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紙の本

ユングと曼荼羅の「女性原理」「身体性」「大地性」の内実を深める展開が必要

2010/04/10 12:37

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ホキー - この投稿者のレビュー一覧を見る

基調講演中のp.35や、これを受けての討論p.41,42で提示された、「ユングと曼荼羅」における「女性原理」・「身体性」・「大地性」という切り口の、内実を深める展開が必要である。
なぜならば、「意識」の原理が主導する現代社会に欠落した「無意識と意識の統合」の原理〔女性原理〕が、
取り戻されるさいの人間の、世界との接触のありよう〔身体性〕や、
そのありようが定着する(根を張る)さいの価値体系の姿〔大地性〕
を明らかにすることによってこそ、「ユング」心理学や「曼荼羅」が、単に知的好奇心を満たす抽象的な議論ではなく、現実の生活を支える基盤として機能すると考えるからである。

 その点、本書では、「女性原理」・「身体性」・「大地性」の切り口は、行(修行・メディテーション)や完全数の4(p.24)として、あっさり通過されてしまっている。この克服のために、基調講演や第1論文で取り上げられた大乗仏典『華厳経』が役に立つ。

第一論文それ自体の評価としては、論文というよりは紀行文のようである。ほぼ唯一の売りである大日如来と阿弥陀如来の対応は、大日如来の別名「大光明遍照」と阿弥陀如来のキャッチフレーズ「光明遍照」との類似を知る者には別段の驚きはない。
そこで、阿弥陀如来は、浄土宗の普及以降日本では、慈悲の象徴である「光明」の強調の結果、「太陽」よりも「月」の色彩が濃くなっていることから論を進めよう。
  ★
 阿弥陀如来の慈悲の心である「光明」を、「月の光」として捉えた例は、「月かげの いたらぬ里はなけれども ながむる人の 心にぞすむ」という、法然が詠んで浄土宗宗歌にもなっている『月かげ』が典型的である。「月かげ(月の光)」は、阿弥陀如来の慈悲の心の視覚化である。
 阿弥陀如来の「光明」に人間が照らされることによって、迷ったり悩んだりしている心に「光が差す」。『月かげ』は、その状態を「心にぞすむ」と言う。「すむ」には、「住む」・「澄む」・「済む」の三重の含意があるとされ、光明が心に届き、すなわち仏の慈悲が心に「住みつき」、心が「澄み」、精神的に救「済」されるのであるという。

こうした理解が、浄土宗や仏教の枠を飛び出すことで、われわれの身近な、現実の世界に根を下す。現代日本の創作漫画である『美少女戦士セーラームーン』で、ヒロイン・セーラームーンのタクトから放たれる決め技、「ムーンヒーリングエスカレーション」と、阿弥陀如来の「光明」との一致に注目しよう。
月の女王の化身(仏教の用語通り、法身・応身・化身の「化身」と理解しても矛盾しない)であるセーラームーンがその光線を放つ時点で、それは取りも直さず月の光である。  
詳細に見ればより一層、それは月の光である。すなわち、「ムーンヒーリングエスカレーション」のパワーソースは「幻の銀水晶」である。「幻の銀水晶」は、作中で、月の首都を形成し、それは象徴的に月自体である。しかも、同時に、「幻の銀水晶」は、当初、セーラームーンの涙(すなわち心の表出)から現れ、彼女の心理状態によってパワーが発現しないなど、明らかにセーラームーンの「心」でもある。「心」のうちでもとりわけ、「タキシード仮面」への「愛」がその核にあることが物語の進展にしたがって明らかになる。
 その「幻の銀水晶」の力にもとづき発射される「ムーンヒーリングエスカレーション」は、こうして、月の光であると同時に、セーラームーンの心の視覚化である。この構造を端的に表すのが、「月の光は、愛(=心)のメッセージ」であろう。

 こうして、月の光であると同時に、阿弥陀の慈悲の心の視覚化でもある「光明」によって、光明が人の心に「住みつき」、心が「澄み」、精神的に救「済」するように、
月の光であると同時に、セーラームーンの恋の心の視覚化である「ムーンヒーリングエスカレーション」は、妖魔化した人の心に生のエナジーが「住みつき」、心の邪悪を取り除くことで心が「澄み」、精神的に救「済」するのである。

 両者の光量・照明範囲は、無限である。無限とはすなわち、「世界の全体性」(p.34)を体現している。
 阿弥陀如来の「光明」の方から言うと、「阿弥陀」の語源は「アミターバ」すなわち、計り知れない光、無限の距離を照らす光の意であり)、『観無量寿経』によれば、その光は、「あまねく十方の世界を照らす」という。
 他方のセーラームーンで言えば、当初は「白い、優しい光」と、包み込む優しさの面が強調されていた「月の光」も、『コミックス11巻』で「【銀河を統べる】、白い光」と述べられ、照射範囲の無限性が際立ってきている。

このような類似を背景としてかぜすしてか、
阿弥陀如来を信仰する浄土宗の宗歌は『月かげ』すなわち“ムーンライト”であり、
『セーラームーン』の主題歌は『ムーンライト伝説』すなわち”月かげ伝説”なのである。

 この両者の一致を、「ユングと曼荼羅」というテーマに逆輸入しよう。
すると、『セーラームーン』における「幻の銀水晶」を、錬金術における「賢者の石」として再検討する方略が現れる。「宝石」として視覚化された、「心」の最深部である点で両者は比較検討の価値がある。この議論に仏教が絡む際に、議論の補強に『法華経』が有用である。『華厳経』と並んで、仏と仏法の、時間的・空間的無限性を説いた『法華経』中に、その無限性を宝石で視覚化した「無価の宝珠」の記述がある。

「無価の宝珠」には、さらに、“掌中に実はあるのに気付かれていなかった究極の価値”という含意もある。『華厳経』もまた、“無限に微細なるもののうちに、無限に大きなものが存在する(一一の塵の中に、一切の刹(くに)を現ず)”という世界観を採る。ここから、近所の古本屋で105円で売っているようなありふれた『美少女戦士セーラームーン』の中に、阿弥陀如来の光明を見出すことが、自己の中に「賢者の石」を生成する議論への回路を得る。身近な、そうした『美少女戦士セーラームーン』に対する身の処し方、実際に現実の世界との接点があることは、「身体性」を伴うことである。

 さらに、「月」を女性原理の典型的な象徴であるとしたユング派の、エーリッヒ・ノイマンの、『月と母権制』を経由して、阿弥陀如来の「光明」とセーラームーンの「ムーンヒーリングエスカレーション」の、「女性原理」の視点での展開も生まれる。

 ★

 こうして、曼荼羅の中心である大日如来との対応関係を背負いつつも「女性原理」として理解された阿弥陀如来の「光明」が、『美少女戦士セーラームーン』として現実の世界に「身体性」を伴って現れ、われわれの価値体系に根を張る「大地性」を得ることで、「ユングと曼荼羅」が内実を有するものとして捉えなおせる展望ができるのである。
 また、こうした捉え方こそが、本書第一論文のタイトルでもある「深層心理学から見た華厳経の宇宙」であるべきである。 

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2014/10/13 13:09

投稿元:ブクログ

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