紙の本
2002/02/17朝刊
2002/02/21 22:15
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投稿者:日本経済新聞 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は『蝦夷(えみし)』『蝦夷の末裔』に続く東北古代史三部作の完結編である。奥州藤原氏百年の歴史を描いているが、そこにとどまらず歴史研究の奥深さを感じ取ることができる。
著者は繰り返し強調している。「とにかく、奥州藤原氏研究の大本となる史料は極めて不足しており、研究上の隘路(あいろ)となっているのである」と。奥州平泉を本拠とした藤原氏については源頼朝、義経兄弟との関係もあって物語などに幾度も取り上げられてきた。しかし研究となると、敗者である藤原氏自身の手になる史料に頼ることができない以上、大幅な制約を受けざるを得ない。
思いつく史料と言えば、敵であり藤原氏を滅ぼした側の『吾妻鏡』か、京都貴族の日記などに断片的に出てくる名前を拾い集めていく方法くらいなのである。こんなお手上げに近い状況の中で、著者はわずかな手がかりを見つけては様々な史料の山に分け入っていく。そしてねばり強く丹念に事実関係を調べあげる。
初代清衡は三十年近くもかけて田地を横領しながら領地を増やし、二代基衡が毛越寺金堂本尊を仏師「雲慶」に依頼した際は、想像を絶する贈り物攻勢をかけた。この一節だけで物語にもなるほどである。また、摂関家を巧みに利用するなど、鎌倉というよりも京都との関係を常に意識していたことがよく分かる。
近年の発掘調査の成果などにも言及しており、この一冊で従来の奥州藤原氏観が変わりそうだ。
(C) 日本経済新聞社 1997-2001
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(2005.04.07読了)(2002.12.04購入)
副題「平泉の栄華百年」
奥州藤原氏は、源頼朝に攻め滅ばされてしまった。源頼朝に追われた藤原泰衡は、北へ逃げる際に、平泉の館に火をつけて焼いてしまったので、藤原氏の公式文書は、焼失してしまった。したがって、歴史上の記述を探そうとすると「吾妻鏡」や当時の京都の公家の日記の記述の中から関連するところを拾い集めると言うことになるそうです。「尊卑文脈」「義経記」「今昔物語」などにもあるようです。
それより以前の前九年の役や後三年の役については、「陸奥話記」や「奥州後三年記」に記述してあると言うことです。高橋克彦は「炎立つ」をこの辺の資料を基に書いたのだろう。
源氏と奥州とのかかわりは深い。辞書には次のように出ている。
【前九年の役】平安末期、陸奥の豪族安倍頼時・貞任・宗任らの反乱を源頼義・義家らが平定した戦い。1051年から62年の12年にわたる。後三年の役とともに、源氏が東国に勢力を築く契機となった。
【後三年の役】平安後期、1083年から87年にかけて、奥羽の豪族清原氏が起こした戦乱。清原氏内部の相続争いが発端であったが、陸奥守として下向した源義家が清原清衡(=藤原清衡)とともに、清原家衡・武衡を金沢柵に下して平定した。これにより清衡は平泉における藤原三代の基をつくり、義家は東国に源氏の勢力基盤を築いた。
源氏の勢力基盤を築いたと書いてあるが、後三年の役の後から1189年までのおよそ百年は、藤原氏が出羽国と陸奥国を支配していたと言って良い。源頼朝が平家追討のために京都へ行くことの無かったのは、後方に藤原秀衡がいるためといわれる。
平家が滅び、義経もいなくなったので、永年心理的に脅かされ続けた奥州藤原氏を滅ぼして、源氏にとって永年の宿願だった奥州を手に入れたということになる。
●義経について
「平治物語」には、義経は金売り吉次に頼んで奥州に下ったとあるそうだが、鞍馬から下総までは、重頼というものがお供をし、下総からは、吉次がお供をしたとある。但し、途中で1年ばかり過ごしたというような記述があるそうで、司馬遼太郎の「義経」ではこの記述を採用して、奥州の手前で1年ほど過ごさせている。
