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長崎で原爆にあい放射線を浴び不治の原子病患者として床にふす父親と、二人の幼い孤児予定者。とにかく、せつなく感動します。
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やはりキリスト教の思想は嫌いだ。
例えば原爆後の長崎に作られた孤児院について、オランダの宣教師が建てた孤児院は愛と希望に満ち溢れているといい、国が作ったものは働いている職員もろとも罵倒し非難する。読んでいて気分の悪くなる最悪の本だった。
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(2008.08.28読了)
「この子を残して―この世をやがて私は去らねばならぬのか!」
1945年8月9日長崎で被爆しながら診療に力を尽くしたが、病に倒れてしまった。妻は、原爆で死亡。子ども二人は、疎開していたため助かった。
自分はそんなに長く生きられない。子どもが一人前に成長する前に死んでしまう。
後に残る子供のために書き残した本です。親心がよく書きあらわされています。
1948年4月、下の子のカヤノは、入学しくお迎えました。入学式の付き添いは叔母さんが申し出たが、肉親である中学生の誠一を行かせることにした。二人で元気に出かけたが、カヤノが立ちどった。誠一が手を引いても動かない。
「みんな、お母さんに手をひかれている!カヤノは忘れていた事実をふいに思いださせらたのだった。」(168頁)
残念なのは、カトリック信者のために、普段宗教になじんでいない者にとっては、共感しがたい表現が出てくることです。
「人は生まれながら完全な幸福を求めている。完全な幸福は神と一致することであった。」(106頁)
妻が亡くなり、子供二人が残された。再婚を勧められた。女親がいたほうが、子供のためにいいことがあれこれある。でも、実の母を忘れてほしくない。あれこれ悩む様もつづられています。
長崎に落とされた原爆のために、孤児が沢山残された。施設がつくられ収容されたが、脱走者が多かったとか。なぜそうなのかを著者は考察している。
自分の子供も自分がなくなれば、孤児になる。他人ごとではない。
「純粋に孤児の側に立って考え、孤児の真の幸福のみを目的として建てられたのはいくらあるのだろうか?」(60頁)
所々にさし絵が入れてあります。著者が描いたものです。父親が医者でなかったら、画家を志したのかもしれません。
著者 永井隆
1908年2月3日 松江市生まれ
1928年 長崎医大入学
1932年 長崎医大卒業
1934年 カトリックの洗礼を受ける
1934年8月 結婚
1946年1月 長崎医大教授
1946年7月 長崎駅頭で倒れ、病床につく
1951年5月1日 逝去、享年43歳
(2008年9月2日・記)
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原発でひばくしたのだと思ったら、筆者はレントゲン技師だったというお話。
何度も読みましたがやはりピンとこなかった。
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ナガサキで被曝した一大学教授。妻を失い,自分も放射線に犯されていて,いつまで命が持つのか分からない。残されるのは,二人の兄妹だけ。この状況で,父親として何ができるのだろうか?
病床からこの兄妹の成長を見つめる父親の心の叫び。キリシタンでありながらも,ときどき頭をもたげる「普通の人」の感覚。
キリスト教への記述には,キリスト教徒ではない読者には違和感を感じるでしょう。それでも,「残して」去って行かざるを得ない父親の心境を赤裸々に語ったこの遺言書は,同じ子を持つ父親としてじーんと来るものがあります。
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カトリックの医者の被爆闘病記。戦後の浮浪児の話題など、世相がうかがい知れて興味深い。子を残して死んでゆく(母親は戦災死)父の悲哀がにじみ出ていて悲しいエッセー。
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爆心地から700mの長崎医大で被爆した著者は、白血病を負いつつ戦後の6年を生きた。
原爆投下の直後、医師である彼は、重傷を負いつつも、猖獗きわまる被災者たちの救護活動に明け暮れた。
明くる10日、帰宅した彼は、廃墟となった台所跡に、骨片だけに変わり果てた妻を見つけ、埋葬する。
偶々、祖母宅へ行っていた二人の子ども、兄と妹は原爆を免れ無事だった。
