紙の本
著者自身はあまり不勉強が身にしみてはいないようだ。
2006/06/20 19:57
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒルズ族に対する高い評価、いくつかのピントがずれた意見を除けば、容認できるものであった。特に第1章「そのお勉強でいいの?」は、現在の日本の学生や文部科学省の教育施策がよく分かるようにまとめてある。
著者はホリエモンをはじめヒルズ族などいわゆる「勝ち組」を称賛しているが、努力をしたかしないかだけで判断すれば、ある方面で普通の人よりも努力したことは認められても、努力する方向が残念だったのだから、称賛はいかがなものかと思う。そのあとの第3章「倫理は教えられるか、学べるか」で著者が述べていることと照らし合わせると矛盾するような気がした。
また、校内暴力事件や学級崩壊増加の原因は尾木直樹が言うような勉強圧力でないのは明らかだが、公立でその傾向が顕著なのはキレにくい集団が私立へいくため、公立のキレやすい子の割合が高まることにもある。社会学的にいうと、集団は悪い構成員が半数を越えたときに崩壊するのではなく、5%を上回った時点で風紀は乱れ、20%を越えるとコントロール不能になるからだ。
そして、「だいたい自分の子供もろくに監督できない人間に、どうして学校の監視、監督、助言が出来ようか。」(p.107)という認識は甘い。かつても自分の子供を指導出来ない親や親の手の余る子供もいたが、そんな親でも学校の指導には協力した。いまや、そのような親は子供と一緒に学校の指導にいちゃもんをつけるようになっていて、抑えがきかないのである。
第2章「読書のすすめ、もしくは戒め」については、同意するところが多かった。国語教育において、小中学生に人生経験がなければ分からないような小説を教えることや、梗概本の意義に関する疑問は私も感じている。美しいだけでなく論理的な文章を選んで教材にすべきだ。中高生も小説は読むべきであるが、評価を前提とするのではなく、自分の精神的成長の必要に応じて、できれば隠れて読んだほうが血肉となると思う。
第4章『「正しい歴史」は存在するか』は、力が入っている。著者はこの章が書きたくてこの本を書いたのではないかと思われる。著者の意見には大いに賛同するが、著者が望むような歴史教育を行うためには、大学入試から地歴を外すしかない。採点する大学の教員もまた史観を持っているからだ。その証拠といってはなんだが、東大受験ならば山川出版の教科書でいいが、京大受験なら実教出版の教科書を使えと言われるのである。
第5章の「自然科学と論理的思考力」は、受験指南本のような感じで始まり少し論調が変わったかに思えるが、その後の意見には首肯すべきことが多い。外圧により学校週5日制になり1週間の授業は4時間減った。多くの進学校は7時間目や土曜日補講でその分を補ってきたが、今度は「総合的な学習の時間」や「情報」が導入されて、基礎科目の授業時間は減り、理系でも理科4科目を履修できる学校は殆どなくなった。これは大きな問題だと思う。
最後に、この著者も「本当の自分なんて、自分自身のなか以外の、どこにもないのだ。いたら、そのほうが不気味であろう。本当の自分は、探すものではなく、まず見つめて認めるものであり、そのうえで作り上げるものだ。」(p.38)という自分探し禁止派である。こうして多くの識者が自分など探してあるものではないと言っているのに、文部科学省はいつまで自分探しだと言い続けるのだろう。
それより、『これからは「学歴社会」ではなく「実力社会」だという意識が、若者のあいだでも親たちのあいだでも広まっている。では現代の若者は、実力を身につけるために、従来の受験勉強とは形は違うものの、みんな新しい勉強をするようになっているのかというと、どうもそのあたりは、あやふやだ。』(p.58)という点こそ、教育行政が解決しなければならないのではないか。
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勉強することの大切さが書かれていていい本だった。でも、歴史については、知識をしっかり得ないとだめなのになあと感じてしまう。太平洋戦争で日本が戦った相手も知らない、平成生まれの高校生を牧歌的にみている気がする
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教師や文科省、例の委員会の人達には読んでいただきたい。これが全て正しいとは思わないが、分かりやすくいい本だと思う。
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長山氏の気合いが感じられる一冊。
豊富な読書量に裏付けされるコメントもさることながら、多くの人が共有する疑問に対してストレートな主張展開が心地よい。
なぜ勉強を軽んずる風潮が見受けられるようになったのか?
