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なるほど、いわれてみれば確かにそうだなあ、の連続。歴史を地理の観点から見直すと、まったく違った説得力を持ってくる。
徳川家康が、いかに河川(治水)の重要性に精通していたのか。関東平野は平野ではなく沼地湿地だった。利根川の流れを変える大工事が関東平野を平野にしたのだ、と説く。
首都はなぜ奈良にできて、なぜその後に京都に移ったのか。当時の海面の高さや川の位置から船による交通の便を想像し、もう一方で山と川が提供する薪(=エネルギー)と水の供給能力から収容できる人口を見積もってみる。遷都は必然だった、と結論づける。
東京には緑が多いのに大阪の街には緑がない。なぜか。テヘランや北京の街でみた風景からひらめく。大阪は民衆の街で王侯貴族に支配されなかったから、庭園が緑地公園にならなかったのだ、と。
他にもヘェ〜と膝を打つような話しが満載。
江戸幕府が吉原を移転した本当の理由は。
江戸城の半蔵門は裏門ではなく表門だ。
赤穂浪士は潜伏中、江戸幕府に保護されていた。
奈良の歴史的遺物が1000年の長きに渡って保存された理由は。
信長が比叡山を徹底的に焼き討ちした理由は。
元寇が攻略できなかった日本の自然の砦とは何だったのか。
博多は大都市の四大条件、安全/食料/エネルギー/交流軸をほとんど満たしていないのに繁栄しているのはなぜか。
本書を読み終わる頃には、すっかり歴史を見る目が変わってしまう。
惜しいのは、語り口。「AだからB」というときのAについて、意図的なのか不明だが、必要条件と十分条件を混同しているように見受けられる。言い切った方がドラマチックではあるけれど、その分、眉に唾つけながら聞いてしまう。本書は歴史についての「科学」というよりは「もう一つのお話」として楽しむのが吉。
最後に、著者も意図してない本書の効果をあげたい。それは、地理という学問の面白さと奥行き、可能性。小学校中学校で習った地理は面白くなかったけど、こうやって歴史と組み合わせてみると立体感がでてきて、歴史と地理の両方が面白くなる。
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建設省の土木・ダム・河川関連の専門家が地形から
導かれる歴史を書いた本。やはり着眼点が面白くよかったです。
江戸の治水、江戸城半蔵門、逢坂山と比叡山、鎌倉、赤穂浪士と吉良氏
の話。吉原。奈良の衰退。大阪に緑が少ないわけ。遷都に関して
それぞれの話が地形をカギとして説明されているのですが
本当にそうかはいろいろあると思いますが、それぞれとても
面白い論理かと思います。
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久しぶり、切れ切れの読書時間の続き、早よ読みたいと気が急いて、読みとうて読み進めたのは。
自分で考えて誰も書かん事を書き進める楽しさ、それが文章に現れ文体に滲み出る。この著者の幸せが感染した。
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河川事業に長く関わってきた著者が、地形から歴史を考えている。
我々がみても何も感じない地図や歴史画集から、専門家は幅広く考察できることに関心した。
特に、江戸の治水、干拓、溜池の話は考えたことのない見地であった。その当時では整備対策に苦労したであろう。
全体的に本書の歴史の真偽は不明であるが、今後地図を見たり歴史の要所に行くときは違った視点から見れそうである。
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地形を見ると歴史の常識がひっくり返る。「なぜ関ヶ原後、家康は江戸に戻ったか」「なぜ信長は比叡山を焼き討ちしたか」「なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたか」
今までの歴史の定説が人文視点からの理由に対し、地形から解き明かす試み。
出だしは「なるほど、そういう視点って面白いな~」と思ったが、論理がちょっと強引すぎるきらいもある。
