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これは、タイトルに惹かれて買って読んだが、内容が伴ってなかった。さほど面白くなかった。コミューン、っていうほどの大げさなものではない。共産党のようなものが、決起するのかと思った。
同時代に教育を受けたものとして、時代の匂いを感じることはできた。
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再読。やつ、日教組だったのかなあなんて今になって思った。
小学生の頃、クラスのその日のリーダーが、クラスによって日直と言っていたり、日番と言っていたりしていたことが不思議で仕方がなかった。そういうことだったのね。
ちょっと時代は10年くらいずれてる。でも、なるほどと思うことはけっこうあった。鬼のパンツ・・・やった覚えが。
今の子供たちは鬼のパンツやってんのかな?ちょっとそれが気になった。
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学校という集団がかなり特殊な状況で、常に危険な側面を孕んでいるのだということを再認識しました。
自分もいろんなものを無自覚に受け入れてたんだな(時間割、ホームルーム、委員会、班、係、掃除、などなど
つまり、それゆえに危険。
昔から、学校の先生という存在が嫌いだった事を思い出しました。
また、合わせて団地とういう装置(建築の役割)によって、コミューンの形成は決定的に、同じ間取り、同じ構成、同じ年収などなど
思想教育、ビッグブラザーの世界
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東京都東久留米市の滝山団地を主要な校区として持つ市立第七小学校で行われた、全国生活指導研究協議会の「学級集団づくり」にもとづく学級(および学校)運営の報告。
私はこの「学級集団づくり」を実地で行くクラスを小学校で2年間経験したことがあるので、その内容については知っている事ばかりだった。むしろ、このような学級運営がなぜなされるにいたったのか、児童にその後どういう影響を与えたのか、等について興味があってこの本を読んだのだが、そういう点についてはほとんど触れられずに本が終わってしまったのでがっかりした。どうも、一般の読者にとっては、これらの事実自体が興味の対象であるらしいということに気付いたのは、読後しばらくしてだった。
この本を読んで初めて知ったのは、私の経験した学級運営が、担任のオリジナルではなくて全国生活指導研究協議会という団体の「学級集団づくり」という思想に基づいていたという事。あんなクソみたいなものを良い年した大人がよってたかって作り上げていたなんて、本当に救いのない話だ。しかもこの団体はいまだに存在しているらしい。
「学級集団づくり」がどうクソなのかはこの本に詳しいが、要するに、「児童による自主的な活動を通じて民主的集団を構築する」というのが目的なのに、それを実現するために「集団の利益のために少数派を排除する」という手法が採用されていた事。しかも、何が集団の利益なのかは、児童の合議ではなく教師の独断によるのだ。
このような学級運営を行うために、私の経験したクラスでは、担任の教師が「恫喝・暴力・なだめすかし」というまるでDV加害者のようなやり方で児童たちを支配していた。この本に出てくる「片山先生」が実際にどのように学級を運営していたか、筆者はこのクラスには属していなかったためか詳しく触れられてはいない。もし私の経験とは違うスタイルだったとすれば、それはそれでエグイものだったのではないか。なにしろ、学校生活におけるすべてにおいて、担任の価値観は絶対であり、それに合致しない異端者は、反省会と言う名のつるし上げか、集団心理に基づく洗脳の対象なのだから。
この本の筆者はそのようなクラスにいたわけではない。同じ学年にこの「学級集団づくり」を行う教師が存在し、その学級運営が次第に学校全体に影響を及ぼすことで筆者もまた被害者となっていくのであって、私のようにとにかくそのなかで生きていくしか選択肢がなかった場合とはまた違った苦しみがあったようだ。つまり、自分の担任や委員会活動を通じてつながりのある教師など、自分と価値観を共有でき、自分を守ってくれる大人が学校の中にいることで、かえって事態の異常さが認識でき、その存在の根深さに恐怖するというような。
この本を読んで改めて思ったのは、「集団」というものの恐ろしさだ。民主的な集団を作り上げるつもりがまるで戦時中のような空気の読み合い、自主規制バリバリの体制になってしまって、しかもそれをおかしいと思わない主催者としての担任、それに気付かない周囲の教師、親などなどの大人達。そして本でも触れられているが、集団の一員となることの快感。そこらへんの詳細について、今度はクラスの内側から誰か解説してくれないものだろうか。
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学校に通っていた嫌な思い出を思い出してしまいました。教育って本当に怖いなぁ、一歩間違うとファッショってどこにでも存在するのだなぁと思いました。
