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白魔(びゃくま) みんなのレビュー

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一般書

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みんなのレビュー20件

みんなの評価3.7

評価内訳

20 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

日常世界では取り立てて存在感をアピールしない人物たちのことが、積極的な表現を避けて書かれている。だがしかし、彼らこそが魔境に選ばれる資質を備えた者なのだ。表現し切ることを慎重に拒む、マッケンの幻想怪奇世界。

2009/05/01 21:16

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 空想物語を愛したり、求めたりするというのは、単に日常の俗を離れ、しばし不思議な世界や美しい夢のなかで遊んでいたいという逃避志向だけで済むものではない。そういう欲が昂じると、あるいは端からそうだったのかもしれないが、今ここにある己が五感の限界を超え、何か別のものを感じられはしないか、その力が目覚めれば、これまでとはまったく異なる域にいる自分を発見できるのではないかという期待が徐々に強まってくる。アーサー・マッケンの小説は、そのような期待をふくらませる危険をはらんでいる。
 だがしかし、これまでとは違う域に達したとき、「これこそが本来あるべき自分の姿」と納得できるのか、「幸せで満たされていて、もう過去には戻りたくない」と至福を満喫できるのか、そのように良い状態が獲得できるかどうかは伺い知れない。より良い状態が保証されないからこそ、私も含め多くの人は、そうした「域」に思い切って身を投げ出す覚悟ができず、自分の五感自体をセーブし、鍵をかけてしまっているのもしれない。
 在野の博物学者・南方熊楠は新奇の植物・菌類を求め、熊野の杣(そま)道を獣のようにずんずんと登り下りしながら、頭が明晰な状態で、向こうの世界のものと自在に触れ合い、意思疎通をしていたらしい。時に、遠くが分かる神通力やアラヤ識で新種の植物を見つけたとも言われる(津本陽『巨人伝』より)。熊楠はいわゆる「幻視者」という異脳の人物だったのである。

 本書『白魔』のなかには表題作のほか、それと同じ中篇の「生活のかけら」、小品集『翡翠の飾り』中の3篇が収められている。いずれも「幻視者」が書かれている。熊楠のような実在の人物ではなく、小説上の人物なのだが、愉快なのは、誰もがこの世ではさしてキャラ立ちしていない点だ。英国ウェールズの田舎に、こういう少女、こういう男性がいたということで、彼らが本来は魔界に生きるべき人だったという内容なのだが、ガンダルフやゲド、ハリー・ポッターのようなくっきりしたキャラクターではない。
 例えば、自分の家の近所にひっそり一人暮らしをしているお年寄りがいるとして、その人が実は妖術の遣い手であり、その事実を誰も知り得ないという、そういう存在感だ。取り立てて存在感をアピールしない人物たちのことが、積極的な表現を避けて書かれている。
 こういう背景や性格を持つ人物がこう発言した、こう行動したというオーソドックスな物語が構築されるのではなく、むしろ消極的な表現で、表現を引き算した後の「歯欠けの櫛」のように提示される。何とも不思議な小説である。その不思議さが空想を誘い、自由な類推を許してくれるのが楽しい。一方で、それゆえの分かりにくさもあると言える。

「白魔」は、隠者アンブローズと来客コットグレーヴの問答で始まる。「魔の道と聖者の道の二つだけがほんとうの実在」という隠者のテーゼで始まり、悪というものが我々がふだんそう呼ぶものとは異なって常に無意識のものであり、社会生活や社会の掟とは無関係で「魂の孤独な情熱」ないしは「孤独な魂の情熱」だという話に展開していく。
 隠者と来客の問答が外枠として与えられたあと、小説本体は、来客が隠者に貸してもらった緑(やはり怪しげなものは緑)の手帳の中身になっている。手帳は、乳母に感化されて魔女としての自分に目覚めていく少女の手記だ。私小説であれ本格小説であれ、小説は事物や自分の内面を客観化して物語にするものである。その客観性と物語化が小説の本質なのであろうが、幼い少女の手記であるから、客観的に自分や出来事を説明するのではなく、こういうことがあった、ああいうものが見えたと書かれている。
 したがって、「意識の流れ」を追ったモダニズム小説のように、例えばフォークナー『響きと怒り』のベンジャミンという白痴の意識を追うように、注意深く読み、解釈することが求められる。面倒だと思ってしまうならば楽しみにくい。巻末に丁寧で分かりやすい作品解題はついているが……。
 読んでいてふっと、魔法の呪文のような意味不明の文言を散りばめたT-REXの歌が聞こえてきた。「魔法使いに弟子入りしたこともあるというマーク・ボランも、おそらくアーサー・マッケンを愛読していたに違いない」と確信しながら読んだ。

