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HONZのレビューを読んで手にとった。とても納得した。問題行動が起きたら、まずは本音を吐き出してから反省しないと、感情を抑圧して状況が悪化する。犯罪だけではなく、あらゆる場面に応用できる考え方だった。多くの人に読んでほしい一冊。
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問題行動の原因追求をしないままイタズラに反省だけを求めると、上部だけの反省や真の原因に対する抑圧に繋がり、やがて更なる問題行動に繋がる、との事。
子育て中の自分にとって、恐ろしいほど的を射た内容だった。
この本に出会えて良かった。
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文章は単調でくどいが、主張はクリア。
私自身は概ね同意である。
しかし,この主張を受入れられる人は、幸いにして、そのように育ってきた人なのだ。
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厳しくしつける。悪いことをしたら反省させる。反省していたら罰を軽くする。これ、全部ダメだという。
最初はビックリするけど、読んでいくうちに納得して考えが変わる。
まずタイトルになっている「反省」。小さい頃から大きくなるまで、とにかく反省しろ反省させろというシーンが多い。ところが、自発的に反省したのではなく、反省しろと言われて反省(したような作文や発言を)するとそれで許してもらえるという体験を重ねるうちに「反省したふり」ばかりがうまくなるし、自発的な本当の反省にたどり着くきっかけを失ってしまう。そうすると、「悪いことはしない」ではなく「悪いことをしてもばれない」ことが重要だと誤認する。
悪いことをしても「反省した振りさえすれば許してもらえる」のだと誤認する。結果的に、再発防止にはつながらない。
「反省しなさい」の多くはまず「被害者の立場気持ちを想像しなさい」から始まるが、これもよくないという。むしろ「加害者である自分の気持ちをどんどん掘り下げなさい」からはじめるべきだと。
これが、刑務所で犯罪者の更生プログラムに関わってきた著者の意見。
なるほど〜。自分にもたくさん思い当たることがある。
もう一つ面白かったのは、厳しいしつけに関わるところ。「人に迷惑を掛けない」「我慢する」「わがままを言わない」「いい子にしている」などのしつけは、すべて孤独孤立と同じ方向を向いているという。「気持ちを押し殺すこと、他人に頼らないこと」を目指すべき方向にすることが回り回って「もうダメだ、犯罪しかない」につながるし、刑務所を出たあとにうまく生きられず戻ってきてしまう原因にもなっているという。
そうではなく「他人に頼ること」「気持ちに素直になること」「迷惑をお互いと思うこと」こそ大事な子育てだという。
これは佐々木正美さんや内田樹さんの言葉にも通じるものがあるなぁ。
反省を強要すると自発的に本当に反省する機会を失う。
犯罪に対する厳罰化は、再発防止にはむしろ逆効果になる。
厳しいしつけと子供の虐待やいじめは表裏一体である。
奇妙なタイトルの奇妙なロジックの本かと思っていたら、人生の価値観が変わるようなおもしろビックリ本でした。
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悪い事をしたら、反省させる。上辺だけの反省に満足・納得してしまう。結果、ごまかす事だけ上手くなって何も良くなっていない。真の原因を潰せば、真の反省が出てくる。反省は、あくまで更生させた結果。これまで考えたこともないけど、賛同できる。
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タイトルがおもしろそうなので読んでみた。
ひとが悪いことをしたときに反省させるだけでなく、「自分の内面を深く見つめること」が必要だと説く。
悪いことをしたその背景など、本質的な部分にまで目を向けていかないと、犯罪者になるだとか世代間でそのような教育が連鎖していくなど、ちょっと心配しすぎかなと思うところもあるけど、おおむねおもしろかった。
「自分を深く掘り下げる」ことの大切さを改めて思わされる。人間って、たぶんあったかい生き物やなあ。
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いい本だった。なぜ反省"させる"はいけないのか。そこに抑圧が確実にあり、内政を促さずその犯罪に至った経緯を見ないからだと。麻生さんと言ってること似てるなーとも思う。
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悪事が露見したとき,人はまず失敗したと後悔する。罪の意識・謝罪の気持ちが芽生えるとしても,だいぶ時間が経ってから。それが自然な人間の反応であって,無理矢理反省させようという圧力を加えるのは逆効果しかもたらさない。よく考えると当たり前のことなのだが,矯正・教育現場では依然として安易に反省文が求められ,うわべだけの反省で終了となっているのが実情。筆者はこれを憂慮して,独自の取り組みを実践している。どうして犯罪に及んだかという背景・生育歴等を探りながら,次第次第に罪に向き合わせるという方法で,真の反省にたどり着く者も多いという。そんなにうまくいくものか,という疑念も多少浮かんだけど,旧来の方法より効果的であることは間違いない。
過度に反省を求めることで相手の感情を抑圧してしまうのは禁忌。この考え方は,子育てをしていく上で是非とも知っておかなくてはならない。実践は難しいけれど,親も日々成長していかなくては。
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卒業論文の文献として取り扱いたかった!
