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論理的に語ることを良しとして、自分の感情を語ることができない父親。これは、コーチングに通じる。子供に対して、自分がどう思うか伝えることが大事。
抵抗される父親であるべき。職人気質の昔の父親は、背中で物を言うというが、息子に対して関心があることを語っていたのだろう。そういう親に対して息子は否定はせず、抵抗する。抵抗は子供にとって必要なことなのかもしれない。
自分としては興味のあるテーマだが、普遍的な問題提起に対する回答、提言がなく、団塊の世代の父親論にテーマが変わっているところが少々残念だった。今回棚上げされている父親と娘の関係について次回ぜひ分析して欲しい。
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視点はよいが、ぼくに響かなかったのは団塊ジュニアじゃないからか。それとも登場人物のサンプルの問題か。
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筆者のカウンセリングエピソードが多すぎて、メッセージが薄かった。
一点、肝に銘じたいとかんじたのは、
家族1人1人に対する「自分の感情」を語れる父親になる、ということ。
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今週おすすめするのは、『父親再生』という挑発的なタイトルの一冊。臨床心理士として長く家族の問題を扱ってきた信田さよ子氏による父親論です。
著者は、これまで多くの本を著していますが、父親について書くのは実は初めてだそうです。父親について書かなかった理由は、「父親は家族の中に存在しているのに、その姿が見えない。話しているのに、言葉が沁みてこない」から。何とも手厳しい評価ですが、実際、著者が出会ってきた家族では、家族の問題と向き合おうとせず、協力もしようとしないとう父親のほうが普通のようです。カウンセリングをしても、まるで会議をでもしているようにしか話せない。自分の感情や言葉というものが奪われてしまっている。
何故か。著者は、「怖れ」が理由ではないかと推測します。それは「現実を認めることへの怖れ」であり、「妻に負けることへの怖れ」であり、「誤解・批判されることへの怖れ」です。現実を認めるのが怖いから家族の問題から目を背け、主導権を握られたくないから妻への協力を拒む。誤解や批判を避けるために習慣化したロジカルで客観的な仕事モードの話し方は、家族との関係づくりを妨げる…。
本書では団塊の世代の父親に焦点を当てていますが、このような問題というのは、多かれ少なかれどの世代の男性にも共通するものではないでしょうか。ほんと、男ってどうしようもないですね。でも、そういうところがあるということについては、認めておいたほうがいい。著者が言うとおり「失敗しないためには失敗例から学ぶのがいちばんいい」からです。そういう意味では、男性・女性、既婚・未婚を問わず、読んでおくべき本だと思います。
もっとも、個人的には、父親論よりも、団塊世代論のほうが圧倒的に面白かったです。本書を読んで初めて認識したのは、団塊の世代の多くが身を投じた学生運動が、「運動」ではなく「戦争」であったということです。多くの学生が思想に命をかけ、実際に命を落としているという事実。それは、実際の戦争と同じく、生き残った人々から言葉を奪います。自分だけ生き残ったことに対する後ろめたさや、自らの「正義」を守ることができなかったことへの挫折感や罪悪感から、生存者は自らの過去に対して口をつぐむのです。
だから団塊の世代は語る言葉を持っていない。いや、語り得ないのだ。というのが自身も団塊の世代である著者の見方です。自分のことを語れないから、息子ともコミュニケーションできない。青春を総括できないことが世代間の断絶の原因になっているのです。それは親子の間だけの問題ではないでしょう。過去と断絶した社会は、人々を支える強さと根拠を失います。今の社会が底が抜けてしまっているのは、戦後の60年以上を、語り得ぬままに生きてきてしまったからだと思うのです。