それで、わたしたちは坐り込んで、乳母が秘密の隠し場所から粘土の人形を取り出した。乳母は「御挨拶」しなければいけませんといって、やり方を教えるから見ていなさい、といった。そうして、あの小さな泥人形でもって、いろいろと変なことをした。ゆっくり歩いて来たのに、乳母は身体じゅう汗びっしょりだった。(中略)それから乳母は言った――この粘土の男は、うんと可愛がってやれば、言うことをよくきく。これを使って何かするとか、人が憎いとかいう時にも役立つ。ただ、その時どきでちがうことをしなければいけない(P61-62)
 緑の手帳の中身はこのようなものである。

「生活のかけら」は物語に外枠が設けられていない分、より唐突で、「白魔」よりさらに不意打ちされる感じがある。
 朝、夢から覚めたダーネルという男性が、朝食の席で妻とお金の話をするところから話は始まる。妻が叔母から譲り受けた100ポンドという臨時収入をめぐり、内装を整えるための家具がいくらにつくだの、ストーブ燃料の石炭が高いだのといった生っぽい会話が交わされるし、ダーネルの勤め先もロンドンの金融街シティである。
 ところが彼は、そういう日常が徐々に別の世界に侵食されていくのを感じる。そして妻に「昔の血が昔の国へ呼んでいるのさ。僕は自分がシティの事務員だってことを忘れかけていたよ」(P227)と語る。そう語る彼が一体どうなってしまうのかについて、しばらく書かれるのだが、それが突然、「エドワード・ダーネルと妻メアリーの物語をこれ以上続けることは不可能だろう。この時点から、かれらの伝説はあり得ない出来事に満ち、聖杯の物語に似通ってくるからである。(P239)」と断ち切られてしまう。読者はそのような扱いを受け、ダーネルのちょっとした消息を知らされ、そこから彼がどうなったのかを想像するしかなくなるのである。

「魔」や「魔法」については慎重に語られねばならず、そういったことについて大っぴらに語れば我が身に降りかかってくるものがあるかもしれないという畏怖が、かつて英国の人びとの意識にはあった。それゆえ、小説として扱うときにも、それに見合った密やかな表現が選ばれている。
「さあ、どうぞ、どうぞ、いらっしゃいまし。魔法の世界で存分に楽しんでいってください」というサービス精神ふんだんなファンタジーではなく、「もし、幻想的なものに惹かれるのならば……」という控え目な誘い。わっと心臓にショックを与えられるのではなく、ぞわっと肌に粟が生じる感覚。 部屋の薄暗がりでひっそり読んでいると、いずれ我が身も薄暗がりの中に溶け込んでいくのではないかと思えてくる。そういう感じが面白い。

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紙の本

生活のかけらといえどもあなどれない。

2009/05/23 21:42

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:野棘かな - この投稿者のレビュー一覧を見る

生活のかけらといえどもあなどれない。
歯車のように小さなそれ一つがおかしくなると、すべてがおかしくなる。
かけらといえどもそれは生活の全体を包括するのだから。

生活のかけらほどの日々の営みには必要のない些細な記憶のはずだったのに実はとても根が深いものだった。
目に見える上の部分はちっぽけなものなのに、目にみえない下の部分が根っこのように広がっていた。
そして、いつのまにか心の深層部分から泉のように湧き出て生活の中心をとらえ居座ってしまっていた。
本当の自分を思い出してしまった以上そこから先はよくある心の旅が始まるだけ。
過去の素晴らしい物語アーサー王伝説、指輪物語、果てしない物語etc、それらと同じように、果てしなく続く内面の旅がはじまる。

ちまちました生活描写には正直うんざりしたが忍耐強く投げ出さないで読んだ。
煩わしき単調な日常にいる自分との対比、その振れ幅が大きければ大きいほど、やっと思い出した本当の自分がよりがミステリアスに思える。
作家が一番伝えたいことは、それからの心の旅ではなく、本当の自分を思い出すことだから、それ以上はよくある物語になるので書く必要はないだろう。
それなら、その後の物語は、過去の名作からリンクさせて想像すればいいことだと納得した。
読み手それぞれが、この物語から本当の自分を思い出し、生き方を変えたり、それぞれの使命を知りそれに合った旅をすればいい、たとえ、気がつかない人がいたとしても決して不幸ではない。

