紙の本
この本を渡した夫の想いが籠もっているようで、ちょっとなあ。いやらしい老人になるぞ、って宣言かなあ、参ったなあ
2003/07/16 20:40
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投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「あーあ、ジイサン、走っていちゃったんだ」と、中三の長女がパソコンでメールを見ながら、呟いた。それがこの本を彼女に読ませた夫の「どうだった?」という質問への応えだった。そこには、沢山の思いが込められているような、そんな静かな言葉だった。多分、娘はその問いに、この本を読ませた、もうじきジイサンになるだろう父からのメッセージを感じたのにちがいない。「でも、走らなくてもいいのにな」夫の口からこぼれた言葉が、娘の背中を伝って静かに落ちた。
味のある線が何ともいえないカバー画は唐仁原紀久、個人的にこの人は池永陽のように人気者になっていく予感がする。『ひらひら』『コンビニララバイ』と、現代世界の悲哀をユーモアも交えて描いて見せてくれた池永の原点。
老人の性を描く、というのはこの小説のほんの一面に過ぎない。高齢化社会、老人の時代などといわれはするものの、若者からは元気なうちこそ大切にされるけれど、一旦、病気にでもなれば、その存在そのものが黙殺されてしまうのが現実。その事実を、老人たちが気付かないほど愚かではないということを、読者に教えてくれる。ここには奇麗事は描かれない。
今年69歳になる作次は妻を亡くしてからは、息子の真次と二人暮し。築30年以上の小さな一戸建てに住んでいる。その息子が、仕事関係の出先の事務員と結婚した。一目見た時の彼女の印象は「エモンカケ」。どこか肩肘を張って生きているような、堅さが外に滲み出てくるような凛とした女性だった。そんな新妻は、老人との三人住まいをアッサリ受け入れて、作次の家にやってきた。老人の頭の上に猿が住みついたのはその時からだった。
喫茶店『茶々』で、一杯のコーヒーで午前中を過ごす老人たち。会社を退職した途端に妻から離婚を言い渡された66歳の建造。元気にしていた妻が、腰を痛め寝込んでしまい、衰える一方になった妻を案じる69歳の正光。そして、頭の上に住みついた、本人以外に誰も見ることの出来ない猿のことが気になってならない作次。しかし、彼はその原因がおぼろげにわかっている。それは一緒に住み始めた、息子の嫁の京子さん。毎日接していても、けっして不機嫌な顔も見せずに、食事の支度などしては仕事に向かう彼女は、或る日、義父に向かって「私は年寄りが嫌いです」と宣言をした。彼女との生活に戸惑いと、ときめきを覚えてしまう老人の悲しさ、喜び。若さゆえ悩む知り合いの娘に寄せる温かい眼差し。
一回り年上の私の夫は、すでに老人の世界に足を踏み入れている。亡くなった義父は、孫たちが小学生の時に、なかば自分の妄想の世界に閉じ込もった形で亡くなった。彼女たちにとっての祖父は、それでも優しく、面白いおじいちゃんだった。今でも、おじいちゃんのことを思うと涙がでるという。しかし、義父と二人で暮らしていた義母の思いはどうだっただろう。夫には池永が描いた世界に、本当の老人とはこれだと思い、この本を私と娘たちに読ませたという。俺もいつかはこうなるだろう、もしかするとお前たちもこんな家に嫁ぐかもしれないと。
冒頭に掲げた言葉は、通学の時にこの本を読み終えた娘が呟いた一言だった。それを聞いて、私はほっとした。彼女の口調からは、厄介者がいなくなったという安堵感よりも、愛する人が、旅立ってしまったという寂しさが感じられたからだ。無論、それに寄りかかろうとは、夫も思わないだろう。でも、同じ老人になるならば、長生きして欲しいと思われるような老い方をしたいし、娘には、そうでない年寄りも受け入れることが出来る大人に育って欲しい。その兆しを感じて私は、そっとため息をついた。
吉田伸子の解説が、とてもいい。変に薀蓄を傾けるでもなく、池永の本に手を伸ばした心の動きが自然で、この人と同じような本の出会いを楽しむ人は多いのではないかと思わせる。いつか、吉田の文を読んでみたい。
紙の本
歳を取る哀しさ
2023/11/08 19:27
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投稿者:みみりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
歳を取る哀しさがちりばめられた作品です。
頭の上に猿がいる、と初老の作次は思う。
きっかけは息子の嫁と同居し、嫁にほのかな恋心を抱いたこと。
というか、こういう話を読むと、絶対に同居は無理だと思う。
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池永陽のデビュー作。
頭の上にサルがいるというユニークな設定が面白い。人生の終盤を迎えた老人の様々な悩みと葛藤を、切なくも可笑しく描いた作品。
小説すばる新人賞受賞作。
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友達にこの本を見せたら、「シュールなの読んでるねカフカとか好きなの?」と言われた。そこまでシュールではないものの、老いをテーマにしたシュールさとユーモアの同居する作品でした。歳をかさねるということも、たぶんそんなに悪いことではないのではないか。老いに関してはなかなか笑えない状況が描かれているというのに、何故かそう感じた。
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頭頂部だ。頭の上に猿がいる。
感想:http://tomtomcom.blog73.fc2.com/blog-entry-469.html
