紙の本
ドストエフスキーの代表作!とても読みやすい翻訳です。
2016/06/10 09:17
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、ロシアの文豪ドストエフスキーの代表作の一つです。これまでいろいろな訳者による書がさまざまな出版社から出されていますが、光文社の本書は、新訳であり、現代の言葉使いで書かれているため、非常に読みやすいと思います。ただ、全3巻に分かれているので、他の文庫と比べると少し費用がかかりますね(笑)。しかし、「悪霊」を読みたいと思われている方は、本書をお勧めします。
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むかし手に取った時は、途中から何読んでるのかさっぱりわからなくなるほど、話が全く頭に入って来ず。
一巻の途中であえなく断念。
中村文則のエッセイ読んだことをきっかけに(バーの帰りに女の子の家にまんまと遊びにいけたのに、悪霊の続きが気になって仕方ない中村文則は、二兎を得ようとして女の子の部屋でモリモリ悪霊を読み進み、結局女の子との間には何も起こらず朝を迎えた、あの悪霊)、そんなにおもろいんかともう一度チャレンジ。
2回目手に取った今回は、あら、こんな話でしたっけ?
と思うほど、一度目の私のおぼろげな記憶にあった話とは全然違って、驚くほどスイスイと面白く読みました。
一巻の終わりまで難なくたどり着き、読書ガイドを読んでからは火がついた!
革命好きのあたしとしては、どうしても最後までたどり着きたい物語として認知した。
最後まで読んで、感想としては、それでもまだ今の私向きの話じゃなかったということ。
映画をたくさんみると、話なんか関係なく、この映画見ていたいと思える映画に出会えるようになるけど、
この本もきっとそういう本なんだと思った。
もっとたくさん本読んで、それでもっかい読んだらいつか、その豊かさが分かりそう。
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この巻ではまだ、なぜ「悪霊」という題なのかがわからない。しかし癖のある人物がたくさん登場し、関係性も入り乱れ、目まぐるしく言葉が飛び交う中に、数々の伏線が張られていくような予感がある。
亀山さんの解説を読んで、物語がどうやら今後とんでもない方向に向かうらしいことを知ってどきどきしています。自分が女だからか特にワルワーラ、リザヴェータのアンビバレンツな言動に共感と関心をもって読んでるので、次巻以降の展開が楽しみ。男では今のところキリーロフに傾倒。建築技師ってところがまた素敵じゃないー。
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以前別の出版社のものを読もうとしたら訳が馴染めず序盤でリタイヤしてしまったけど、こちらは読みやすい訳なので読みきれた。
この訳者の訳は批判されることもあるようだけど、細かいところは一旦おいておいてまず読みきることを前提とするなら一番向いてる気がする。
しおりに登場人物表もついてるのでわかりやすいし。
それでも後半までは話があまり進んでる感じがしなくてしんどかったけど、キリーロフの話は引き込まれるものがあったし、終盤やっとスタヴローギンとピョートルが登場してからは展開が気になって楽しく読めた。
ここからだいぶ話に勢いがつきそうな気がするので2巻も楽しみ。
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全てが芝居がかって見えるのだけれど、一方で生き物としての人間が力の限り躍動しているように思える。不気味な予感を漂わせつつ2巻へ。
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1巻読み終える。新訳っていうことで、訳が一番気になった。
あとがきの分量や分析を見ても、かなり力の入った新訳ということになるのだろうけれど、前半は読むのが苦痛だった。例によって、登場人物の名前が覚えられないことが、その理由のほとんどで、出てくるたびに確認をせまられるので、何度も途中で投げ出しそうになった。さらに、セリフの後のいらない!マークや「料理女」などの単語がまだ出てくるのが辛い。これって今の言葉?
