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「神は死んだ」、そう言ったというニーチェ。最後は発狂して亡くなった。そんな程度の認識しかなありませんでした。引用されている言葉を読んで、そういったニーチェの暗いイメージはある程度払拭されたけれど、斎藤氏の解説なしでまずは読むべきだったかなと思いました。キリスト教に対する斎藤氏の考察は、それが世間一般のものであるかどうかは分かりませんが、正しくはないと思います。彼の著書なのでどう書こうがそれは自由ですが、ちょっと独断にすぎると感じられました。なので、★二つ。
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ニーチェ「ツァラトゥストラ」で書かれている言葉を齋藤氏が現代に合わして解釈し、説明しています。哲学書を読むと思うとしんどいですが、齋藤氏が平易な言葉で説明してくれているので、理解しやすく、すぐに読めました。ニーチェの言葉には過激な言葉もありますが、今日・明日からの生活にプラスになる言葉がたくさんあり、自分が日々思ってたことも書いてあり、とても共感できました。また明日からもよりポジティブに今を生きていこう。
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新たな解釈によって新たな価値を生むのは決して悪いことではないが、その解釈がテクストの他の箇所と矛盾していれば、それは解釈ではなくただの思い込みである。本文の主張がニーチェによるものなのか齋藤氏によるものなのか注意して読む必要があると感じた。例えば第四章の「私は、上司や教師など、指導者のいちばん重要な資質は、新鮮さだと思っている。ニーチェがいうところの羞恥である」の一文はどうだろう。試しに引用元の文章にある「羞恥」を「新鮮さ」に置き換えてみると、文章の意味が変わることに気づく。つまり、齋藤氏の主張とニーチェの主張が一致していないのである。齋藤氏自身の主張は無難で共感する箇所も少なくないが、こうして権威ある人物を利用して説得されるのは、少々怖い。
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勝手に暗いイメージを持っていたけど、「ちまつくな!」でファンになった。読んだあとは心が軽くなって、少し勇気がわいてくる。たまに食べたくなる、エスニック料理、みたいな存在です。
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停滞する世界に喧嘩を売ったニーチェの偉大さに痛感しました。
ただ、基本周囲と軋轢を作りたくない性格だと
真似をするには、一番難しい印象がありました。(ゲーテ・諭吉と比較して)
ただ「自分を信じない言葉は常に嘘になる」の言葉は良かったです。
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意欲とは「その運命を欲するか」。60歳から80歳、90歳といった未来にも、意欲を持ち続けることができるなら、人生の意味は変わる。何かに取り組む行為自体が、仕事でなくても「躍らせる」目標になるからだ。
ニーチェのいう「超人」は(斎藤先生の解釈によると)常に今の自分を超えようと決意し、未来に向かって飛びつづける人を指している。たとえニーチェが「人生には意味がない」いったとしても、今の自分を超えようと踊り続けることが、生きることの意味に近づく唯一の方法なのだろう。
≪世の中では才能よりも意欲の方がずっと本質的な力なのだ。意欲がかけている人は、才能の根本が欠けているとしか思えない。能力が追いついていない人もいるだろうが、やる気次第で才能は補填できるような気がしている。≫
年齢を重ねても、高い意欲を保ち続けることが大事なのではないだろうか? 退職し、大きな仕事との縁が失われたとしても、だからこそ時間をかけて、世の中に自分の意見を発信してゆく機会を得られるのではないだろうか?才能よりも、愚直に学び、智恵を育み、人の心を動かすことができるような考えをまとめよう。
斎藤先生は、読者に元気を届けようとしているのかもしれません。『上機嫌の作法』からも、元気をもらいました!
