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賢人アダム・スミス
2008/06/18 22:06
12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:仙道秀雄 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本年はじめてのFull star gradeの超級本。本当に良い本だった。阪大で教えている方なのでぜひ会ってできるものならスミスの講義を受けたいものだ。
マルクスが「経済学批判」においてたしかこんなことを言っていた。
「諸個人はいくら主観的には自分の入りこんでいる諸関係から超越したつもりになっていてもそれは戯言であって、実践的には所詮諸関係の担い手でしかない」
この観点だと行為者それぞれのの動機を問うても結局はそれぞれの超越的主観性間のせめぎあいに終わる。個人の主観性の価値を問うのは無意味であって、諸個人から成る関係性全体のメカニズムの解明のみが主要な問題となってくる。つまり、諸個人の行動は、いろいろある部品のひとつとしての恣意的な価値をもつだけである。意味を知りたければ全体のメカニカルな設計図を見よ、となる。
これに対してスミスの理論だと、科学的なメカニズム以外に行為者において公平な観察者と幸福の概念を導入することで、人それぞれが自分の置かれた環境でどんな選択をするなかで生きるべきかという倫理的課題への回答が可能な一方、全体のメカニズムの提示によって自分の行動が全体のなかでどんな意味を持ちうるかが見えるという構図になっている。
また、国富の概念が価値(交換価値または貨幣価値)重視ではなく使用価値重視であることは現代のアメリカグローバリズム批判となりうるし、ストア派を批判的に継承した幸福論はスローライフ、メープル的暮らしにも繋がる。マルクス批判でさえある。
また道徳感情論の第六版につけ加えた次の文章―スミスが死の前年に書いたとされる文章―は大変感動的であった。
人間本性の仕組みからいって、苦悩は決して永遠のものではありえない。・・・木の義足をつけ(ることになっ)た人は、疑いなく(そうなった自分の運命、これから自分のハンディキャップに)苦しむし、自分が生涯、非常に大きな不便を被り続けなければならないことを予見する。
しかしながら、彼はまもなく、・・・普通の喜び、そして仲間といるときに得られる普通の喜びを、ともに享受できると考えるようになる。・・・公平な観察者の見方が完全に習慣的なものとなるため、・・・自分の悲運を、公平な観察者以外のの見方で見ようとはしないのである。・・・・・ひとつの永続的境遇と他の永続的境遇との間には、真の幸福にとっては本質的な違いは何もない。
・・・・幸福は平静と享楽にある。・・・人間生活の不幸と混乱の大きな原因は、ひとつの永続的境遇と他の永続的境遇の違いを過大評価することから生じる・・・。
貪欲は貧困と富裕の違いを、野心は私的な地位と公的な地位の違いを、虚栄は無名と広範な名声の違いを過大評価する。・・・・虚栄と優越感というつまらぬ快楽を除けば、最も高い地位が提供するあらゆる快楽は、最もつつましい地位においてさえ、人身の自由さえあれば、見つけることができるものである。
(引用終わり)
わたしたちは、日頃こんなことでうじうじ悩んでいる。
自分の今の職業的選択は正しかったのか、
別の選択があり得たのではないか、
自分の今のこの境遇以上のものは望めないのか、
収入はより大であるべきなのか、
より大の売上・より多い社員数の方が良いのか等々
スミスはそんなわたしたちに有益なアドバイスをしてくれた。こんなことを言ってくれる賢人はめったにいない。
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アダム・スミスの再発見 2009年に読むことの意義
2009/01/11 14:38
12人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
アダムスミスというと「見えざる手」という言葉しか知らなかった。そうして その「見えざる手」とは 市場原理主義であるというのが僕の乏しい知識であった。
2008年という年が 将来どのように歴史的評価を受けるのかは分からないが 現段階では 新自由主義の大きな後退が始まった年 と言われる可能性はかなりあると思う。2008年以前において「見えざる手」とは 規制緩和であり 小さな政府ということだったのではないか?
