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む、難しい…。一時流行った「地獄」だったかの絵本みたいな感じ?には楽しめた。地下に行くほど寒そうなのが印象的。マグマじゃなくて太陽が大きな存在だったのかなぁ。
歴史に疎くてピンと来なかったのが大きい。でも当時の人たちは「あーあいつが8つめの地獄ね。ざまー!」みたいな感じで読んだのかしら…とか思ったけど、やっぱ当時の人たちは識字とかあるしあんま読んでなかったのかな。
帯のアオリは良くないね。文脈を無視した文章の切り取り。注釈も個人的には読みづらいけど他のがわからないからなんとも言えない。
宗教観の違いとは面白いものだなぁ。もう少し周辺知識があれば再読したい。
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基礎教養としての神曲。後のキリスト教世界に与えた影響が大きすぎて、我々も無視して通ることができない。
地獄篇、読破しました。
身近な人間を地獄に叩き落してるダンテに笑えた。
個人的な恨みに近いような・・・。
ダンテさんも人間だね。
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以前、別の出版社から発行されているものを読んで、
とにかく労力がかかって挫折した作品。
二度目、たまたま手に取ったのがこちらの出版社でした。
相当、学問をされていないと、
とてもじゃないが書けないな、という作品。
解説を含め読ませていただいても、恐らく一割弱しか理解出来ていないと思います。
ただ、その中でも、
ダンテの人間的で等身大な雰囲気に、
なんだか親しみが湧きました。
違う訳者で読みたいかな、と。個人的には。
以前半ばまで読んだせいもありますが、
訳者御本人の配慮とは理解しながらも、
少し平易というか、安直な訳に感じました。
導入としては、理解し易かったです。
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面白い。文語調でわけのわからない日本語になっている訳が多いけれども、この訳は平易さを追及しているようで、とても読みやすい。カトリックに多少なりともシンパシーを覚える人ならば、楽しく読めると思う。キリスト教に否定的な人が多いこの国で、このような平易で読みやすい訳があるのはありがたい。
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終盤。ピサ、飢餓の塔における、ウゴリーノ伯とその子、孫らが閉じ込められた実話。絶望感。カニバリズム的表現。
「父よ、どうして助けてくれないのか」という、子の絶命の声。これは新約聖書の「主よ、我を見捨て給ひしか(主の元へ召されることの確約?)」に似せられている。
作者ダンテが追放された時、ダンテとその子らの状況にも重ねられている。
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「人の命の道の半ば
正しい道を踏み迷い
はたと気付くと 闇黒の森の中」
気付くと深い森に迷い込んでいたダンテは、そこに住まう獰猛な野獣に囲まれ危殆に瀕します。
しかし突如現れた詩人ウェルギリウスの助けでその場を切り抜け、代わりに地獄への道に足を踏み出すことになります。
「・・・我は無窮に続くものなり
一切の望みを捨てよ 我を入る者」
ロダンの作品でも有名な「地獄門」(レプリカが国立西洋美術館(東京都)にも展示されていますね)を通過し、ダンテはその先々で、過酷な罰に呵責される様々な亡者たちを目の当たりにする・・・、『神曲』 は言わずと知れたダンテの代表作です。
本作品は全3部作の一つ、『地獄篇』となります(ほかに『煉獄篇』、『天国篇』が続きます)。
ほかの出版社の作品は知りませんが、本書の構成は非常に親切です。
まず文章が全体的に口語調で表現されています。文語調は格式高くはあるが非常に読みにくい。なので内容の把握しやすさが雲泥の違いです。
また原作ではダンテの旅が切れ目なくダラダラと果てしなく続く構成ですが、本作では内容の切れ目(圏谷(地獄のステージ)の切れ目など)で物語を区切っており、区切りの冒頭に(これから起こる出来事の)要約が書かれているのでこれまたわかりやすい。
さらにかなりの数の注釈が加えられているのも特徴の一つだと思います。
解説でも指摘されていますが、 「ダンテの著作を読むことは、とくに『神曲』においては、中世を通じてギリシャ・ローマの古典的な学芸を綜合した形で読むことを意味して」います。
その内容はギリシャやローマの神話、逸話、歴史書など様々な文献からの引用にあふれています。
それらが事態の隠喩表現に用いられるのだから、知らない人間が読んだら全く内容を理解できません。そのため大量の注釈がこれを補完してくれています。
これらの点から、始めて『神曲』に挑戦しようという方は本シリーズ(角川ソフィア文庫)が最適なのではないかと思います。
ダンテはウェルギリウスの助けを得て地獄を旅するわけですが、その道のりがまた長い!
