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色々な先生の話。
担任の先生に会いたくなった。気づけばあの頃の先生の年を越えてしまっていた。大人になった自分を見て、先生は何と思うだろうか。
つくづく短編の上手い人だなあと思う。とても安心して読めます。
ちょくちょく出てくる岡山弁(かな?)も大好きで温かみを感じます。
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白髪のニール/ドロップスは神さまの涙/マティスのビンタ/
にんじん/泣くな赤鬼/気をつけ、礼/
ニール・ヤングが大好きな富田先生
怖いけど優しいヒデコ先生
絵を描き続けた白井先生
生徒を嫌ってしまった工藤先生
中退した教え子に泣くなといわれた赤鬼先生
吃音をどもりと言い切った山本先生
どの先生にも人間らしさがあふれていて、弱点がちゃんとある。
かっこいいばかりの先生と違って、味がある。自分が年を重ねないとみえない味が。生徒のときに知らずに味わった子ども達は幸せだっただろうか。
電車の中で読みながら、ニコニコしたり、頷いたり、涙ぐんだり、端から見たらへんなおばさんだったかもしれない。
でもいろいろな先生に出会えて嬉しかった。ある意味かっこ悪い先生にね。
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また、重松清に泣かされたです。
悔しい。
けど、時代が違うのか、はたまた私と先生の関わりが薄いのか、
そんなに尊敬できた先生もいなければ、今会いたい先生もいないなあ・・・
今会って、覚えててくれてる先生が何人いるかと考えて、少しさびしくなりました・・・
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大学に入る前だろうか、時期は定かではないが、24時間役を演じなければならない「先生」にはなれないと思い、職業として「先生」になる選択はしなかった。
子供にとって「先生」は完璧であって欲しいものだ。そこには大人という壁があった。ところが「せんせい」たちはスキを見せた。そのスキに安心する子供たちがいた。自分を取り戻す子供がいた。そのスキは「せんせい」自らの本意ではなかった。
ただ、「せんせい」に共通しているのは「赦すこと」である。いみじくもそう言ったのは、「気をつけ、礼」の少年の父親で、「赦すこと」を求めたのは「せんせい」である。「先生も人の子である」とひとくくりにできない。
やはり24時間役を演じなければならない「先生」にはなれない。
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今年も新潮文庫夏の100冊が始まったようだ。
さて今年は何を読もうと思って、好きな重松さんのものを手に取る。去年も出たばかりの「青い鳥」が入っていたなと振り返る。それにしても新潮文庫に入っているものは全部読んでいるのだが、いつのまにか17冊にもなっていたのだなあとしみじみ。
「白髪のニール」と「泣くな赤鬼」で泣く。「白髪のニール」いいなあ。30代前半の自分には響くものがある。
どれもいいのだが、その中でひっかかったのは「マティスのビンタ」という一編。何となくこれだけ読んでいてしっくりこなかったので、逆に何度か読んでしまった。
先生と生徒という関係は、影響を与える、与えられる、という物語になりやすくて、その中で、逆に生徒から先生が何かを与えられる、というパターンの話もあるのだが、「マティスのビンタ」だけ、そのどちらでもないような感じがしたのである。
「マティスのビンタ」には印象的なくだりがあって、認知症の人でも、学校の先生をしていた人は「先生」という呼びかけに応じる、というところである。この一編はひょっとして作家が実際に見聞きしたことの中で印象的なものが膨らんでいったようなものなのかなと、だから明瞭な構造を持たない(もしくは持つように書けなかった)のかなと勝手な想像を巡らせたりしてみた。
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日本人なら大抵「せんせい」と呼べる立場の人がいて、
尊敬、もしくは反発の対象となる。
そんな「せんせい」たちも
生徒に楽器の弾き方を教わったり、
内緒でドロップくれたり、
美術室で才能のない絵画に夢中になったり、
生徒を嫌ったり、
監督と先生の両立の中に矛盾を抱えたり、
ギャンブルにおぼれたりと、
結局は生徒と同じ人間なんだと
この本は再認識させてくれる。
それでも生徒は少なからずせんせいから
何か学ぶのだろうし、せんせい側もまた然りなのだろう。
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先生と生徒の6つの短編集。
自分も大学を卒業した身で、"先生"と呼ぶ人に教わる時代は終わってしまった。そんな感覚が齢23にしておっさんを感じさせてくれる部分がある。が、そんなこと以上に重松清の文章がおっさんくさい。加齢臭とかアブラとかそんな感じのおっさんくささ。実にいい文章だ。ナイフ以来の久しぶりの重松清だった。
