紙の本
盛り沢山過ぎて一寸散漫だけど、ヴォネガット流の皮肉は鋭いし、おもしろい。
2008/02/28 13:33
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:りっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
まずは銃規制の問題。これは殺された身重の女性の夫メッツガー氏が正解を書いています。
〈わたしの妻を殺したものは、どんな人間も決して手にすべきでない機械です。それは火器と呼ばれています。それは人間のすべての願望の中でもっとも邪悪なものを、即座に、遠くからかなえることができます――つまり、なにかを殺そうという願望を。
それが邪悪というものです。
わたしたちは、人類がつかの間にいだく邪悪な願望をとりのぞくことはできません。しかし、その願望を実現させる機械をとりのぞくことはできます。
これがその聖なる言葉です――武器を捨てよ〉
でも、アメリカでは銃規制が進まないねぇ。
警察官によるリンチ、虐待・・・父親は、裕福で変わり者、戦争中はさすがにひかえていたものの、それまではヒトラーと付き合いがあったことを公言していたから、反発を感じていた人も多かったのだろう。その心理はわかるけれど、12歳の子どもの顔に黒のインクをつけてさらし者にするなんて・・・
「このすべては、合衆国憲法の権利章典への明らかな違反だった」
後の方で―「クー・クラックス・クラン」の名前も出てくる。これもアメリカの伝統なんでしょうか。
人種差別・移民問題
人間の残酷さ・・・『ローマの礫刑』の絵の解説で「人間の、ほかの人間に対するお祭り気分の残酷さをついた短評」「ピカソの『ゲルニカ』と、大ざっぱにいっておなじテーマ」と書かれています。
子どもへの無関心・虐待・・・ルディの両親は、子育ては使用人任せ。破産してからはルディが使用人?そして「デッドアイディック」と名づけた警官は、自身が虐待を受けていた。虐待の連鎖。
トラウマ・・・戯曲家としての才能もトラウマによって伸ばすことができなかった。いつまでも残るものなんですねぇ。
疎外感・・・グレニッチ・ヴィレッジでホモがたむろしているのを見て、ルディは想像します。「いつの日か、われわれすべての中性は、隠れ場所から出てデモ行進をするだろう。先頭の一列が」掲げる横断幕の文字はegregious “群れの外にいる”という意味だそうな。“群れの外にいる”のは、ホモだけではないでしょう。「考えられますか――何万人もの人間が群れの外にいるところが。」ヴォネガットさん流の皮肉ですねぇ。
文化の衝突・・・この本には、幽霊も登場します。死んだ人間を生き返らせる能力を持ったイポリット・ポールが好意からシリア・フーヴァーの幽霊を墓の中から呼び出してあげようと、申し出て、ルディの兄と言い争います。世界が狭くなった分、これからいっぱい起こるでしょう。外交も相手国を尊重しないとねぇ。
薬物依存・・・シリアはフェリックスが通っていた高校一の美人。貧しい環境に育ったため教養に欠ける。また、そのことを充分自覚していた女性。フェリックスが家に連れて行ったとき、「こんな顔はかきむしってめちゃくちゃにしてしまいたい」といって靴を残して家に帰ってしまった。ルディの父母が大雪のため入院したときにはボランティアの看護婦。夜はYMCAで勉強をしていたが、外側を飾って中身のない〈シュークリーム〉と揶揄されていた。薬物依存のため、魔女のように醜くなる。自殺。葬式で、フェリックス号泣。女性の内面を見て欲しいです。
買春・・・12歳のルディに、父親が現在も買春していることを告白。後にルディはその行為について「恥ずかしげもなく」と表現。そう、恥ずかしいことと認識していただきたい。
親子の断絶・・・メッツガー氏が子ども名義で買った土地はディズニー・ワールドとなり、一人はタンカーの船主。一人は馬主。メッツガー氏は売れない新聞を発行し、子どもたちは彼と口をきかないと弁護士ケッチャムは言う。そのケッチャムの子どもも、彼とは口もきかない。シリアの息子は母親をひどく憎んでいる。個人的な問題ではないと思うな。これも資本主義の限界を現していると感じています。