白魔は、隠者アンブローズと来客コットグレーヴとの対話という形式で、緑の手帳の手記について、両者の会話の中でマッケンの考えを語らせている。
収められた「翡翠の首飾り」よりの数編の物語も含めて、土着の言い伝えとともに、カソリック教徒ととしての隠された意図があるようにも思える。
その時代の女性への社会的禁欲的圧力は、私の好きなユングより、フロイトにおおいに語っていただきたい内容でもある。
禁欲がもたらす女のヒステリーの1種で、妄想で現実を描いているというのか、禁欲の閉じられた性から肉体の恍惚、そして五感をこえた世界へと女たちが平気で笑いながら行き来すると、マッケンは男として妄想しているのか。
たとえ少女といえど女、そして、女から女へと秘密の儀式や道具の使い方、呪文を、女たちは魔女のごとく、あやしく受け継いでいくというのか。
土や花や葉や木や石や小川を絵の具にして、様々な風景というキャンバスに、言葉をパレットにのせて呪文のように吹き付けられた怪しい幻想の世界。

マッケンの作品は、初めて読んだのですが、なんて似ているのだろうとちょっとびっくりしました。
ウェールズの風景は、イギリスで一番私も好き、自然描写の仕方やそこから受けたインスピレーション、表現する言葉など、私も同じ表現を考えていたと言いたい。
けれど、マッケンの方が先に生まれて興味深い人生を終えているのだから完璧に負けだ。

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紙の本

幻想の棲む土地

2010/05/30 23:50

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る

「白魔」「生活のかけら」の二編の邪悪ともなんともつかない幻想譚。
「白魔」では純真な少女が次第に魔界に足を踏み込んでいくストーリーで、まったく素朴な探究心によって神秘的な風景に分け入っているのだが、ところどころにふと入り込む秘密の匂いが、幻想の異なった断面を想起させて狂おしくさせる。
「生活のかけら」もまた、ごく普通の生活を送っていた人物が、少しずつ異世界への入り口へと近づいていく様が描かれている。こちらはまったく一般の社会人であるのだが、生活に追われる中で少しずつ兆しが入り込んで来るのだが、物語は唐突なところで終わる。何らかの事情で執筆途中で残りが続けられなくなり、結びだけをとって付けたようにも見える。しかし俗世から遠いところに行ってしまったその先より、平凡な日常の至る所にその入り口が潜んでいるということを現そうとしているのであれば、それもありかとも思うようになった。どんな人間にでも聖なるものへの憧れがあり、同時に先祖から伝わる血脈と、代々暮らしていた土地の精霊に包まれていて、ちょっとしたきっかけで見えない世界へと足を踏み入れることも何ら不思議ではないのだと。
両作とも、イギリスの自然豊かな環境の中に、聖的なものであれ魔的なものであれ神秘の世界が広がっているという感覚は共通しており、それらは森や草原であったり、岩だらけの荒涼とした地帯であったりし、そこいローマ人などの古い遺跡や精霊が息づいている。幻想はどこからともなく訪れる空虚なものではなく、大地に根づいた確かな実在であって、それが眼に見えるかどうかの違いだけなのだという意識に基づいているのだろう。そうした世界に僕らはいつでも戻っていけると考えられることは幸せなことだ。そうした世界に取り巻かれていると思えることは幸せだ。そこから帰ってこなくていいと思えることは幸せだ。
「白魔」では少女の畏れと大胆さによる展開で読まされるが、「生活のかけら」では何の不安もない大人の精神による探求の物語であり、幻想小説としては後者の方がむしろ異色かもしれない。そこに一層の説得力というと変だが、破滅臭の無い静かな退嬰の匂いもまた心地よい。
最後に「翡翠の飾り」よりという3掌編があり、いずれも散文詩のような幻想の断片だが、それらも日常の中に当たり前のように異世界の入り口を認める、静かな幻想と読めるかもしれない。

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白魔

2016/11/07 13:18

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:によ - この投稿者のレビュー一覧を見る

あぁ、うつくしい幻想小説。
イギリスの自然と少女たちや男性の幻想が解け合った妖しい魔の世界は素敵な具合にくらくらする。
(やっぱり幻想と少女の組み合わせは素敵だと思う)

こういうの読むと、広げた風呂敷はきっちりたたまないと嫌!ってタイプじゃなくて良かったと心底思う。
読んでる間は夢にまで影響が出た。素敵。

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2009/02/12 17:42

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2011/02/16 11:54

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2011/07/20 03:09

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2011/09/15 20:49

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2014/10/01 21:51

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