野球部の顧問の話、先生が生徒を理由もなく嫌いになる話など短編集ならではの、多面性がおもしろい。個人的には冒頭の「白髪の二ール」がよかった。同窓会をしたくなる本だ。
新宿の紀伊国屋で購入。2階文庫コーナーだとなぜかほしい本がみつからない。ブックカバーにGUNMAと書いてあるのが若干嫌。
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自身の習ったせんせいたちを思いだした。今でも許せない教師、授業以上の好奇心を与えてくれた先生。そしてにんじんのように嫌いな生徒が絶対に出てくるから教職を取らなかった決心。
先生の歳を抜いた自分もまたせんせいたちに会ったら気持ちが変わるだろうか。読みながら別のことも考え、一気読み。
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私のお気に入りの重松清氏の、私が最も憧れた職業(先生)という
タイトルの新刊書がでた。これは、いち早く読まねばと、早速、読んだ。たった3年間の小学教師時代を思い出し・・その後、現職は離れたけれど、教育にかかわる仕事から離れることなく、今も、(先生)と呼ばれている私にとって、6つの物語はいろんな想い出を読みがえらせてくれた。駆け出しの新米教師時代の教え子には、
情熱はみなぎっていたけれど、まだまだ、教師としても人としても未熟ゆえ、充分に子どもたちが見えてなかったことを申し訳なく思う。だけど、その時々、一生懸命だったことは、確か!!
さまざまな子どもへの思いがよみがえる。さて、子ども達の何人かの心の中に私も思い出として存在するのであろうか??ちょっと、のぞいてみたい気がした。
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いつもながら重松清さんの学校もの。ほんとに、胸をぐりぐりされるなぁ。電車で鼻水すすりました。今回のは、先生がテーマだったけれど、先生も人間だし、聖人君子じゃないところが、上手にかかえれてた。またいつか読んでなくかな。
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ここには、いろんな先生がでてきます。
「ロックはロールなんじゃ。」と、生徒からギターを習い必死に一つの曲を弾く先生。
ドロップをさりげなくくれるちょっと怖い、養護の先生と、頑張りすぎちゃう担任の先生。
画家になりたかった先生。
どうしても一人の生徒を好きになれず葛藤し続ける先生。
野球部の顧問として甲子園を目指していた厳しい先生。
私生活に少々難あり…な先生。
先生だって人間で…。困った先生も少なからず…。
そんな人間臭い先生たちのお話です。
尊敬はできないけど、子ども達は、何かを教えてもらっています。
大人になった時、やっと何かに気づくのかもしれませんね。
それは、生徒側だけではなく、先生も。
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表題通り,先生と生徒を題材にした短篇集。
夢を叶え損なった先生,気むずかしいけれども大切なところはきちんと掴んでいる保健室の先生,ギャンブルで蒸発した先生など,個性的な先生が登場する。
先生も,人間なのだ。
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重松清は中学のときにナイフを読んで以来、少し苦手としている作家だった。だから、彼の著書はこれまで二冊、三冊ほどしか読んだことがなかったが、いつも感想は「私やっぱり苦手だ…」。
でも、今回は違った。いつものあのなんとなくの「気持ち悪さ」がなかった(かなり個人的な感想だけれど)。
私は「神様のドロップッス」と「泣くな赤鬼」がお気に入り。「気をつけ、礼。」もすきです。
私は教師を諦めた人間だけど、やっぱり教師っていいなあ、って思えてしまいました。
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子どもの頃には理解できなかった先生の思いが、もしかしたら、こんな心情からなのかなぁって思えるような作品でした。
大人になった今だからこそ、子育ての真っ最中だからこそわかってくるいろんな事。理想だけで,世の中は生きていけない。先生といえどもひとりの人間、悩みもすれば泣きもする。そんな人間臭さに何度も私の瞼が波打ってくる6編でした。
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多分、経験していなくても、「先生」という存在がこういう人たちであったと思い込めるような本。
なんだかんだと、ほろりと泣けます。
現役の学生さんより、もう先生と関わることがない年代の人が読んだら、懐かしいという気になるのだろうなあ、と思う本です。短編集なのが、また良いです。
かなり、電車で泣きました。
所謂「駄目な人」が教師、というのも魅力的です。
今って、こんなに色んなものに情熱的な先生っていらっしゃるのでしょうか。