女性問題・・・「ここ最近、大ぜいのアメリカの女性が口にしている不満は、煎じつめればこういうことではないかと思う――彼女たちは、自分の人生が物語としては不充分で、エピローグばかり長すぎることに気づいたのだ。」あはっ。エピローグだらけの人生もなかなか楽しいけどなぁ。
中性子爆弾・・・人間だけを殺傷し、インフラを残す目的で開発された。その発想が怖い。こんなものを考える人間にとっては、自殺してくれる人が増えることはもちろん、ベルトコンベアー式の死刑制度も大歓迎なんだろうなぁ。世界では、死刑制度廃止の方向に進んでいるのだが、わたしの国では、どんどん執行されている。イージス艦が漁船に衝突した事故も、人の命の軽視だねぇ。
まったく、アメリカという国には問題が山積み。ヴォネガットさんは、自分の国が好きだからこと、問題提起をしているのだろう。日本も、ここらで根っこから考えなおさないとねぇ。
人生論もなかなか鋭い。幽霊のようには生きたくない。人の犠牲になって我慢してもいけない。さりとて、名誉や欲にかられて安物の暴れ馬に乗っているような人生もお断り。自分らしく、自分のやりたいことを、自分の好きに、自分のテンポで生きられるのが幸せというものだね。
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2007/12 新刊本屋で買う。東京行きの新幹線で、半ば以上を読む。まだ、時系列がてんやわんやじゃない方。
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なんかいろいろあって気持ちがあっちこっち行くけど最終的には心があったかくなる。
結局しみじみといい話だなあと思う。
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爆笑問題太田の好きなヴォネガットやらを読んでみようと読んでみたわけだが、あかん。何が面白いのか全然分からない笑!!映画で観たら面白いかもと思ってしまったよ。
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「デッドアイ・ディック」の主役は銃であり、ドラッグであり、中性子爆弾であり、人々の偏見だ。
これらがたくみに物語の中で影響を及ぼしてくる。その主役たちの周りで、
へんてこなダンスを踊らされているのがルディ・ウォールツであり、
ルディの父であり、母であり、兄であり、ドウェイン・フーヴァーとその妻だ。
途中途中にさし挟まれるレシピ、これがまたいい。
そして、人生は演劇だ、ときどき台本までもが登場する。
「デッドアイ・ディック」は「ジェイルバード」のあと、1982年に書かれた小説で、
名前から「ジュニア」が取れた『近年の作品』の範疇に入るのではないかと思うが、
「デッドアイ・ディック」のヴォネガットはとにかく調子がいい。
油が乗っている。職人芸だ。上手い。翻訳もすこぶる調子がいい。
コトバが血肉になっている印象すらある。
あとがきを読めば、どのくらい調子がいいかがさらに伺える。いいタイミングで訳されたと思う。
どの世界にも原理主義者って言うひとたちがいて、
Genesisならピーガブが脱退する前までしか認めないとか、そんな類の主義なんだけど、
ヴォネガットもご多分に漏れず、「猫のゆりかご」や「タイタンの妖女」の評価がめっぽう高い。
しかし、わたしは職人の熟練した腕で生み出された作品がものすごく好きだ。
わたしにとっての最初のヴォネガットは「スローターハウス5」で、何度も読んだ本だし、
おそらく一番好きな本は?と問われれば、これを指すだろう。
けれど、ほんとうにそうだろうか、とふと思う。
ヴォネガットのよさは、熟練の妙味だ。
これがなければ、すべてのヴォネガットを読み続けることなんてなかった。
その妙味のある作品といえば、70年代後期〜80年代に生まれた作品群にあたるのではなかろうか。
それにしても、「チャンピオンたちの朝食」は、もしかしたら「猫のゆりかご」以上にヴォネガットにとって
重要な1冊なのではないかと思った。「チャンピオン」と「青ひげ」、「デッドアイ・ディック」は
三兄弟のような作品だ。こんな本が読めて嬉しい。
もっと読まれていい一冊だと改めて思う。
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初めて読んだカート・ヴォネガット作品。
なんだろう、隅から隅までユーモアと皮肉??