規制緩和自体に問題があったかどうかは議論の余地が 今後とも十分あると思うが 僕としては そもそも「人間とはどういう動物か?」という洞察が どれほど この2-30年の間に深まったのかに疑問を感じる。「強欲資本主義」とすら言われた 最近の金融界の跋扈ぶりと その凋落ぶりを見ていると 「自由を得た人間たちがやること」に対する基本的な疑問を覚える。
そんな中で 「見えざる手」という言葉を使ったアダムスミスを見直すことは実に時代性に富んだ研究だと考える。
本書で描かれるアダムスミスは 単に 規制緩和を主張した経済学者ではない。人間の道徳と幸せの在りかを探究した哲学者である。いや そもそも 経済学とは人間の欲と行動を分析する点で 優れて哲学的な学問であったことが この本を読むと身に染みてくるのだ。
僕は これからの10年間は 経済学が本当に試される時代だと考える。そうして もろもろある諸学の中で もっとも人間を取り扱えるものだと確信している。もちろん それは高度な金融工学や経済理論ではなく 心理学、哲学、歴史学を包括しうる極めて統一的な領域を扱うべきだ。本書は18世紀のアダムスミスを描くことで そんな経済学の可能性を語っていると読んだ。
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道徳感情論こそが真髄!
2015/12/24 09:23
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひつちよ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「資本主義」や「民主主義」、という、現在の主流となっている価値観へ、大いなる疑問が投げかけられている現在。果たして、国家とは?、政治とは?、等の様々な根本的「問い」が生じてきます。
私自身は、アダムスミスといえば、「見えざる手」、という短絡的な知識に留まっていました。
しかしながら、本書を読み、その土台となる「道徳感情論」での彼の主張を知り、「国富論」の位置付けが、ガラリと変わりました。そして、「新自由主義」やグローバリゼーションが、如何に愚行か、改めて確認することができました。
結局、「よく生きる」とは?、という「生き方」を問うたのがアダムスミスであり、その出口が経済学的なものでした。当たり前のことですが、先に「経済ありき」ではないのです。
孟子の「利」ではなく、「義」と、共鳴する思想を強く感じました。
今後、アダムスミスの著書を読みすすめていこうと考えています。
本書は、非常にわかりやすく、おすすめです。良書です!
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傑出したアダム・スミス論
2015/09/30 12:27
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タヌ様 - この投稿者のレビュー一覧を見る
これほどよくできたアダム・スミスものがあるとは驚きでした。いままで道徳感情論や国富論も特定の章を読んだ程度で、もうアダム・スミスとは生涯縁が無いと思っていましたが、新書ということで軽い気持ちで手にとりました。
ところが、大変読みやすく、そしてそうだったのかと初めて分かったようなことばかりであり我ながら驚きの連続でした。
道徳感情論と国富論はマルクスの経哲草稿と資本論みたいな感じ程度の理解など、いともたやすく一蹴され、イギリスの経験論の世界に誘ってくれやっとわかった気にさせてくれます。
このレベルは国際レベルと言っていいできの書物です。何度か読みなおしたい一冊になりました。
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還暦プラス2
2020/12/30 09:41
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投稿者:さたはけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「還暦からの力」を読んで、知は力であり、その力は「人・本・旅」で勉強しなければ身に付かないということから読み始めました。
理解するにはかなり時間がかかると思いますが、何とか頑張っています。
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アダム・スミス
2013/10/01 21:20
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投稿者:いろはにほへと - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本を読むとアダム・スミスが述べた「(神の)見えざる手」とは一体何だったのかが分かるヒントになるかもしれません。経済に興味のある人向けだと個人的に思う。
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未読
日経新聞書評 by 猪木武徳