未だ戦後処理は終っていないということに気付かせてくれる一冊です。是非、読んでみてください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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カウンセリングの基礎は、目の前のクライエントがどのような考えをもっていようと��どのような言葉を発しようと、そのことを否定しないところにある。(…)おそらくトオルさんの父親のように組織内でまじめに働いてきた男性は、無批判に話を聞かれることは初めてだったのだろう。飲み屋に行って酔ったときぐらいしか、自分の話を無批判に聞いてもらうことはなかったのかもしれない。もしくは、先手必勝とばかりに先に他者を批判することによって、自分への批判を封じるという逆パターンを用いてきたのかもしれない。
犯人捜しはそれほど難しくはない。多くの父親たちは、ほぼ全員が犯人は妻だと考えているからだ。「お前の育て方が悪かった」と妻に言えば、一件落着とでも思うのだろうか。一生懸命息子を育ててきた妻にしてみれば、夫のこの言葉は何より残酷である。
妻に比べてともに過ごす時間が圧倒的に少ないことが、息子の現実に直面する恐怖から彼らを守ってくれる。もしくはそのためにわざと自宅にいる時間を減らしているのかもしれない。
父親はなぜ息子の現実を見るのが怖いのだろう。彼らの恐怖はどこから湧いてくるのだろうか。
恐らくそれは、彼らが息子を自分の分身と思っているからだろう。
もし父親たちがカウンセリングにやってくる機会があればこう言いたい。
「息子さんがコースから外れたことであなたが深く傷ついていることはよくわかります。それだけ息子さんのことを思っていらっしゃるのですね。しかし、あなたが傷つき、まるで自分の人生が否定されるかのような恐怖を抱かれたとしても、それはあなた自身の問題なのです。苦しいでしょうがそれを自分で抱え込み、それでも踏みとどまり、息子さんの現実から逃げずに対峙してもらいたいのです」
いくら社会的に成功者であろうと、仕事ができようと、家族における父親のふるまいが息子からの評価を決定するのだ。
父親たちの言い分も取り上げなければ不公平だろう。しかし、そこでハタと考え込んでしまった。彼らの言い分が見えないのだ。彼らの自分語りが聞こえないのだ。
同じ政治の季節を過ごした男女が、結婚後、かたや日本経済を支える企業戦士となり、かたや専業主婦として手探りで女性の生き方を探る。同じ世代でありながら、ジェンダーによってこのような二方向へ分化せざるを得なかったことは強調されなければならない。それは彼ら/彼女らの家族における夫婦関係を規定する大きな要因となった。これが多くの団塊世代の夫婦の基本形だと言えばあまりに断定しすぎだろうか。
多くは定年を迎え、社会の第一線を退きつつある団塊世代の男性たちだが、彼らが学生時代に体験したことは、いまだに語られないまま総括されずにいるのではないだろうか。この総括の未遂と保留が、奇妙な空白となって息子への沈黙を生んでいるように思われる。
しかし、それでも父親には語るべき責任がある。どんな中途半端な内容でもいい、語れないと言葉に出すだけでもいい。それが息子の空白や断絶を埋めることであり、息子に対して父親のできる「愛情表現」なのだ。どのような語り口であっても伝える責任がある、と私は思う。
流行語になった草食系男子だが、背景としてあまり指摘されていないのが、彼らの母親の存在である。多くは��塊世代である彼女たちは、おそらく夫のようにはならないように息子を育て上げたのだ。(…)母親の夢の男に育て上げることで、仕事中心で家庭を顧みない夫や専業主婦である自分を見下す視線に復讐しようとしたのだろう。
少し改まった会話になると、会議調でしか語れない男性は多い。規範や常識を語ることはできても、個人としての自分について語る言葉を失ったかのような彼らは、しばしば最も身近な存在に対して暴力という方法で自己表現を行なう。この自分を語る言葉の貧困さは、個性や性格というより、組織から期待された人間像の結果なのかもしれない。
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●[2]編集後記
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先日、41歳の誕生日を迎えました。
勤め始めた頃、40代の人々は雲の上の人でしたが、今、こうやって40代になってみても、当時、自分が見上げていたような立場には全然なれていないなと感じます。ほんと、いい歳になったんだから、頑張らないといけません。