人生を悲観的に過ごしてはいるのだけど、それを楽しんでいる様な感じを受ける主人公。
がっつかない、こういう人物像が魅力的なのだよな、と思います。
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ヴォネガットの作品は皮肉と温情の闇鍋である。ある部分だけをつまみ出せば、それはあまりに口汚い世間への罵りであり、またある部分を切り取れば、まるで宗教の説話のような訓辞になっている。しかし全体として作品を見れば、どうしようもなくひどい世界でも愛してやまない作者の理想主義である。
この『デッドアイ・ディック』でも、ライフル銃で妊婦を撃ち殺してしまった少年の人生を、かばい立てすることなくえがいいている。兵器、銃器というものは、使用者の善意・悪意・無為を問わず、使用すれば人を傷つける他はない。中性子爆弾にしてもそうである。見かけがきれいに残っていれば、それは破壊ではないのか。居抜きで占領者が殺戮後の都市を使用するとする悪魔のような所業を、ライフル銃で人を誤って殺した少年の罪と並べたのではないか。
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何度目かの再読。自分の人生が物語としては不十分で、エピローグばかり長すぎることに気づいてもなお、人はエピローグを生き続けることの皮肉と哀しみ。でも、その哀しみをヴォネガットは優しいまなざしで描く。だから好きなんだと思う。
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お宝を持ち帰った桃太郎は死ぬまでに何回人間不信に陥ったか。
月に帰ったかぐや姫は朽ち果てるまで何度鼻の穴をほじったか。
人生が映画のようにドラマチックでもメトロノームのように規則的でも、エピローグは上映時間の冒頭から既に始まっているという事をこの小説は喋っている。予想外にてきぱきと終わってしまった人生に面食らう事もなく、終わってしまった物語のパーツを一個一個拾い集めておもちゃ箱に仕舞い込む様子を楽し、めと言われても多分無理な話です。そうです、誰かを奮い立たせるようなお話でも、夢を増幅させるような紙芝居でもないです。ただ【そのあとどうなりました?】【はい、彼はお菓子を作るのが好きです】という、噛み合うようでそもそも始めからお互い噛んですらいない、語り手と世界との通話記録があるだけ。
でも人生の記述文法はそれが一番適切だと思うから、自分は死ぬまでこの本から目を離せない。
無人島に持って行くのも無人島なんて行きたくないと思わせてくれるのも、等しく、この一冊。
これが暖炉だ。なくなっちゃったら、生きていく気が風邪を引く。
【P292】
もう暖炉がないと知ったとき、母は意味深長なことをいった。
「あら、どうしましょう――暖炉がなくちゃ、これ以上生きていく気が起きるかしらん」
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これまで読んできたヴォネガットの小説のなかでは一番スケールは小さい。
一つの田舎街を舞台にした、奇妙な家族を中心とした物語。
おかしくて悲しくてどうしようもない人たちばかりだが、きっと人ってこういうもの。
「一生はまだ終わっていないが、物語は終わったのだ」
エピローグでしかない人生でも続いていく。
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未読だつた 1982年の長編
でもなぜか楽しくなかった。10年ほど間があいたから? 自身が人生の『エピローグ』にはいったから?
後者と思いたくないなぁ。でも、それがもっとも正解に近いだろうな。
物語は、これが SF かと聞かれると辛い。中性子爆弾が出てくるし、火星への旅立ちも出てくるが、SF ではない。挿話される料理のレシピもまったく面白くないし、意味不明。
金持ち一家のドラ息子が誤って妊婦を撃ってしまう。金と銃。アメリカ丸出しだなぁ。そして、その人生を振り返る。物語のエピローグに凝縮される無常感がきにあう気がする。
(京都のカフェで読んでいるからか?)