スミスの人間学は、ギリシャ悲劇やドストエフスキーに勝るとも劣らない奥深さを秘めている。『道徳感情論』の随所でスミスが人間の崇高さと賢明さだけでなく、「醜さ」「滑稽さ」「愚かさ」について平然と言及しているのを読み、「これは人間の明と暗を厳しく観察した人のみが書きうる文章だ」と勝手に想像してきた。
本書は、「富と幸福の関係」「野心と虚栄心と経済発展の関係」を念頭に置きながら、スミスの二著の連続性を検討するというもの。
スミスの道徳感情の分析は、ひとつの “the Sentiment”に限定されたものではなく、さまざまな感情が作用しあうことによって社会秩序が形成されるとする点に特質がある。スミス以降、人間像を単純化することによって長足の進歩(ちょうそくのしんぽ:短期間で大幅に進歩すること)を遂げた経済学がともすれば等閑(なおざり)にしてきた重要なポイントでもある。
またスミスは「公平な観察者の原理」を国際秩序の形成の問題に適応する。彼の倫理学はナショナリズムと国際平和の問題にも重要な枠組みを与えているのである。「万民の法」から「万民の富」へという展開が、「同感」と「公平な観察者」を柱とする『道徳感情論』から「分業」と「資本蓄積」を論ずる『国富論』へとスミスを導いたと著者は見る。
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アダム・スミスの著作、『道徳感情論』『富国論』の2冊を解説してる。
新書なのに解説が凄くうまい。
要するに、
●道徳感情論
人間には同感という感覚があり、他人のことでも嬉しいことは積極的に同感するが、悲しいことは同感することをためらう。
人間は成長していくにつれて"公平な観察者"を形成する。
この公平な観察者は正しい行為を行えば同意するが、正しくない行為には非難の声を上げる。
しかし世間の評価は公正な観察者の判断とは矛盾することがある。
この矛盾にめげずに公正な観察者が賞賛する行為を行おうとする(世間の評判に反しても)人間は賢者であり、世間の評判や欲に負けて正しくない行為をする(世間の評判が肯定していても)人間は弱者である。
富を求めるのは悪くない(ルールを守っている限りは)
●国富論
経済の正しい発展は農業→商工業→輸出であるべき。
なぜなら農業が発展すると余剰生産物が商工業に向き、みんなが余裕出てくると輸出入により生活を豊かにする嗜好品などを手に入れるようになるから。
その結果とても貧しい人もある程度の生活レベルもある程度は向上する、これは"見えない手"によるものである。
見えない手が興るためには資本家が儲けるのを非難するべきではないし、税金なんかごっそりもってってる場合じゃない(税金を持ってく→商工業に回る金が減る→下層の人間まで金がまわらない)
しかしヨーロッパは西ローマ帝国の崩壊とゲルマン民族の流入に伴い、農業が荒廃した結果之とは反対の成長ペースになってしまっている。
結論正義と秩序を保った公正な競争が国家をより豊かにする。
めっちゃ簡単に書いたな。
詳しく知りたくなったら買うべし。
書いてて自分しか意味が分からないのは分かってる。
最初の方とか既に忘れてきてるけど\(^o^)/
だから国富論の方が多いんだね、うん。
読むと道徳感情論と国富論読みたくなります。
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「あなた方は、自分の自由を宮廷の奴隷となることと決して交換することなく、自由に、恐れず、独立して行きようと真剣に決意しているだろうか。この高邁な精神を継続させるには、ひとつの方法があるように思われ、おそらく、そのひとつしかないように思われる。それは、あのようにわずかな人だけしか帰ってくることができなかった場所に決して入ってはならないということだ。」【『道徳感情論』1-3-2:p78】
「幸福は平静と享楽にある。平静なしには享楽はありえないし、完全な平静があるところでは、どんなものごとでも、ほとんどの場合、それを楽しむことができる。」【『道徳感情論』3-3:p79】
「健康で、負債がなく、良心にやましいところのない人に対して何をつけ加えることができようか。この境遇にある人に対しては、財産のそれ以上の増加はすべて余計なものだというべきだろう。そして、もし彼が、それらの増加のために大いに気分が浮き立っているとすれば、それは最もつまらぬ軽はずみの結果であるにちがいない。」【『道徳感情論』1-3-1:p80】
「「賢人」は、最低水準の富さえあれば、それ以上の富の増加は自分の幸福に何の影響ももたらさないと予想する。(略)一方、「弱い人」は、最低水準の富を得た後も、富の増加は幸福を増大させると考える」【p83】
「自然がこのようにしてわれわれをだますのは良いことである。人類の勤労をかき立て、継続的に運動させるのは、この欺瞞である。」【『道徳感情論』4-1:p86】
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2008年度サントリー学芸賞政治・経済部門受賞作品ということで、買って、読んでみた。
何十年か前、大学で習ったアダム・スミスとは全く違うイメージのスミスがそこにいた。
経済書「国富論」の前提に哲学がある。
スミスは、真の幸福とは心が平静であることであると説く。心が平静であるためには、それほど多くのものは必要としない。