原文でそうなっているのかわからないが、新訳ということなのであれば、この辺の古さと、ぎこちなさを何より改善して欲しかった。今の言葉でない言葉も多量に出てきて、現代の翻訳家のスピード感や言葉のうまさの水準を考えると、この本のレベルは高くない。訳は正確なんだろうけど。もっと、うまく日本語らしく訳せるのではないかと個人的に思える。ようするに読者よりの訳ではなかった。僕にとっては。
しかし、それでも、第3章以降は読ませた。徐々に忍び寄ってくる得たいの知れない恐怖感が感じ取れる。裏で何かが起こっているという感覚が緊張感をはらんで来ます。訳が辛いが、面白いので2巻も読むと思います。
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キリスト教的世界観の抱える問題をどう突き詰めるか。
それを表現するにあたって、
『悪霊』はうってつけの舞台である。
ドストエフスキーは本作において、
記憶するのが容易でない数の人物を登場させ、
かの世界を、政治的文脈を交えた隘路を超克しうるものとして提示する。
ここに脈絡づけられるものとして、
本作に据えられたプーシキンの詩とルカ福音書のエピグラフは
あまりにも象徴的である。
《悪霊》には少なくとも三つの意味を見出すことができる。
西欧から入り込んできた無神論という思想。
無政府主義実現のため、活動組織をオルガナイズすべく暗躍するピョートル。
そして、ニヒリストであり退廃的なスタヴローギン。
さまざまな《悪霊》が、
農奴解放令を迎えた過渡期に生きる人々のエートスを揺がせ、
また彼らを惑溺させる。
中でも注目すべきがスタヴローギンだ。
汎スラヴ主義者のシャートフ、人神思想の持ち主キリーロフ、
無政府主義の五人組、リーザを始めとする女性たち……。
多くの登場人物がこの悪霊に憑依され、
身を滅ぼしてゆく。
そのアンチテーゼとして存在しえたのは、
「信仰」の象徴たるステパン・ヴェルホヴェンスキーくらいであろう。
その空虚さゆえの妖しさと魅力が、
スタヴローギンにはある。
最後に、物語において重要な位置を占める「スタヴローギンの告白」。
チーホン僧正の述べる、
「無神論は完全な信仰へ向かう道である」とは非常に意味深い。
問題をロシア正教の再肯定に収斂させてゆく、
ドストエフスキーの真髄をここに見て取ることができよう。
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【長編小説】
人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないから、それだけです。知るものはただちに幸福になる。あの亀山郁夫さんの新訳版、全3巻の第1巻です。
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ゆったりとスタートします。まず、参加者の関係や関連する事件が語られる。ロシア文学は、名前が難しくて登場人物の名前を確認しながら読んで行きました。4章、5章あたりから物語は動き始める。ドストエフスキーの好きな伏線があちこちに仕掛けられているようです。後半を読み始めたら、関係する部分の再読が必要になりそうな予感がします。
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読みやすく、すぐに次が読みたくなったけれど、なかなか2巻がでない。出版社に問い合わせたら、年明けに発刊の予定だという!