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妻に先立たれたジイサンが主人公で、新婚のヒトリムスコ(こいつは優しくない)とそのヨメ(こっちはなかなか骨のあるヨメサン)との3人暮らしをしています。家族とジイサン仲間とのつきあいというこじんまりとした日々のお話、なのですが、ジイサンはある日自分の頭の上におサルがちょこんと座っているのに気づきます。そもそも自分の頭の上が見えるわけも無いし、ましてやおサルなんかが乗るわけがない、頭がおかしくなったのではないか、と不安になりながらも、居るものは居るんだしなぁと、割とすんなりおサルの存在を受け入れてしまい、ときには「サルよ、お前どこから来た。やっぱりサルの国か。」などと話しかけたりしてヨメに「このところ独り言が多いですよ」と言われたりします。少し哀しいような寂しいような、独特の雰囲気のある話でした。
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人間生きていれば必ず老いる!体臭もあるし排泄物もある!しかし自分が老いたときの心境なんて全く想像つかない。祖父は物心つく前に亡くなり、祖母も一緒の暮らしたことがく、今まで身近に老人がいたことがないうちは、等身大の老人を知らない。いくら老いても男なわけで、息子のヨメを女と見てしまい、ゴムを買ってはみたがもう自分の一物は勃つことはなく伸びきったまま。頭の上に猿が見えるのも、痴呆の始まりなのかと不安になる。気をつけていることは尿意を感じたらすぐトイレ。失禁をしないこと・・。一緒に住む女の匂いに敏感になっている様子や、自分の臭いを気にする様子など、まさに生きている老人の姿が書かれている。作次さんは、明ちゃんが描く絵の赤色の違いで悩み事があるのかと気づいたり、京子さんの悩み事にも優しい気遣いをする。自分が建てた家なのに息子に二階に上がるなと言われれば素直に従ってしまったり、台所にあるものも気を遣って好きに使えない。そんな作次さんが哀しくて滑稽で愛おしい。
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【あらすじ】
頭の上に猿がいる。話しかければクーと鳴き、からかえば一人前に怒りもする。お前はいったい何者だ―。近所の仲間と茶飲み話をするだけの平凡な老後をおくっていた作次。だが、突然あらわれた猿との奇妙な「共同生活」がはじまる。きっかけは、同居する嫁にほのかな恋情を抱いたことだった…。老いのやるせなさ、そして生の哀しみと可笑しさを描く、第11回小説すばる新人賞受賞作品。
【感想】
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歳をとってもこんなものか、という失望と希望の狭間の人間臭さ。
波長の合う普通のお爺ちゃんほど純粋に会いたくなる人はいません、俺はね。
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年寄りの世間からの疎外感が切なく伝わってくる話。
ジイサンはまだまだ現役のつもりなのに、周りはすっかり年寄り邪魔者扱い。お友達の老夫婦の自殺の話も辛い。母から年齢に対する世間の接し方の話などを聞いているから、自分の将来に照らし合わせて考えると怖いとさえも思える。
最後は自分が猿の頭にのるようになって終わるのだけど、このラストはどうとらえていいのか・・・。全体としては暗くなくほのぼのストーリなのだけど。
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率直にいえば、少し物足りない終わり方でした。特に明ちゃんが恋人とどうなって絵がまるっきり変わったのかということを知りたかった。あとはラストシーンの実際に走っているところは作次の夢なのかそれとも死んでしまうところだったのかというのも不明瞭…。なので不完全燃焼感が残りますね!ただ、主人公とその周りがしっかりキャラ立ちしていて面白かった。お年寄りの意外な考えがわかって新鮮だった。
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【本の内容】
頭の上に猿がいる。
話しかければクーと鳴き、からかえば一人前に怒りもする。
お前はいったい何者だ―。
近所の仲間と茶飲み話をするだけの平凡な老後をおくっていた作次。
だが、突然あらわれた猿との奇妙な「共同生活」がはじまる。
きっかけは、同居する嫁にほのかな恋情を抱いたことだった…。
老いのやるせなさ、そして生の哀しみと可笑しさを描く、第11回小説すばる新人賞受賞作品。
[ 目次 ]
[ POP ]
年をとったらこんなジイサンになりたいと思う(私はなれないが・・・)。
きっとバアサンではこうはいかないだろう。
妻に先立たれ、同居する息子の嫁にほのかな恋心を抱く69歳の主人公。
老境にさしかかり、不安や孤独、怒りなど様々なストレスを感じつつ、ボヤきつつの毎日を送っている。
ジイサンはじめ登場する人々、みんな哀しく切なく滑稽で愛おしい。
そんな中、ジイサンが恋に悩む近所の明ちゃんにかける言葉、「誰だっていやらしいんだ。・・・人間なんてみんな似たようなもんなんだ。やっかいなもんなんだ。」は単なる慰めというより、諦めも含んだ人間肯定の優しさなのだ。
主人公の頭の上に、ある日突然現れた幻想の猿は一体何者なのだろう?
人生の喜怒哀楽をくぐり抜けた後で生まれた自分の分身か、飄々としてすべてを見通す高次の存在か、それとも守護霊?
平凡だけど味のある、やっぱりこんなジイサンになりたいなあ。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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>頭頂部だ。
>頭の上に猿がいる。いくぶん・・・・
表題と言い、このふざけた様な書き出と言い、最初はユーモア小説かと思ったのですが。。。
先日読んだ「コンビニ・ララバイ」の池永陽のデビュー作。第11回小説すばる新人賞受賞作です。
主人公は息子と二人暮しの老人。息子が結婚して嫁さんと同居することになるのです。主人公は、突然家庭に入り込んできたこの若い女性が常に気になって仕方ない。そして、一方で自分が片隅に追いやられたような気もしてる。暇つぶしに行く喫茶店で会う友人は熟年離婚の危機にあったり、仲の良い夫婦ながら妙に訳有りそうだったり。
「コンビニ・ララバイ」と同じように、ちっぽけな日常の中で、小さな人間が、やるせないながらもどこか一生懸命に生きている。そんな姿を好感を持って描き出している作品です。