紙の本
まじ、見えないそうです。知らなかった。
2012/01/27 23:38
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:とりちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「答え、全く見えません」って、見えるんじゃないんですか。「月から見える唯一の人口建造物」として。そう聞きましたが、都市伝説だそうです。月からはもちろん、地球を周回する衛星軌道からも見えないそうです。幅10mの長城は35kmの高度で見えなくなる、衛星やスペースシャトルの軌道は地上から300~400kmなので、不可能、ましてや月は地球から38万km、全く不可能。ただ「月から見える」という言説は、万里の長城がヨーロッパへ紹介されたときに、ヨーロッパ人が言い出したものだそうで、19世紀末期(まだ人工衛星の企画もない時代)に、「月から見える長城」のイメージがヨーロッパに広まっていたそうで、それが中国に逆輸入されて、中国で自慢の種にしていたら、中国人宇宙飛行士が「見えませんでした」と語って、国語の教科書にも「見える」としていたため、大問題になって軌道修正された、とのことです。今日は月食見ました。
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「宇宙から見える人造物」と言われた万里の長城、実は…見えない。中国全土が大騒ぎして歴史的事件にまでなってしまった「長城騒動」を検証する、オモシロ本。…オモシロ本らしいですよ。
他館発注。
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見えるのかと言えば、見えない。
当然なのだが、ではなぜ何時からそんな言葉が流布され、且つ彼の国ではどんな意味を持ってきて、これからどうなるのか。
とっても面白い。物理の本ではありません。
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「月から(あるいは宇宙から)万里の長城が(肉眼で)見える」という都市伝説を検証した本。結局はうそっぱちなのだが,多くの文献を渉猟して,なぜそんな話が生れたのかまで考察する。
中国の宇宙開発で2003年に初の有人飛行をやったとき,帰還した飛行士が「長城見えなかったよ」と言って騒動になったらしい。日本ではあまり知られていないが,中国では国民的議論になったという。なんせ,教科書にも「万里の長城宇宙から見える」旨の記述があって,それを削除すべきかで侃々諤々。
たまたまその宇宙飛行士が運悪く見えなかったのではなくて,幅10メートルの長城が高度300kmの上空から見えないであろうことは,過去に何度も指摘されてきた。3km先から10cmの物を見るのと同じだから,双眼鏡でもない限りちょっと無理だろう。38万km遠くの月からなんて絶対無理だ。
ではなぜそんなガセネタが広まったのか?結局18世紀西洋のオリエンタル趣味から,万里の長城のすごさに尾鰭がついて,当初は修辞的形容だった「月の人にも見える」がどんどん変容していった。宇宙時代が来て,アポロ以降には「アームストロングが見えたと言ってた」までエスカレート。
もう百年も前から,科学者等によって否定がなされてきたが,なかなか普及せずこの都市伝説は生き残ってきた。2006年のNHK番組「探検ロマン世界遺産」でも放映されたとの由。結局,突飛でオモシロイ言説が根拠なしに信じられ,それに水を差す科学的意見は無視されるという,まあ都市伝説の都市伝説たるゆえんの作用が生み出したお話ということ。ちょっと前にQWERTY配列についてもそんな話を読んだな。
中国のすごいとこは,「アメリカ人が言い出したうそっぱち長城伝説に,我が国の宇宙飛行士が終止符を打った」と得意気なとこ。国威発揚に散々使っておきながら…。月へ行ったアメリカの宇宙飛行士たちは,一貫して明確に否定してたのに,いい面の皮だよな。
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中国の文化についていつも面白おかしくそして深く考察し、読者を中国文化の深層に誘ってくれる北海道大学教授武田雅哉先生の新刊です。タイトルに「万里の長城は月から見えるの?」と言っておきながら冒頭から「見えません」と即答しています。「万里の長城は地球から見える唯一(もしくはオランダの大堤防と2つだけ)の人工建造物」というフレーズは私も何度も聞いたことがあり、それに対してとくに疑問の何も持ちませんでした。まあ授業でこのことに触れたこともないので要するにとくに関心がなかったというだけですが、この本はのっけから「見えない」と断言していることからも分かるとおり、万里の長城が月(ないしは宇宙)から見える・見えないを科学的に考察した本ではありません。「月から見える」神話がどのように形成され、それに対して中国人がどのような態度をとってきたかを探り、ここから中国人の心性にアプローチする内容となっています。
もともと、「月(宇宙)から長城が見える」という神話は中国を見聞した西洋人によってまことしやかに囁かれていた中国文明が生んだ巨大建築を誇張的に形容する言葉でした。最初は「月の人」が長城を見ているとされ、それが19~20世紀前半になると月に住む知的生命体に、そして「天文学者の意見」と宇宙時代にふさわしい権威付けがなされました。そして1969年アームスロトングが月に降り立つと「彼が実際に見た」と(本人は言っていないにもかかわらず!)され、中国人に自分たちの文明への誇りと愛国心をもって受け入れられ、さまざまなメディアや教科書に取り上げられ、それは自明のものとなりました。そしてここから面白くなります。2003年、中国人初の宇宙飛行士となった楊利偉氏が地球帰還後のインタビューで「見えなかった」と言ったものだから中国では大騒動となります。客観的に考えれば、見えるはずはない(視力1.0の人だと幅約10メートルの長城は約35キロ上空で見えなくなるが、宇宙船は地球の軌道上を高度350キロで周回する。ちなみに月と地球の距離は38万キロ)のですが、これを素直に受け入れられない中国人は2つの態度をとります。一つは、「アメリカ人のでたらめな言葉を、正直な中国人が勇気を持って科学的態度でただした」という態度で、これだと中国人のプライドは傷つけられません。またもう一つの態度は、日本式に言うと「鳴かぬなら鳴かせてみしょうホトトギス」、つまりどうにかして宇宙から(月からはさすがに無茶だと分かっていたようで)見えるようにしようと、長城をサーチライトで照らしたり、肉眼で・・・のはずが望遠鏡などを使ってまで見よう(見せよう)としました。何か昔テレビタックルでやってたたま出版の韮沢さんと科学者の大槻教授のギャグみたいな論争を国家規模で大まじめにするものだから面白くて仕方がありません。
このような中国人(中国文化)を日本人と相容れないといって切り捨てるのは簡単です。しかし、武田先生のようにこれらを楽しく見守る態度も大事だと思います。そして、何よりそちらの方が絶対に面白い!