まるで東洋的な心境である。目から鱗であった。
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アダムスミスの最初の著書である「道徳感情論」と、有名な「国富論」を融合的に考察している本です。
今までアダムスミス=国富論とばかり思っていた。
でも、道徳感情論という倫理学的な本を通して「社会秩序を導く人間本性は何であろうか。」という疑問を一緒に考えることができた。
そして道徳感情論に続いて、国富論があるんだなと思いました。
すごい興味深い本。
「幸福は平静と享楽にある。」
この言葉が心に残った。
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スミスの2大著書「国富論」は知ってましたが「道徳感情論」の方は、恥ずかしながら知りませんでした。本書を読む中で「道徳感情論」の章の方が読みやすく理解もすんなりできました。「道徳感情論」があってこその「国富論」だと実感しました。
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現在の世界恐慌は【市場原理主義】が原因に他ならない。
アダムスミスの【見えざる手】理論、つまり個々人が利益を最大限に得るように努力を促す社会は、社会全体の利益につながるというものは、一見市場原理主義支持以外の何ものでもないように感じる。
しかしスミスの道徳感情論を見るとその考え方は一掃される。スミスは人間に【賢さ】と【弱さ】があると考えた。人は【弱さ】ゆえに富や名声を求める。それ故、結果的に蓄積した富は、より多くの名声を求めるために分配されると考えた。
それを前提にすすめたという点で、現代のネオリベとは違うかなぁと。
『私たちは観察者としての経験、そして当事者としての経験を通じて、自分が所属する社会において、公平な観察者たちが実際に他人の感情や行為をどのように判断するかを学ぶ。そして経験によって得られた知識に基づいて、私たちは、自分の感情や行為について、公平な観察者であればどのような判断を下すかを想像し、自分の感情や行為を公平な観察者が是認すると思われるものに合わせるようにする』
『いったん心の中に公平な観察者が形成されれば、私たちは、当事者としてだけでなく、観察者としての自分の判断をも、胸中の公平な観察者を用いて調整するのである。』
『スミスは実際の観察者、すなわち【世間】を、裁判における第一審にたとえ、各個人の胸中にある公平な観察者を第二審にたとえた。私たちは、自分の行為について、まず第一審、すなわち世間の評価を仰ぐ。しかし世間の評価が適切でないと感じる時。第二審、すなわち胸中の公平な観察者に訴え、最終的な判決を決める。賢人はほとんどの場合、第二審の判決を重視し、弱い人はすべての場合に第一審の判決を重視する。』
『スミスは社会を支える土台は正義であって、慈恵ではないと考える。もちろん慈恵的な社会はそうでない社会よりも快適な社会である。ただ社会の構成員が他人の利益を増進しようとしなくても、他人の生命、身体、財産、名誉を傷つけないことをしっかり守ろうとさえすれば、社会は存続する。』
『集団生活を営むようになる→生活にとって必要な水準以上の富、社会的地位を求めるようになる。富と地位への【野心】をもつのはそれの便利さ、快適さのためではなく、それらを手にすることによる他人からの同感や称賛、あるいは尊敬や感嘆のため。スミスはこのような野心の動機を【虚栄】と呼ぶ。虚栄とは自分の本当の値打ち、すなわち胸中の公平な観察者が自分に与える評価よりも高い評価を世間に求めること。』
『世間は【英知】と【徳】のある人を尊敬し、愚かで悪徳に満ちた人を軽蔑する。しかしながら、世間は、同時に、裕福な人、社会的地位の高い人を尊敬しし、貧しい人、社会的地位の低い人を軽蔑、少なくとも無視する。そして世間にとって叡智と徳は見えにくいものであり、富と地位は見えやすいものである。そのため世間の尊敬は英知と徳のある人よりも、裕福な人、社会的地位のある人に向けられがちになる』
『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』
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ラストなんか感動した。
心の平静・公平な観察者
前半の倫理学的なところがすごくわかりやすくて面白かった。
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手段の価値は、目的の価値を決して上回らない。
公平な観察者を自分の中に置きさえすれば、あのお祭り騒ぎの理由が、目的を見失いっぱなし、心の落ち着く所が解らない、とまどえる弱い群衆の貧乏揺すりに過ぎない事がありありと見える。
冷めてるのか醒めてるのか。
どちらも含んだその冷静さこそ、まず最初の幸福だろう。
落ち着きとは停止ではなく。
派手さと嘘で塗り固められた社交を嫌う前進だ。
「芸術的である」とはつまり、どこまでも正直で、フェアであるという事に過ぎない。
世間で持て囃されているゲイジツの正体は、弱い者いじめをする行動動機に過ぎない。