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半蔵門が正門。。。そうかもしれない。歴史は時間の経過とともにわすれられていくんだなーと思った。もう少し気象からのアプローチがあれば面白みが増えた様に思います。面白い歴史へのアプローチ本でした。
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ブログに掲載しました。
http://boketen.seesaa.net/article/380979531.html
赤穂浪士の討ち入りを、徳川幕府が手助けした?一読、「目からウロコが落ちる」(通称「目ウロコ本」)本の典型だ。
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目からウロコの歴史考察。
日本の主要都市は、縄文時代には海だったところが多く、川が運んできた堆積物によって陸地になつている。その肥沃な土地と、船による交易によって大都市へと発展してきた。
歴史に偶然はなく、地形に裏付けされた必然が必ずあるのである。
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河川の専門家が河川の流れに視野を当て、日本史の謎を読み解いていく本。
トンデモ歴史観もたくさん含まれているが、遷都や江戸の造成についての話は納得感があり、異なる分野から考えさせてくれる。
2013-12-23
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元国土交通省の官僚が、得意分野の「地形」から歴史を読み解くというテーマと、帯にある「養老孟司氏、推薦!」「荒俣宏氏、絶賛!」のコピーにひかれて読みはじめたのだけれど、ツッコミどころが多すぎて……。
歴史の新事実をここから見つけるのではなく、「妄想老人の暴走」を面白く読めばいいのだと思う(^_^;)
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歴史上の謎を、地形気候といった自然要素とこれを利用する人間の営みから解説する。平安遷都や江戸遷都のくだりは大変興味深い。生活エネルギーを蓄え、かつ交流軸となれる土地を探し求める姿は、まさしく有史以来の人間の動きそのものだった。
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歴史上の重大な選択は、時の権力者の主義・思想や、政治的理由よりも、その時々の市民生活を最低限成り立たせるための、物流、資源(水・食料・燃料)、衛生環境といった制約条件を満たすべく行われたことを、当時の地形図や人口分布などのデータから見事に明らかにしている本。伝統的な歴史研究は、主に文献解釈と発掘調査で成り立っているが、現代でいうところの「都市計画」的な観点を加えることで、また違った歴史が見えてくるところが面白い。その際には、平地にしろ河川にしろ、昔と今では地形が全く異なることに注意しなくてはならない。本書でも述べられている通り、江戸時代初期の利根川は、銚子ではなく東京湾に流れていた(徳川家康・秀忠・家光の三代の時代に、利根川東遷と呼ばれる大工事を行い、現在の利根川になった)。このことを分かっていないと、戦国時代末期に、北条氏が利根川上流の関宿城を執拗に攻撃した理由が説明できない(北条氏は東京湾の水運支配を目論んでおり、利根川が東京湾と接続していたからこそ、利根川水系も押さえる必要があったのである)。史跡好きのタモリ氏が、「坂の傾斜」に異様にこだわるのも、同じ見識に基づいているのだと思う。
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この本は歴史の様々な事件を、よく聞かれる解説や珍説ではなく、その事件が起きた時の地形及び気候を考慮して考察したもので、私にとってはとても新鮮でした。
歴史小説を読むときに、どうしてもその土地の現在の地形を思い浮かべてしまいますが、本来はその時代の地形・気候が事件の成り行きや人々の思いにかなりの影響を与えていることが想像されます。
この本は、事件が起きた当時の地形・気候を考慮して、有名な事件を、私にとっては別の角度から解説しています。できれば当時の地図を手元に置きながら読み返してみたいと思いました。