秀衡が義経について述べたということを「平治物語」が記述している。
「①世は平家全盛時代であるから、源氏の血を引く義経を大事にすれば平家が黙ってはいまい。②追い返せば世の笑いものとなり部門の恥になるだろう。③愛しんで養育すると、後々、天下の乱の因になるかもしれない。」
歴史の後知恵での記述であろうと高橋崇氏は言っている。
☆関連図書(既読)
「義経(上)」司馬遼太郎著、文春文庫、1977.10.25
「義経(下)」司馬遼太郎著、文春文庫、1977.10.25
「炎環」永井路子著、文春文庫、1978.10.25
「大塚ひかりの義経物語」大塚ひかり著、角川ソフィア文庫、2004.09.25
☆高橋崇さんの本(既読)
「蝦夷」高橋崇著、中公新書、1986.05.25
「坂上田村麻呂」高橋崇著、吉川弘文館、1986.07.01
「蝦夷の末裔」高橋崇著、中公新書、1991.09.25
「藤原秀衡」高橋崇著、新人物往来社、1993.08.20
著者 高橋 崇
1929年 静岡県生まれ
1953年 東北大学文学部国史学科卒業
専攻 日本古代史
(「BOOK」データベースより)amazon
奥州藤原氏は平泉を拠点として平安末期の東北地方に君臨した。産金をもとに財をなし、京風の絢爛たる仏教文化を花開かせた。初代清衡から三代秀衡へ、支配権はどのように伸長したのか。秀衡の死後わずか二年で源頼朝に攻め滅ぼされたのはなぜか。京都との関わりを軸に、百年の歴史を多角的に検証。併せて、中尊寺金色堂に眠る歴代のミイラの学術調査結果も紹介する。『蝦夷』『蝦夷の末裔』に続く東北古代史三部作完結編。
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吾妻鏡での奥州藤原氏についての「三代九十九年の間」という記録について、ホントに99年なのか?とツッコミを入れてるのが嬉しかったです。
私も卒論作成時、本書44ページの表のような年代表でそれぞれの治世年を表にして、「ま、文学的表現でそうしてるんだよな」と、突っ込みたい気持ちで一杯でした。中公新書で突っ込んでいただけて、「わが意を得たり!」な気持ちになりました。
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2002年刊行。著者は元岩手大学教授。
平安時代後期の奥州の覇者藤原氏。史料・文献が少ない中、その実相を解読しようとする書。
「蝦夷」「蝦夷の末裔」から続く中公新書奥州古代史三部作の最後を飾る。
勿論、推測で埋める部分も多いのだが、ともかく、コンパクトに読める書として貴重である。
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歴史学の考察手法のお手本のような一冊。歴史というとどうしても著者の想像力みたいなものが幅を利かせていると思われがちだが、本来はこうやって史料を地味に調べていって可能性の幅をどこまで狭めていけるかを追求していくものだと思う。
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<目次>
第1章 奥州藤原氏最期の日
第2章 百年史を多角的に考える
第3章 奥州藤原氏三代余話
第4章 滅亡への過程
第5章 金色堂に眠る歴代
<内容>
著者は、東北の古代・中世史を3部作にまとめたようで、これがその第三作だったらしい。しかし、章立てがわかりにくく、入門で読むにはきつかった。第5章の金色堂の奥州藤原氏3代のミイラの分析報告(ちゃんとしたのは出版されていないらしい)が面白かった。
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図書館で借りた。地元の歴史を知る1冊。
「奥州藤原氏」とは、平安時代後半に約100年間、3代にわたって東北を支配した豪族。京都の朝廷が衰退したこの時代は、「東北が日本で最も輝いた時代」のひとつと私は考えている。そんな奥州藤原氏についての本。
中央公論の歴史新書らしく、決して誰もが読めるような文体・論調ではないが、地元の歴史を深く知りたいと思わせる本でした。