いくら気合が入っているといっても翻訳書なのだから、続けて出して欲しい。河出文庫の『白痴』は3巻シリーズ毎月出されていたではありませんか。
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『ネチャーエフ事件』に発想をえて綴られたドストエフスキーによる政治小説です。『内ゲバリンチ殺人』という陰惨なテーマとスタヴローギンという悪魔的な主人公に『人間とは何か』ということを突きつけられます。
ロシアの誇る文豪、ドストエフスキーが後年に発表した『五大長編』のうち、内容的にはもっとも『危険』とされる小説である『悪霊』それが亀山郁夫氏の新訳によって現代の社会に甦りました。
この小説の構想を得たものは1869年に発生した『ネチャーエフ事件』と呼ばれる内ゲバリンチ殺人事件で、架空の世界的革命組織のロシア支部代表を名乗って秘密結社を組織したネチャーエフが、内ゲバの過程で一人の学生イワン・イワノフ(物語中ではイワン・シャートフ)をスパイ容疑により大学の構内で彼を殺害し、池の中に遺棄したというなんとも陰惨な事件でございました。ちなみに、このネチャーエフをモデルとしてピョートル・ヴェルホヴェンスキーという人物が造形されております。
しかし、ドストエフスキーの関心はある一人の登場人物に移っていくのです。創作ノートに
『いっさいはスタヴローギンにあり、スタヴローギンがすべて』
『小説のパトスは公爵(引用者注:スタヴローギンの創作ノート中の呼称)』
『残り全てのものは、彼のまわりを万華鏡のようにめぐる』
と書き記すほどになっていくのです。そんな悪魔的な人物であるニコライ・スタヴローギンを中心に『地獄編』ともいえるような物語が綴られていく、ここではその長い長いプロローグ的な一冊でございました。正直な話、僕はこの亀山郁夫教授による新訳でなければ、最後まで読み通すことができたかどうか、これを書いている現在でも疑問に思っております。
全体の構成はレポート・ナビゲート役を務めるアントン・G氏の『クロニクル』という形をとられており、彼の『視点』を通してこの壮大な救いようのない物語が幕を開けるのことになるのです。年代及び舞台は、1869年の秋から冬にかけてロシアのとある地方都市と、その郊外にあるスクヴォレーシニキと呼ばれる別荘地です。
プロローグである第1部第1章ではこの領地を統括するスタヴローギン家の女主人であるワルワーラ・スタヴローギナ(以下ワルワーラ夫人)とかつてはロシアの思想界をリードすると目されていながら、現在はワルワーラ夫人の庇護を受け、年下の人間相手に酒とカード賭博に明け暮れるというステパン・ヴェルホヴェンスキー氏との20年にもわたる『友情』物語の経緯が綴られております。僕はここを読んでいて読み飛ばしてしまおうかと思いましたが、後の展開に繋がる重要な『複線』があるそうなので、我慢して読みました。
それにしても…。ステパン氏の会話の部分。日常会話であるロシア語の間に当時のインテリ、もしくは貴族階級の必須教養であったフランス語を交えるという話し方は読みながらなんとも言いようのないものを感じ、日本語と英語がちゃんぽんになってしゃべる人間…。たとえて言うならジャニー喜多川氏を連想してしまいました。第1部を読む限りではステパン氏は『いい人』です。ただ、この『いい人』ぶりが全体から見るとものすごく浮いて���るのですが…。しかし、この20年間の間に二人の関係は『行き詰まり』を迎えつつあるという暗示的な予感がところどころに挟み込まれております。
われらが主人公『ロシア負のファウスト』ことニコライ・スタヴローギンがようやく出てくるのは第1部2章の『ハリー王子。縁談』からになります。ニコライ・スタヴローギンはステパン氏から養育を受け、学習院へと進学し、軍務に就くというエリートコースの人生を歩みます。しかし、その頃からにわかに放蕩にふけりだし、さらには二度の決闘事件を起こし、ワルワーラ夫人を心配させるのです。ステパン氏はそんなニコライ・スタヴローギンの行動をシェイクスピアの戯曲である『ヘンリー四世』の登場人物である「ハリー王子(ヘンリー五世の青春時代のあだ名)」を引き合いに出し、「一時的なことだ」
となだめるのですが、ワルワーラ夫人の胸の中には言いようのない不安が渦巻いているのでした。
さらに地元にいるときのニコライ・スタヴローギンの起こした『事件』があり、それは
『公衆の面前でガガーノフという男の鼻をつまんで引きずり回す』
『リプオーチンの妻の唇に心行くまでキスをする』
『県知事であるイワン・オーシポヴィチの耳を噛む』