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「万里の長城が月(宇宙)から見える」という都市伝説について。
普通に書くだけで十分なのに、面白く書こうとがんばってる感満載の文体にイライラする。
最初は特に我慢が必要。地が出たのか、あるいはつかみだけは頑張ってみたのか、進むにつれて文章が落ちいてくる。
興味深い題材という意味でそれなりに面白いけれど、書き方は(文体も姿勢も構成も)面白くない。
西洋の長城観は必要な部分のはずなのに無駄話に見える。大事なピースなのはわかるけど浮いている。絡んでない。
とりあえず中国人(の一部)にとっての「万里の」長城は、日本人(の一部)にとっての「万世一系のY染色体」みたいなもんらしいのはわかった。
月から見えるとか古いとか長いとかいう伝説(思い込み)について語っているにもかかわらず、証明が雑なのが気になる。
児童用教科書の寓話と検証のない専門書?とネットの噂を並べて書いてる人に「この言はいろいろごっちゃになってるから厳密に区別すべき」なんていわれても「お前が頑張れ」としか…
「月から見えそうなほど」大きいという比喩の言説と、見えるはずだという思い込みの言説はわけたほうがいいんじゃないかな。
西洋人のいう「アジアの誇張的表現」(”万里”の長城、とか)は、八百万や八百八町と同じ、「いっぱい」という意味の「例え話」にすぎない。
それがいつから「事実」に摩り替わってしまったのか。
宇宙が今より遠かった時代の神話と、宇宙に行ける時代の見てきた話。
西洋人のオリエンタリズムと、中国人の自国をよく思いたい心理。
これらのひとつひとつには納得できるのに、繋げちゃうからおかしくなる。
西洋人の思い込みが中国人に与えた影響を書かなければ(影響があったとしての話だけど)、月からも「見えそうな」長城→西洋人の描く長城→宇宙時代の西洋人の発言(お調子者によるリップサービス系ジョーク)→中国人の愛国心 という図式は成り立たない。
時系列に沿って並べただけで相関は書かれていないから、「月から見える万里の長城」という「それっぽい話」を検証する本だったはずなのに、それっぽいことを書いただけで終わっちゃってる。
受けを狙ってすべったような語り口は最後まで気に食わなかった。
ほのめかしや嫌味ったらしい書き方も嫌だ。
不満があるなら批判すればいいのに、真っ向から反論させない「からかい」の様式で逃げを打つのが気に入らない。
もしこれが中国で中国人向けに書かれたものであれば、不快さも少しは軽減されたかもしれない。
大きな流れに疑問を呈すため、その群に歯止めをかけるなら皮肉も武器になる。
でもこの本は無関係な日本で無関係な日本人を読者に想定して書かれている。
他人事なら他人事として思いっきり外からただ楽しめばいいものを、殊更に嗤ってみせる姿勢が不愉快。
「秦の毛人」の怪談(袁 枚(えんばい)『子不語』 毛深い山人。長城建設から逃げた人の末裔といわれ「長城を築け」と叫べば追い払える)
「飛騨の怪談http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/4840121710���や「お姫様とゴブリンの物語http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/4001120976」のゴブリンに似ている。
飛騨の怪談は中国の影響を受けているかもしれないけれど、追いやられる異形はどこも似た経路をたどるのかな。
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まず大前提として、タイトルの問は否、である。長細すぎて見えないそうな。
じゃあこの本は何?というと、この説が産まれた背景や、初の中国人宇宙飛行士の見えなかった証言から始まる一連の騒動を追いながら、中国をめぐる諸外国と、中国自身の想像力を覗こうという、著者曰く「長編エッセイ」。
で、この神話の始まりはどうも17世紀頃のヨーロッパ人が中国に来て、その大きさを表現するために、これは宇宙からも見えるに違いない!と書いたあたりから始まったっぽい。
で、天文学者をはじめ、色んな人がしばしば否定したものの、何時の間にか、20世紀に入るころには定着した模様。で、アームストロング船長の発言(のちに自ら訂正したけれども)で月から見えることになってしまう。
で、どうも見えない、となったときの中国での話が本書のミソ。教科書の話をどうする?アメリカがウソついたのを我らが中国の宇宙飛行士はホントのことを言ったetc…
ひとくくりに中国人、とするのは難しいですが、彼らの考え方や思考回路みたいなのをちょっと垣間見るような一冊。