると思っている宗教がないからかなぁと。でも宗教そのものは否定はしない。
神様はいるような気がする 。でも何が神様かは決まっていないし、それが〇〇教という名前がついているわけでもない。布教もしない。聖典も聖地もない。
いわゆる日本的宗教観とはそういうものなんだなぁと、気づきを新たにしました。
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池上さんらしいタッチ。解説本として判りやすい。個人的に覚えておきたい事項は下記。ウンチクを語る時にも使えそう。
カトリック
・聖書に書いてあることがすべて真実を信じている人ーキリスト教原理主義者
南部に信仰者が多く、バイブルベルト
・福音派、エバンジェリスト(アメリカの保守層)
・避妊の禁止:「生めよ、増やせよ、地に満てよ」
仏教
・創造神なし
・輪廻の中で生まれ変わることは苦しみ
輪廻の外に出る(解脱)−>涅槃
・上座部仏教(小乗仏教) インドータイービルマ
出家するのが本来の進行
・大乗仏教 日本
在家でも可能
理想は:とらわれないこと。
・般若心経 伝統的な仏教の前提を否定している。。
結局は言葉では語れないのだ。。
・檀家制度 江戸時代
キリシタンでないことの確認、戸籍代わり
・亡くなった人は
49日のたびをしてバルドに行き着く
輪廻か解脱かの分岐点(解脱の方に行って欲しいとの祈り)
7日間単位に仏様が守ってくれる 7回分
・不動妙王ー>弥勒菩薩ー>文殊菩薩->釈迦如来・・・・
キリスト教
・死に苦しみの代価をキリストは十字架の死を通して支払った
・読んで面白いところ
旧約:冒頭の創世記
新約:マルコ福音書
神道
・創造神なし
・お祭り、神社、神道古典、神道思想
・神道古典とは古事記、日本書紀、万葉集、風土記
・日本人を規定しているもの;古事記、日本書紀
・思想を広めた
(中世)伊勢神道、吉田神道、
(近世)垂加神道、国学者の神道
・死後の世界:??
高天原?黄泉jの国?神の下座?(神様)
・役割
−産土(うぶすな)型 五穀豊穣、共同体の安寧
−勧請(かんじょう)型 家内安全、商売繁盛など個人の幸せ
イスラム教
・コーラン:成功した商人のムハンマドが天使から神の言葉を詠んだ。
114章からなる。
・イスラム法学者 コーラン(ムハンマドが聞いた神の言葉、
ハディース(ムハンマドの言ったこと、やったことの記録)
この二つからやっていいいこととやってはいけないことを教えてくれる。
・スンニ派(9割)とシーア派(イラン、イラクに多い)
ムハンマド後継者の決め方の違い
スンニ:話し合いで、最高指導者のカリフ(預言者の代理人)を決めた
シーア:ムハンマドの娘婿アリー(血統から)
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直前にバカの壁を読んだからか、どうしても一神教に否定的になってしまう。うーん、影響されやすすぎ。
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読み終わった!
池上さんの本初めて読んだけど、人気出るの納得、わかりやすかった。
宗教のことが、漠然とよくわかんない人にお勧め(笑)
世界3大宗教と日本の神道について、それぞれの思想や立場がインタビュー形式で包括的にわかるようになってます。
それと、日本人の宗教観も納得する解釈が得られた。
養老孟司さんも登場したけど、どうにもアンチ一神教感が雰囲気悪かったな。
この本全体が中立的立場をとってるから、最後だけ浮いてた。
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とてもスッキリとまとまっていた。
ガチガチの宗教者のコメントばかりでないのが入門書として取っつきやすい。
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池上さんが日本人の宗教人に聞き、答えとして返ってくる日本人の宗教観が仏教、キリスト教、イスラム教を問わず共通しているのが興味深い。
「日本人の多くは無宗教といわれている。しかし、大半の人がクリスマスを楽しみ、除夜の鐘を聞いたあとで、神社に向かう。
つまり宗教が『無い』ではなく、神の存在は漠然と感じていながら、それを『無意識』で受け入れ、生活することができる世界でまれな宗教民族」
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様々な宗教の第一線の方々への池上さんのわかりやすい質問を通し、世界の宗教を概観できる内容となっている。
宗教に興味を持つきっかけとしては、非常に素晴らしい本だとおもう。
ただ、内容が浅いために、宗教を納得するには、まだまだ知識が足りないと感じる。
入門書としては、素敵です。
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宗教は『よく死ぬ』ための予習。『死に方と生き方は同じ』
少しは仏教、キリスト教、イスラム教、神道が理解できたかも