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マルクスが26歳の時に書き著した草案。
全体を通して感じることは、
労働者の隷属状態に対しての批判。
これが書かれたのは1844年。
産業革命は1700年代後半からイギリスでおこっていった。
マルクスはドイツ人だ。
この時にはドイツにも産業革命の波は届いていただろう。
波とは、工業化の波である。
前提として意識しておきたいのは、マルクスの批判しているのはこの時代の主産業が工業であるということだ。
工場というのは、
なるだけ24時間フル稼働させている方が工場にとって利益が出る構造になっている。
すなわち、労働者にとっての長時間労働が工場主にとっての利益につながる。
自然と労働者をできるだけ長時間働かせて、フル稼働で工場を動かそうとするインセンティブが工場側に働く。
といった背景がある。
マルクスは、
労働者のことを奴隷とし、
労働のことを奴隷労働と言っている。
資本家が労働者を牛耳っていると見ているからだ。
結果的には、
失敗したマルクス主義であるが、
何故マルクス主義はあれほどに世界を巻き込み影響を与えたのか?
その中に含まれる今でも通用するような原則はなにか?
などの視点を持って見てみても非常に面白い。
マルクスはシンプルに言って何を書いてるのか?
お金と人のこの世界で、
在るべき関係性だ。
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「賃金を決定する際の、これだけは外せない最低限の基準は、労働期間中の労働者の生活が維持できることと、労働者が家族を扶養でき、労働者という種族が死に絶えないこととに置かれる。」(p18)
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「経済学・哲学草稿」は、昔、岩波文庫を買ったことがあり、長い間――数十年間(笑)――持っていたのだが、結局、中をチラと覗いたっきり、1ページも読まないで棄ててしまった。
なぜ読まなかったかといえば、もちろん難しかったから。
いや、1ページも読んでないんで、難しかったかどうかもわからん。
難しそうに感じたからというのが正確か。なんか漢字も多かったし。
そして実際読んでもやっぱり難しかったはずである。
なんせマルクスの本ですから。
ところで、長谷川宏という人の名前は、ヘーゲルをわかりやすく訳した人らしいということをどこかで聞いていて、光文社古典新訳文庫もなかなか粒のそろったラインナップで、表紙のデザインもいいので、つい手にとってみた。
冒頭、こういうふうに始まる。
「賃金は、資本家と労働者の敵対する闘争によって決まってくる。資本家の勝利は動かない。資本家が労働者なしで生きのびられる期間は、労働者が資本家なしで生きのびられる期間より長いからだ。」(第一草稿「賃金」p17)
なんと、非常に分かりやすい。
「賃金を決定する際の、これだけは外せない最低限の基準は、労働期間中の労働者の生活が維持できることと、労働者が家族を扶養でき、労働者という種族が死に絶えないこととに置かれる。通常の賃金は、アダム・スミスによれば、ただの人間として生きていくこと、つまり、家畜なみの生存に見合う最低線に抑えられている。」(同p18)
「労働者は、資本家がもうけるときいっしょにもうけにあずかるとは限らないが、資本家が損をすれば必ずいっしょに損をする」(同p19)
「労働者と資本家がともに苦境にあるとき、労働者は生きていけるかどうかで苦しんでいるが、資本家は金もうけできるかどうかで苦しんでいる」(同p20)
かっこいいなマルクス。
「分業の細密化は、労働者をますます一面的かつ従属的な存在とし、とともに、人間同士の競争だけでなく、機械との競争までも招きよせる。労働者が機械に転落したとなると、機械が競争相手になるというわけだ。」(同p23-24)
「国民経済学はプロレタリアを――つまり、資本も地代もなく、純粋に労働によって、すなわち一面的・抽象的な労働によって生きていく人間を――労働する者としか見ない。そこで、プロレタリアは、すべての馬と同じく、働くことができる程度に稼がねばならない。それが国民経済学の掲げる命題だ。国民経済学は働いていないときのプロレタリア――人間としてのプロレタリア――を考察の対象とすることがない。その考察は、刑事裁判所や医者や宗教や統計表や政治や乞食や取り締まり官にゆだねられている。」(同p28-29)
正直、分からないところもあちこちあるが、ずいぶん理解しやすい。
これはありがたい。
マルクスがこの「経済学・哲学草稿」を書いたのは、なんと26歳のときだ。
凄い人は凄いとしかいいようがないな。
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初マルクス。
言葉は平易だが、内容は難しい。
この本はある程度マルクスを読んだ人が読むものではないか。音楽で言うとブートレグ版みたいな。もうスタジオ・アルバムやライブ盤は一通り聴いていて、なんでもいいから新しいものを聴きたい人が手に取るもの。