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非日常に実在を見、日常をまやかしと見る。
どの作品も日常の生活に隠されて見えない実在(聖や魔)に登場人物たちが引き込まれていく物語。
直接的な描写はなく、あくまで「何か違うもの」に対しての象徴や予感を静かに描く。
物語としてははっきりしないものが多いが、見えない真実、本当の生きる意味、どこかにあるという確信のもつやさしさ。
わけがわからない不気味さと共に、何故か癒される作品群。
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“魔”という文字が入っているけど、そんなに恐ろしかったりおぞましかったりはしない。ほんのり妖しくてほんのりエロティックな感じ。
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だらだらと日常が書かれるので少し退屈しますが、最後まで読むと少しずつ狂気に落ちていっていた事に気づく。人間の中に隠された悪や狂気を解き放つマッケンは読む人を少し選ぶかもしれない。
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恐怖というものは脳で理解できない。確かに脳で処理をして「恐怖」を認知するのだろう。しかし、原始反射などの生物的な、もっとも生物的な機構は脳を介さないのだ。・・・わかっただろう。恐怖は脳を――脳を――受け付けない!あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
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表題作よりも「生活のかけら」に引き込まれた。序盤は19世紀の終わりから20世紀の始め頃の英国庶民の生活が主人公の目を通して語られ、文化や時代の違いが楽しめる。現代語による新訳も手伝ってか、非常に読みやすくスラスラと頭の中に入ってくる。
中盤以降は徐々に幻想的な夢や記憶が主人公の考え方を変えていき、やがては物質主義、拝金主義の文明批判と自然回帰に繋がっていく。ここで主人公の夢や記憶に関する描写が幻想的でありつつも具体的で、想像力を掻きたてられる。
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時間を忘れて、じっくり、じっくり読みたい本。
一つ一つの言葉を噛みしめながら、素晴らしい幻想世界を想像したい。
『白魔』を読んでいて、一つの絵画作品をみているような気になりました。
言葉の言い回しや表現がとても美しい。
何事もない平穏な日常から気がつけば幻想の世界に引き込まれているといった描写も見事でした。
気がつけば、ボクもこの本を通じて幻想の中に引き込まれていました。
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中学生の頃ぐらいだったと思うが、ダイヤモンドというのは実は炭素である、ということを知った。また、いつだったか経済?か何かを勉強している時に、宝石の価格が高いのはその宝石自体にそれだけの価値があるというよりは、世の中に物理的な量が少ないから相対的に価値が高くなっている、ということを感覚的に知った。こういう知識がついてしまった私は、宝石に狂奔する人達を何となく白けた気持ちで見てしまうようになっていた。
しかし『白魔』のようなものを読むと、宝石それ自体の美しさについて考えてしまう。『白魔』は具体的に宝石が出てくる話ではないのだが、そこで表現される世界を宝石に例えたくなってしまう。きらっと光る日常の断片。妖しげな光もある。表題作の「白魔」が特によかった。
しかし、何度も行きつ戻りつ読み直しになった小説でもあった。話の主筋があちこちへ散乱しているような印象を受けるからではないかと思う。まるまる体の中に入れて、好きな時に好きなところを取り出してみるのがよい小説なのかなと思う。
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なんだろう、言い回しがくどい? 邦訳のさいにそうなったのか、原文がそうなのか。
新訳なのに読みにくい。
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『新編 バベルの図書館 3 イギリス編Ⅱ』に収録されていた短篇が面白かったので、こちらも買ってみた。
怪奇小説というよりファンタジー小説。表題作も良かったが、『生活のかけら』が面白かった。
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私には、まだ少し読む時期が早かったのかもしれません。
幻想・怪奇小説は好きだけれど、
この作品の表題作「白魔」は、おどろおどろしいお話ではない。
ただ、知らず知らずのうちに魔に取り込まれていくような感じ。
ある一人の少女の手記に記された「白い人」とは??
新訳は読み易いのですが、何故だか内容が頭に入って来ない(笑)
何度前のページに戻って読み直した事か……
「生活のかけら」はサクサク読めたものの、イマイチ面白さ分からず。
中盤以降、徐々に若夫婦の日常に怪しい影が忍び寄ってくる。
そのあたりからは面白く読む事ができたかな。
気力のある時にもう一度読み直したい、と思いました^^;
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1/19 表題作「白魔」のみ再読。
今度はじっくりと読み直してみた。昨日よりも理解できました(笑)
乳母の語る物語が面白く、こちらをメインに読んでみたいかもなんて。
幻想的で美しい描写が多く、
ふわふわと出口のない森の中を彷徨っているような不思議な感覚。
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あぁ、うつくしい幻想小説。イギリスの自然と少女たちや男性の幻想が解け合った妖しい魔の世界は素敵な具合にくらくらする。(やっぱり幻想と少女の組み合わせは素敵だと思う)こういうの読むと、広げた風呂敷はきっちりたたまないと嫌!ってタイプじゃなくて良かったと心底思う。読んでる間は夢にまで影響が出た。素敵。