敬虔なカトリシズムと、放射線物理療法の医師という二面を併せもつこの高貴な魂は、自身の死期迫りくるなかで、この世に残しゆく幼い兄妹の身をさまざまに案じつつも、揺るぎのない信仰に支えられ、あくまで沈着に父からの二人への遺言の書として、日々の思いを綴っている。
それは、精神の桎梏が激しさを増すほどに、かえって高みへと昇華していく運動を示し、なればこそ、幼な児たちへと綴られた言葉は、狂おしいほどの愛となって、読む者に伝わりくるのだ。
青空文庫で読んだ。
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父親の子に対する愛情の深さが滲み出ている作品。
僕自身には信仰する宗教はないが、宗教が人を救うこともよくわかった。
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終戦70周年の夏に読んでみる。
著者はカトリック教徒の放射線専門家。長崎の原爆で妻を失い、自らも被曝。原爆症に苦しみながら、自分の死後に残される子供のことを思って書いた本だが、不思議と悲壮感はあまりない。子供たちへの愛情が伝わってくる。
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長崎の医学博士 永井隆の随筆。子供へのメッセージ、人生の目的、科学と宗教に共通する目標、戦争孤児への支援のありかた、医者の仕事とは何か、科学者の役割とは何か を伝えた本
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昭和20年8月9日。2日前の広島に続き、アメリカは長崎に原子
爆弾を投下した。被害は甚大だった。原子の光は人も、街も
焼き尽くした。
本書の著者である永井隆は放射線専門医として働く過程で
既に白血病を発症していた。この日、彼がいたのは爆心地
から700mの長崎医科大学の診療室。ここで被曝した。
重傷を負いながらも被災者の救援活動に動き回ったが、
原爆症を発症する。既に妻は原爆により自宅で亡くなり、
病身の彼には誠一とカヤノのふたりの子供が残された。
死は確実に近づいて来る。自分が亡きあと、ふたりの子供は
孤児となる運命なのだ。この子たちの行く末を思い、自らの
医師としての考え、父としての想いを綴ったエッセイだ。
著者はカソリックの洗礼を受けているので、考え方の根底には
信仰がある。一神教に馴染めない身としては理解しかねる
部分もあるのだが、子供を残して死に行く身である親の想い
には溢れるほどの愛があるのはわかる。
「この子を残して──この世をやがて私は去らねばならぬのか!」
この一文だけでも無念が伝わって来るではないか。それにして
も放射線医が原子爆弾の光の犠牲になるとは。なんたる皮肉。
なんたる運命なのか。
ただね、原爆投下を「神の御摂理」っていうのは理解出来ない
のだ。これも私が信仰を持っていないからなのだろうけれど。
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長崎旅行で知った永井隆。
旅行から戻り2カ月経って読んでみた。
医者が書いたから、どんな内容かと思えば
実に情熱的な内容だった。
どこか鼻につく「自分は特別な人間」という意識。
自分とは相容れないキリシタン思想、原発理想論。
正直、こういった考えとして賛同できるとかといえば
それは出来ない。ただ、この本は自分という存在が
消えてしまう前に子供たちに父親という自分を形として
遺そうという願いから書かれた本なのだ。それに自分が
どうこう言うものではないだろう。
子供らへ呼びかけるように書く。
それは将来の子供への呼びかけだ。
子供らとの思い出を綴る。
それは子供らをどんなに愛しているかを遺すためだ。
自分が死んだ後の子供を不安を記す。
それは子供らへの愛情とともに、周りの人々へ「子供達を
宜しくお願いします」と伝えた思いだ。
原爆で亡くなった著名な作家(医者)が何を残したか
そう思って手に取ったが、この本はそういうものでは
なかった。ただ長崎で暮らした子想いのキリシタンが
子供らに残した優しい遺書であった
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途中から、宗教色が強く抵抗感があった。
宗教色が強い部分は読み飛ばしていたが、半分ほど読んでやめた。
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著者が科学者であるのに、宗教心が強く地動説に異を唱えていたりと、あれと思ってしまった。が、宗教で人が救われるのであれば、それも良いと思えたし、厚い宗教心があったからこそ永井隆という人が立派だったのだと思う。
普段何気なく生きている我々だが、宗教心を持ちあわせていなくても、"神のみ栄の為に"と行動すれば有意義に生きていけそうな気がする。