しかし著者の記憶力はすごいな、とただただ感心してしまいました。ここまで小学校当時の記憶を体系だてられるのには…。
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東京郊外のマンモス団地における小学校での「自由で民主的な教育」という名の徹底した全体主義を振り返るドキュメンタリー。過剰な班競争や決定事項ごとに行われる児童の演説など、あまりに薄気味悪くて戦慄を覚えた。その反面自分の小学校生活に置き換えると「あれ、もしかして大して変わらない?」と、程度の差こそあれ今まで全く疑問を感じていなかったことも空恐ろしいような。当時疑問を抱き激しく反発した著者の感性の鋭さが凄い。
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東久留米、滝山団地の小学校における「集団づくり」実践の経過の話。決して客観的な分析ではないが、その事がかえってこの作品の意味を際立たせていると思う。ある実践をくぐり抜けた経験を、客観を僭称しない「声」というかたちでいかに拾い上げることができるか。教育的観点からも少なくない含蓄があるが、それ以上に作者のこの「構え方」に非常に共感をおぼえた。
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私の年齢と微妙に違うし、近くて遠い場所の学校だったかもしれないけど
班活動や壁新聞、林間学校や修学旅行、卒業式の呼びかけなど
ちょっと名残というか、いやそれよりも
少しだけ離れているから、時期がずれて体感したかもしれない
とちょっと思ってしまう。
振り返ってみると、たぶん当時の私は、頑張ってその波に乗ったり疲れたりという状態の繰り返しだったような気がする。
ただ団地住まいではなかったので、そこは違うかな。自分の通っている学校の区域にはあまり大きな団地はなかったし。だから団地に憧れがあって、離れた団地に遊びにいったりした記憶もある。
どうなんだろう。
体験したことは似ているけれど、そこまで苦しくなかったような気がするから、私は贅沢なのか、鈍感なのか、どちらかに偏っていたのか・・・。
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途中まで、非常に薄気味悪く、こんなに革新勢力が初等教育に食い込んでいたことに驚いたが、自分の小学校時代も非常に近いことをしたりさせられたりしたことが思い起こされた。
その時も違和感は感じていたものの、自分の意識のうちのわずかしか学校に向いていなかったからか、この筆者ほどの違和感を覚えることはなかった。ただ、当時考え方が全く理解できなかった特定の教師の、思想的背景がよく理解できた。
とにかく、自分の身近に革新勢力が迫って来ていたことに愕然とした。呑み込まれなくて済んでよかった。
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小さなコミュニティの中での事をつづっているが、正直あまりピンと来ない。日本の左翼がどう形成されていったのかの一端を見る事ができる。
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著者とはまったく同い年。同じ時代に区市は違えど都内の小学校に通っていた。ここまでの教育活動が試みられていたとは本当に驚いた。確かに、今の学校現場に比べるとかなり違うと思う。私の場合、君が代も日の丸も覚えていないが、卒業式の呼びかけはあった。証書授与は壇上ではなく、自席で受け取った記憶がある。学芸会の劇は自分たちで分担してシナリオを書き、大道具作りにも時間をかけた。それでいて、学習指導要領上の授業時数は今よりも多かった。一体いつ勉強していたのだろう、それは思い出せない。本書のような極端な例はあまりないのかも知れないが、全国のあちらこちらでこれに近いことがきっと行われていたのだろう。「一人の手」や「わんぱくマーチ」はこれを読むとちょっと歌えなくなりそう。
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ずっと文庫になるのを待っていたのですよ。学校というところに対する違和感をずーっと持ち続けてきた私にとって、この本は本当に待ち遠しかった。私自身はここまでの体験はしていないけど、教師同士が競い合うように”すばらしい”クラスづくりをしていた小学校時代を思い出しました。まあ、彼らも一所懸命だったんだろうけどさあ。
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1974年。西武新宿線沿線の北多摩郡久留米町に開発された滝山団地。総戸数3080戸。開発前に約19600人しかいなかった久留米町の人口は10年後の70年には4倍の78000人となり市制を導入して東久留米市となり、北多摩郡は消滅した。そして著者がこの滝山団地から通ったのが東久留米市立第七小学校である。第七小学校は滝山団地の児童を受け入れ、全校児童の殆どが団地の児童となった。均質化された団地住まいの家庭の児童が大挙して通ったクラスは児童や両親の考え方も均質化していた。先ず始めにP.T.Aの民主化が行われ継いで団塊世代で先日まで学生運動をしていたような新任の教師が赴任して「水道方式」と「学級集団づくり」に基づく新しい教育方法を実践する中で達成されたのが「滝山コミューン」「民主的」という言葉を使いながらその中身は全体主義でソビエトや中国の共産主義の「悪い部分」を抽出したかのような「組織づくり」に著者は困惑と嫌悪を覚え、当時まだ少数派だった私立中学受験たのための学習塾通いに息抜きを見つけようとする。当時から30数年経ってから振り返り、検証する渾身のノンフィクション。