自説を織り交ぜ、展開されるジャンルは国語・社会・数学・科学と多岐に渡る。それぞれの各章毎に著者がオススメする書籍リストは要チェック。
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著者がいうところの「勉強嫌い」は若者だけでなくて社会人・親などの大人も含む。若者だけでなく大人も本を読まないし勉強しないから「勉強しない日本人」を再生産しているということらしい。おもしろいのは、著者自身勉強嫌いで、「このままだと格差社会に淘汰されますよ!」と勉強嫌いの人間として警鐘を鳴らしているということ。とはいえ高校時代は読書ばっかりしてまったく学校の勉強はしなかったというのにちゃっかり医者になってるからかなり頭のいい人なのでしょう。
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序章の最後に書いてあるように、
「本書は、凡庸な親が、子供の教育に悩みながら、親もまた勉強しなくてはならないと考え、
しかし何をどうやって学ぶべきか、そもそも勉強とは何だっけ、といった事柄を思い悩むドキュメントである。」
大人のための「本物の勉強」入門書。
各章末に基本図書ガイドも載っていて参考になります。
自分の不勉強が身にしみました。勉強します。。。
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途中から割と脱線していた印象。
言いたい事は大いに分かるけど、この内容を論じるなら官僚はもとより医者になった人間じゃ説得力なし。
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「勉強」ということの意味を
身にしみるほどに考えさせられる一冊。
レビュアー自身も偉そうに語れるほど
「勉強」をしているわけではないが、
社会システムの様々なひずみが
社会の構成者の「不勉強」に由来している可能性を
痛烈に示唆しており、衝撃的だった。
とりわけ、「勉強」について
一番まじめに考えるべき教育関係者もまた、
往々にして「不勉強」であるという。
この指摘は、
教育学部で勉強してきた身として悲しくなる。
確かに、教育について物申す人々には
「勉強」を悪しき行為と決め付け、
「勉強」とは独立した
「学び」という概念を提起する教育者も
少なからず存在している。
著者の指摘と照らし合わせるなら、
彼らの発言は
「勉強」への現実逃避ではないかと思えてくる。
「勉強」の意味を社会と関わらせて
考えたい人にオススメの一冊だが、
一番読むべきは
「勉強なんか社会で役に立たない」
と心の底から信じ込んでいる人では?と
個人的には感じた。
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勉強とは何かを主題とする一冊。
現代社会の分析から、親の世代には何が不足し何が必要なのか、
若者の世代には何が不足し何が必要なのかについて、持論を展開す
る。
個人的には、共感できる部分もあればそうでない部分もあるのだが、
その分析は面白い。
というのも、分析の基礎となるのは、思想・哲学から学術書にいたる
著者の幅広い読書歴であり、それらの観点から社会を見据えている
ため、この手の分析にありがちな単なるステレオタイプに陥っていない。
全てには共感できないという人もいるであろうが、一つの分析として
読むことは、非常に参考になるといえる。
私が最も強く感じ取ったメッセージは、最終的には勉強は本人の努力
によるということだ。
努力の「しやすさ」には多少の環境の違いはあれ、最終的に努力する
かしないかは本人次第である。
世の中には、人が「わかる」ものと「信じる(宗教的な意味ではなく)」
ものがある。
自己で具体的にイメージできないことは、「わかる」ものとは言えず、
誰かに教えてもらったことを「信じる」ことで理解するしかないためで
ある。
つまり、「信じる」ということは、この場合においては思考の停止を意味
する。
そのため、努力によって「わかる」範囲を押し広げることが大切なので
ある。
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社会力を持つためには基礎学力が必要で学力をつけるには勉強が大事で、勉強には努力が必要であるという。学力が無いのは本人の努力が足りないのだ。耳に痛い言葉である。
著者のユニークの意見だが「文学に関して作家に生活者としては破綻している人が少なくないため、教科書に載せて強制的に読ませるというのに疑問を呈する」というが、そもそも文学的な価値と作家の生き方とは関係ないことである。
著者は歴史は物語と言う「歴史は正しく語らねばならない、そしてその「正しさ」とは事実は正しく語るだけではなく、語られるべき事実はア・プリオリに倫理的正しさを持っているはずだという期待が込められていた」
著者は思考することが大事だと言う。「信じることは思考停止に陥ることだと述べたが停止した思考の隙間には経済的な詐欺どころかより深刻なオカルトや新宗教にはまるという事態が待っている」
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受験のときは勉強を欠かさずにやった私。
大学に入って気が抜けたか勉強に手つけてなく
"不勉強"になっている。
この本で"受験のときの頑張りに戻りたい"と思った。
もうすぐ長い春休みが来るので
資格の勉強に取り組みたい。
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著者自身も不勉強だったようだが、しかしあなた大学出て歯科博士の歯科医じゃないか。
なんか題名に騙された感じはあるが、内容は我が子に勉強を教えようと思っている親にはいい刺激になるような事が書いてある。
奮起剤として読むべし。
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(「BOOK」データベースより)
四〇歳を過ぎた。親として子に何かを教えようとしたとき、ふと、自分の生きざまを問われ、恥じ入りたい気持ちになる。子供に読んでやる文章が、自分自身の身にしみる。この年になってやっと、本当の勉強の意味に気付いた気がする―。学力低下不安から、子供にお勉強をさせることは、一種のブームと言える盛り上がりを見せている。しかし現在の日本人の不勉強ぶりは、子供にお勉強をさせればいいというレベルをとうに超えている。自戒を込めて言えば、すでに大人からしてダメである。本書は、凡庸な親が自分も勉強しなくてはならないと考え、しかし何をどうやって学ぶべきか、そもそも勉強とは何だっけ、といった事柄を、国語・倫理・歴史・自然科学といった広い分野にわたって思い悩むドキュメントである。
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忙しさの荒波にもまれて、倫理とか歴史とか人生の中で一度は真剣に向き合わないといけない勉強をそっちのけで人は「大人」になっている。
それでも生きていくには困らないけど、自分が親になった時、改めて自分の不勉強が身にしみる。
確かに塾講のバイトしてるときにもう一回歴史とか理科とか復習しないと恥ずかしいなって思ったこともあってなんとも共感した。
倫理、哲学、歴史、生涯学習としての趣味の在り方など、少々厳しい視点での著者の捉え方も記されていてなんとも勉強になった一冊。
これを読んでちゃんと勉強する人がちゃんとした大人になるんだろうなぁ
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ところどころ、ヒヤリとする言葉があるなあと感じる当たり、自分の迂闊さを痛感。いやはや、困ったものだ。
本書には、ある種当たり前の事しか書いていないが、だからといってその当たり前を当たり前と認識できている人はこの本を必要としないだろう。
結局、これは内田樹さんのいう「遅れ」なのだろうな。しかもそれ自体もはやどうしようもない。
でも、まあもやもやは残るものの、とりあえず前に進むしかないし、そのために私は勉強するしかないのだろう。切実。