10の深い谷(圏谷)を下り、さらに第7圏谷には3つの環状地、第8圏谷には10もの嚢状地、第9圏谷には4つの環状地が存在します。
そのそれぞれに異なる罪過で呵責を受ける亡者らが苦しんでおり、それは主にダンテの生きた時代の名士たち(貴族、僧侶、法王などなど)ではありますが、他にもオデュッセウスやブルータス、マホメットなどよく知った名前も現れます。
そしてメデューサやミノタウルス、ケルベロスといった獰猛な怪物がこれらの者たちに容赦ない呵責を加えます。
それでもって呵責の内容がこれまたすさまじい。
第4圏谷では吝嗇者(どケチ)と浪費者がお互いを「(金を)つかいやがって!」 「貯めやがって!」 と罵りながら、狂ったように殴り合います。
第7圏谷の第2環では自殺者が樹木に変えられ、怪物たちがその枝を折るごとに断末魔の叫びが響き渡ります。
第8圏谷の第3��では、神職につきながら聖物や聖職を売りさばいた者たちが、穴の中に頭から突っ込まれています。穴から出た足先には火がついており、亡者は熱さに耐えかねて足をバタバタと激しく動かします。
同じく第8圏谷の第6嚢では、偽善行為で金もうけを行った連中が、表面は黄金色だが中身は厚い鉛の外套を着せられ、足を地にめり込ませながら永遠に歩き回らされます。
第9圏谷は凍てつく氷の世界であり、ここに落とされた裏切り者たちは激しい寒さにガチガチと震えながら、眼球に張り付いた涙の氷晶を「はがしてくれ!」と懇願します。
それ以外にも身の毛もよだつような呵責のさまが、本作『地獄篇』では描かれています。
今でこそ残酷表現てんこ盛りのゲームが世に広まってるので『地獄篇』を読んでもそれほど驚くことはありませんが、そのような発想のない時代においてはかなり刺激的な内容だったのではないかと推察されます。
また本書は全般的に口語調にまとめられてはいますが、麗しい表現がてんこ盛りです。
「日は落ちて 褐(かち)いろの大気が
地上のいきものを その労役からときはなした。
わたしはただひとり これからの旅とその哀れさとにいたむ心のせめぎに
堪えてゆく心がまえをした。
そのさまは 記憶があやまりなく語るだろう。」
「はてさてピーサよ。 その言葉がきよらかにひびく美しい国人たちの面よごしよ。
近隣の府がおまえを懲らしめるのに手ぬるいのなら、
カプライアの島よ、ゴルゴーナの島よ、うごけ!・・・」
そのため『神曲』のもつ古典的雰囲気もそれなりに味わえるのではないかと思います。
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ダンテ自身に危害が及ぶことはなく、歴史上の人物やダンテの身近な人物などがみんな地獄に落ちている。敵の多い人だったのだろうか。ダンテには嫌われたくないものだ。
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イタリア古典文学の最高峰
作者ダンテが自分を主人公に描いた夢物語小説
1265年フレンツェに生まれたダンテは9歳の時にであったベアトリーチェに恋し、その愛が彼の創作活動の源となった。
彼はわざわざ市民たちが読みやすい口語体のイタリア語で『神曲』を13年かけて書き上げた。完成直後に亡命先のラヴェンナに没す。他にもベアトリーチェを称えた最初の作品を残している。
ーーーー地獄篇あらすじーーーーー
地獄はイタリア語で”inferno”(インフェルノ)といい、一応死んではいない若いダンテ視点なので、時々この恐ろしい世界にビビりながらすすんでいく。地獄の全体像としては漏斗のように、上が広く下に行くほど狭い階段上状に9つの谷が形成されている。1番下には最も罪の重い「裏切り行為」を働いた者たちがおり、その中心にいたのがルシフェル。ルシフェルが地上に落とされた衝撃で開いた大穴が「地獄」の世界で、その衝撃で反対側に持ち上がってできたのが「煉獄」という感じ。