などのもので、どう考えても常軌を逸したものです。ニコライ・スタヴローギンは一連の事件が元で、故郷の町を追われることになります。それが物語の始まる4年前ので出来事でございました。
一方、ワルワーラ夫人はヴェルホヴェンスキー氏との『関係』を解決するために自らの養女であるダーシャと彼とを結婚させようと、あれこれと画策するのです。
物語の『転』である第1部第3章では何かにひきつけられるかのように、『悪霊』の登場人物たちが次々とこの町に帰還します。
さらに第1部第4章では足の悪い『神がかり』の女であるマリア・レビャートキナが登場し、大きな転換点を迎えることになります。
そして第1部のフィナーレである5章において物語はいよいよカオス的な方向へと導かれていくのです。マリアの兄であるレビャートキン大尉がニコライ・スタヴローギンからマリアに贈られた300ルーブルを横取りし、さらにその上、領地を貰い受けたと主張し、ヴェルホヴェンスキーと長年離れて暮らしていた息子であるピョートル・ヴェルホヴェンスキー。彼と父親であるステパン氏との『断絶』した関係を示すやり取りは、本当に読んでいてつらいものがありました。これらによって全体が引き裂かれていく中で現れたニコライ・スタヴローギンがマリア・レビャートキナと結婚していたのかという問いに、その『真実』をやんわりと否定したスタヴローギンがその事実を知るイワン・シャートフに殴られ、スタヴローギンはてを後で十字に組み、されるがままになっていたのです。それにはある恐ろしい『意味』が…。ひそかにスタヴローギンに思いを寄せるシャートフの妹であるリーザが絶叫して気を失うというところで終わります。
第1部でこのすさまじさ。残りを読むのが楽しみでもあり、また恐怖でもありますが、この『悪霊』がとてつもなく『危険』だといわれるゆえんだけは、なんとなく分かったような気がしてなりません。
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<登場人物>
ヴェルホヴェンスキー氏
ワルワーラ夫人
ニコライ・スタヴローギン 奇行がある。
アントン・G わたし 物語の語り手。
リーザ リザヴェータ・ニコラーエヴナ
ダーリヤ
キリーロフ
レビャートキン大尉
シャートフ
リプーチン
ペトルーシャ ヴェルホヴェンスキー氏の息子。
プラスコーヴィヤ リザヴェータの母。
ワルワーラ夫人の性格
”夫人が何にもましてがまんできなかったのは、裏にまわってこそこそと陰口を叩くやり方で、つねに正々堂々とした戦いを好んでいた。” (p390)
【物語】
ワルワーラ夫人とヴェルホヴェンスキー氏との関係で話は進んでいく。
ワルワーラ夫人の勧めで、ヴェルホヴェンスキー氏とリーザとの結婚話が持ち上がる。
第1部の後半に一気に物語は急転回する。
レビャートキン大尉がスタヴローギンを脅し、ワルワーラ夫人に匿名の手紙を出していたことが暴露される。
スタヴローギンの帰国。
シャートフが、いきなり、スタヴローギンを公衆の面前で殴る。
[レビュー]
ヴェルホヴェンスキー氏とワルワーラ夫人の会話劇が中心で、物語が中々動きださない。
それが、後半、怒濤のように物語が進む。
彼の物語るテクニックにおいて、この『悪霊』だけでなく、まず、行動、言動のその反響をまず書き、そして、その実際の言動、行動を書くというものがある。
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作品自体は面白そう。まだ事件も起こっておらず、登場人物のやり取りが行われているところ。いずれの人もどこかおかしいところがあり、なにかが起こる気配がある。
登場人物の数もなんとか覚え切れるくらいに収まっている(私にはこれ重要)。
ただ、巻末の読書ガイドを真面目に読んでいたところ、このあとの大まかな展開と思われることが書かれており、楽しみの大きな部分を奪われた感じがする。非常に残念。本作品を読みたい人は、読書ガイドを読まないようにするか、自信がなければ他書を読むのがよいかと思う。
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殺人とか反社会主義とか神がかりとか、ドストエフスキーおなじみの要素満載。登場人物が意図的にせよそうでないでせよ狂いすぎていて、感情移入して読むにはキツイ。しかも救いがない分やや胃もたれ。
古典を読んで思うのは聖書やらのモチーフに関する知識がないせいで解説がないとキツイ。
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ロシア人って、こんなにしゃべるんだろうか?
でも好き。
巻末の読書案内も分かりやすくて良いです。
訳は昔なじみの新潮文庫のほうが好き。