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過去の物語か、今も現場で起きているのか? 「自由で民主的な、生徒が主体となって活動する小学校」での鬱屈した日々を、筆者が振り返る自伝的ノンフィクション。
筆者が小学生時代を過ごした1970年代の滝山・東久留米市立第七小学校では、若く熱意のある教員と、それを支えるPTAによって、全国生活指導研究協議会(全生研)の指導方針を軸とした「民主的教育」が追求された。班単位での生活指導、代表児童委員会による選挙と委員会活動、生徒主体の林間学校...。しかし、その中で連呼される「みんな」という言葉に違和感を抱き続けた筆者は、中学受験塾に自分の精神的基盤を置き、学校を批判する側にまわる。そして30年以上たった今になって、筆者は当時の関係者を尋ねてまわり、あの時あの小学校で何が起きていたのかを振り返って行く。
筆者が振り返る当時の様子は、今の学校現場とはかけ離れているようで、しかしどこか今もどこにでも見られる要素も残っていて、読んでいてうすら寒い思いを抱かせる。
僕は小学校の教員でもないし、勤務校もやや特殊な環境なので、事情がわからないところも多々ある。しかし読んでいて痛感するのは、小学生に対する担任の一時的な影響力は、中高に比べてはるかに強いのだなということ、そして担任の側でも「いい学級」を作ることへの欲望が強いのだなということだ。少なくとも「学級」というシステムが、個々の志向や能力を超えて、生徒や教員をそのようにふるまわせる構図を持っている。そのことに充分に自覚的でなくてはならないだろう。
第七小では、「いい学級」を目標に、日常的な班活動を基盤としつつ、合唱やキャンドルをはじめとした行事の工夫が小道具として配置され、抑圧的な空間が形成されていく。若く魅力的な教員の指導のもと、そのような学級づくりが完璧なまでに機能していくその様子、そして「自由」や「生徒主体」という言葉がどんな中身でも入れられるマジック・ワードとして機能する実例を見られたことは、教員としてとても「勉強」になった。
このストーリーはあくまで筆者の側から語られる一面的な記録にすぎない。当時の教員や生徒たちの思いには充分に踏み込めていないし、公正ではない。第七小の取り組みを評価するには、別の記録を見る必要もあるだろう。
しかし、日本の学校が「学級」という制度のもとで作られ、そこが権力発動の場となる生々しい実例がここにはある。学校空間を相対化し、適度に距離をとってその意味を問い直すためにも、教員は読んでおくといい本だと思う。それだけでなく、その中を生きることを余儀なくされている生徒にもおすすめできる一冊。面白いよ。できれば柳治男「<学級>の歴史学」とあわせて読むとなお面白いかも。
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70年代はじめにある団地と小学校で発生した民主的な教育運動。児童側の当事者として体験した著者が、当時の記憶を掘り起こしながら社会情勢とともに振り返ってゆく。
著者はこれに滝山コミューンと名付けるが、コミューンというほど確固たる共同体が作られたわけでも集団的な運動が展開されたわけでもない。ひとりの教師の積極的な働きかけがあったほかは、時代の空気としか言いようのない漠然とした流れによるものにみえる。しかし、その漠然とした流れこそ、当時の状況をよく表しているように思う。
だからこそ、著者も、ただ滝山コミューンを追うだけでなく、それに軌を同じくする様々な要素を併置していく。それは、革新政党の躍進であり、団地開発による郊外の山の手化であり、四谷大塚に代表される受験戦争であった(特に筆者は西武線沿線に開発された滝山団地という空間を強い執着を持って描出し、それが本書に独特の雰囲気を与えている)。そのような中に位置付けるなら、確かに滝山コミューンと呼べるだろう。
そして、民主的な教育という"美しい物語"のもと、「自らの教育行為そのものが別な形での権威主義をらはらむことになるなどという自覚」の欠如した無邪気な実践が行われた。もちろん、実践が短期的にであれ成功したのは、そうした教育に多くの児童が目を輝かせたからであり、それは著者も否定はしない。
しかし一方で、そうした空気に違和感を持ち権威から逸脱した著者のような児童は疎外されるほかない。あるいは疎外されないまでもその空気に順応することを余儀なくされる。コミュニティの強い同調圧力にたいして、著者は四谷大塚という別のコミュニティを持つことで対抗しえたが、そうでない児童に逃げ場はない。
教科書に乗る歴史的事象ではないが、東京の郊外にある一時期存在したであろう空気とその記憶を、本書は確かに描いている。