タイトルからして衝撃を受ける人は多いだろうが、私にとってはもっと早く気付くべき事柄だと思った。
著者はもともと中高の教員であり、生徒指導に携わっていた。
その後に刑務所で被害者に対して反省文のようなものを書かせることに疑問を持ったことから、執筆に至る。
私自身も犯罪者にとって一番苦痛となるものは、生きて罪を償うことだと実感していたこともあって、本の内容は共感できるものばかり。
犯罪をしてしまった罪は重くとも、犯罪者にも犯罪者なりの言い訳がある。
その多くは、幼少時に負った傷や親の傷の伝承であったりするから。
本当に大切なのは、彼らが負った傷を素直に吐き出せるような環境作りなんだと感じました。
実際、自分が本当に大切な人を殺されたら、殺した相手を殺したくなるんだろーが。
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子供や部下をやたらめったら、自分の感情で怒るのは問題だなと・・・
叱っているつもりでいても、自分の感情で怒っていただけってのはよくあるパターンな気がする。
自己成長をするためにも、周りを萎縮させないためにも、ちょっとばっかし努力してみよう。
しかし、参考にはなるが、いらないだろう内容が結構多く、人に薦めるには至らないかな。
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例えば裁判での被告人の様子が報道される。
「反省の弁がない、改悛の情が見られない」
こんな犯罪を犯しておいて反省しないのか!と人は皆思うことだろう。勿論自分も含めて。
被害者感情に寄り添い、世論におされて厳罰化に向かいつつあるこの状況において、加害者の視点から受刑者更生支援に関わる著者が「反省させる」ことの弊害を論じる一冊。
「悪いことをした」という意識がない人間にいくら反省を促しても意味がない。
原因を追求せずに反省だけさせることにより、何故自分は悪いことをしたのか分からないまま更に自分を抑圧させてしまう。
生まれてからの人生を掘り起こし「自分が親や周りから実はして欲しかったこと、言って欲しかったこと」を考えさせ吐き出すことにより、自ずと相手の気持ちを斟酌出来るようになるプロセスは、目から鱗だ。
覚醒剤に手を出した人が「自分が弱かったから」と答える例を挙げているが、人は皆元来弱い存在であり、「弱いから」犯罪を犯すのではなく、その弱さには何か必ず原因があるはずだという。
受刑者のカウンセリングをすると、ほとんどが子供時代に親から愛されず虐待されたり育児放棄されたりして育つ人が多いのだとか。
子供時代「ありのままの自分」を受け入れてもらえなかった子供は、自分を大事に出来ず人を頼ることも出来ない。よって人間関係を上手く築くことが出来ないので仕事も続かないし、近づいて親しくしてくれた人に依存し、断れなくて薬物に手を出したりする。
勿論それだけを理由にするのは本末転倒だし、法を犯したからには罪を償うのは当然だが、加害者の視点からの見方は新鮮だ。
「更生」とは生き直すこと。正す「更正」ではない、という著者の言葉が重い。
堀川惠子著「永山則夫 封印された鑑定記録」
山本譲司著「累犯障害者」
美達大和「死刑絶対肯定論」
これらを読むと、この一冊が更に意味を持ち、深く入ってくる。
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最近いろんな人が紹介しているのを目にするようになった。タイトルが刺激的で、「おや?」と思う人が増えたのだろうか。
私は以前から、被害者側の心情だけがクローズアップされる報道に違和感を持っていた。確かに被害者側の心情は考慮されるべきだが、第三者までが被害者サイドに立ったような発言をするのは、どうなんだろうと思っていたのだ。特に、犯人が逮捕されたときなどに「まだ反省の言葉はない」とか、「反省の色が見えない」などという非難の言葉がすぐに出てくる風潮には疑問を持っていた。
人はそんなにすぐに反省なんかしないものだ。それは自分を振り返ってみてみれば一目瞭然のことだと思うのだが、なぜか他人にはすぐさま反省を要求してしまうのだ。