自分が目指す道が分からず将来に不安を抱きながら悶々と暮らしている平凡な青年ダンテ。ある日突然「地獄」に飛ばされてしまい、目の前に現れたのは憧れの大作家ウェルギリウス。彼がダンテを案内して罪を償う者、世を偲んで悲しむ者、己の思考に磨きをかける者、死者の世界を巡り世界の深淵を目にする。
地獄篇はウェルギリウスと煉獄までいくまでを描いている。案内してもらう道中に世界に名を残した偉人たちに出会っていく
ex)アレキサンダー大王、カエサル
ーーーー煉獄篇のあらすじーーーーーー
地獄→生前の罪を、罪の重さに応じた刑罰で永遠に罰せられる所
煉獄→生前の罰を、罪の重さに応じた刑罰で償えば天国へ登れる所(キリスト教の中でもカトリック独特のもの)
実は「煉獄」は旧約聖書には載っていないもので、あくまでカトリックの”聖伝“として受け継がれている概念
プロテスタントはこれに対して聖書に忠実なので煉獄の存在を基本的には否定する。
生前にカトリック教会の言うことを聞けば天国とまではいけないまでも煉獄にはいけるよ、という感じで都合の良い概念だったそう。
イタリアでは中学で『神曲』を3年くらいかけて読むくらい難解だとか。
ダンテ本人はこの書を”Commedia”(喜劇)と単に名付けたが、ボッカチオが”Divina Commedia”(神聖な喜劇)と付け足し、『神曲』と訳したのは森鴎外が最初と言われる煉獄はイタリア語で”purgatorio”(プルガトリオ)
煉獄では地獄とは逆に「下から上に山に登っていく描写」がされる
煉獄で自分の罪の償いをしながら山に登るのだが、その際に彼らの家族や知人が現世でその魂のために祈りを捧げてくるとそのぶん早く頂上に辿り着けると言うシステムにもなっている
煉獄で会う人たちにはダンテが目を覚まし、現世に戻ったら彼らの家族に「もっと彼らのために祈ってあげて」と伝えてくれと言う約束を交わしながら上に登っていく
途中天使が現れてダンテの額に7つの「P(peccato/罪」を刻みます。この7つのPとは、高慢、嫉���、怒り、怠惰、貪欲、大食、色欲を表しており、煉獄にいる魂は山を登りながらそれらの罪を順に清めていく。ダンテの額のpも次第に消されていき、体が軽くなっていく
ーーーーー天国篇のあらすじーーーーーー
煉獄の頂上でベアトリーチェと出会い、案内役はウェルギリウスからベアトリーチェに移る。
天国は”paradiso”
天国篇はダンテ自身も言っていることらしいが、解読が本当に難しい。かなり神学的なことで、それに加え、天文学、物理学等の内容に精通していないとなかなか理解が追いつかない
天国篇ではベアトリーチェがダンテの疑問についてひたすら説明・講義を行うと言う形で進められるので時間がとてもかかると言うのも特徴的
天国は月光天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天、土星天、恒星天、原動天、至高天の10の天界からなっている。ダンテは数々の疑問をベアトリーチェの説明を聞きながら紐解いていき、至高天で天使の群れのいるところに到達する。ベアトリーチェも元々はそこにいた人で、ダンテの案内が終わるとそこに戻っていく。
そこから先は聖ベルナールが案内役に代わり、ついにダンテは神の姿を一瞬垣間見ます。その姿は「言葉にすることができず、また記憶にとどめることもできない」姿。強い感動だけは残っているが、夢から覚めてもその具体的な内容が思い出せない。
ーーーー最後にーーーーー
ちなみに天国篇を案内するベアトリーチェという淑女は実在の人物で、ダンテが昔恋心を抱いていた女性の名前である。ベアトリーチェには許嫁がいたのでダンテとベアトリーチェはそれぞれ別の人と結婚するのだが、ダンテがベアトリーチェに特別な感情を抱いていたのは間違いない。