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ニーチェは無自覚な縛りを拒絶する。盲目的な自爆。ニーチェは特にキリスト教的な教条的縛りを否定した。しかし、ニーチェのその否定は現代にも一般化することが出来て、けっしてキリスト教だけに留まるものではない。盲目的自爆は思考することを停止した者の行き着く地獄の亜種である。考え、行動し、成長すること。それは価値観が相対化され、疑いなき思考のなれの果てとしての宗教や堕落したニヒリズムの時代にあって、次に進むべき人の生きる指針である。
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斎藤先生が卑近な例に結び付けてくれてるおかげで分かりやすいような気もするが、ニーチェの言いたいこととは離れとるんじゃないという気がする。
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「毎日の積み重ねが大事」と、学校で教えられてきたの
かもしれないが、それだけでは「ここが大事」の一瞬を
見極める力が育たない。
誰もせかしてくれず、追い込まれることがないから、
運命に対峙することなく甘えている。
それは、「この瞬間に何かが起こるかもしれない」と、
瞬間が語ることに常に耳を傾けているか、ただボンヤリと
すべてを聞き逃してしまうのか、の違いである。
それは「賭け」の感覚なのだ。
やらなかったことを悔やんでいるときには
たいていの場合は、もう遅い。
時間は平坦に流れてなどいない。
一生において、時間の流れは密度と緩急が変わる。
その流れを感知し、加速するか失速するかが事の
正否を分ける。一瞬のひらめきや感動に敏感であってこそ、
大きな仕事を成し遂げることができる。
大きな失敗や愛するものの喪失に伴う心の
痛みを嫌うあまり、「別にいいか、次があるし」と
痛みを鈍麻させてしまうのは、感性がざらざらして
しまうだけで何のプラスにもならない。
「人の目を気にして、へらへらやり過ごすことは
やめよう」
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元の本を読んだことがないゆえに評価が困る部分はありつつも、単なるニーチェ礼賛に終わらず関連するエピソードを随所に散りばめたり自分の経験を語ってくれているところが熱い。
自分にとって100%共感できるというものではないにしても、一種の宗教的に考えるとそれなりにそうだよなと思う部分もあるわけで。原書を読まずにエッセンスを学べるという点で良書。
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ハイタッチや拍手が祝祭であり、嫉妬など分散させる効果ぎある。と書かれていて、ネタになるな…って思ってる時点で色々とアレ。
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数多くの哲学者がいる中で、【無】に関する思想や今をどのような視点で生きていくべきか。この本を読み、哲学とはどういったものか指針となりそうだったので、まずは軽く読める本として、読んでみました。ニーチェの考え方に、うなづくこと多数でした。
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・創造性とは他の人が何と言おうと、自分の目でそこに意味を発見すること
『飛ぶことを学んで、それをいつか実現したいと思う者は、まず、立つこと、歩くこと、走ること、よじ登ること、踊ることを学ばなければならない。ー最初から飛ぶばかりでは、空高く飛ぶ力は獲得されない。』
・知恵は贈り物である
『君たちは君たちの感覚でつかんだものを究極まで考え抜くべきだ』
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氏の論語(孔子)の紹介がよかったので、こちらも読んでみました。
ちょっと自身を投影・解釈しすぎかなぁ?と思いましたが、
「ニーチェはこう読むのがいいのよね!」(自身を投影させ、解釈する読み方)ということが学べたのでよかった。
教養ある方なので、中島敦「山月記」やヘッセ「デミアン」の引用等もあり、改めてそういう書も再読しようと思えた。
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最近ニーチェにはまっている。ニーチェの実存的哲学は、僕に「生きる意味とは何か」という問いを突き付けてくる。彼は創造者を求める。超人を求める。ルサンチマン(=怨恨感情)を憎む。周りに甘えて自分を想像しないものを憎む。彼の提示する生き方は、生の充足感などの身体の声を重要視する。動物的人間と理性的人間のどちらも大事にする。僕はこの本に出てくる次の言葉が最も好きだ。
「君は君の友のために、自分をどんなに装っても装いすぎることはないのだ。なぜなら、君は友にとって、超人を目指して飛ぶ一本の矢、憧れの熱意であるべきだから」