家康は関東平野をどのように変えようとしたのか、比叡山延暦寺を焼き討ちした理由、なぜ鎌倉に幕府を開いたのか、奈良はどうして衰退したか等、面白い考察が目白押しでした。
以下は気になったポイントです。
・家康は1583年に甲府城の建造にとりかかり、ほぼ完成させていた1590年に江戸行きを命じられた。当時の甲府は、西日本と東日本、そして東海の静岡との重要な結節点であり重要な土地であった(p23)
・関東は二つの流域で構成されている、鬼怒川・霞ヶ浦流域と、利根川・荒川流域である、これらを分けているのが、松戸・柏・流山・野田市と続く千葉と埼玉の県境にある下総台地である(p27)
・以前の江戸が人のまばらな寒村であったのは、東北日本と西日本を結ぶ二つのルート(北関東の陸路、西に向かう海路)から外れていたため(p28)
・京を守護する比叡山(鬼門である逢坂)の僧兵は、朝廷の親衛隊であった。信長た味わった恐怖は、今川義元に桶狭間で味わせた死の恐怖であった、それを抹殺したので、天皇の権威と武士の政治権力と宗教のすみわけが確立した(p55、56)
・源頼朝が流された伊豆の島は「蛭ヶ小島」という地名であり、場所は伊豆半島の中央である(p61)
・穏やかに見える遠浅の浜は、事実上、鉄壁の要塞である。由比ヶ浜の遠浅が鎌倉を難攻不落にした(p66)
・頼朝が鎌倉に幕府を開こうとしたときの京都は、劣悪な衛生状態であった。方丈記においても20万程度の都市で4万人の疫病による死者が出ている(p74)
・日本人は牛や馬に名前を与え、家族同様に扱ったので、ローマや中国のように去勢をしなかった。なので牛車も暴走することが多い(p83)
・モンゴル軍の強みは、騎馬軍団と牛車群であったが、日本ではそれを活用できなかった、また乾燥したユーラシア大陸にはいない「やぶ蚊」には耐えられず、船上で寝泊まりした(p88)
・東海道の宿場図において、宮から桑名まで海上ルートを通った理由は、泥の濃尾平野を越えられなかったからだろう(p92)
・江戸幕府が赤穂浪士の麹町潜伏を見逃していたのは、幕府自身が赤穂浪士を匿ったということになる(p137)
・吉良家は、源氏の名門であった足利尊氏が三河の守護になり吉良庄の地頭職を兼務した時以来、矢作川下流部を支配していた、吉良家から分家した今川氏は三河地方に勢力を広げた(p156)
・江戸市内���は町境の要所ごとに木戸があり、夜は閉じられた。特に重要な木戸は、東海道の高輪、甲州街道の四谷、中山道の板橋であった(p168)
・奈良は、奈良時代の人口に回復したのは、1970年頃、1200年以上かかっている(p306)
・福岡は、ユーラシア大陸を横断し朝鮮半島から日本列島にたどりつく世界文明の大交流軸の上に位置していた(p355)
・日本文明の自壊の可能性は二度あったが、二度とも遷都によって危機を脱出した、一度目は、794年の桓武天皇による京都への遷都、二度目は1603年の、徳川家康による江戸幕府の開府である(p361)
・徳川家康は関西の山地荒廃を目の当たりにしていたので、利根川の江戸を選択した(p374)
2014年1月19日作成
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日本堤と墨田堤を保全するための策とは、小名木川開削の裏事情は。などなど興味深くて面白い本。一気に読み終えてしまった。地形から読み解く歴史の面白さ。
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国土交通省のダム担当職員として日本中の地形を実地で調査した著者が、従来の人文的な歴史観とはまったく違う観点から、歴史の謎に迫る。歴史に対する固定観念を無くして地形からくる必然性に目をつけたのは新鮮。歴史というのは文献や遺跡などを辿っても、「何が起きたか」は分かっても「なぜそうしたのか」は推測の域を出ないが、著者は「地形」に着目し、調査することで「そうせざるを得ない理由」を探ろうとしている。織田信長が比叡山延暦寺を焼き払い、僧兵を虐殺した理由を、彼の残虐な性状に求めるのでは無く、比叡山の位置が大坂、京を治める為にはどういう意味を持っていたのか、から読み解こうとする。その試みは高い説得力を持っているように思う。源頼朝が鎌倉に、徳川家康が江戸に幕府を置いた理由について、これほど腹に落ちる説明はかつて無かったかもしれない。面白い。