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なんか自分には染み入らなかった。常々へんてこに対する人間の苦悩恐怖もがき羞恥、そういうのを追いかけてる気がするが、この作品は自分には美しいファンタジックな世界への賛美としか感じとれず薄味だった。丁寧に作られた郷土料理をふるまわれ、素材の良さを感じ取れなかったみたいな。
冒頭に、聖者とは罪人とはその本質を
語る部分がある。我々は自分にとって不愉快な人間を罪人と考えたがるが、その行動事態は人情である。盗人は未発達な人間にすぎない。悪とは関係ない。非常に興味深い匂わせが書かれているがそれが具体的じゃなかった。
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表題作は「パンの大神」や、NLQ.Vol17収録の「変容」を読んでいたからか、あぁマッケンってこういうテイストよね―と読めたのだが、「生活のかけら」はどうもわからない。中盤から何やら事件が起こって物語が大きく動き出しそうなエピソードはあるのに、そこはろくに回収されないまま終盤もよくわからない方向へ行って物語が終わる。中編といっていい長さだけど、じつはまだ続きがあったんじゃないかとも感じられる。
『翡翠の飾り』からの三編は、肝心な描写を避けて物語を放り出したような感じだが、最後の「儀式」は魔女伝承と思春期を迎えた少女の精神の不安定さ、女性に対する著者マッケンの不可解さを伴う神聖視みたいな、「パンの大神」や「白魔」、「変容」に通じるテーマがあったようにも思った―と苦し紛れな感想。
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完全にあっちの世界に行っちゃてるのがファンタジーで、狂気か神秘か、現実とのあやふやな境界を行ったり来たりするのが幻想小説あるいは怪奇小説である。これは現実なのか脳内で起きてる狂気なのか。現実って何だ?「白魔」は善悪論争から始まる。殺人者と虎のような野蛮な人間の違いは何か。悪の基準は社会の色眼鏡で見たものに過ぎない。悪意なく悪事を働くこともある。違いは悪意の有無?その具体例として借りた一冊のノート。それは一人の心優しい女性が白い妖魔たちに囲まれて育ち周囲に隠れて常識人には悪である向こうの国に行き来した手記だった。マッケンは神秘を否定する人物を登場させながらその存在を肯定する。「生活のかけら」は幸せな若い夫婦の日常の中で、神秘に触れる周囲の人たちを笑いながら、徐々に昔の記憶が蘇り妻を怯えさせながら向こうの世界に引き込まれてしまう男の話だ。そうなると神秘の描写は一貫しマッケンの筆は冴え渡る。ウェールズで生まれた幻想小説の巨匠マッケンの小説の登場人物はそこに幸福を見つけるが、読者を不安定な気分にさせる。マッケンが子供の頃に夢見たことへの郷愁と大人の常識目線による不信感を併せ持つから。つまり彼自身が妄想好きな常識人だったからだろう。ピーターパンや不思議の国のアリスと違い、マッケンの小説がファンタジーにならないのは、未知なるものへの不安を感じさせるからに他ならない。
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ヴィクトリア朝時代の英国ウェールズに産まれた稀代の作家アーサー・マッケン。牧師の子であったがアーサー王伝説の色濃いウェールズで育った故か、神学と同時に隠秘学(オカルト)にも傾倒し、前期はケルト神話やギリシア神話をモチーフとした幻想的な怪奇小説を連続して発表したが、いずれも当時の価値観に合わず「不道徳な汚物文学」として批判された。
本書は翻訳家である南條竹則による「彼岸」と「女性」をテーマにしたマッケン作品の選集である。
以下、ネタバレ無しの各話感想。
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『白魔』
緑色の手帳に残された少女の手記。幼少の頃より人ならざる存在を認識していた彼女はある日、迷い込んだ森のなかで「白い人」に魅せられたことを機に、この世ならざる世界に足を踏み入れるようになる――。
(東雅夫曰く「マッケン流妖術小説の極北」。怪奇小説ではあるが、どちらかというと少々恐怖演出のあるファンタジーの体でなんとも幻想的な作品。本作で散見されるアクロ文字などの独特な単語は、やがて形を変えてクトゥルフ神話に取り込まれることになる。平井呈一が「渦巻」と訳した箇所を南條は「ヴーア」と固有名詞として訳しているので、平井呈一訳に不満があるクトゥルフ神話のファンはぜひこちらも読んでみてほしい。)
『生活のかけら』
平凡な銀行員であるダーネル。ある日、妻の叔母から百ポンドの小切手が送られ、妻と使い道について意見を重ねていく。また、空き室を誰に貸すかという問題や女中の交際相手に対する問題、更に叔父の浮気疑惑まで飛び出し、ダーネルの周囲は俄に騒がしくなっていく――。
(最初は平凡な銀行員の周囲で巻き起こる騒ぎを描いているだけと思いきや、所々に非日常的なナニカを飛び出させて、これがそういうものではないことをアピールしてくる。しかし不気味ではあるものの恐怖感は薄く、幻想的な不穏さを漂わせるに留まっている。そこまでの展開や結末を含め、ラヴクラフトを経験している人であれば受け入れやすい内容だろう。)
『翡翠の飾り』
同名の短編集からテーマに合った3つの掌編を選出。いずれも占いにハマった女子学生のように、魔道に入り込んでいく少女たちの姿を幻想的に描いている。
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※余談
マッケンが生活していた時代の英国において、妖精の存在は現在までに伝わる「虫の羽根の生えた小人」といった扱いで、良く言えば洗練、悪く言えば歪曲されていた。一方でイングランド以外の地域には原型としての妖精譚が残っており、それがマッケンの作風に影響を与えたとされている。
またラフカディオ・ハーン、小泉八雲はマッケンと同時代の人間であり、アイルランド人である父親の影響もあってケルト文化、ひいては妖精の伝承も嗜んでいたことは、日本を「小さな妖精の国」と呼んだことからも明らかだ。ヨーロッパの妖精とアジアの妖怪の特性が似通っていることから、八雲が妖怪の伝承に入れ込んだように、もしマッケンが日本に来ていたら、同じように妖怪にハマったかもしれない。