おもしろかったのは、巻末の解説。ヴォネガット自らの言葉らしいが、小説の結末なんてどぉ〜でもえぇらしい。仕上がりは2/3で終わっているんだって。ふ〜ん。
私はローズウォーターとタイタンが好きだな。
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ヴォネガットはどの作品においても、批判すべき対象をわりと明確に描いてきたけれど、1982年に発表されたこの作品でもそのターゲットははっきりしている。
「銃」、「薬物」、「核技術」。
精神科医による安易な「ジアゼパム」「リタリン」の処方で薬物依存症となり、自らの人生を荒廃させる人々。
核技術関連の重大な事故が発生したにもかかわらず、「パニックが起こらない事」を最優先させる国家。
防御服を着た人たちがさっさと作業に取り掛かれども、それが何故かを説明する言葉は無く、健康に及ぼす影響を知る機会は住民に与えられない。
あれあれ・・どちらも、どこかの国の今そのものじゃないか・・。
「ローズウォーターさん・・」「スローターハウス5」なんかに比べ、より厭世的で冷めた視点。
強烈なアイロニーが随所にちりばめられつつ、同時に元来のヒューマニズムが隠し切れずに現れるのがこの人の作品に共通した特徴だけれど、本作ではそのどちらも控えめ。
TV等を通じて見た、インフレと失業に苦しめられた、70年代後半の荒涼たるアメリカの地方都市さながら、冷たく空虚な印象が全篇を覆う。
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読みにくい読者を選ぶ作品
表紙 6点和田 誠
展開 4点1982年著作
文章 4点
内容 425点
合計 439点
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なんともけったいな物語。以前「チャンピオンたちの朝食」を読んだときにも同じような印象を受けた記憶がある。高橋源一郎「さよならギャングたち」と同じ(というか高橋がパクったんだろうけど)なんだけど、「さよなら〜」ほど詩的なわけではないなあ。一応ストーリーはあるんだけど、それよりも即興的な文章を味わうべき小説なんだろう。その意味では翻訳で読んでもダメなのかもしれない。訳者あとがきで紹介されていた書評でもそのあたりについて書かれている。以下抜粋。
「ヴォネガットは、カウント・ベイシーがピアノの名人であるのと同じ意味で、文章の名人である−−どちらのスタイルも、簡潔で、おどけていて、リズミカルだ。そのために、多くの人びとは、この二人を平凡であると思う。だが、その真似ができると思うならやってみたまえ−−できはしない」(ネーション誌)
「『デッドアイ・ディック』のすばらしさは、その文章、その音、その匂い、その色彩、その飛躍にある。ヴァネガットはジャズの即興演奏家に似ている。自分ではどこへ行きつくかを知らずに、神秘的なタイミングの感覚で話を進めていく。いびきのように偉大なセンテンスをかき、くしゃみのように最高の隠喩を連発する。ときにはホットに、ときにはクールに、だが、つねにメロディックで、その文章の中から風変わりなイメージの小鳥をつぎつぎに羽ばたかせる。それをホワイト・ファンクと名づけよう。」(ナショナル・レビュー誌)
なによりも驚いたのは、
「トゥー・ビー・イズ・トゥー・ドゥー」−−ソクラテス
「トゥー・ドゥー・イズ・トゥー・ビー」−−ジャン・ポール・サルトル
「ドゥー・ビー・ドゥー・ビー・ドゥー」−−フランク・シナトラ
という落書きが最後の方にでてきたこと。これはリュック・ベッソン「SUBWAY」の冒頭で出てきたフレーズ。うまいなあと思っていたが、まさかこんなところに元ネタ?があったとは。
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SF?
初めてのヴォネガット作品。
『時空のゆりかご』のエラン・マスタイさんが好きということで、細かく章を区切る構成が似ている。
内容は、中性子爆弾で滅びゆく街の様子を描いたSF…だが、全然SFらしくない。主人公一家の人生を描いたヒューマンドラマという印象が強い。
ユーモアある文章で、クスッと笑える場面が多く、退屈せずに読めた。