土曜日は久しぶりに家族で揃って食事。友人がやっているレストランで誕生日ディナーをしました。妻と娘からは、絵手紙をプレゼントにもらいました。娘の描いた絵と妻の言葉。どんなプレゼントよりもこういうもののほうが嬉しいですね。We are always with youという言葉に、胸の底が温かくなりました。
妻からは別にプレゼントがあって、それはなんと、純白のフンドシでした。早速、はいて、というか、締めてみたのですが、贅沢にも絹製なので、これが実に気持ちよく、癖になりそうです。
フンドシを締めてかかる、と昔から言いますが、不惑の40代、ブレることなく、気持ちを引き締めて頑張らないといけないですね。そんな意もこめてのフンドシなのだろうな、と思ったのでした。
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何となく気になっていた父親と息子の関係が分かり易く述べられている。著者の書籍をもっと読みたくなった。
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女性カウンセラーの書いた父親の本ということもありとても興味深い。妻息子からの視点が新鮮で、よくある「強い父親を取り戻せ」みたいな男の書く本とは一線を画している。
父親として耳の痛い共感することがたくさんある一方で、さっき言ってた失敗父親の逆もまたうまくいかない、という展開は「どうすりゃいいの」と思ってしまう。
きっと著者はそれもわかった上で、結論めいた締めくくりとして、理想の父親像なんてものはなく、家族から愛される父親になるよう努め続けること、を推奨するに至ったのだと思う。でもやっぱり、それってどうすりゃいいの?って場面が出てくると思う。
家族って不思議。
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父 賞賛され肯定的に評価されたいー妻をねぎらうー息子をほめる 承認の連鎖 父親の問題 感情を語れない 仕事で正確に客観的にとしているとだめ カウンセリングの基礎は、目の前のクライエントがどのような考えを持っていても否定しないこと 死にたいとクライエントがいえば、2秒間沈黙 「そうか、死にたいんですね」と言わずとも目の前のクライエントを受け止める。 父親がカウンセリングにきたら、「息子さんがコースから外れたことであなたが深く傷ついていることはよくわかります。それだけ息子さんのことを思っていらっしゃるのですね。しかし、あなたが傷つき、まるで自分の人生が否定されるかのうような恐怖を抱かれたとしても、そらはあなた自身の問題なのです。苦しいでしょうが、それを自分で抱え込み、それでも踏みとどまり、息子さんの現実から逃げずに対峙してもらいたいのです。あなたの妻は、毎日そのような現実と格闘しています。だから少しでも、息子さんへの対応にてうい夫婦で協力していただきたいのです。」
「イントゥザワイルド」ショーンペン監督
しかし、それでも父親は語るべき責任がある。どんな中途半端な内容でもいい。語れないと言葉にだすだけでもいい。それが息子の空白や断絶を埋めることであり、息子に対して父親のできる愛情表現なのだ。どのような語り口であってもつたえる責任があると私は思う。
もう一つ重要な点は、父親との関係を振り返ってみる事だ。自分と父との関係を考えることは、両親の関係を振り返ることにもなる。過去のことは忘れてはいけない。過去を振り返ることから様々なことが見えてくる。過去は宝の山だと私は考えている。
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タイトルがストレート。
自分の父親が無関心で、心理面で親子逆転しているので。
憎しみが出たときに、読んで落ち着きたい。
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367.3
村上春樹のエルサレムでのスピーチや浅間山荘事件、秋葉原無差別殺傷事件、映画「イントゥ・ザ・ワイルド」などを例にあげている
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前半面白かったんだけど、後半全共闘のあたりにあまり興味が持てず…。
もうちょっと臨床の現場からの、生の父親達のー前半のエピソードから膨らませた多角的な考察かな…と思ったので拍子抜けだったかな。