そもそも「反省」とは他人が強制してさせるものではない。自分の中から自然と沸き上がってくる感情でないと意味が無いのだ。そしてそのためには、まず自分の感情と正面から向き合う必要がある。
いじめ問題でもそうだが、「いじめは悪いことです。反省しなさい」と要求することがどれだけ無意味なことか、真剣に考えなくてはいけない。
いじめの加害者は、自分の行為を正当化しているか、あるいはいじめの自覚を持っていないのが普通なのだから。
被害者に対して謝罪の言葉を述べるとか、「反省文」なるものをどれだけ書かされようとも、それで真の反省に至ることはないと思う。
人は誰だって、自分のことを理解してもらいたいと思っている。それはいじめの加害者だろうと、犯罪者だろうと同じである。しかし、その気持ちの探求をおざなりにしたまま、上っ面の謝罪や反省文を強制されているうちは、いじめも犯罪も減らないだろうと思う。
しかし、たいていは、上っ面の謝罪や反省をまず要求する。そうせずにはいられなくなるのだ。そして、偽りの謝罪や反省を手に入れて「こんなものは本物じゃない」とさらに糾弾する。
本当の謝罪や反省や後悔を得たいなら、遠回りなようでも加害者の心情をクリアにするところから始めなくてはならない。
今まで漠然と思っていたことが実証とともに言語化されていて、我が意を得たりの1冊であった。
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タイトルはちょっと行き過ぎの感がありますが、中身はある意味常識的なものでした。
結局、反省はさせるものではなくするものだということです。人を変えるには、北風よりも太陽が有効だということです。しかし、分かっていても、人が悪い事をした時に、私たちは、つい反省させようとしてしまうものです。それが意味のない事だということを再確認出来たことが、一番の収穫でした。
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自説を滔々と述べているだけではないのかと批判する向きもあるだろうが、間違いなく名著である。いじめ問題に興味のある人にもお薦めできる。
この教育が早く世に問われるようにと思う。そういう意味で切実な、つらい本だった。
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ネット上での口汚い犯罪者バッシングを目にすることが増えてきた昨今。
今このタイミングでこの本が出版されたことを高く評価したい。
「反省させると犯罪者になる」タイトルどおりの内容ではあるが、もっと詳しくいえば、「事件後すぐに反省を強要してはいけない。本人が、自分自身がどうしてそういう行動に至ったか、その背景や自分の抑圧された感情を見つめ直し受け入れてはじめて、被害者のことに意識がいく。そうすれば自然に反省し、表面だけの反省以上に深く自分の行動を悔いることができる」といったところ。
著者は刑務所でカウンセリングをしている方ということで、具体例に富みわかりやすいし説得力がある。ロールレタリング(手紙を書くことで自分を見つめ直す手法)については非常に興味深かった。
手法ばかりが取り入れられて本来の趣旨や効果がなおざりになってしまうことはほかの分野でも多々あることで、あらためて指導者側への啓発というのも大事だなあと感じさせられた。
ただ、問題行動の裏には「必ず」親との関係がある、など、確かにそうなのだろうが、ちょっと極端にまとめすぎかなあという部分もある。無駄に反感を買いそう。最後まで読めば多少のフォローは入るのですっきりはするのだが、そうした部分も気になって第3章・第4章はうーん、という感じ。(ただでさえ繰り返しの蛇足感が強い章)
フォローを入れつつ話を進めてくれていれば印象も変わったかも。
最終章はとてもよかった。
ともあれ、本当にたくさんの人に読んでほしい本だと感じた。
先日ニュースで受刑者の緩和ケアの試みが扱われていたが、犯罪を犯した人にこそ心のケアが必要。こうした意見がもっと広がっていってほしい。